第七章:Operation Snow Blade/02
「遥と紅音は先に行って、侵入経路になるダクトを確保してくれ」
「ん、分かったよ」
「……心得ました。しかし戒斗は?」
「俺かい? 俺は――――援護するぜ、ここからな」
ニヤリと言って、戒斗はその場に伏せる。
雪の地面から突き出た手頃な岩を見つけて、それに乗せて安定させる形でSR‐25を構える戒斗。
「分かりました、ではお願いします」
「貴方に預けたからね、私たちの背中」
そうして彼が伏せ撃ちの姿勢を取ったのを見て、遥と紅音は言いながら先に行く。
戒斗はそんな二人に「任せな」と返しつつ、静かにスコープを覗き込んだ。
レンズで増幅された視界の中、十字に切られたレティクルの向こうに遥たちの背中を見る。
その後で、遠くのエルロンダイクの様子も窺う。状況はさっきと変わらず、警備は予想していたよりも厳重だ。
「さて、と……まずは下ごしらえだな」
ひとりごちながら、一度スコープから目を離した戒斗は懐からいくつかの道具を取り出す。
レーザー式の距離計に風速計、温度計に湿度計といった、狙撃用の観測ツールだ。
「……右の監視塔までは、ざっくり320ヤードってところか。だったら……これぐらいでいいか」
適当な目印になる場所、今回は向かって右側の監視塔までの距離を測り、それに合わせてスコープを微調整する。
カチカチカチ……とスコープ右側のノブを回し、レティクルの上下を調整。その後で風速も測り、それに合わせて今度は上のノブを回してレティクルを水平方向に動かす。
気温は……測るまでもなくクソ寒い。だが温度や湿度といったことも弾道に影響するから、ちゃんと計測はしておく。
右側の監視塔までの距離は320ヤード――約292メートル。風もそこまで強くなく微風程度だ。キロメートル級の超長距離狙撃であれば、コリオリの力……つまり地球の自転による影響も考えなきゃならないが、これぐらいの距離であれば無視できる範囲だ。
後は他に目印になる場所までの距離を何ヶ所か測っておけば準備完了。いくつか目印を用意しておけば、他の場所でも大雑把にだが距離を把握できる。
本当ならこういうデータは専用のスナイパーノートに書いた方がいいし、もっと言えば観測手の相棒が居れば言うことはないのだが……少数精鋭が強いられる今、無いものねだりをしても仕方ない。
それに、戒斗は単独での長距離狙撃を昔からマリアに仕込まれている。何より狙撃は彼の得意技能のひとつだ。この程度の距離であれば、彼なら難なくこなせる。
「――――二人とも、少し待て」
そうしてスコープの調整を終えた後、再び構えた戒斗がインカム越しに呼びかける。
そんな彼が見つめる視界、増幅されたスコープ越しの景色に映るのは、コンテナの陰に隠れる遥と紅音。そして……そんな彼女たちの近くに歩いて来ようとしている、警備の兵士の横顔だ。
エルロンダイクに乗り込んだはいいが、さっそく問題発生といったところか。
「歩哨が一人、そっちに近づいてる。仕留められるか?」
『――――分かってるよ、私が対処するから』
返ってきたのは紅音の声だ。どうやら言うまでもなく、彼女たちも気付いていたらしい。
二人は隠れたまま、その兵士を素通りさせて……背中を見せたタイミングで、紅音が撃った。
隠れながら構えたG36Cから、一発だけを発砲。すると後頭部を撃ち抜かれた兵士がバタンと前のめりに倒れる。
サイレンサーに抑えられた銃声は、292メートルも離れたここでは聞こえない。だが彼女がちゃんと仕留めたのは、スコープ越しに戒斗もハッキリ見ていた。
「グッドキル。死体はちゃんと隠しておけよ」
『当然だよ、戒斗はホントに小言ばっかりだね』
「これが性分なんでな、許せとは言わねえさ」
『はいはい。――――よし、行こうか遥ちゃん』
『ええ。戒斗も引き続き、援護をお願いします』
「オーライ、任せな。ちゃんと見ていてやるよ」
紅音は仕留めた兵士の遺体を溝になったところに蹴落として隠した後、遥と一緒に前進していく。
それをスコープ越しに見守りながら、戒斗は周辺監視を続ける。
「待て、一旦そこで待機だ」
そうして二人が進む中、何かに気付いた戒斗が呼び止める。
「向かって左側、20メートル先から接近する人影がある。数は三人、とりあえずヘリポートの陰にでも隠れた方がいい」
戒斗の報告に『了解』と紅音は返しつつ、遥と一緒に言われた通りにヘリポートの陰にしゃがみ込んで身を隠す。
ヘリポートは地面と1メートルぐらいの高低差があるから、こうしておけばとりあえず発見されずに済むだろう。まして今はコマンチが駐機されているから、余計に見つかりづらいはずだ。
『……で、ここからどうするの?』
『排除するのであれば、私が仕掛けますが』
隠れた後、紅音と遥が通信でそう問いかけてくる。
それに戒斗は「いや」と短く否定して、
「ここは目立ち過ぎる、素通りさせた方がいい」
と言って、近づいてくる三人の方にスコープを向けた。
三人ともさっき紅音が始末したのと同じ雪中迷彩の格好で、なにか会話しながら歩いている。白い息を吐きながら、その顔はどこか気を抜いている様子。この雰囲気と進行方向であれば、二人に気付く心配もなさそうだ。
「もう間もなくだ、スタンバイ」
やがてその三人は、紅音たちの隠れるすぐ傍を歩いていく。
「スタンバイ、まだ動くなよ」
そうして二人には気付かないまま、三人の敵は談笑しながら……そのまま、遠ざかっていった。
「よし、もう大丈夫だ」
三人が素通りしていったのを確認し、戒斗は紅音たちに行動を再開させる。
そのまま、二人は気付かれることなく進み続けて、やがて右側の階段を昇りキャットウォークの上へ。
『……監視塔の見張りが邪魔ですね。戒斗、そちらから排除できますか?』
と、階段を登りきったところで遥が小声で呼びかけてくる。
彼女の言う通り、監視塔の中には見張りと思しき兵士が一人。櫓そのものがキャットウォークと直に接続されているせいか、視界は開けていて……二人がどう動いても、あの見張りに発見されてしまうだろう。
が、遥たちの位置からでは手が出せない。二人はちょうど階段にしゃがみ込んで身を隠しているような感じだから、監視塔の窓とは高低差があって撃ちにくいのだ。
それに戒斗は「任せろ」と言って、その見張りにスコープを向ける。
(窓は防弾ガラス……じゃなさそうだな)
仮にそうだったとしても、着弾して驚いた見張りの注意はこっちに向く。その隙に遥たちに対処してもらえばいいだけだ。
覗き込むスコープのレティクル中央に見張りの頭を捉えて、戒斗は短く深呼吸。ライフルの安全装置を外し、伸ばした人差し指を静かにトリガーに触れさせて……ゆっくりと、引き絞った。
――――ドシュンッ、とくぐもった銃声が雪山に響く。
サイレンサーで抑えられた低い銃声を響かせながら、撃ち出された7.62ミリの弾丸は――緩い弧のような弾道を描きながら飛翔。窓ガラスを突き破ると、そのまま見張りの頭を真っ正面から撃ち抜いた。
トリガーを引いてからワンテンポ置いて、パッと血の花がスコープの向こうで咲く。
見張りの男はそのまま仰向けに倒れこみ、スコープ越しの視界から居なくなると……それきり、二度と現れることはなかった。
「――――おやすみ」
戒斗は低い声で呟くと、何の感慨もなさそうな顔でライフルを構え直す。
『……良い腕です、流石ですね』
「褒めたって何も出やしねえよ。とりあえずクリアだ――っと、待て」
見張りを排除し、そのまま二人を前進させようとした戒斗だったが、しかし直後に何かを見つけた彼は遥たちにストップをかける。
「歩哨が二人、向かい側の階段から上がってきてる。こりゃあ接触は避けられそうにねえな……」
『……こちらからは確認できません。少し前進しても大丈夫ですか?』
「ああ、手前の監視塔までなら平気だ」
『承知しました。……ええ、こちらでも視認できます』
『このタイミングで接触か、厄介だね……どうする戒斗、派手にやっちゃう?』
「そう急くなよ紅音、こっちで上手く処理する。万が一にでも撃ち漏らした時に備えて、二人はいつでも撃てるように準備しておいてくれ」
『了解。じっくり見せてもらうよ戒斗、貴方の狙撃の腕前をね』
ふふっと冗談めかして言う紅音に「おだてるなよ」と戒斗もニヤリと笑って返しつつ、迫る二人の敵に向かってライフルを構える。
距離はそう変わらない。仕留める目標が一人から二人に増えただけ。ただし移動目標だから、さっきより少し難しくはなる。
弾丸はレーザーじゃない。ゲームのように撃ったら即命中というわけにはいかず、弾丸があの場所まで飛んでいく間に、敵がどれだけ動くかも計算に入れて狙わないといけないのだ。
つまり、撃つのは敵の未来位置。例えば右に歩いている敵なら、照準を少し右にズラして撃つ必要がある。
二人とも、歩く速度はそう早くない。まして距離も300メートル前後といったところだ。わざわざ厳密に計算するまでもなく、これぐらいなら余裕で当てられる。
「ふぅー……っ」
戒斗はまた一度深呼吸をしてから、狙い定めてトリガーを引き絞った。
ドシュンッと二度目のくぐもった銃声がSR‐25から響き、大口径のライフル弾が放たれる。
間髪入れずに、もう一発も撃ち放つ。二度のくぐもった銃声が響けば、スコープの向こう側で……まず一人が側頭部を撃ち抜かれて即死。それから一秒ほど間を置いて、もう一人も同じように頭を撃ち抜かれて倒れた。
バタン、と二つの骸がほぼ同時に崩れ落ちる。
『二発ともヘッドショット、お見事だね』
「ま、ざっとこんなもんだ」
インカム越しに聞こえる紅音の賞賛にニヤリとして返しつつ、戒斗はふぅ、と小さく息をつく。
二発続けての狙撃に、二人同時のノックダウン。戒斗の腕前はもちろんだが、ライフルがSR‐25だったのも幸いした。こういう風に連射が効くのもオートマチックライフルのいいところだ。
「周辺クリア、動いて大丈夫だぜ」
通信で二人にそう言いつつ、戒斗は周辺監視を再開する。
『……到着しました。これからダクトの侵入工作に入ります』
それから少しもしない内に、二人は目的地の通気口ダクトの前に到着。遥は小声でそう呟くと、背中から忍者刀を抜いた。
通気口の金網を斬ってしまうつもりらしい。確かに彼女の忍者刀――高周波ブレードであれば、あんな鉄の金網ぐらいは紙切れ同然に斬れるはずだ。
『――遥ちゃん、ちょっと待って』
そうして遥が金網を斬ろうとした矢先、そう言って紅音が制する。
『なんだか、ボルトのところが緩んでる感じがする。ちょっと触ってみて』
『承知しました。……簡単に外れてしまいましたね』
『それに、ちょっとおかしいよ。ダクトの奥もなんだか変な感じ。まるで誰かが先に通ったみたいな……』
「おい、一体どうなってるんだ?」
ここからでは二人の背中は見えても、細かいところまではよく見えない。
怪訝に思いながら戒斗が問うと、すると紅音は『変なんだよ』と返し。
『なんだか、この通気口の様子が変なの』
『痕跡があるんです。まるで……私たちの前に、誰かが潜り込んだ後のような』
「なんだって?」
続く遥の言葉に、思わず戒斗は訊き返す。
『金網のボルトが不自然なほど緩んでいたこともそうですし、ダクトの中も人が這いずった形跡があります』
「おいおい……大掃除でもしたんじゃないか?」
戒斗は半分冗談めかして言ったが、しかし遥は『いえ』と短く否定する。
『清掃で入った、という感じではありません。あくまで人が這いずった跡というだけで、綺麗にはなっていませんから』
「ってことは……俺たち以外の誰かが、この中に居るってことか?」
『いえ、そうではなさそうです。痕跡そのものは新しくはありません。恐らく……数週間から一ヶ月ほど前かと』
「……ま、ソイツが誰であれ敵ではなさそうだな。敵なら正面から堂々と入ってるはずだ、なのに裏からコソコソ潜り込むってことは……ミディエイターに敵対している奴、ってのは間違いないだろうよ。その先客がどこの誰かはともかくとして、な」
言いながら、戒斗は伏せていた格好から立ち上がる。
「とにかく、俺も今からそっちに行く。二人はそこを確保しておいてくれ」
『了解しました。お気をつけて、戒斗』
『さっさと来てよね? でないと派手にドンパチ始まっちゃうかも』
「オーライ、なる早を心掛けるさ」
ひとまず二人は目的地に辿り着き、侵入経路も確保した。
後は自分が向かうだけだ。戒斗は通気口の前で待つ二人との合流を目指し、雪の大地を踏みしめて歩き始めた。




