第七章:Operation Snow Blade/05
そうして進むことしばらく。戒斗たちは敵の目を上手く掻い潜りながら、どうにか北ウィングまで辿り着けていた。
「……この先が北ウィングのようですね。敵に気付かれた様子はありませんか?」
すぐ傍を歩く遥に問われて、戒斗はいやと首を横に振る。
「まだそんな感じはしねえな。外が吹雪いてきたおかげか……まだバレちゃいねえみたいだぜ」
「出来るなら、このままこっそり出ていきたいところだけれどね……」
小さくボヤく紅音に「まあな」と戒斗は呟き返し、
「本当に、それが一番なんだがな」
と、肩を竦めて呟いた。
「……ですが、ここには八雲と……戒斗の弟さんも居ます。何が起こるかは、正直言って未知数な状況です」
「マジに間の悪いタイミングで来やがったもんだぜ……鉢合わせしねえことを祈るばっかりだ」
「ええ、全くです」
遥と言葉を交わし合いながら、戒斗は北ウィングの廊下を突き進んでいく。
『お兄ちゃん、その先を右に……って、ちょっと待って。誰か来てる』
と、分かれ道に差し掛かったところで琴音が警告する。
「数は?」
『えーと、三人。遠回りになっちゃうけれど、左から行けば回避できるね』
「オーライ、そのまま道案内を頼むぜ」
『ん、任せてー』
琴音の指示通り、戒斗たちは分かれ道を左に進む。
――――三人が今まで見つからずにここまで来られたのも、彼女のサポートがあったからこそだ。
無論、彼らの潜入の手際がいいのは当然だ。しかしこうもスムーズに事が運んでいるのも、監視カメラを駆使した琴音のサポートと道案内があってのことだった。
戦いに於ける一番の武器は、情報に他ならない。
さっき戒斗が無線機を拝借したときにも言っていたことだが、本当にその通りだと今改めて実感する。どこから敵がどれだけ来る、どこに行けば回避できて、どのルートを進めば瑠梨の研究室に行ける……そういう情報があればこそ、彼らはスムーズに潜入できているのだ。
『突き当たりを右に行くと、ちょっとした広間があるの。多分ここは休憩室みたいな感じなのかな……? とにかくそこにエレベーターがあるから、地下六階まで降りちゃって。そこが研究室のあるフロアみたいだから』
「了解だ」
『ただし、見てる感じ警備はかーなーり厳重みたい。気を付けた方が良さげかも』
あの男の言っていた通りだな、と戒斗は琴音の通信を聞きながら思った。
それだけ瑠梨や――サイバーギアに関わる科学者が、ミディエイターにとっては必要な存在なのだろう。
とにかく、今は行くしかない。
そう思いながら、戒斗たちは琴音の道案内に従って廊下を進んでいった。
で、言われた通りに突き当たりの丁字路を右に折れると、確かに広めのスペースがある一帯が見えてきた。
何台もの自動販売機にソファや椅子にテーブル、観葉植物といった物があるそこは……休憩室というか、談話室というか。とにかくそんな感じのスペースのようだ。
その休憩スペースから少し進んだところに、エレベーターの扉も見える。
あそこが目的地だ。しかし休憩スペースには警備の兵士が三人、缶コーヒーを片手にくつろいでいる。出来れば避けるのが吉な状況だが、ここの真横を通らなければエレベーターには行けなかった。
「ねえ戒斗、仕掛けちゃおうか」
それを見た紅音が、曲がり角からG36Cを構えながら言う。
「戦いは先手必勝だよ、こうなったら撃っちゃった方が絶対早いよ」
「お前な……チョイと落ち着けって。連中こっちに背中を向けてやがる、こっそり行けば素通りできるさ」
「……私も、戒斗の意見に賛成です。ターゲットと接触するまでは、無用な交戦は避けるべきかと」
戒斗と、続いて遥にも言われて紅音は「えー」と不満そうに頬を膨らませつつも、言われた通りにライフルの銃口を下ろした。
「多数決ってわけだな。よし……行くぞ、音を立てるなよ」
「はいはい、分かったよ。折角のチャンスだったのに……」
「焦らんでも、脱出する時にゃ嫌ってぐらいに撃つ羽目になるさ」
なんて風に小声で交わし合いながら、戒斗を先頭に忍び足で進んでいく。
彼が言ったように、幸いにして休憩スペースの三人は皆こちらに背を向けていた。廊下にある遮蔽物に隠れながら、音を立てないよう慎重に行けばバレずにエレベーターまで行けそうだ。
そろり、そろりと足音を殺しながら、しかし足早に休憩スペースの横を通り抜ける。
目論見は上手くいって、戒斗たちはバレずにエレベーターの前まで辿り着くことが出来ていた。
「よし……中はクリアだ」
開いたドアから銃口を突っ込み、呼び寄せたエレベーターの中に誰も乗っていないことを確認。三人で素早く乗り込み、B6のボタンを押して地下六階へと降りていく。
『お兄ちゃん、ちょっと良いお知らせかも。博士っぽい人が研究室に入っていくの、監視カメラで確認できたよー』
そうしてエレベーターで降りる最中、琴音からの通信が入る。
「……ああ、ソイツはマジに良いニュースだぜ」
『写真で見たのと同じ顔つきだったから、間違いないと思うよー。それとねお兄ちゃん、もうひとつ報告があるの』
「オーライ、続けてくれ琴音」
『地下六階なんだけど、確かに警備は厳重なの。でも予定通りに通気用のダクトを使えば、研究室まで直に行けるのは確かみたい。サイファーって人のくれた図面の中に書かれてた侵入ルートの通りだね』
瑠梨の所在が明らかになったことはともかく、侵入ルートに関しては事前のブリーフィングでも聞いていたことだ。ここまではともかく、地下六階の研究室エリアに入ってしまえば、後はこっちのものだ。
『ただし、研究室のドアの前には見張りっぽい二人組がずっと張り付いてるね。お兄ちゃんたちだけなら、ダクトを使って帰れるだろうけれど……瑠梨って人を連れて行くのは、無理だよね?』
「お嬢さんのフィジカル次第だが、まあ不可能だと思った方が良いだろうな。……オーライ、脱出するときにソイツらを排除する。とにかく道案内を頼む、俺たちにここの土地勘は無いからな」
『おっけー、琴音ちゃんにお任せだよっ!』
そうしている内に、エレベーターが到着する。
チーンとベルが鳴ってドアが開くと、その向こうに広がるのは地下六階のフロア。戒斗たちは琴音の道案内に従い、葵瑠梨の居る研究室を目指し……出来るだけ静かに、しかし足早に進んでいった。
ガコン、と金網を外す。
地下六階の天井を伝う通気用の狭いダクト、そこから戒斗たちが飛び降りた先は、手狭な研究室だった。
ただし狭いといっても『研究室にしては』だ。部屋面積はよくあるワンルームマンションよりも広く、あちこちに研究用と思しき機材やモニタ、部屋の隅には演算用の簡易型スーパーコンピューターと思しきものまで置かれている。
「……ちょっと、誰なの貴方たち?」
そこに居た少女が、急にダクトから飛び降りてきた戒斗たちに目を丸くしていた。
戒斗はその彼女を見てすぐ、この少女が例の救出対象だと認識できた。
「あんたがサイバーギアの開発チーフ……葵瑠梨博士だな?」
「……ま、どう見ても連中の仲間じゃなさそうね。私のこと、誰から聞いたの?」
「サイファーに頼まれてきた、と言っても分かってくれるか分からんが」
「ああ……なるほど、本当に来たんだ」
戒斗がサイファーの名前を出すと、彼女は――葵瑠梨は腑に落ちたような顔でひとりごちる。
――――葵瑠梨。
写真で見たまま、いや実際に見るとそれ以上の美人だな、というのが戒斗たち三人が共通で抱いた第一印象だった。
173センチの背丈は戒斗とほぼ変わらないぐらいの長身で、スタイルも起伏に富んでいてかなり良い。髪は横髪を長くしたショートボブといった感じで、色は瑠璃色――ラピスラズリのような色。ほっそりした双眸に光る瞳はオーシャンブルーで、口調もどこか気怠そうにダウナー気味と……なんというか、どこか月詠に似た雰囲気の持ち主だ。
が、瑠梨の場合は彼女のように厭世的という感じじゃなく、単に気怠そうなだけといった感じか。同じ科学者だけあって雰囲気は似ているが、でも第一印象から違うな、と思わせるぐらいの差異はあった。
「君は、サイファーを知っているのか?」
そんな瑠梨に向かって戒斗が問うと、瑠梨は「ええ」と頷き――羽織った白衣の裾を翻しながら、椅子からゆっくりと立ち上がる。
「一ヶ月ぐらい前だったかしら、今の貴方たちと同じように、突然あの娘が天井から降ってきたのよ。今日は二回目だったからそう驚きはしなかったけれど……あの時はびっくりし過ぎて、思わず椅子から転げ落ちたわ」
「ま、だろうな……」
当たり前だ。天井から人が突然降ってくれば誰だって驚く。
……だから、問題はそこじゃない。
まさかサイファーが瑠梨と直に接触していたとは……これは予想外のことだった。
が、納得はできる。直にここへ潜入しているのなら、あれだけ精密な見取り図やらを手に入れられて当然だ。
「もしかして、プロジェクト・エインヘリアルのデータも君が?」
「ええ、私がサイファーに渡したわ。といっても……この研究室で手に入れられるデータには限界があって、完全なものではないけれどね」
なるほど、これで話が全て繋がった。
サイファーは以前にここへ自ら潜り込み、瑠梨と接触してプロジェクト・エインヘリアルのデータを手に入れた。それをマリアに提供したのだ。
「前にあの娘が来たときは、私を連れて行ける装備が無いからって帰ったわ。近いうちに必ず迎えを寄越すって、その時は言っていたけれど……それが、貴方たちって解釈でいいのかしら」
「ああ、俺たちは君をここから連れ出すために来た」
戒斗が答えると、瑠梨は「そう」と小さく安堵の息をつく。
「それを聞いて安心した。やっとここから出られるのね……」
軽く目を伏せて、安堵した様子の瑠梨。
そんな彼女はまた戒斗の方に視線を戻すと「……そうだ」と何かを思い出して。
「貴方たち、サイバーギアのことはどこまで知ってるのかしら」
と、彼女の方から質問を投げかけてきた。
戒斗はそれに「大まかなことは」と答える。
「君がサイファーに渡したデータには目を通した。それに……過去にサイバーギアに関わっていた人物からも、俺たちは話を聞いている」
「過去に……ってことは、プロジェクト凍結前の初期メンバーってこと?」
驚く瑠梨にああ、と戒斗は頷き返す。
「月詠菫だ、知らないか?」
「……驚いた、あの月詠博士がサイバーギアに関わっていただなんて……」
「その様子だと、先生がサイバーギアに関与していたことは知らなかったのか」
そう言う戒斗に、瑠梨はええ、と心底驚いた顔でコクリと頷き肯定する。
「貴方も知っているでしょうけれど、私は初めから計画に関わっていたわけじゃない。だから……与えられた情報は、単にサイバーギアの再研究に必要なことだけ。過去にどこの誰が関わっていたかなんて、何も知らされてはいなかったの」
「……なるほどな」
「でも……本当に驚いたわ。まさか月詠博士まで、この研究に携わっていたなんて……思いもしなかった」
心底驚いた顔でひとりごちる瑠梨の傍ら、戒斗はまた内心で納得していた。
――――瑠梨は、月詠が過去にプロジェクトに参加していたことを知らなかった。
だとすれば、折鶴恭介が――琴音の父親がメンバーに居たことも知らないのだろう。すると月詠の件については、サイファーが独自に調べ上げたのか。
まあ何にしたって、少なくとも瑠梨はプロジェクトに月詠らが参加していたことを知らなかった。それは紛れもない事実らしい。
「……ひとつ、提案があるの」
瑠梨はひとしきり驚いた後、こほんと咳払いをしてから……改まった調子でそう、戒斗たちに告げる。
「ここから抜け出すついでに、私をサイバーギアが保管されているラボに連れて行って欲しい」
「……一応訊いておくが、どうしてだ?」
なんとなく、理由に察しはつく。
目元に隈の目立つ双眸を細めて、どこか悲壮にも見える決意を滲ませた瑠梨の顔。そんな彼女の様子を見ていれば、急にそう言いだした理由も何となく察せていた。
「私には、そこでやるべきことがあるの」
それを知ってか知らずか、瑠梨は腕組みをしながら言って。
「あの恐るべき機械人形を蘇らせてしまった、それに手を貸してしまった私には、ここを抜け出す前にやらなきゃならない義務がある」
「義務?」
ええ、と瑠梨は戒斗に頷き返すと。
「――――ここにある全てのサイバーギアを、ひとつ残らず破壊するという義務がね」
彼を真っ直ぐ正面から見据えながら――そう、呟くのだった。
(第七章『Operation Snow Blade』了)




