第32話 ヤンデレ妹の現在
鉄格子が並ぶ薄暗い回廊。灯りといえば天井から吊るされた松明だけ。その明かりも頼りなく、影が蠢くかの如く壁面を這い回る。
重厚な扉の前で数人の衛兵が立ち塞がっていたが、近づく足音に敬礼し道を開けた。
「報告致します、アリス様」
扉を潜った先の部屋は意外なほど簡素だった。装飾品の類はほとんどなく、あるのは大きな書斎机と壁一面を埋め尽くす書架だけ。
その中央で椅子に座る少女──アリス・ルノワールがこちらを見つめていた。
「ご苦労様でした、ミリウスさん。無事に潜入任務を遂行出来て何よりです」
アリスの声は鈴のように透き通りながらも冷たく響く。
彼女の前には分厚い報告書が積まれており、それらは全てミリウスが"彼"についてまとめ上げた諜報活動の記録だった。
「ミナト・クロフォードの魔力量は計測不能。私のこの目で、彼が現国王であるアドルフ・クロフォードを打ち破る光景を確認致しました」
ミリウスは淡々と告げる。その姿は普段の冷徹さを増しており、感情というものが一切窺えない。
「なるほど……」
アリスの口元が微かに吊り上がる。前世の記憶を持つ彼女にとって、かつての兄との再会は特別な意味を持っていた。
「クロフォード王国との関係は修復不可能なレベルまで悪化。エアハートの反乱分子は全て鎮圧されました。エルドリックは死亡し、彼から魔術紋章の詳細データの回収には成功しました」
沈黙が流れる。書斎机の上の燭台が微かに揺れ、二人の影を壁に大きく映し出した。
「ふむ、良いでしょう。当面の目的は達成できました」
アリスは机の上に置いてあった小さな水晶玉に手を伸ばす。それは淡い紫色の光を放っていた。
「魔術紋章はまだ初期段階。完全に定着させるにはさらなる研究が必要です。しかし、彼の戦闘能力は想定以上でしたね」
アリスの指先が水晶玉の表面を滑る。そこから立ち上る霧のような光が室内を満たし始めると同時に、彼女の瞳孔が僅かに赤く光り始めた。
「アリス様。彼は……危険です。おそらく、我々の予想を遥かに上回る程に」
ミリウスの声には僅かな震えが混じっていた。この短い間、側近同然の立場で彼を観察してきたが、ミナトの底力は計り知れない。
仮に自分とアリスの二人がかり……否、現時点の帝国の全勢力で挑んでも勝算は薄いとすら思えてくる。それほどまでに彼の力は圧倒的だった。
「ふふ……そう怯えることはありません。確かに、今の私では彼には到底敵わないでしょう。でも……」
アリスは椅子から立ち上がると窓際に歩み寄る。眼下には帝国の街並みが広がっていた。城下町の喧騒が微かに聞こえるものの、この高さからでは米粒ほどの大きさに過ぎない。
「全ては計算通り。あの交流戦から、魔力学院への入学、あの様な小物に交渉したことも、全ては彼を試す為。彼がどれほどの力を持っていようと関係ありません。なぜなら……」
そこでアリスは振り返り、ミリウスを見据える。その瞳には狂気とも取れる異様な輝きがあった。
「──彼は、私だけモノになるんですから」
ミリウスはその言葉に何も返せなかった。彼女には理解できない部分も多い。ただ一つ言えるのは、この少女の執着心は尋常ではないということだ。
「アリス様は、何故それほどまでに彼にこだわるのですか?」
「ふふっ……それは秘密です。あなたにはまだ教えられません」
アリスは再び笑みを浮かべる。まるで全てを見透かしているかのように。
「では次の指令を与えましょう。彼の周りの人間関係を探ってください。特に──女性関係について」
「それは、始末しろと?」
「いえ、今はまだ泳がせておきます。下手に動けば警戒されますから」
「ですがアリス様、彼の周りに居る女性は弱者のみ。私ならば──」
「ミリウスさん」
突然の制止にミリウスは言葉を飲む。アリスの目は満面の笑みであるはずなのに、殺気で溢れているのが分かる。
「──お願いしますね?」
その言葉に背筋が凍るような恐怖を感じた。単純な戦闘能力だけでいえば自分とそう変わらないはずなのに、この威圧感は何だ?まるで自分の意思すらも支配されているかのような錯覚に襲われる。
「……仰せのままに」
結局、ミリウスに出来ることは頭を垂れることだけだった。この主人から命令に背いた場合、自分の命はないと本能が告げていた。
「良い子です」
満足げに微笑むとアリスは再び椅子に腰掛ける。先程までの異常な雰囲気は消え失せ、通常の穏やかな表情へと戻っていた。
「では失礼します、アリス様」
「えぇ、よろしくお願いします」
ミリウスが部屋を後にすると同時に重厚な扉が閉ざされる。再び室内は静寂に包まれた。唯一動くものといえば、彼女の横で淡い光を放つ水晶玉くらいだろう。
「ふふ……兄さん、待っていてくださいね。もうすぐ全てが始まるんですよ……」
脳内で展開される『前世』の記憶。自分を置いて先に逝ってしまった兄。それが今、転生という奇跡により再会を果たしたのだ。
これを運命と言わずして何と言うのだろうか?
「これが完成すれば……もう二度と兄さんを失うことはない」
彼女は自らの胸元に手を添える。そこには小さな宝石が嵌め込まれたペンダントがあった。
「今度こそ……永遠に一緒ですよ……」
ペンダントに触れる指先が微かに震える。
それは恐怖か、歓喜か?ミナトを己の手中に収める日が来るという確信からくるものか?それとも……。
「あはっ、はははっ、あはははははははっ!!」
アリスの狂気じみた笑い声が薄暗い部屋に木霊すると同時に、ペンダントの宝石が不吉な赤色に煌めく。
その光が、前世から続く因縁の結末を暗示しているかのようだった。
三章はここまでです!読んで頂き本当にありがとうございます。
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