第五章:暗き闇、疾る白刃/01
第五章:暗き闇、疾る白刃
「遥、一番近い出口は!?」
「……あちらに!」
「よおし、とっととズラかるぜ!」
戒斗は香華を、遥は高野を連れて真っ暗闇のパーティーホールを駆け抜ける。
目指す先は、一番手近なホールの出入り口。運の良いことに他の出入り口と比べて敵の数も少ない。これなら……突破は可能だ!
「退きなよ、こちとらVIPが一緒なんだっ!」
敵はまだこちらの動きには気づいていない。向かう先に居る三人の傭兵は皆、戒斗たちとは別方向を向いている。
ならば、仕掛けるのは今が好機。
戒斗は香華を連れて走りながら、バッと構えたワルサーPPKを発砲。行く手に居た傭兵を一人、まず真横から頭を撃ち抜いてやった。
「なっ……なんだっ!?」
「まだ居たのか……野郎っ!」
が、今の発砲音でこちらの存在に気付かれた。
残りの傭兵たちはバッと驚いた顔で振り向くと、迫ってくる戒斗たちに向けてアサルトライフルを構える。
「待て、ターゲットも一緒だっ!」
「撃つな、下手に当たったらマズいっ!!」
……しかし、撃つ寸前で香華も一緒なことに気付くと、傭兵たちはトリガーを引くのを躊躇してしまう。
彼らとて、可能であれば無傷で香華の身柄は押さえたいのだろう。撃つのをためらった理由もよく分かる。
だが――――その一瞬のためらいが、命取りだ!
「退きやがれっ!!」
目の前に立ち塞がる傭兵たちに向かって、戒斗はPPKを連射する。
すると、戒斗の放った弾丸はその全てが傭兵たちの胸に命中。彼らは着弾の衝撃でのけぞり、思わずライフルを取り落としかける。
……が、それだけだった。
血が噴き出した様子も、倒れる様子も見せない。ただ後ろに数歩たたらを踏み、苦悶の声を漏らすだけだ。
――――ワルサーPPKの使う弾は小さく、威力が低い。
PPKが使うのは32ACPという、かなり古い規格の小口径弾だ。民間レベルの護身用としてはまだまだ現役の弾だが、しかし完全武装の敵を相手にするには分が悪い。
だから戒斗の撃った弾は正確に傭兵たちの胸に当たったはいいが、しかし彼らが装備した防弾ベストを貫くことは出来ずに……衝撃でたじろがせるしか出来ていなかった。
無論、防弾ベストといっても弾の貫通を防ぐだけで、弾丸そのものの運動エネルギー自体は消せない。
故に喰らった敵も、胸をハンマーで殴られたぐらいの衝撃は味わっている。だからのけぞり、苦悶の声は漏らしていた。
……が、無力化は出来ていない。
たじろいでいた敵の傭兵たちはすぐに我に返ると、また戒斗たちに向かってライフルを構えた。
しかし――――距離は、十分に詰まっている!
「遥、やっちまえっ!」
「承知……!」
戒斗が叫んだ瞬間、遥の左手が閃いた。
細長い針状の武器――棒手裏剣を投げたのだ。
三本同時に遥が投げつけた棒手裏剣は、二本が彼女の前に居た傭兵の首元に命中。残る一本は戒斗の前に立ち塞がるもう一人の右腕を深く貫く。
首を射抜かれた左の傭兵が倒れ、腕を差されたもう一人は激痛で思わずライフルを取り落とす。
「戒斗、今ですっ!」
「おうよ!」
その隙に戒斗は一気に距離を詰めて、残るもう一人を強引に蹴り飛ばした。
蹴られて床にバンッと倒れた傭兵の胸を踏みつけながら、振り向くことなく戒斗は突破。そのまま出入り口を目指して突っ走っていく。
「待てっ!」
「逃がすんじゃない、ターゲットも一緒なんだ!」
出入り口に向かって、一目散に逃げていく戒斗たち。
それに気付いた他の傭兵たちは叫び、逃がすものかと各々の銃口をガシャッと戒斗たちの背中に向ける。
「っ――――!」
だが、戒斗の方が一枚上手だった。
出入り口の向こうに香華をバッと突き飛ばすと、戒斗はそのまま出入り口の傍にあった消火器を、目いっぱいの力で蹴り飛ばす。
蹴っ飛ばされた消火器が、カランコロンと音を立ててホールの床に転がっていく。
戒斗は突き飛ばした香華が「きゃっ!?」と小さな悲鳴を上げるのを背中越しに聞きながら、転がっていくその消火器に向かってピストルを構えると――――。
「悪りいが退散させてもらうぜ! てめえらの相手は――後でちゃあんとしてやるよ!」
転がっていくその消火器を、バシュンっと撃ち抜いた。
戒斗の手元でパッと小さな火花が瞬き、放たれたのは小口径の拳銃弾。彼の放ったそれは、転がっていく赤い円筒形の消火器を正確に貫いた。
すると――その瞬間、消火器がバンッと音を立てて破裂。真っ白い消火剤を辺り一面にブチまけた。
それは、さながら煙幕のように。
例え高性能な暗視ゴーグルといえども、ただ暗闇を見えるようにするだけだ。こうして消火剤で――煙幕で物理的に視界を遮ってしまえば、敵は戒斗たちの姿を見失ってしまう。
「くそっ、見えないっ!」
「闇雲に撃つな! ターゲットは無傷で確保しなきゃならんのだ!」
「畜生……!!」
実際そんな戒斗の目論見通りになったようで、傭兵たちが慌てふためく声が煙幕の向こうから聞こえてくる。
逃げるなら、今しかない……!
「おい香華、立てるか?」
「ちょっと酷いじゃない、急に突き飛ばしたりして……っ!」
「いいから、とっととズラかろうぜ!」
「分かったから、起こして頂戴っ! こんな真っ暗じゃ立とうにも立てないのよっ」
「オーライ、じゃあ離すなよ!」
床に転んでいた香華の手をもう一度取って、引き起こした彼女と一緒に戒斗は船の廊下を駆け出していく。
「遥、背中は預けた!」
「お任せを。……とにかく、今はここから少しでも離れるのが先決ですね」
高野を連れた遥も一緒に、戒斗はパーティーホールから遠ざかっていく。
(予備電源の始動まで、あと二分半ってところか……!)
未だ暗闇に支配された豪華客船の中を、戒斗は走り抜けていった。ひとまずの窮地を脱した安堵と、更なる激しい戦いの予感を……背中にまとわりつく感覚として、静かに感じながら。
「琴音、聞こえるか!?」
『聞こえてるけど……なに、どうしたのお兄ちゃん?』
「敵に襲われて逃げてる最中なんだよ!」
『敵に……って、えぇっ!? 香華ちゃんは大丈夫なのっ!?』
「俺が付いてるんだ、大丈夫に決まってるだろうが! それよりサポートを頼む、こうデカい船じゃあ困っちまうからな!」
『お、おっけー……それじゃあ今の状況を教えてっ』
「配電盤が壊されたのか知らねえが、船の電気系統が完全にダウンしちまってる! おかげで船中どこも真っ暗だ……敵も大勢居やがる! とりあえず香華を連れてホールから脱出はしたが……こっから先は完全にノープランだ!」
『ん、状況は大体分かったよ。船には予備電源があるから、照明はもうじき元に戻るはず……とりあえずお兄ちゃんたちは警備室を目指して。着いたらさっき渡したデバイスを警備システムに繋げてくれれば、私が監視システムを掌握できるからっ!』
「オーライ、やってみる!」
インカム越しに琴音と会話しながら、戒斗は香華たちを引き連れて船の廊下を走り抜ける。
行く手はまだどこも真っ暗だ。船の予備電源が始動するまで、あともう少しだけ時間がかかる。今はスマートグラスのナイトビジョンだけが頼りだった。
そんな暗闇の中、目指す先は琴音が指示した警備室だ。
彼女が事前に持たせてくれた遠隔操作用のデバイスがある。それを警備室のパソコンなりに差し込めば、琴音が監視カメラ網を掌握してくれるはず。そうすればこの広い豪華客船の中、多勢に無勢でもかなり有利に立ち回れるに違いない。
「……っと、丁度いいな」
としたタイミングで、周りが急に明るくなった。
船の予備電源が起動して、照明が再び灯ったようだ。なんだかんだとあれから三分半が経ったらしい。
こうなってはナイトビジョンも無用の長物。一度立ち止まった戒斗は暗視モードを切ったサングラスを外し、懐にしまう。すぐ隣では遥も同じように眼鏡を外していた。
「電力、やっと復旧したのね……」
その後ろで香華はホッと胸を撫で下ろしつつ「ありがと、助かったわ」と言って戒斗の手を離す。
「何も見えない中、不安だったろうによく頑張ったな」
そんな彼女に戒斗がねぎらいの言葉を掛けてやると、香華はまあねと小さく頷いて。
「怖かったけれど、でも貴方たちがすぐに駆けつけてくれたから。……それより、ここから先はどうするの?」
「まずは船の警備室を抑える。上手くいけば琴音が監視システムを掌握してサポートしてくれるはずだ」
「へえ、あの娘意外とやるのね。……分かったわ、何もかも貴方に任せる。高野もそれでいいわよね?」
「もちろんです。戦部様、私のことは構いませんので、どうかお嬢様のことは……」
「心配するな、あんたも香華も俺たちがちゃんと守り抜いてやる。……だろ、遥?」
チラリと目配せをして戒斗が言えば、遥もコクリと頷き返す。
「とにかく、先を急ぎましょう。今はただでさえ不利な状況ですから」
「ってことだ、お二人さんは俺たちの傍を離れるんじゃないぜ!」
遥と頷き合った後に戒斗は言って、香華たちを連れて再び廊下を駆け出した。
乗客用の華やかな廊下から、乗組員用のドアを潜ってバックヤードへ。表とは違って配管剥き出しの、ある意味では船らしい無機質な狭い廊下を走り抜けて……急勾配な階段を降りていく。
……それにしても、静かだ。
あまりにも静かすぎる。パーティーホールを脱出してからここに至るまで、敵どころか客や乗組員ですら一人としてすれ違っていない。
表も裏も、戒斗たちの駆ける廊下はあまりにも静かすぎたのだ。
敵と出会わないのは、まあ理解できる。大勢居るといってもこの大きさの船だ、運良く接触を回避できていたとしても不思議じゃない。
それに客もそうだ。今日のプリンセス・オブ・アズール号に乗り合わせた客は、その全員が創業記念パーティーの招待客のはず。あのホールに全員が集まっていたのなら、出会わなくて当然だ。
だが……乗組員とすら出会わないというのは、どうもおかしい。
考えられる原因があるとすれば、ただひとつ。最悪のパターンだが――この船そのものが既に敵によって制圧されていて、乗組員たちが囚われている可能性か。
間違いなくそうだろう、と戒斗はかなり前から確信していた。
なにせ船の電源がダウンするという非常事態にも関わらず、予備電源で復旧した今もアナウンスひとつ聞こえてこない。これは普通なら考えられないことだ。事実がどうであれ、この船は敵の手中に落ちたと考えて行動すべきだろう。
「よし、ここだ……!」
と、そうこうしている内に警備室の前まで辿り着く。
狭い廊下の中を、警備室のドアに向かって走っていく四人。
しかしその途中で「……静かに」と、遥が足を止めた。
それに戒斗が「どうした?」と問うと、遥はそっと小声で彼に言う。
「話し声が……聞こえます。中に誰か居るのかと」
「警備員のおっちゃん、ってわけじゃないんだろうな」
ええ、と遥は小さく頷いて。
「様子を伺ってみましょう。……香華さんたちも、どうかお静かにお願いします」
と言って、警備室のすぐ傍まで忍び寄っていく。
コクリと無言で頷き合った三人も、彼女と一緒に忍び足でドアに近づいてみる。
すると――――僅かに開いていたドアの隙間から、確かに話し声が聞こえてきた。
「おい、連中はまだ見つからんのか?」
「無茶言わんといてくださいよ、こんだけデカい船なんだ……監視カメラの数も尋常じゃないんです。まして勝手の分からない警備システム、これでも急いでるんですよ」
「ならもっと急ぐんだ、奴らはターゲットを連れて逃げ回っているんだからな」
「って言っても、この船からは逃げられませんって。それにもうじき本隊も来てくれる、捕まえるのは時間の問題ですよ」
「だとしても、だ。……とにかく急げ」
会話内容から察するに、中に居るのは敵で間違いなさそうだ。
どうやら連中、船の監視カメラを使って逃げた戒斗たちを見つける魂胆らしい。お互い考えることは同じというわけか。
「……だそうだが、どうする?」
傍で聞き耳を立てていた遥に向かって、戒斗が小声で問う。
すると遥は「無論、仕留めます」と呟いて。
「ここは私が。戒斗はここから援護をお願いします」
続きそう言うと、スッと右手で何かを取り出した。
それは――――クナイだ。
忍者が投げる武器でお馴染みな、あの小振りな刃物だ。とはいえ実際の用途はサバイバルナイフに近く、よくあるイメージのように手裏剣代わりに投げることも出来るが……メインはやっぱり近接格闘戦だ。
流石にドレス姿じゃ普段の忍者刀は持ち込めないのか、クナイを隠し持っていたらしい。
遥はそのクナイを手の中でくるっと回し、逆手に握り締めると……ドアを挟んだ戒斗の反対側、ドアの蝶番側へと静かに回る。
「オーライ、任せたぜ遥」
ドアノブ側に立つ戒斗はコクリと頷くと、一呼吸を置いた後に――目の前のドアを、力任せに蹴破った。
バンッと大きな音を立てて、ドアが大きく開く。
突然響いたその音に、敵が驚いた顔で振り向くよりも早く――――遥は瞬時に彼らの眼前に飛び込んでいた。
「…………!」
警備室に居た敵の数は二人、どちらも上のパーティーホールで見たのと同じ格好の傭兵たちだ。
「ふっ……!」
そんな二人が振り向こうとした刹那――――黒鉄の刃が閃いた。
音もなく飛び込んだ遥の右手がサッと閃いた瞬間、首を切り裂かれた傭兵二人ががっくりと力なく膝を折る。そのまま床に倒れ伏すと、声も上げずにピクリとも動かなくなった。
「マジかよ……」
…………見えなかった。
遥の動きがあまりにも早すぎて、戒斗の目では捉えきれなかった。きっと彼女に斬られた傭兵二人も……自分の身にいったい何が起こったのか、理解する間もなく事切れたに違いない。
それほどまでに、一連の彼女の動作は静かな早業だったのだ。
援護しろ、と言われた戒斗も一応PPKを構えてはいたが、しかし銃口を向けるよりも早く遥が全部片付けてしまった。
「……援護なんて必要なかったな」
「一応、転ばぬ先の杖ということで」
驚き半分、呆れ半分といった顔で呟く戒斗に言って、遥はサッとクナイに空を切らせて血を払う。
これが、彼女の強さだ。
以前から十分すぎるほどに分かっていたことだが、遥は驚くほどに強い。もしも戒斗が真っ向勝負を挑んだとして、間違いなく彼女には勝てないだろうと……そんな認識が、戒斗の中で更に強くなった瞬間だった。
「他に敵の姿はありません、とりあえず中に」
遥に手招きされて、戒斗たちは警備室に入っていく。
バタンとドアを閉めれば、ひとまずこれで一安心だ。戒斗はふぅ、と息をつくと、足元に転がる傭兵たちの骸を一瞥して。
「あー……もう遅いかも知れねえが、見ない方がいいぜ」
と、香華の方に振り返って言う。
しかし香華は「大丈夫よ」と存外平気そうな顔で返すと、
「こういうの見るの、これが初めてじゃないもの」
「……あー、そういやそうだったな」
言われて初めて、戒斗は思い出す。
既に彼女はアメリカで五回、刺客の襲撃を受けているのだ。それを現地で雇ったスイーパーが退けているということは……つまり、こういう死体を見る羽目にもなったわけで。だから彼女は、これが初めてじゃないと言ったのだ。
戒斗としては気遣ったつもりだったが、しかし香華には無用な心配だったようだ。決して良いことではないのだが……こんな非常時だ。変に取り乱されるよりは、冷静で居てくれた方が護衛する側としてはずっと助かる。
(そういや、琴音の時もこんなんだったな)
そして同時に思い出すのは、少し前の出来事だ。
琴音がミディエイターの襲撃を受けた時、戦いの中で彼女も取り乱すことはしなかった。あの時はあまりに逼迫した状況すぎて、取り乱している暇すら無かったと言った方が正しいが……どちらにせよ、守る側としてはその方がありがたかった。
『お兄ちゃん、そろそろ着いた?』
と、噂をすれば何とやら。戒斗が丁度そんなことを考えていた時、インカムから琴音の声が聞こえてきた。
「もう警備室だ。例のデバイスを差せばいいんだな?」
呼びかけてきた彼女にそう返しながら、戒斗は警備室のデスク前にしゃがみ込む。
デスクの下に置かれていたパソコンのUSBポートに、懐から取り出した細長いデバイス――USBメモリのような形のものを差し込んでやる。
出発前に琴音から預かっていたものだ。小型だが衛星通信も可能な装置だから、完全に閉鎖された監視システムのネットワークにも遠隔侵入が出来る優れもの。マリアが外側のハードウェアを、琴音が内部ソフトウェアを作った……いわば二人の合作みたいなものだそうだ。
「オーライ、デバイスは仕込んだ。後は頼んだぜ」
それを差した戒斗が言うと、琴音は『おっけー』と間延びした声で返し。
『ん、接続は確立できたよ。後はちょちょいのちょい……っと。警備システムの掌握完了、後はいつでもお兄ちゃんたちのサポートが出来るよ』
と、ものの数秒で船の監視システムを手中に収めてしまった。
「おいおい、仕事が早いってレベルじゃねえぜ?」
『別に難しいハッキングとか仕掛けてるわけじゃないからねー。外部と隔絶されてるネットワークだし、侵入防止のセキュリティも必要ないから。デバイスさえ繋いでくれたら、後は小学生でも出来ることだよー?』
「そりゃあお前基準で考えたらそうだろうがな、少なくとも俺は無理だ」
小さく肩を竦めて言葉を返しながら、戒斗は懐から――今度はインカムを取り出す。
戒斗や遥が着けているのと同じ、小型の無線インカムだ。
「予備のインカムだ、あんたも着けておいてくれ」
と、戒斗はそれを香華に手渡す。
「え、ええ。……これで良いのかしら」
『おっけー、聞こえてるよ香華ちゃん』
戸惑いがちに香華がインカムを左耳に着けて呟けば、それに琴音が間延びした声で返す。
「こっちも聞こえてるわ」
『安心してよ、香華ちゃんたちは私がちゃーんと見守ってるからねー』
「あら、可愛らしい守護天使様ね……いいわ、頼りにしてる」
二人がこんな短い会話を交わした後、更に別の声が通信に割り込んできた。
『――――僕だよカイト、聞こえてるかい?』
その声の主はマリアだ。周囲がやかましい環境なのか、妙にノイズが乗っているのが気になるが……。
「なんだよマリア、今まで何やってたんだ?」
『ちょっと色々とね。それより今の状況は?』
「可もなく不可もなく、ってところだ。とりあえずは切り抜けたぜ、香華と高野のじいさんも無事だ。今は琴音の指示で警備室に居る」
『オーライ、ひとまず無事なようで安心したよ。ところでカイト、あと一時間ほど耐えられるかい?』
「一時間か……無理とは言わねえが、ちとキツいな」
『じゃあ四〇分だ、どんなに急いでも迎えに行くのに四〇分はかかる』
「迎えに……って、ちょっと待てよマリア!? お前が琴音を守ってるんじゃなかったのか!?」
当然のようにサラッと言ってのけたマリアに、戒斗は思わず声を荒げてしまう。
予定では彼女が琴音を傍で守っているはずだった。例え向こうが一度手を引いたとしても、琴音がミディエイターに依然として狙われていることは変わらない。いつ襲われてもおかしくない状況なのだ。
それなのに、マリアは彼女の傍を離れて、戒斗たちを迎えに来ると言った――――。
その発言が信じられなくて、戒斗は思わず声を荒げてしまっていた。
『大丈夫だから、落ち着きなよカイト』
しかしマリアは冷静な声のまま、そう彼に返す。
『その辺もちゃあんと手配してある。僕の代わりに琴音ちゃんの傍には懐刀を二振り、僕が最も信頼する二人を置いている……と言ったら、分かるかな?』
「……! そうか、紅音と千景か……!!」
そういうことだ、とマリアは無線越しに小さく笑う。
『君を除けば、実力的にも人間的にも僕が一番頼れる二人だ。スイーパーとしても超一流だからね……僕が太鼓判を押すよ。だからカイト、安心して』
「……悪かったな、怒鳴ったりしちまって」
詫びる戒斗に『いいさ、気にしないでくれ』と、マリアはまた小さく笑って返す。
どうやら、杞憂だったらしい。
マリアは自分の代わりに、最も信頼するスイーパー二人に琴音を守らせていると言った。深見紅音と神谷千景……どちらも戒斗がよく知っている相手だ。確かに自分とマリアを除けば最も頼れる二人と言えるだろう。
そんな二人が琴音の守りを固めているのなら、戒斗も安心だ。
『お兄ちゃん、私なら大丈夫だよ。マリアさんが言った通り、傍に紅音さんと千景ちゃんも居るからさー。私なら平気だから、今は香華ちゃんを守ることだけに集中して』
ホッと胸を撫で下ろす戒斗に、琴音がそう言う。
それに戒斗は「オーライだ」と返しつつ、
「……ところでマリア、迎えの手段は?」
と、話を元の軌道に戻した。
『こんなこともあろうかと、回収用のヘリは既に都合をつけてある。ちょうど今そのフライト準備の真っ最中なんだ』
「なーるほど、あんたの声に妙なノイズが乗ってるとは思ってたが……ヘリでお迎えか、そりゃあご機嫌だな」
『そういうこと。ああそうだ……この通信、香華ちゃんも聞いているんだね?』
急に話を振られた香華は「え、ええ」と戸惑いながら応じる。
するとマリアは小さく息をつき、一呼吸の間を置いた後。
『君も怖い思いをしているとは思う。けれど……大丈夫だ、君の傍にはカイトが居る。なんてたって僕の自慢の息子だ……彼と遥ちゃんなら、何があっても君を守り抜いてくれる。だから二人を信じて、もう少しだけ頑張ってくれ』
と、珍しくシリアスな声音で、しかし諭すような落ち着いた声でそう言った。
「……大丈夫、心配なんてしてないわ」
香華がそう言葉を返すと、マリアはふふっと小さく笑い。
『流石は君隆くんの娘だ、強い子に育ったね』
と、どこか嬉しそうに呟いていた。
「……だからマリア、俺はあんたの息子じゃねえって」
『ふふっ、そう言わないでよカイト。……とにかく四〇分で迎えに行く、それまで上手く切り抜けてくれ』
呆れ返った声で遅れ気味なツッコミをする戒斗に、マリアはまた笑いかけて――最後にそう言うと、一方的に通信を切ってしまった。
それに戒斗は「ったく……」と参った顔で肩を揺らすと、傍に居た香華の方に振り向き。
「よし、とにかく用は済んだんだ。とりあえず部屋に戻るとしようぜ、何をするにしてもそれからだ」
と、彼女に言う。
「部屋に……って、大丈夫なのかしら」
「こんだけ広い船の中だ、探そうにも時間が掛かる。それに奴らが押しかけてくるとして、その前に琴音がちゃあんと知らせてくれるさ。……そうだろ、琴音?」
『んふふー、もっちろんなのです! ちなみに香華ちゃんのお部屋の周りは見てみたけれど、今は誰も居ないみたいだねー。一応同じフロア全体も確認してみたけれど、そっちも大丈夫だったよっ』
「……確かに、安心みたいね」
「とにかく、一旦戻ろうぜ。遥もそれでいいな?」
確認する戒斗に、遥はコクリと無言で頷き返す。
それを見た戒斗は「決まりだな」と言った後、
「っと、その前にやることがあったな……」
そう呟いて、足元に転がる骸に視線を落とすと。戒斗はそこに落ちていたアサルトライフル――傭兵たちが持っていたそれを拾い上げる。
AR‐15、没個性的なありふれたアサルトライフルだ。
そんなライフルを拾った戒斗は立ち上がると、何故かそれをおもむろに構えて。
「……香華、必要なら請求書はマリア経由で俺に回しといてくれ」
と言うと――――香華がきょとんとする傍ら、急にライフルを撃ち始めたではないか。
ダダダダ、と腰だめで連射すれば、目の前にあった何枚もの監視室のモニタを全て撃ち壊してしまう。
「ちょっ……な、何するのよ急にっ!? びっ……びっくりするじゃないっ!!」
あまりに突然で意味不明な行動に驚いた香華が怒鳴れば、戒斗は「驚かせちまったな」と軽く詫びて。
「だが、こうしておけば……万が一ここに敵がまた来ても監視カメラは使えない。システムが無事でも映す画面がなけりゃ、どうしようもないからな」
と、弾切れになったAR‐15を投げ捨てながら言った。
戒斗が撃ち壊したモニタは、全てが監視カメラの映像を見るためのモニタだった。
これを壊してしまえば、彼が言ったように――別の敵が警備室にやって来ても、監視カメラで戒斗たちを探すことはできない。システム自体は琴音が今も掌握しているから、これで監視カメラ網はこちらが一方的に握ったことになる。
それを理解した香華は「そういうことね……」と納得した顔でうんうんと頷き。
「別に請求書なんて送らないから、安心して頂戴」
「そうかい、そりゃあ助かる。……とにかく、一旦戻ろうぜ」
そう言って、戒斗が皆を連れて警備室を出ようとした直前だった。
『ッ――――待ってお兄ちゃん、すぐそこに誰か居るっ!!』
切羽詰まった琴音の声がインカムに聞こえてきたのは、もう戒斗がドアを開けたタイミングで。彼女の声が響いた時にはもう、彼女の言う誰かの姿が……すぐ目の前にあった。
「野郎……ッ!!」
その人影に向かって、戒斗は瞬時にPPKを向ける。
すると同時に、向こうもピストルの銃口を向けてきていた。
二つの銃口が、ごく至近距離で互いを睨み合う。
……が、どちらの銃口も火を噴くことはなく。次の瞬間、戒斗の顔に浮かんでいたのは……驚きと戸惑いの入り混じった、そんな表情だった。
「マジかよ、特命零課の……!?」
「これは驚きましたね……戦部さん、貴方でしたか」
開けたドアの向こうに立っていた、人影の正体。戒斗と互いに銃を向け合うその男の正体は――――あの特命零課の刑事、佐藤一輝だった。




