第2話 トラウマの再発。最強への決意
ミナト・クロフォード。それがこの世界での俺の名前だ。
王国の第二王子の生まれということで地位的にはかなりの勝ち組である。前世の記憶がある分、赤ん坊のふりをするのは少し大変だが仕方がない。
「あーうぅ」
意味不明な泣き声を上げながら天井を見つめる俺。視界の端に魔力のオーラのようなものが揺らいで見える。明らかに前世ではありえない光景だ。
「(これが、これが本物の魔力か…!)」
心の中で叫ぶ。表面上は普通の赤ん坊とはいえ興奮せずにはいられない。
未だに夢かと疑いたくなるほどの衝撃。まるで異世界ファンタジー小説の中に入り込んだ気分だ。
「ミナト様のご夕食をお持ちしました」
「ありがとう。さあミナト、お食べなさい」
乳母と思われるメイドが部屋に入って来る。俺を抱き抱えていた母は優しく微笑みながら俺に話しかけ、やがてスープを飲ませようと近づいてくる。
その優しい手つきに身を委ねつつも、俺の意識は完全に魔力へと向かっていた。
「はいどうぞ〜」
温かな味が口の中に広がる。前世では飲んだことのない味だが妙に落ち着く。同時に少しずつ中にあるものに吸収していく感覚もある。
「(まさか、これ……魔力が上昇してるのか?)」
魔力回復が恐ろしいほど早い。しかも量も十分にある。転生特典か?神様ありがとう!まだこの世界では何も理解していないが、これから色々学んでいかなければならない。
「ふふ……この子は凄い子になりますね」
「ええ。なんてったって私達の子ですから」
それは、前世では手に入れられなかった贈り物だった。
暖かい家族愛。豊富な魔力。ようやく叶った幸福な日々に涙すら流す。だが同時に、脳裏に焼き付いて離れないのはあの暗い部屋だった。
「(……いや。ダメだ)」
油断すればすぐにあの悪魔が笑う姿が浮かぶ。この世界で幸福を得たとしても、またあんな目に遭うかもしれないという恐怖。妹の残像が消えない。
「ミナト? どうしたの? 震えてる……?」
母の優しい声が降り注ぐ。その腕に抱かれ安心感に包まれる一方で、俺の中の"何か"は警鐘を鳴らし続けていた。
「(もう、忘れなきゃな……)」
もうあの悪魔はいない。この世界には存在しない。
わかってる。だけど……心の奥深くに刻まれた傷跡は簡単には癒えない。時間が解決するのだと心に言い聞かせながら俺は目を閉じた。
その後も俺は家族との暖かな時間を過ごした。特に父は厳格でありながらも愛情深い人だった。ヤンチャな兄を叱り、赤ん坊の俺を丁寧に世話をしてくれた。一国の王子という立場も相まって贅沢すぎるほどの環境の中で育つこととなった。
何日、何週間、そして一ヶ月。年月は瞬く間に過ぎていき俺は成長していった。
「ふふ……本当に可愛らしいですね」
母の腕の中で揺られながら過ごす日常は幸せ以外の何者でもなかった。
毎日、深夜になると母は俺のために子守唄を歌ってくれたり絵本を読んでくれる。父も時折訪れては優しく頭を撫でてくれる。そんな平和な日常が続いた日でも、決まって訪れる時間。
それは、いつも突然やってくるのだ。
「――――っ!」
深夜。誰もいないはずの寝室で一時的に一人になった時だった。ふと目を開けるとそこは薄暗い空間で何も見えなかった。
カーテン越しに見える月明かりだけが唯一の光源である部屋の中には冷たい空気が漂っていた。
「(まただ……)」
何かが俺の心を蝕むように少しずつ広がっていく。原因はもちろん妹によるものだということはわかっている。
どうしてこうなったのか分からないけれどとにかく身体が震えて仕方ない。怖くて不安で辛くて寂しい……。
──兄さん。
声が聞こえた気がした途端にまたあの時のことが思い出された。彼女の笑顔と共に聞こえてくる足音や鎖の音までもがリアルに蘇ってくるようだった。
──どうして逃げるんですか?兄さん。
妹の姿を見たくないと思った時には遅かった。ベッドの上でうずくまった俺に向かってゆっくりと歩み寄ってくる足音が聞こえ始めるとともに身体の震えが大きくなっていく。
逃げなくてはと思いつつ体が動かない。動こうとしてもまるで金縛りにあったかのように全く言う事を聞いてくれなかった。
──兄さん。また会えたね。嬉しいなあ。
「あああぁああッ!!」
絶叫しながら飛び起きる。全身が汗まみれになりながら必死になって辺りを見渡したものの当然ここには誰もいないはずだった。でも確かにあの女がそこにいるような気がしてならなかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒くなった呼吸を整えようとするもののなかなか落ち着くことができなかった。こんなことがもう何度も起こっているというのに一向に慣れる気配はなかった。むしろ日に日に酷くなっているような気がするほどだった。
──兄さん。今日も楽しかったです。明日も楽しみにしてますからね。
耳元で囁かれたような錯覚を覚えてしまいそうになる。幻聴かもしれないし本当に聞こえたのかもしれないが、どちらにせよ不快なことに変わりはなかった。
同時に感じる無力感。何もできない無力さと恐怖で支配されていた日々。それが今の自分と重なって見えるようになった時は本当に最悪な気分だった。
もう二度とあんな思いはしたくないと思ってもそれが出来ないことへの苛立ちと焦燥感だけが募っていくばかりだった。
「くそっ、くそっ!」
拳を布団に叩きつける。赤ん坊の力じゃ威力はない。それでも何かを壊したくてたまらなかった。
この世界で王国貴族の王子として生まれ変わった。恵まれた環境。素晴らしい家族。なのに過去の亡霊に囚われ続けている。無力感に押し潰されそうだ。
「は……はは……」
乾いた笑いがこぼれる。結局俺は同じなのか?いくら外見が変わっても中身は変われないのか?前世と同じ轍を踏む運命なのか?
その時だった。暗闇の中で感じた違和感。空気中に漂う微かな熱に気がついたのは──
「なんだ……?」
目を凝らすと──魔力の流れが見える。赤ん坊の俺が放出する魔力の粒子たちが薄っすらと輝いている。まるで宝石のように綺麗だった。その美しい光景に思わず見とれてしまったが、同時にこう思う。
この力があれば変えられるんじゃないか?もし俺が強くなれば……。
「そうだ……」
可能性がある。あの悪夢を打ち破るためには力が必要なんだ。それもただの力じゃない。絶対的な力だ。どんな相手が現れても対抗できるだけの圧倒的な実力をつけなくてはならない。
魔力──この世界には前世にはなかった不思議なエネルギーがある。これを磨けば俺は変わるはずだ。
「強く……なるんだ……」
小さな手を強く握りしめる。誓いのように。かつて鎖で縛られていた手が今は自由になった。ただし精神的に縛られていた鎖はまだ残っている。だからこそ今こそ解き放たなくてはならない。
──現実逃避?ああ、そうさ。でもそれで構わない。
前世の悪魔に怯える日々は終わりにする。俺は魔力を鍛える。徹底的に鍛える。この世界で最強を目指してやる。
「見てろよ、クソ妹……」
俺は天井を見上げながら思う。家族の愛に包まれているのに心の奥底に根付くトラウマから逃れられないジレンマ。それはもう変えようがない事実だ。
ならばその恐怖を利用する。絶対に負けないという執念へと昇華させる。そう決めた瞬間から俺の中にある何かが変わった気がした。




