第一章:Early Summer Days/08
自宅マンションを出て向かった先は、近くにある貸しガレージだった。
車のキーを持ってきたのだから当然だ。ガラガラとシャッターを開けた戒斗は、そこに格納されていた自分のアメ車と対面する。
シボレー・カマロSS。1969年製の古いマッスルカーだ。オレンジに黒のツートンカラーが眩しい一台で、ここ最近はプリンセス・オブ・アズール号の件もあって中々乗れずにいた彼の愛車だった。
「うわ、なにこれおっきい」
シャッターの向こうに現れたそのカマロの巨体に、思わず琴音がそう反応する。
戒斗はそれに「アメ車だからな」と返しつつ、
「これでもマリアのシェベルよりは小さいんだ。……暖機せにゃならん、少し待っててくれ」
続けて言いながら、運転席のドアを開けて車を始動させた。
このクソ暑い気温だ、当然チョークを引く必要なんてない。キーを鍵穴に差し込んでグッと捻ってやれば、ドデカいV8エンジンが一発で掛かる。
バララッと乾いたけたたましい音を立てて、年代物の大排気量エンジンが目を覚ました。後はいい具合にエンジンが暖まるまでの時間を少し待てばいい。
「ふーん、お兄ちゃんって車の趣味までマリアさんと似てるんだ」
「否定はしないが、コイツに関しては一誠が割安で引っ張ってきてくれたから乗ってるって部分もある。それにしばらく合衆国に居たし、アメ車と左ハンドルに慣れちまってたってのもあるがな」
「へー」
興味があるんだか無いんだか、琴音はそんな顔でカマロを眺めていた。
――――実際、戒斗がこの古いアメ車に乗っているのはそれが理由だ。
長いことアメリカに居て、やっと日本に戻ってきた頃のことだ。移動のアシになる車を戒斗が探していたとき、ちょうど一誠がかなりのお値打ち価格で用意してくれたのが、この69年式のカマロだった。
ずっとアメリカで生活していたし、向こうでも似た感じのデカくて大排気量の車に乗っていたこともあって、そういう典型的なアメ車にすっかり馴染んでいた戒斗は――そのままそれを購入。んでもって今日まで乗り続けているというわけだ。
――――閑話休題。
「っと、そろそろ良いか。いいぜ二人とも、乗ってくれ」
なんて具合な話をしている内に、すぐにエンジンは十分に暖まっていた。
右側の助手席に遥を、後部座席に琴音を乗せる感じだ。ちなみに2ドアクーペだから、助手席を前に出して……その隙間から先に後部座席に乗ってもらうしかない。この辺りは一般的な4ドア車と比べて面倒なところだ。
そうして二人を乗せた戒斗もまた、カマロの運転席に滑り込む。
水温OK、油温OK、電圧も問題なし。タコメーターの針が示すエンジン回転数も……問題ない。つい先日キャブレターの調整を一誠にやってもらったからか、アイドリングも安定している。年代物のアメ車は今日も快調なようだ。
「よし、行こうか」
言って、戒斗はカマロを発進させた。
上手いことクラッチを繋ぎながらローギアに入れてやると、車はゆっくりと滑らかに走り出す。
道に出て、ある程度までエンジン回転数を上げたところで、ギアを2速、3速とリズムよく上げていく。かといって手元が忙しすぎるわけでもなく、4速トップギアまで突っ込んでしまえば後はゆったりクルージングできる。よくある5速とか6速まである車と違って、古いこのカマロのギアは4速までしかないのだ。
そうして、バラバラと乾いた音を立てるカマロを走らせること一時間弱。
向かった先は当然、都内にある大きな医大病院――即ち、月詠菫が居るあの病院だ。
香華と昨日あのフェラーリで来たのと同じように立体駐車場へカマロを停めて、戒斗は少女二人と一緒に中へと入っていく。
大きな立体駐車場を出て、向かうのは敷地内にある研究棟のひとつだ。もしかしたら病院の方で医師の業務中なのかも知れないが、ちゃんとアポを取ってきていない以上……研究室に居なければ、彼女を捕まえる手段はなにひとつない。
だから戒斗は――無計画といえばそれまでだが、一縷の望みを懸けて研究棟に赴いていった。
見覚えのある研究棟に入って、その中でも一番隅っこにある……人なんてあまり寄り付かなさそうな、薄暗い場所にある研究室の前まで歩いていく。
「……あのさお兄ちゃん、ほんとにここなの?」
「研究室というより、物置のような雰囲気ですが……」
そんな研究室の前までやって来れば、二人は昨日の戒斗と同じような反応を見せる。
それに戒斗は「最初は俺もそう思ったさ」と返しつつ、目の前のドアをコンコン、と叩いた。
が、返事は返ってこない。
もしかして、留守だったか――――。
『――――おや、今日は来客の予定なんて無かったはずだがね……まあいい、誰だか知らないが好きに入りたまえよ。開いているし、私もこうして居るからね』
そう思った戒斗が肩を落としかけた矢先、ドアの向こうから聞き覚えのあるダウナー気味な声が聞こえてきた。
幸いなことに、どうやら彼女は部屋に居るらしい。この広い病院の中を探し回る手間は省けそうだ。
戒斗はホッとしつつ、他の二人と頷き合ったあと――目の前のドアを開けた。
ガチャっとドアを開けて、彼を先頭に足を踏み入れる。
「さて、こんなところまで私を訪ねに来たのは一体どこの誰なのか――」
そうして部屋に入ると、菫は最初こちらに背を向けていた。
デスクの向こうに見えるのは、椅子の黒い革張りの背もたれだけ。それがくるりと回ると、向き直った彼女の顔が見えて――――。
「…………おや、昨日の君だったか」
互いに目が合うと、菫は今まで浮かべていたニヒルな薄い笑みから一変、落胆と警戒が入り混じった、そんな複雑な表情を浮かべて呟く。
「昨日の今日で、しかもアポなしで乗り込んでくるとはね。君のその物怖じしないところは私も気に入っているけれど、しかしこれは不作法すぎるんじゃないかね? 何より……君に何を訊かれても、私は一言だって答えるつもりはない」
とすれば、次に飛んでくるのはこんな台詞だ。
声音こそ今まで通りの気怠いダウナー気味な感じだが、しかしその言葉からは明らかな敵意と拒絶の色が滲み出ている。
まあ、予想通りの反応だ。
「急に押しかけて悪いとは思ったが、事前に連絡したってあんたは取り合っちゃくれなかったろ?」
だから戒斗は驚かず、そう皮肉交じりの言葉を返す。
すると菫はフッと表面上だけで小さく笑い、
「その通りだ。例え香華ちゃんがお願いしてきたって、私は二度と君に会うつもりはなかったよ」
と、やはり強い拒絶の意思を示してくる。
それを見た戒斗はだろうな、と小さく肩を揺らし。
「……だが生憎と、今日の用事はその件じゃないし、そもそも俺の用事じゃない。俺はあくまで仲介役でな、あんたに会いたいって奴が居るのさ」
「ほう、私に会いたいと。二日も続けて随分と奇特な人間が来るものだね。で、それはどこのどなただい?」
「そう焦りなさんな、もう目の前に居る。……琴音」
言われて、彼の後ろに居た琴音が一歩前に踏み出てくる。
――――琴音という名を聞いて、ほんの僅かにだがピクリと菫が反応した。
ごく僅かな、注意して見なければ分からないほどの反応だったが……しかし戒斗は、それを見逃さなかった。
「あの、折鶴琴音です。折鶴恭介の娘の……私のこと、覚えてますか?」
そんな菫に向かって、琴音は恐る恐るといった風に話しかける。
彼女としては、不安は不安だったのだろう。可愛がってもらっていたといっても、もう随分と前の話だ。果たして菫が自分のことを覚えてくれているのかどうか――――。
が、そんなのは杞憂だったようで。
「…………ああ、覚えているよ。覚えているとも。君のことを忘れるものか……大きくなったね、琴音ちゃん」
菫はそれまでの警戒した表情を一変させ、驚いたような懐かしむような、そんな表情を浮かべてガタッと立ち上がった。
「よかった、覚えてくれてたんだ……あの、えっと、お久しぶり……です?」
そんな彼女の反応を見て、琴音もホッとしたようで――強張っていた表情をいつものように緩めると、そう菫に話しかける。
それに菫は「よしなよ、敬語なんてよそよそしい」と彼女に歩み寄りながら言って、
「また昔みたいに、菫お姉ちゃんと呼んでくれればいい。しかし……本当に、大きくなったね」
と、琴音の肩に触れながら……懐かしそうに、感慨深そうに呟いた。
「じゃ、じゃあ……菫お姉ちゃん?」
そんな彼女に、琴音はどこか照れくさそうな顔で、改めてそう言ってみる。
すると菫は「ああ、菫お姉ちゃんだよ」と頷き、
「しかし、これは驚いたな……どうして、私がここに居ると分かった?」
「それはえっと、お兄ちゃんから……戒斗お兄ちゃんから、菫お姉ちゃんのことを聞いて。それでもしかしてって思って……」
「……彼から、私のことを?」
ピクリ、と菫が反応する。
そうすれば、彼女はチラリと横目の視線を戒斗に投げかけてきた。ほんの少しだけ強張った顔で、何かを確かめるように。
それに戒斗は「……そういうことだ」と静かに頷き返し、
「琴音も、俺たちの関係者だ。それもかなり深いところで、な。……この意味、あんたなら分かるよな?」
「……まさか、琴音ちゃんも?」
ああ、と戒斗は肯定の意を示すと。
「――――琴音は、ミディエイターに狙われている。それも現在進行形で、だ」
包み隠さず、ありのままをストレートな言葉で告げた。
「なんて、なんてことだ……」
すると菫は琴音の肩から手を離し、フラフラと何歩か後ずさると……まるで頭痛を堪えるように、額に手を当ててがっくりと項垂れる。
チラリと見えた、その横顔は……驚くほどに、真っ青だった。
「……君、戦部くんだったね」
そんな真っ青な顔の彼女に訊かれて、戒斗はああと頷く。
「ひとつ、質問してもいいかな」
「俺に答えられることであれば」
「君は今、琴音ちゃんがミディエイターに狙われていると言ったね。……その理由は?」
「詳しいことは俺にも分からん。だが奴らが琴音の身柄そのものを狙っていること、それだけは間違いない。現に琴音は一度攫われかけて、俺たちでそれを撃退した」
戒斗の言葉を聞いて、菫は「そうか……」とまた残念そうな、絶望しているようにも見える顔で頷くと、青い顔のまま……フラフラと壁際まで歩いていく。
千鳥足で、今にも死にそうな足取りで歩けば、菫はがっくりと壁に背中を預けてもたれ掛かった。こうでもしないと立っていられないと、今の彼女の様子は……暗にそれを物語っているかのようだった。
「……今も、連中は琴音ちゃんを?」
そうすれば、やはり菫は真っ青な顔で問いかけてくる。普段通りのダウナーな声音ながら……わずかにその声を震わせて。
戒斗はそれにコクリと黙って頷き返し、
「一度は退けたが、諦めたわけじゃない。奴らは今もどこかで琴音を狙い続けている。俺たちは琴音を守るため……そしてミディエイターを叩き潰すために、奴らと戦ってるんだ」
「……どうやったって、あの忌まわしい記憶からは逃れられない、か…………」
彼の言葉を聞いて、そう意味深なことを呟いた菫は――もたれていた壁から離れ、フラつきながらも二本の足で立つ。
そうして戒斗たちの方に向き直れば、彼女は改まった調子でこう言った。
「君らの事情は、大体分かった。その上で最後にいくつか確認させてくれ」
「ああ」
「まず戦部くん、君は……本気で、あの馬鹿げた連中に真っ向勝負を挑む気なのかい?」
「残念ながら、な。本音を言えば関わりたくねえ相手だが、俺には関わらなきゃならない理由が……いくつも、出来ちまったんでな。関わりあっちまった以上、知っちまった以上、俺はあの野郎どもを叩き潰さなきゃいられない」
「そうか。次に……琴音ちゃん、ひとつだけ訊かせてくれ」
「う、うん」
「もしかしたら、今から私は君をひどく傷付けてしまうかもしれない。これは本当なら君が知らなくてもいいこと、ある意味では残酷な真実だ。それを君は……聞く覚悟が、あるのかい?」
真剣な眼差しで投げかけてきた、菫の問いかけ。
それに琴音は少し迷うように視線を右に左に動かした後、うんと一人頷いて。そして菫の顔を真っ直ぐに正面から見据えると――――。
「……大丈夫、私はひとりじゃないから。何があってもお兄ちゃんや遥ちゃんが居てくれる。だから……大丈夫だよ、菫お姉ちゃんに何を言われたって、私は大丈夫だから」
そう、彼女にハッキリと答えてみせた。
すると菫は「……分かったよ」と、少し残念そうな、どこか苦しそうな顔で頷いて。
「私の負けだ、琴音ちゃんが関わっていると知ってしまった以上、私も捨ておくわけにはいかなくなった。私の抱えた秘密を、君らに打ち明けずにはいられなくなった」
と、戒斗たちに向けて言う。
「ああそうだ、君が言った通りだよ戦部くん。私はかつてミディエイターに協力させられ、あのプロジェクト・エインヘリアルに……サイバーギアの開発に携わっていた」
続けてそう言うと、菫はチラリと琴音の方に視線を向けて。
「その計画に、恭介くん――――琴音ちゃんの父親、折鶴|恭介も関わっていたんだ」
と――――あまりに衝撃的なことを、口にしたのだった。
(第一章『Early Summer Days』了)




