第6話
「やめろっ!やめてくれっ!」
見知らぬ男が叫んでいる。その男は体が麻痺しているのか、地面に倒れ込んで動けない状況のようだ。その者に馬乗りになりながら少しずつ心臓に刃物を突き刺していく。木々の間から入ってくる月明かりが刃物を禍々しく照らしていた。
「やめろっ!悪魔っ!この悪魔っ!」
悪魔と言われて口角が上がっていくのに気づく。気分が高揚し、突き刺している刃物に力が入ってしまう。そのせいで刃物は奥深く突き刺さり、男は何も話さなくなる。もっと楽しもうとしていたので、すぐに終わらせてしまったことを残念に思う。しばらく刃物が肉に食い込んでいく感触の余韻に浸った後、周囲に生い茂る草を掻き分けながら歩き出した。すると突然頭が朦朧とし始めて、意識が少しずつ遠くなっていった。
「はあっ!はあっ!はあっ!」
起き上がるとそこは、草木の生い茂る外ではなく、ベッドの上だった。周囲を見渡すとカーテンの隙間から日の光が射し込んでおり、夜ではないこともわかった。
「夢か……」
夢だったことがわかり一安心した。しかし嫌な夢だった。きっと昨日殺人を目の前で見たせいでこんな嫌な夢を見てしまったのだろう。随分汗をかいたようで喉が渇いている。キッチンへ向かい、水道水を飲んだ。喉の渇きが癒えると気分も落ち着いて来た。キッチンへ向かうまでの廊下やリビング、ダイニングには人の気配がなかったが、周防は家にいるのだろうか。ふとダイニングのテーブルに目をやると紙がおいてあった。紙をとって内容を見ると、周防からの連絡事項が書かれていた。そこには、彼女は普段朝から夕方、もしくは夜まで留守にしていること、自分が留守にしている間、冷蔵庫の中のものは自由に飲食してよいことが書かれていた。人の気配を感じなかったが、やはり周防は外出中か。冷蔵庫内のものを飲食しても良いのはありがたい知らせだ。それを目にした後、冷蔵庫と冷凍庫の中身を確認する。冷蔵庫には、飲み物はミネラルウォーター、お茶、スポーツドリンクがあり、食べ物は一通りの調味料、肉、魚や野菜があった。冷凍庫には様々な冷凍食品がおいてあった。今、料理をするような気分にはなれないので、当分は冷凍食品で腹を満たさせてもらおう。冷凍食品を一つ取り出し、電子レンジで温め始める。温め終わるのを待っている最中、ここが何処で今何時かが気になり始める。捕まった後、持ち物は全て取り上げられていたので、場所も時間もわからなかった。この家のキッチンやリビング、ダイニングは、俺が泊まっている部屋と同様に簡素な内装になっていて、周囲を見渡しても時計が見つからなかった。そんな中、リビングにテレビがおいてあるのを見つける。画面内に現在時刻を表示してくれるだろうと思い、テレビの電源を入れる。テレビには丁度お昼のニュース番組が流れており、画面の時計表示は13時過ぎを示していた。そのニュース番組では田中と通り魔の死体が見つかったこと、俺が行方不明となっていることが報じられている。一昨日にも通り魔で殺人があったことから、この件はそれとの関連性も疑われ、かなり大きな事件として扱われるようになっていた。それにしても、自分のことがテレビで報じられているのはどこか不思議な気分だった。ボーっとそのままテレビを見ていると、冷凍食品の温めが終わったので食事を済ませる。食後、昨日シャワーを浴びそこねたことを思い出し、シャワーを浴びることにした。下着や制服の下に着ていたワイシャツの洗濯もしたかったが、時間は13時過ぎなので乾燥まで考えると周防が帰ってくるまでに間に合わないかもしれない。残念だが洗濯は明日にすることとし、シャワーだけ手早く済ませる。その後は特にやることもないため、テレビを見て時間を潰すことにした。
日が沈む前くらいの時間帯に玄関が開く音が聞こえた。誰かが家に入ってくる。テレビを消し、入ってくる者に対して警戒し、身構える。少しすると周防がリビングに入ってきたので、家に入ってきたのが彼女だとわかり警戒を解いた。彼女をよく見ると、着ていた制服は昨日のものと同じだが、返り血の汚れがなかったので新しいものなのだろう。彼女は手に紙袋を持っており、それを俺に差し出してきた。
「何着かルームウェアが入ってるからこれ使って。洗濯は自分ですること」
紙袋だけ手渡すと彼女はリビングから出ていこうとする。その際、さり際に背中を向けたまま俺に話しかけてくる。
「昨日はいきなり殴って悪かったわよ。でも、次悪意がなくてもあんなことあったら思いっきり殴るから」
そう言うと彼女はそのまま去っていった。昨日殴ったことを謝られた。彼女は人を躊躇なく殺せるような人間だ。そのため、殴ったことを素直に謝ってきたのは意外に感じ、彼女への認識が改まった。
自室でルームウェアに着替える。しばらく自室にこもっていたが、腹が減って来たので少し早い時間帯だったが夕食にすることにした。夕食にまた冷凍食品を食べると、俺が食べ終えた後に周防がリビングに入って来た。
「あのっ、ルームウェア、さっきはありがとな」
呆けていて忘れていた感謝の言葉を述べる。周防はこちらを向き、無言でコクッと頷いていた。俺がリビングから出ようとしたとき後ろを振り返ると、彼女はキッチンで料理を始めるところだった。どのようなものを作るのか気にならないでもないが、気まずい雰囲気になるのも避けたいのでそのまま自室に戻った。自室に戻った後は何もすることもなく、そのまま眠りにつくまでベッドにこもっていることにした。
次の日になり、昨日と同じようにテレビをみながら冷凍食品を食べた。シャワーと洗濯は、周防が出かけていて時間が被ることがない朝から昼にかけて行う。暇な時間にやることといえば、テレビを見ることだけだ。持ち物は全て取り上げられているので他に時間を潰す方法がない。こんな生活が数日続いた。
自堕落な生活に慣れ始めたその日、テレビの電源を入れてニュースを見ると、また俺が行方不明になっている件が取り上げられていた。しかし、今回は捜査に新たな進展があったようで、なんと俺の死体が見つかったと報道されていた。
「そんな馬鹿な」
思わず声が出てしまったが、今の俺にはどうすることもできない。そのまま呆然とニュースを見ていると、俺の高校の生徒へのインタビューが流れ始めた。そのインタビューでは首から下だけを映して生徒が誰だか分からないようにしていた。
「そんな……嫌だよぅ、嫌だよぅ」
カメラを向けられているが、その生徒は泣きじゃくってまともにインタビューに答えられていない。今にもその場に倒れそうなのを他の女子生徒に抱えられている状態だ。この声と肩から下に映っている髪の色、制服の着崩し方から彼女が七海だとわかった。本当は生きていることを伝えて安心させたいが、それが出来ないのがもどかしい。
「ごめん、七海」
ボソッと独り言を言うと、テレビの電源を切って自室に戻った。
自室に戻ってからどれくらい時間が経っただろうか。時計がないので具体的な時間は分からないが、カーテンから差す日の光がなくなって暗くなるまでいたので、それなりに時間は経っているはずだ。自分の死体が見つかったなんてニュースを見て、改めて自分がこれからどうなるのか不安で何もやる気が起きなかった。ボーっとしていると、玄関から音がした。周防が帰ってきたのだろう。歩く音がどんどん俺の部屋へ近づいてくる。俺の部屋のドアが開かれると、そこには周防と財部がいた。
「おめでとう、晴間君!君の死亡確認とともに技研への入所申請が通ったよ」
ドアを開くなり、財部は満面の笑みを浮かべて俺に話しかけてきた。