第31話 初めての愛の告白
時刻は深夜を回った頃。クロフォード家の廊下は静まり返り、松明の明かりさえ消えかけている。
自室のベッドに腰かけていた俺は、控えめなノックの音に顔を上げた。
「誰だ?」
「……フレイアです。入ってもいいかしら?」
その声は昼間の会議より幾分か柔らかく感じられた。
「ああ。開いてる」
扉が静かに開かれ、フレイアが姿を現す。 シンプルな寝間着に近い服装で、髪を緩く束ねている。彼女らしからぬ姿に少し戸惑う。
「ごめんなさい、こんな時間になっちゃって。色々と整理したいことがあったの」
フレイアはドアを閉めると室内を見渡した。
前に寮に来た時と違い、どこか落ち着かない様子だ。
「別にいいぞ。紅茶でも淹れるか?」
「いいえ、すぐにお暇します。ただ……少しだけ話したかっただけだから」
そう言って彼女は俺の正面の椅子に腰を下ろす。その仕草は妙にぎこちなく、視線も床に落としたままだ。
「それで?話って何だ?」
「うん……えっと……」
フレイアは言い淀む。言葉を探すように唇を噛みしめている。
「まずは……お礼を言いたかったの。今日の会議でも言ったけれど……改めて」
顔を上げた彼女の瞳は真っ直ぐに俺を見据えていた。
「あなたのおかげでエアハートは救われた。民もあたしも。本当にありがとう」
その声は震えていた。感情を抑えきれないのか、手が僅かに震えている。
「あたし……あなたのことを誤解していたわ。魔力の強さばかり目立って……でも……」
一瞬の躊躇いの後、彼女は続けた。
「お父──あの人が……いえ。エルドリックがあんなことになっても……あなたは最後まであたしを気にかけてくれた。それが……嬉しかったわ。心から」
言葉を失った。この数日、彼女はずっと葛藤していたんだろう。父親への憎しみと喪失感の狭間で。
「俺は俺のやりたいようにやっただけだ。感謝されるようなことじゃない」
努めて平静を装って答えるが内心は複雑だった。フレイアは微かに笑うと立ち上がる。そして一歩近づいてきた。
「それでも感謝してる。きっとあなたじゃなきゃダメだった……と思うの」
距離が縮まり心臓が早鐘を打つ。彼女がここまで積極的な態度を見せるのは珍しい。
「ねえ、ミナトくん。あの時……どうしてあたしを助けに来てくれたの?正直言ってあたしって面倒な性格だし、ギルドのことだってあったのに……」
その質問は思いがけないものだった。どうして彼女を助けたのか。改めて考えると自分でも明確な理由は分からない。ただ……。
「……フレイア先輩には後悔して欲しくなかった。それだけだ」
「それって……」
「いや、こっちの話だ」
思わず本音が出てしまった。慌てて誤魔化す。
フレイアは一瞬驚いた顔をした後、小さく笑った。 その笑顔は初めて見る無邪気なもので、昼間の王女らしい仮面が剥がれたようだった。
「あなたって……不思議な人ね」
「そうか?」
「うん。一国の王子とは思えないくらい飄々としてるし、でも本当に必要な時には必ず傍にいてくれる」
フレイアのぎこちない笑みは次第に深くなり、いつの間にか肩の力が抜けているのが見て取れた。
「教官様にそこまで言って頂けて光栄だな。素直に嬉しいよ」
「もぅ、またそうやってはぐらかす。もしかしてあなた、天然?」
「ストレートに褒められると照れ臭いだけだ」
「自分で言うこと?」
互いに視線を交わし、どちらからともなく笑い声が漏れた。思えばこうして落ち着いて話すのは初めてかもしれない。
「……あのね、ミナトくん」
ふと真剣な顔に戻ったフレイアが口を開く。
「あたし……今までずっと自分のことばかり考えてた。最初にあなたに近づいたのも、あの人の役に立ちたくて……それが最善だと思ってたから」
「別に悪いことじゃないだろ。んなこと言ったら俺だって自分のことしか考えてない」
「ううん。違うの」
フレイアは首を振る。その目には何かが吹っ切れたような光が宿っていた。
「今は違う。今は……あなたのために何かしたいって思う。それが本当に自分らしく在れる選択だと思うから」
彼女の言葉には強い意志が込められていた。俺は返答に詰まる。フレイアが何を望んでいるのか、完全には読み取れない。
「え、えっと……つまり……」
フレイアの頬が赤く染まる。指先を弄びながら言い淀む様子は普段の彼女らしくない。
「あなたが……その……大切な人だからよ。カナデちゃんと……付き合ったりしてるの?」
「は?」
「べっ、別に深い意味はないのよ!ただ……その……」
露骨に狼狽えるフレイア。その反応から察するに……いやいやいや待て、何考えてるんだ俺?
「そ、それでどうなの!?」
「い、いや……カナデとは特にそういう関係じゃない。ただの幼馴染?まあ腐れ縁だ」
「本当に!?」
フレイアの顔がパッと明るくなる。この女、本当にフレイアか?あの冷静沈着でプライドの高い彼女がここまで露骨な反応をするとは……。
「でも、彼女はあなたを信頼してると思うわ。必死で剣の腕を磨くのも、あなたの隣に立ちたいからじゃないかしら」
「それ、恋愛感情なのか?単に負けず嫌いなだけだと思うが」
「……あー、うん。そうかもね。その方が好都合だけど」
一人で納得するフレイア。本当にどうしたんだこの女。
「とにかく。あたしはあなたのことをもっと知りたいの。カナデちゃんと同じ……ううん。それ以上に」
そこで彼女は悪戯っぽく笑った。その表情はどこか開放的な印象を与える。エルドリックの呪縛から解放された彼女は本来の魅力を取り戻しつつあるのだろうか?
「ねぇ、もしも今……あたしがあなたに……『好き』だって言ったらどうする?」
「──え?」
「冗談よ。でも……」
彼女は真摯な眼差しで俺を見つめた。その瞳は真剣そのもので冗談には見えない。
「いつか必ず伝えるわ。あなたがどんな答えを出しても構わない。でも逃げずに受け止めて欲しいの」
その言葉には嘘偽りない覚悟が感じられた。
フレイアの決意に触れ、俺は正直に返すしかなかった。
「わかった。その時は逃げない」
「約束ね」
彼女は指を立てて笑う。その姿に心臓が跳ねるのが自分でも分かった。
「さて、随分長居しちゃったわね。もう遅いし失礼するわ」
フレイアが椅子から立ち上がる。彼女の気持ちは嬉しくないわけじゃない。むしろ有難いくらいだ。
だからこそ、俺も自分の中にある覚悟を打ち明けることにした。
「──なあ、フレイア。さっき言ったよな。あんたには後悔して欲しくなかったって。俺には、大切な人が居たんだ」
「え……」
フレイアの表情が曇る。俺自身が『前世』の記憶を持っているとはまだ言えない。言えば更に混乱させてしまう。
「けどな、その人は皮肉にも俺の目の前で奪われた。悪魔の手によって、無惨に。俺は何も出来なかったんだ。彼女は必死で助けを求めてたのに、守るどころか手を伸ばすことすら出来なかった」
未だに鮮明に焼き付いてる光景。あのヤンデレ妹によって、最愛の人を奪われた悔しさ。
それでもあいつと向き合うのが怖くて、勇気がなくて、一度は人生から逃げ出したどうしようもない腰抜けが俺だった。
「だから俺は決めたんだ。あんな理不尽は繰り返させない。いや、理不尽をさらなる理不尽で塗り替えるってな。もちろん誰かを犠牲にするつもりなんてない。ただ──」
言い終わるより前に、暖かい感触が頬に触れた。フレイアの細い指が俺の頬を包み込んでいる。
彼女の澄んだ瞳が真っ直ぐに俺を見つめている。
「辛いことを思い出させちゃったわね……ごめんなさい」
暖かな手のひら。ずっと内に秘めていた葛藤が少しだけ和らいだ気がした。
「いや、俺が勝手に話したことだしな。多分、誰かに聞いて欲しかったんだと思う」
「なら、誰よりもあたしが知りたいわ。あなたの背負っているものを……共有させて欲しいの」
フレイアの表情には悲壮感は無い。むしろ強い決意のようなものが宿っていた。
彼女なりに俺を受け入れようとしていることが伝わってくる。
「悪い、これ以上は話したくない。これは俺の問題だからな」
「……わかったわ。でも忘れないで。あなたに救われた人間はたくさんいる。その想いはきっと心の傷を癒してくれるはずよ。ううん、いつかあたしが証明してみせるから」
フレイアが俺の頭をポンポンと撫でる。子ども扱いされているようで気に入らないが、嫌な気持ちはしなかった。
「それじゃあ……本当に失礼するわね」
「ああ、送ってくよ」
部屋のドアを開け、廊下に出る。
フレイアの部屋は別の階にあるので階段まで見送ることにした。
「おやすみ、ミナトくん」
「ああ、おやすみ」
最後に軽く手を振り合う。その一瞬の間だけ二人の距離が縮まったような気がした。
彼女の姿が曲がり角に消えるまで見届けた後、俺は自室に戻る。ベッドに倒れ込み、天井を見上げた。
「参ったな……」
思わず呟く。こんなにもストレートに好意を示されるとは思わなかった。
ましてやあのフレイアだ。出会った当初はミステリアスで飄々としたあの教官様が、今や自分の気持ちに正直になって向き合ってくれている。
「……俺は」
あの忌まわしい記憶が蘇る。ヤンデレ妹の笑み。最愛の人を奪われた瞬間。
こんな気持ちを抱えながら、誰かを愛することなど出来るはずがない。
「結局、変わらねえよな……」
かつての過ちを繰り返さぬために。俺がすべきは誰も巻き込まずにあの妹との因縁を断ち切ることだ。
その目的以外には何もない。それを超える理不尽で塗り潰す。
答えを出すのは、それからでも遅くはないだろう。




