第1話 監禁。そして転生
薄暗い部屋にあるベッド。そこには一人の青年が横たわっていた。
手足を鎖で縛られ、口には布が押し込まれている。目は虚空を見つめ、呼吸は浅く不規則だ。窓から差し込む月明かりだけが、この監禁された世界を照らしていた。
「ただいま、兄さん」
扉が静かに開き、少女の声が響いた。長い黒髪が月明かりに青白く浮かび上がる。
少女は優しい笑みを浮かべながら部屋に入ってくる。その手にはトレイがあり、温かい食事が湯気を立てていた。
「今日も一日いい子にしてましたか? お腹空いたでしょう?」
少女はトレイをベッドサイドに置き、青年の口元を覆う布を取り除いた。自由になった口元から唾液が糸を引き、青年は苦しそうに息を吸い込んだ。
「……ぁ……け……ろ……」
か細い声が漏れる。拘束を解いて欲しいという懇願だった。しかし少女は悲しそうな表情を浮かべると首を横に振った。
「ダメですよ、兄さん。外に出たらまた悪い人に捕まっちゃうじゃないですか」
まるで幼い子供に言い聞かせるように少女は言う。そしてナイフを取り出すと、青年の服を切り裂き始めた。
「新しい服を買ってきました。綺麗なお洋服の方が気持ちいいですよね?」
肌が露わになり、青年は身をよじって抵抗しようとする。だが鎖は容赦なく彼の動きを封じ込める。
「ほら、暴れちゃダメですよ。傷が付いちゃいますから」
少女はナイフを置き、代わりにハンカチを取り出した。そして青年の胸元に浮かぶ汗を拭い始める。その手つきは優しく、まるで愛撫のようだった。
「兄さんは本当に可愛いです。どうしてこんなにも私を夢中にさせるんでしょうね」
少女の指先が青年の頬を撫でる。冷たい感触に青年は震えた。
「でもね、兄さん」
少女の声が突然低くなる。狂気を孕んだ笑顔が浮かんだ。
「外の世界は怖いんですよ? 美しい蝶が蜘蛛に捕まるように、優しい人間も悪意に飲み込まれてしまうんです。だからここで私と一緒にいるのが一番幸せなんです」
少女は青年の耳元に唇を寄せた。
「永遠に、ね……」
外では雨が降り始め、窓ガラスを叩く音が二人の世界を覆い隠した。その音の中で、少女の狂気が静かに膨らんでいく。
「さあ、食事にしましょう。ちゃんと食べないと元気が出ませんからね」
少女は再び微笑み、スプーンでスープをすくい上げた。湯気が立ち上るそれは温かく、美味しそうだった。
青年は絶望的な目でそれを見つめる。この食事が終わったら、またあの布を口に押し込まれるのだろうか。永遠に続くこの監獄の中で、ただ生き長らえるために食べさせられる。
だが拒むことも逃げることもできない。少女の瞳に宿る狂気が、それを許さない。青年は諦めたように口を開き、差し出されたスプーンを受け入れた。
温かさが喉を通る。その温もりが、なぜか余計に虚しさを増幅させた。
──ここから逃げ出したい。
心の中で何度も叫んだ。だが言葉は喉の奥で消え、虚しい溜息となって漏れるだけだった。
少女はそんな青年の様子に気づいているのかいないのか、嬉しそうに笑みを浮かべ続けている。
「美味しいですか? もっと食べましょうね」
永遠に続く監獄の中で、青年はただ時が過ぎるのを待つしかなかった。少女の歪んだ愛情に包まれながら。
*
いつからこうなってしまったのか、俺にはわからなかった。変わり映えしない毎日、変わり映えしない日常。それが突然変わり始めたのはいつのことだろうか?
いつものように学校に行って、友達や恋人と過ごしていたはずなのに、俺の日常は突如として終わりを告げたのだ。
そして今に至るわけだが──正直なところもう限界だ。
精神的にも肉体的にもボロボロになっているのが自分でもわかる。
「……ッ」
息苦しさの中から必死に声を絞り出したが言葉にならない。それどころか自分の意志とは関係なしに喉から漏れ出る悲鳴にも似た嗚咽だけが響いている。
どうしてこうなった?
なんで俺がこんな目にあわないといけないんだ?
答えのない疑問ばかりが頭の中で渦巻く中で唯一確かなことはこれ以上耐えられないということだけだ。
こんな地獄のような生活を続けるくらいなら……死んだ方がマシだ!そう思った瞬間だった。
「……?」
俺をこんな状況に追い込んでおきながら、幸せそうな顔をして眠っている妹。そんな憎たらしくて仕方ないはずのその寝顔を見た瞬間何故か涙が出そうになった。そしてそれと同時に今まで感じたことのない程の強い衝動を感じたのだ。それは──殺意だった。
「(この女さえいなければ……)」
ガチャリガチャリと、金属音が耳元で響く。視界が霞む。呼吸が苦しい。手足の感覚がない。ただ、全身を締め付ける圧迫感だけが鮮明だった。
嫌いな音だ。あの鎖が擦れる音を聞くたびに自分の状況を思い知らされてしまうから、嫌いなのだ。そしてまた、この状況を作った人物に憎悪を募らせていくしかない。
俺は一体何をしているんだろう?
こんなところで何をやっているんだろう?
出来るなら、この鎖で繋がれた手錠や足枷を引きちぎりたい。
だが俺にそんな力があるわけでもない。 そもそも人間の筋肉では不可能なのではないだろうか?わからないが、俺にもっと力があれば……。
そう──物語に出てくるような“魔力”が俺に宿っていたら……。
「(馬鹿か……)」
くだらない妄想だと自分でも思う。現実逃避にも程があるというものだ。もっと別の方法を考えるべきだとは思うが、何も思いつかないんだよなぁこれが……。
今の俺には考える余裕もない。ただひたすら耐え続けることしかできないと思った矢先、目に入ったのは安眠に入ってる妹の手に持っている果物ナイフ。
食後のデザートとして目の前でりんごを剥いてた時に使ったやつだ。あれさえあれば脱出できるかもしれない……と、微かな希望を抱いた矢先だった……。
「(脱出したところで、何になる?)」
俺は何度も考えたことを改めて思い出す。それはそうだろう、結局このまま逃げても捕まるだけだ。それに……。
「(もう……疲れたんだ……)」
乾いた笑い。誰に向けるでもない独り言。虚しさだけが募っていくばかりだった。
結局俺は諦めたのだ。何もかも。この状況を変えようとすることも。だからだろうか?不思議と心が軽くなったような気がしたのだ。
俺は妹を起こさないようにゆっくりと身を乗り出し、妹の右手から果物ナイフを奪い取る。
そして妹の首筋に刃を向けた……いや向けようとした。
だが実際に首に突き立てることは出来ず、逆に涙が出てきたのである。
何故だろう?どうして俺は泣いているんだ?自分でもよく分からなかった……ただ一つ言えることがあるとすれば、それは……。
──この現実から逃げ出したかったということだけだ。
「(ごめん、ごめんなさい……)」
そう呟いて目を閉じた。俺は手に持ったナイフを自身の首筋へと近づけていく。恐怖よりも解放感の方が強かった。やっと楽になれるという安堵感の方が大きかった。
ただ、もし──もしこんな情けない俺に来世があるのならば……。
「(魔力があれば……いいなぁ)」
そんなことを思いながら、俺は力強く握りしめたナイフでこの世に別れを告げたのだ……。
…………………
…………
……
暖かい。柔らかい。そして懐かしい匂い。
ぼんやりとした意識の中で最初に感じたのはそれだった。瞼を開けると眩しい光が差し込み、思わず顔をしかめる。
「あっ、目を開けましたよ!」
若い女の声が聞こえた。
誰だ?俺の知らない声だ。視線を向けると、見知らぬ女性が嬉しそうに俺の顔を覗き込んでいる。
「おめでとうございます。可愛い男の子ですね」
「あぁ、これがわたしの……」
隣には別の女性が座っていて、優しく俺の頬を撫でた。
「ミハイル様とアドルフ様のご子息です。将来はきっと立派な王子様になりますね」
二人は幸せそうに笑い合っている。そしてふと気づいた——俺の体が小さい。手足が短く、まるで赤ん坊のようだ。
「(え……)」
混乱する頭で考えを整理しようとする。だが思考よりも先に身体が反応した。
小さな腕を上げると、まるで風船のような小さな手が目の前に現れる。
「見てくださいミハイル様、指を握っています」
「うむ、すぐに魔力測定を」
俺は思わず耳を疑った。魔力測定?今確かにそう言ったか?
この単語を聞いた瞬間、脳裏に電流が走った。
妹に監禁されて、全てに絶望した俺は命を絶ったはずだった。それが、まさか……。
「(転生……?まさか、転生したのか?)」
信じがたい事実だが、この状況はどう見ても前世ではない。赤ん坊の姿になって、しかも魔力なんてものが存在する世界に生まれ変わっている。
一体どうしてこうなったのかは分からないが、とにかく俺の心は……。
「(来たああああ!!)」
当然、歓喜に満ち溢れていた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
面白い物語となるよう頑張りますので、出来ればブクマや☆での評価・応援などをお願いします。




