第七章:Double Executer
第七章:Double Executer
――――戦部暁斗
今、確かに彼はそう名乗った。戒斗を兄さんと呼ぶ彼は、この謎めいたミディエイターの青年は……確かにそう、名乗ったのだ。
でも、あり得ない。あり得るはずがない。だって彼の弟は、暁斗は――ずっと昔に、死んだはずなのだから。
なのに今、彼は自分の弟だと言った。ずっと昔、遠い過去に消えたはずの、彼の名を名乗って。
「嘘を……嘘を、言うなぁっ!」
そんな彼に向かって、戒斗は叫びながらMCXを発砲する。
バスンとくぐもったサイレンサー越しの銃声が響いて、混乱する感情のままに撃った弾丸が放たれる。
が――その弾丸があの青年に、暁斗と名乗った彼に当たることはなく。間に割って入ってきた八雲の刀に、空中で斬り払われてしまった。
空中で小さな火花が瞬き、真っ二つされた弾丸の破片がカランコロンと床に転がり落ちる。
「落ち着きなよ、兄さん。動揺するのは分かるけどさ、いきなり撃つなんてひどいじゃないか」
刀を振り抜いた格好のまま、残心する八雲。その後ろに立つ青年はふふっと笑うと、わざとらしく肩を竦めながらそう言ってみせる。
「お前が、お前が弟であるものかっ!」
「信じたくない気持ちは分かる、でもこれが現実なんだ。僕は生きていて、今こうして兄さんの前に居る。いい加減に受け入れて欲しいな」
「だが俺の弟は……暁斗は、あのとき確かに!」
「死体は見つかっていない、違うかな?」
「っ……それは!」
実際、その通りだった。
戒斗が幼い頃、巻き込まれた飛行機事故――両親と弟を喪い、姉と一緒にマリアに引き取られる切っ掛けになったあの出来事。確かにその時、暁斗の遺体は見つからなかった。
が、そんなの暁斗だけじゃない。飛行機が地面に墜落するような大事故、誰の遺体か分からなくなるほど損壊したって不思議じゃない。実際に身元確認が出来ないまま、死亡扱いになった犠牲者は他にも居るという。
でも……でも、もしもその時に生きていたら。
あり得ない、と戒斗はすぐに否定できなかった。自分と姉だって生きていたのだ、近くに居た暁斗も生きていたって……そんなの、全然不思議じゃない。
「だからって、そんなこと……!」
「でも、これが事実なんだ。あの日、僕は悟志に拾われた。だからこうして生きている……そう、兄さんや姉さんがあの女に、成宮マリアに拾われたのと同じように……ね」
ふふっ、と微笑みながら青年は言う。
――――悟志。
その名に、戒斗は覚えがあった。いや……忘れられるものか、奴の名前だけは、どうしたって忘れられるはずがない。
「ッ、まさか浅倉が……!?」
青年の言う悟志という男、その名が意味するところはただひとつ。
――――浅倉悟志。
戒斗たちの運命を狂わせた男、あの忌まわしい飛行機事故を引き起こした……張本人たる、悪魔のような男に他ならなかった。
「あの出来事の後、僕は悟志に拾われたんだ。そして彼に育てられた……彼の跡を継ぐに相応しい、暗殺者としてね。そうして今日まで生きてきたのさ、僕は」
「馬鹿な、そんな……馬鹿なこと、あってたまるかっ!」
「でも、その悟志も兄さんに倒されてしまった。その時になって僕は初めて知ったんだ。そして……興味が湧いた。あの悟志を倒すほどの力を持った、兄さん……貴方という存在そのものに」
「っ……!」
「そして、兄さんは僕らミディエイターに関わってしまった。その時、これは運命だと思ったよ……僕と兄さんを再び巡り合わせてくれた、素敵な運命なんだって」
「運命、だと……?」
「だから僕は今日、兄さんと会うためにここへ来たんだ。記念すべき再会の日に……この船は、丁度いい舞台だと思ったからさ」
「てめえは……っ! まさか、まさか本当に……っ!?」
「ふふっ、やっと信じてくれたかい?」
ライフルを構えたまま、目を見開いて驚く戒斗。
そんな彼に、青年は――暁斗は心底嬉しそうな顔で笑いかける。
……彼が、本当にあの暁斗なのか。
未だに戒斗は信じられない思いだったが、でも同時に理解もしていた。理屈じゃないもっと別の……根源的な、喩えるなら魂が訴えかけてきているのだ。目の前に立つこの青年が……紛れもない戦部暁斗、死んだはずの弟なのだ、と。
「……暁斗よ、そろそろ頃合いではないのか?」
と、愕然とした戒斗が自然とライフルの銃口を下ろす中、八雲が背にした暁斗に向かってそう言う。
すると暁斗は「ああ、そうだね」とまた小さく笑い、
「さ、そろそろ行きなよ。兄さんのことだ、脱出の手筈は整えているんだろう?」
と言って、何故か――身体をずらし、出口までの道を開けた。
「……どういう、つもりだ?」
そんな彼の意味不明な行動を前に、戒斗は――激しい動揺を隠せないまま、目を細めて問う。
それに暁斗はふふっ、と微笑んでこう答えた。
「兄さんとは、ちゃんとした機会に正々堂々と決着をつけたいからね。だから、この状況での戦いは……僕も望むところではないんだ」
心底からの喜びの滲んだ笑顔を浮かべながら、そう言う暁斗。
「馬鹿言うんじゃねえ、そんなこと……信じられるか!」
そんな彼に戒斗は吠えて、一度は下ろしていたライフルの銃口を再び彼に向ける。
が、銃口を向けられても暁斗は表情ひとつ変えず、ただ微笑んだまま。
「それとも――――兄さんが望むなら、今ここで戦うかい?」
と言って、自分のピストルを彼に向けた。
――――H&K・P30L。
暁斗の伸ばした右手が握るそのピストルは今、銃口で戒斗を睨み付けている。
……見えなかった。
彼がいつピストルを抜いたのか、戒斗にすら分からないほどの早業だった。
無論、今の戒斗がひどく動揺している、ということもあるのだろう。しかし、それでも暁斗がピストルを抜く速度は、常軌を逸したほどに素早かった。
カチリ、と親指でゆっくりと撃鉄を起こす。
戒斗のMCXと暁斗のP30L、ライフルとピストルが静かに睨み合う中、漂うのは一触触発のピリピリとした緊張感。
苦い表情を浮かべる戒斗と、口角を吊り上げた薄い笑顔を絶やさない暁斗。
どちらが先に撃ってもおかしくないほど、張りつめた緊張感が今……二人の間で、静かに漂っていた。
「…………」
思わず、ごくりと生唾を呑むほどの雰囲気。
そんな中で戒斗はライフルを構えたまま、チラリと遠くの香華を一瞥する。
庇うように立つ遥の後ろ、遠巻きに事態を見つめる彼女は……そこまで恐怖している様子はない。ただこの後どうなってしまうのかと、そんな不安そうな色を浮かべる瞳で、香華は戒斗たちを見つめていた。
「……本当に、逃がすつもりか?」
そんな香華を一瞥した戒斗は、警戒した声で問いかける。
すると暁斗は「当たり前だよ」と、やっぱり笑顔で答えて。
「僕は、兄さんに嘘はつかないよ?」
と、爽やかな――でもどこかうさんくさい笑顔を浮かべながら言うと、右手のピストルを静かに下ろした。
「八雲も、それで構わないよね?」
「うむ、此度はあくまでお主の用事で来たのだからな。故にこれは単なる余興に過ぎんよ」
暁斗に目配せされた八雲も、そう言って太刀をカチンと腰の鞘に納める。
どうやら、本当に戒斗たちを見逃がすつもりらしい。
その意図は分からない。ただ暁斗の言葉を信じるのなら、今は決着をつける時じゃないから……。
「……行くぞ」
何にしても、ここで彼らと一戦交えるのは戒斗としても避けたいのは当然だった。
だから戒斗はそう言うと、戸惑う皆を連れて部屋を出ていく。
野上や佐藤、それに遥と一緒に香華と高野を守りながら。戒斗たちは道を開けた暁斗たちの横をすり抜けて、警戒しつつ部屋の外に向かう。
「ああ、そうだそうだ。お嬢さんにひとつプレゼントがあるんだ」
が、出て行く最中――暁斗が香華を呼び止めた。
「私に……?」
戸惑いがちに振り向く香華に向かって、暁斗は懐から出した何かを投げ渡してくる。
まさか、騙し打ちか――――!?
ハッとした戒斗は反射的にMCXを構えたが、しかし暁斗が投げ渡してきたそれは……武器でもなんでもない、手のひらサイズの小さな何かだった。
慌てて受け取った香華が手を開くと、そこにあったのは……小さな、USBメモリ。
それを見た戒斗は拍子抜けしつつ、ひとまずMCXの構えを解いた。
すると、戸惑いながら手元のUSBメモリを見つめる香華に、暁斗はふふっと笑いかけて。
「君のガッツが気に入ったから、お嬢さんに僕からの贈り物だ。そこには今回の主犯、僕らミディエイターが援助していた……君にとっては獅子身中の虫、いわゆる反西園寺派のあれこれが記録されている。ま、言ってしまえば動かぬ証拠ってやつだね。そこに居る公僕にでも渡してあげれば、彼らを吊るし上げることが出来るはずだよ?」
と、彼女に言った。
「……どういうつもり? こんなの私にくれたって、貴方たちには何のメリットもないじゃない」
そんな彼の方に視線を向けながら、香華が怪訝そうに問いかける。
「そうでもないよ? ハッキリ言っちゃうけれど、ミディエイターは彼らと手を切ることに決めたんだ。これは兄さんがお嬢さんの護衛に関わってきた時点で、実はもう決まっていたことでね……兄さんが居る以上、お嬢さんの強奪は不可能だと判断したんだよ」
「ふふっ、そんなの……どうせ、貴方の差し金じゃないの?」
「おや、どうしてそう思うのかな?」
「今の戒斗との話を聞いていれば、何となく分かるわよ。これでも人を見る目はある方なの。正々堂々と戦いたいと言った貴方の言葉に、嘘があるとは思えなかった。そんな貴方なら……きっと、そう仕向けるんじゃないかってね」
「あはははっ、正解だよお嬢さん。
……まあでも、理由はそれだけじゃない、単に彼らのやり方がマズかったってのもあるよ? 既に五回も失敗している上に、今回のこれは大袈裟が過ぎるから。彼らを利用するメリットよりも、彼らとの関係を続けるデメリットの方が大きいと……ミディエイターはそう判断した。僕の提言は、あくまで切っ掛けに過ぎないんだよ」
愉快そうに笑いながら、手なんか叩いて暁斗は言う。
……何にしても、貰えるものは貰っておくに越したことはない。
これを渡してきた相手が誰であろうと、中身のデータは値千金の特ダネだ。財閥に巣くう反西園寺派を一掃できるほどの情報、香華の立場からすれば喉から手が出るほど欲しいものには間違いない。
ミディエイターの思惑に乗っかるのは癪だが、今回ばかりは利害の一致だ。彼らとしては反西園寺派と手を切りたい、こちらとしても反西園寺派は一掃してしまいたい。ならば……今回はミディエイターに乗せられてやるのが最善だ。
「だったら、一応ありがとうと言っておくわ」
そう判断した香華は短くお礼を言うと、受け取ったUSBメモリを手持ちのハンドバッグにしまう。
すると暁斗は「いえいえ」と笑顔で返した後、
「さ、そろそろ行きなよ。ボヤボヤしてると、彼らの雇った例の傭兵連中がここを嗅ぎつけてきちゃうよ?」
と言って、香華たちにさっさと行けと促した。
「…………行くぜ、香華」
「え、ええ……エスコートは頼むわね、戒斗」
戒斗は香華の手を引きながら、最後に鋭い視線を暁斗に向けて……そのまま、彼らの前から去っていく。
そうすれば、スウィートルームに残されたのは暁斗と八雲の二人だけになる。
戒斗たちの去った広い部屋の中で、八雲はやれやれと肩を小さく揺らすと。
「しかし、本当によいのか?」
と、傍らの暁斗に問いかけた。
それに暁斗はもちろんさ、と笑顔で頷き返す。
「今の言葉、何もかもが僕の本心だからね。折角こうしてまた会えた兄弟なんだ、フェアな勝負じゃないと意味がないからね。この場所は再会を祝うには丁度いいけれど、状況はちょっと適切じゃないから」
「全く……本当にそなたらしいな、そういう妙なこだわりを見せるのは」
「誉め言葉と受け取っておくよ、八雲?」
呆れたように言う八雲にふふっと笑いかけながら暁斗は言うと、その直後にスッと目を細めて。
「それに、お嬢さんにも言ったけれど……兄さんが居る時点で、この計画はご破算が決まっているのさ。あの悟志すら倒した兄さんを相手に、この計画が上手くいくとはとても思えない。後はあの有象無象たちに任せておけばいいさ」
「……そなたが兄を高く買っているのは知っている。だがこの状況、果たして本当に切り抜けられると思うのか?」
八雲の問いかけに、暁斗は「当然さ」と答えて。
「兄さんを殺せるのは、僕だけだからね」
ニヤリとしてそう言うと、くるりと踵を返した。
さ、余興は済んだ。僕らもそろそろ帰ろうか――――。
そう言って、暁斗はドアの方に歩き出す。
そんな彼の後を追うように、八雲も一緒に歩き出すのだった。
「……我が妹よ、この続きはいずれ次の機会に」
目を細めた八雲の呟く、小さな独り言。
彼の呟いたそんな独り言を聞きながら、暁斗は僅かに口角を吊り上げると。
「じゃあ兄さん、また会う日を楽しみに待っているよ――――?」
暁斗はふふっと……また、小さく微笑んでいた。
(第七章『Double Executer』了)




