第29話 最後の会話
「き、貴様は……」
吹き飛ばされた男はよろめきながら立ち上がる。その体には深い斬撃の痕跡があり、明らかに致命傷だった。
「一国を束ねる国王様が娘に殺害予告かよ。しかも偽物の父親として10年以上も騙し続けてたと」
声の主──ミナトは静かに降り立った。フレイアを庇うように立ち塞がり、鋭い視線を男に向ける。
「ミナト……くん?」
か細い声が洩れる。信じられない光景だった。一瞬にして状況が劇的に変化したことに思考が追いつかない。
「街の魔獣の大半は片付けた。カナデ達も上手くやってる。ま、ここは俺に任せとけ」
フレイアに振り返ることもなく、ミナトは敵を見据える。その背中から感じる確かな温もり。安心感に満ちた後ろ姿が彼女の胸を打つ。
「くく……不意打ちとはいえ、一撃でこの威力。流石に黒龍を屠った男か」
国王だった男は傷を押さえつつ嗤う。その表情には絶望ではなく狂気じみた喜びが浮かんでいた。
「だが、この程度で私を仕留めたと思うな。所詮は血統に恵まれただけの青二才よ。この手にある紋章の力は、魔力を超越した"魔術"であるからな!」
男の左腕に刻まれた紋様が光り輝く。周囲の魔力が不自然に歪み始め、異様な気配が漂う。
「そんな、傷が癒えて……!」
紋章が輝いた瞬間、フレイアの目が驚愕に見開かれる。
エルドリックの胸に刻まれた深い傷が煙を上げながら修復されていく。血が止まり、皮膚が再生し、見る間に元の形を取り戻した。
「何を見せてくれるのかと期待していたら、ただの自己回復か?んなもん俺でも出来るぞ」
「甘いな少年よ。こんなものは序の口だ」
エルドリックが左腕を高く掲げる。紋様が紫の光を放ち空気が歪む。
「『次元門解放』」
虚空に漆黒の亀裂が走った。その裂け目から次々と魔獣が這い出してくる。Aランククラスの巨躯を誇る怪物たちが十数体。
「魔獣……!?こんな場所でどうして……!」
「愚かな、まだわからぬか。この紋章はゲートを自在に開閉する能力をもたらす。貴様等が危惧していたゲート暴走など初めから仕組まれていたことよ」
エルドリックは冷ややかに微笑む。しかし、ミナトは微動だにせずその光景を見下ろす。
「なるほど。つまりここであんたを始末すれば全部解決するわけだ」
「……調子に乗るなよ。この魔獣はAランク。いくら貴様とてこの数を相手にすれば消耗は免れない」
一斉に襲い来る魔獣の牙と爪。しかしミナトは動かない。動く必死がなかった。
右腕を一振りすると魔力障壁が展開。それだけだ。魔獣たちは一瞬にして塵へと還った。
「何……だと?」
エルドリックの顔に初めて焦りが浮かぶ。相手はあの黒龍を単独で葬った男。元よりこの程度で倒せる相手ではないことは承知していたはずだったが、それでもあまりの差に思考が追いつかない。
「なんだ、もう終わりか?魔術ってのはそんなに便利なものじゃないのか?」
「……ッ!まだまだこれからだ!」
エルドリックは己の体から分離させた魔獣の欠片を拾い上げる。血塗れの肉塊を口に含み咀嚼するその姿は異形そのものだった。
「何をして……!?」
「貴様に分かるまい。これは私の力の源。魔獣の生命力こそが紋章の魔術を強化する」
その言葉通り彼の肉体が変容していく。筋肉が隆起し肌は黒く染まる。眼球は黄金色に変わり禍々しい紋様が全身に広がる。
「エルドリック……あなたは……」
フレイアの声が震える。かつて厳しくも自分を気にかけてくれた父の面影は微塵も残っていない。眼前にいるのは異形の怪物だった。
「見ろ、この姿を!人の域を超えた力を!」
彼の背中から黒い翼が生え、尾骶骨からは蛇の如き尻尾が伸びる。まさに魔獣と融合した化け物だ。紋章が脈動し魔力が渦巻く。
「魔獣の王たるこの姿こそ私の究極形態!さあ恐れ慄け小僧!」
変貌したエルドリックは両手を広げ、魔力を解放する。周囲の建造物が震え、空気が渦を巻く。まさに伝説の魔物の如き威圧感だ。
「ミ、ミナトくん……」
フレイアがミナトの背中を見つめる。彼女には最早この恐ろしい光景が受け入れがたかった。次の瞬間、フレイアの身体がミナトの魔力障壁に包まれる。暖かい感触に安堵しつつも彼は無言で前に進み出る。
「そういやあんたのその力、アリスってやつから貰ったんだったよな」
ミナトの声はいつもと変わらない淡々としたものだった。目の前の異形に対しても全く怯む気配はない。
「フハハハハ!!だったら──」
「だったら、色々と聞きたいことがあるんだよな」
「っ!?」
エルドリックが言葉を飲み込む。ミナトの表情が消えている。
その姿は彼に守られるフレイアが震え上がるほど冷徹な光を放っていた。
「……いい気になるな。貴様はここで終わりだ!」
エルドリックが突進してくる。魔力に覆われた剛腕は路地の建物をことごとく砕いていき、衝撃波だけでフレイアの魔力障壁が軋む。尋常ならざる破壊力だ。
「遅いな」
ミナトは僅かに身を捻り躱すと同時に、魔力で生成した無数の槍を一瞬で具現化する。それらがエルドリックの全身を貫く──
「ゴハァッ!!?」
悲鳴を上げる余裕もなく串刺しにされたエルドリック。魔力の槍が刺さった部分から血液が噴き出す。
「もう終わりか?魔力を越えた魔術なんだろ?」
「な……にを……!?」
槍が消えると同時、エルドリックの体から魔力が霧散する。魔力量だけならば黒竜を上回るが、単純に力が制御出来てない。
ミナトは鼻で笑うと右手に魔力を纏う。剣状の魔力が形成され、迷いなく振り下ろされる──!
「がああああ!!」
エルドリックの右腕が切断され地面に転がる。断面から鮮血が噴き出す。
「くそ……馬鹿な!魔力で作られた武器に私の体が切れるはずが……!」
エルドリックは残った左手で傷口を押さえ後退する。完全に想定外の展開に頭が追い付かないようだ。
「殺されない内に喋った方が良いと思うぞ」
ミナトの目が氷のように冷たい。彼の殺意は本物だとフレイアは直感する。これは最早戦闘ではない。裁きだった。
「ぐっ……そんなはずはない!紋章の力を有した私こそ最強なのだ!貴様ごときに屈するものか!」
エルドリックの声が狂気じみた叫びに変わる。恐怖に負けまいと足掻く姿は滑稽だった。
「まだ……終わって……ない……まだだああ!!」
フレイアはその凄惨な光景をただ見つめるしかなかった。信じていた父が異形となり、一方的に蹂躙される。こんな結末を誰が想像しただろう。あまりの出来事に涙すら出なかった。
「……こ、こんな理不尽があってたまるか!!私が、今までどれほど……どれほど努力してきやがったか!!!」
娘を徹底的に利用し、今まで好き勝手に理不尽な行いをしてきた怪物が、今になって自分が理不尽だと喚いている。元人間であった彼の発言は完全に矛盾しており、あまりにも滑稽。ミナトの感情はとうに冷め切り、ただ作業的にエルドリックの両足を斬り飛ばした。
「うぎゃああああああああ!!!」
エルドリックの叫びが路地裏に木霊する。身体から噴き出す魔力が暴走し建物を崩壊させる。
その光景の中心でミナトは手をかざす。掌に集まる魔力が黒く輝き始める。
「終わりだ」
ミナトの放った魔力弾がエルドリックの胸部を貫通する。それは物理的な破壊よりも内部から浸食するように黒い霧を広げていき、彼の肉体を内側から蝕んでいく。紋章すら侵食していくように黒く濁っていった。
「ぐはっ……!?」
血反吐を撒き散らし倒れ伏すエルドリック。あまりにも呆気なく、そして壮絶な最期だった。
「………」
フレイアは呆然と見つめる。かつて慕った父の変わり果てた姿に言葉が出なかった。
憎むべき仇でありながら未だに心のどこかで父としての記憶が残っている。その矛盾に感情が揺れる。
「……おい」
その中で、ミナトがエルドリックの襟首を掴み上げる。
既に死に体であるにも関わらず、魔力で呼吸を繋ぎ留めている。
「情報は喋ってもらうぞ。帝国……アリスについて知ってること。全部な」
その言葉にエルドリックの口が微かに開く。しかし出てくるのは断末魔の呻き声だけだ。
「仕方ねえな……」
ミナトは手をかざし、魔力治療を試みようとする。傷を癒やすこと自体は造作もない筈だった。
「っ……」
エルドリックの体内は異常をきたしていた。魔術による身体変容の副作用なのか、彼の生命維持機能は壊滅状態だった。
治癒しようと魔力を注ぎ込もうとすると逆に拒絶反応を起こし暴走する。
「これは……無理だな」
ミナトは嘆息する。どうあっても延命はできない状態だった。仮に治療できたとしても精神が崩壊していて話が成り立たない可能性が高い。
「(一か八かの賭けに出るか、それとも……)」
背後のフレイアを振り返る。彼女は魔力障壁の中で未だに震えていた。その表情には恐怖と困惑と後悔が入り混じっている。
「………」
ミナトはしばし考える。情報を得るために彼を生かすべきか否か。また暴走など起こせば被害は甚大だ。その判断は非常に困難な局面を迎えていた。そして……。
「……フレイア、こいつはもう長くない。後はあんた次第だ」
「え……?」
フレイアの魔力障壁を解除し、彼女の前でミナトは立ち止まる。エルドリックは地面に這いつくばり命乞いをするかのように震えていた。
「どういう……」
「最後くらい親父と過ごす時間があってもいいだろ。憎いならトドメを刺せばいい。ただ……」
そこから先、ミナトは言葉を濁す。何を言っても気休めにしかならないだろう。
「……じゃあな」
「ま、待って!」
フレイアが咄嗟に手を伸ばすが遅かった。 ミナトは宙に舞い上がり姿を消す。その場にはエルドリックとフレイアだけが残された。
「お父様……」
もはや喋ることもできないかつての父。変容した肉体から滴る血液が地面を濡らす。フレイアは足が竦む。
心が揺れる。両親の仇であり祖国を裏切った元凶。な、長年の月日で築いた親子の絆は完全に消えたわけではない。
「う……ぅ…」
エルドリックが微かに呻く。目は虚ろだが何か伝えようとしているのがわかる。
フレイアは覚悟を決めるように深呼吸するとそのまま歩み寄り、父の傍らに膝をつく。
「……ねぇ、嘘だったの?」
フレイアは声を震わせた。それでも口にしなければならなかった。
「あたしを引き取ってくれたこと。心配してくれたこと。辛い時に励ましてくれたこと。それ全部……演技だったの?」
答えはない。もはや言葉を発する力すら残っていない。
「あたしは……本気で尊敬してたのに……信じてたのに……道具としての扱いで良かったのに」
涙が伝う。憎むべき相手だと分かっていても、十年以上の思い出は彼女にとってかけがえのないものだった。それを否定することは出来ない。それが例え偽りの日々だったとしても。
「……ごめんなさい」
フレイアは魔力剣を出現させる。その切先が父の胸に向けられる。既に息も絶え絶えな状態でも、それでも彼女の手は震えていた。
「こんなの……おかしいわよね。恨むべき人だって分かってるのに」
刃が震える。エルドリックの瞳が微かに揺れる。そこに宿るのは恐怖か安堵か。
「でも……」
フレイアは俯く。心の中がぐちゃぐちゃだった。憎悪と情愛が入り混じり理性を凌駕しかけていた。
フレイアは涙を拭う。その手を離せばきっと迷いが生まれる。だから、今しかない。
「──さよなら、お父さん」
短い別れの言葉と共に、魔力剣が振り下ろされた……。




