第五章:暗き闇、疾る白刃/03
結論から言うと、その後は何事もなく香華の部屋まで戻れていた。
船の九階船尾側のロイヤルスウィートルーム。船に乗り込んで初めて訪れたその部屋に、戒斗たちは再び戻ることが出来ていたのだ。
「……それで戦部さん、この先はどうされるおつもりで?」
豪華絢爛な部屋の壁際にもたれ掛かり、一息ついていた戒斗にそう佐藤が問うてくる。
戒斗はふぅ、と息をついた後でそんな彼の方に視線を向けると、
「もうじき俺の仲間がヘリで迎えに来る手筈になってる。それまではどうにか耐え凌がなきゃならんな」
と、短く答えてやった。
「確認ですが、敵は我々の位置を把握していないのでしょうか」
多分な、と戒斗は答える。
「居場所がバレてるんなら、もうとっくに周りを囲まれているはずだ。……そうだな、琴音?」
『んだねー。色々見てるけれど、特にバレてるって感じはしないね。どっちかっていうと、お兄ちゃんたちを見失っててんやわんやしてる感じっぽい。船の中をあっちこっち探し回ってるもん』
「なら、とりあえずここで耐え忍ぶのが一番だな。戦いが避けられるならそれに越したことはねえ」
と言いながら、戒斗は壁際にもたれ掛かる。
しかし、野上――遠くで二人の会話を聞いていた彼は、そんな彼に向かって……突拍子もない、あまりに予想外のことを口にした。
「だったら野良犬、今から俺に付き合えよ」
「……話が見えねえな、藪から棒になんだってんだ?」
「万が一の時には海保のSSTが突入する手筈になっているのは、てめえも知ってんだろ? だがその前に、せめて船の制御だけでも取り戻しておきてえんだ」
「つまり、おたくは……ブリッジの制圧に俺たちも付き合えと、そう言いてえんだな?」
怪訝な顔で言う戒斗に、野上コクリと頷いて肯定する。
「他の零課の仲間にも呼び掛けてはみたが、応答が無いか手いっぱいで動けないかのどっちかだった。……悔しいが、もう俺たち零課に戦う力はほとんど残っちゃいねえんだよ」
「事情は分かった。だがどうして俺らがおたくを手伝わなきゃならない? 言っちゃあ悪いが、俺らがここから動く必要は全くない。むしろ香華を守るって意味じゃマイナスにすらなる……迎えが来るまでここで耐え忍ぶのがベストなんだ。それが分からないあんたじゃないだろ?」
「てめえ、人の話は最後まで聞け。――――陽動にもなる、と言ったら?」
「陽動?」
首を傾げた戒斗にああ、と野上は頷き返す。
「俺とてめえがブリッジで暴れれば、敵の目はそれだけこの部屋から逸れることになる。それはお嬢さんを守る上でも十分にプラスになるはずだ……違うか?」
「……一理あるな。だが全員じゃ動けない。もしものことも考えたら、どうしたって護衛役は必要だ」
「だったら、ここはセンパイに任せりゃいい。……構いませんね、センパイ?」
チラリと野上が視線を向けて言えば、佐藤はやれやれと呆れたように肩を竦めて。
「仕方ありませんねぇ、君は言い出したら聞きませんから」
と、了承の意を示した。
「ここで西園寺さんを守る程度なら、僕だけでもどうにかなるでしょう」
「……なら、こっちは遥を護衛につける。俺たちが持てる最大戦力だからな……香華とじいさんを守るだけなら十分だ。それで構わないか、遥?」
「私は一向に構いません。そちらの方の仰ることも尤もですし、私も賛成です」
「そういうことだ、話は纏まったな――だったら、陽動も兼ねて俺とコイツの二人でブリッジを制圧して、その後は適当に撒いてここに戻る。後はヘリが到着次第、この船からはおさらばだ。それで構わねえな?」
「ああ、それでいいぜ」
「ま、イザとなれば琴音のサポートもあるんだ。ブリッジの奪還はともかく、敵を撒くのには苦労しねえだろうよ」
「……礼は、言わねえからな」
戒斗から視線を逸らしながら、野上が言う。
相変わらずというか、なんというか。嫌われているのか、それとも意地っ張りなだけなのか……。
何にしても、こういう跳ねっ返りの強いヤツは嫌いじゃない。だから戒斗はフッと小さく笑うと、
「要らねえよ、コイツはお互いギブアンドテイクって奴だ」
なんて具合に、短く返してやった。
「さあて、そうと決まったら身支度を整えなきゃな」
その後で戒斗は言うと「俺の荷物、確かこの部屋にあったよな?」と香華に問う。
「ええ、貴方がそうして欲しいって言ったから。そうよね高野?」
「はい。戦部様のお荷物はこちらのお部屋に」
「オーライ、ならさっさと準備するとしようか」
言って、戒斗は高野が示した壁掛けハンガーに掛かっていた自分の荷物――持ち込んだガーメントバッグに手を掛ける。
そんな彼を見つめながら、皆どういうことだろうと不思議そうな様子。
ガーメントバッグというものは、本来はスーツをしまっておくための物だ。持ち運びだけじゃなく保管用の埃避けという意味もあるから、こうしてハンガーで吊るしておける物が多い。
が、戒斗のそれから出てきたのはスーツなどではなく――――大量の銃火器だった。
「これは……また随分と凄い量ですねぇ」
「てめえ、どんだけ持ち込んでんだよ……人間武器庫でも始めようってのか……?」
「あら、てっきり予備のスーツかと思ってたわ」
「お運びした時に、妙に重いとは思っていましたが……いやはや」
それを見た佐藤は感心した様子で、野上はドン引きしたような反応を示し。香華は意外そうな顔を、高野はどこか感心した風な表情を浮かべる。
そんな皆に見られながら、戒斗は手早くバッグの中から武器を取り出していく。
まずは自分の分だ。アサルトライフルのSIG・MCX。高威力な300ブラックアウト弾を使うタイプのものだ。サイレンサー内蔵型の銃身で、上部には接近戦用のEXPS3ホロサイト照準器を、ハンドガード下にはバーティカルグリップを取り付けてある。
他には愛用のピストル――いつものP226もちゃんと身に着けた。やっぱり派手に戦うならPPKよりもこっちの方が頼れる。
「遥、悪いが君のをコイツに渡しちまってもいいか?」
「ええ、構いません。こういう閉所であれば、銃よりも刀の方が上手く立ち回れますから」
と、戒斗に答える彼女は――どういうわけだか、いつの間にか例の忍者装束に着替えていた。
以前の時もそうだったが、一体どうやってこんな素早く衣装を変えられるのか。もしかしたら忍術の類なんじゃないかとも思うが……訊くだけ野暮というものだろう。
何にしても、忍者装束に着替えたのなら彼女もフルスペックだ。
手首の裏にはワイヤーショット、背中にはいつもの忍者刀――高周波ブレードの『十二式隠密暗刀・陽炎弐式』を背負っている。彼女が首に巻いたマフラーの白い色が、今日ほど頼もしく見えた日は他にない。
「じゃあ犬っころ、あんたはコイツを使いな」
と、戒斗は大柄なサブマシンガンを野上に投げ渡した。
クリス・ベクター。特殊な構造で驚くほどの低反動を実現した、どこかSFチックな見た目の45口径のサブマシンガンだ。
本来は遥が使うためにと一誠に用意してもらったものだが、本人の了承が得られたのなら問題ない。
「誰が犬っころだ!」
「あんた以外に誰が居るんだよ。それから……旦那、あんたにはこれを渡しておく。予備の9ミリ弾だ」
「助かります、これで僕もマトモに戦えそうですね」
ベクターを受け取った野上が吠える中、戒斗は9ミリパラベラム弾の紙箱をひょいっと佐藤に手渡す。
「後は……香華、君はこれを持っておけ」
そうして身支度を終えた戒斗は、最後にそう言って――今まで使っていたワルサーPPKを、香華に手渡した。
「私に?」
「万が一ってこともある、そのための保険だ。使い方は分かるか?」
戸惑いがちに受け取った香華はええ、と小さく頷き返す。
「護身用にって、前に一通りの使い方は習ったから」
「オーライ、なら説明の必要はねえな。まあ遥と……後は零課の旦那も一緒だ。まず使うことはないだろうが、一応な」
「……分かったわ」
戒斗から受け取ったPPKを、香華は両手で胸の前にぎゅっと……大事そうに抱いて。そうしながら、すぐ目の前にある彼の顔をそっと見上げてみる。
「貴方のこと、信じてるし頼りにしてる。だから……必ず帰ってきて頂戴。貴方と話したいこと、まだ沢山あるから」
「任せな、犬の散歩ぐらい軽いもんだ」
「てめえっ、さっきから黙って聞いてれば――!」
「へいへい、ったく血統書付きはやかましくっていけねえや。……とにかく、ちゃちゃっと行って戻ってくる。それまでここで大人しくしてるんだ、いいな?」
「……分かったわ。007もびっくりの大活躍、期待してるから」
「オーライ、いい子だ」
微笑む香華の肩にポンっと手を置いて、フッと小さく笑った後で……戒斗はくるりと踵を返し、部屋のドアの方に歩き出す。
「よし、じゃあ行くぜ。ヘマすんなよ?」
「……てめえこそ、口だけじゃねえのを見せてみやがれ」
一緒にドアに向かって歩き出した野上が、横目に睨みながら言う。
すると、それに戒斗はニヤリと小さく笑い返して。
「任せとけよ、特等席で見せてやる」
そう言うと、隣を歩く野上の背中を軽く叩きながら……彼とともに、この部屋を出ていくのだった。
(第五章『暗き闇、疾る白刃』了)




