第四章:Princess of Azur/06
突然の出来事が起こったのは、華やかなパーティーの真っ最中のことだった。
『んーと、予定だともうそろそろお開きの時間だね。お兄ちゃん、そっちは変わりない感じ?』
「今のところ何事もなし、万事平穏そのものだ。これで無事にお開きになるんなら、美味いモンたらふく食って報酬まで貰える最高の仕事なんだがな」
「……私たちが楽をするのが、一番ですけれどね」
「へへっ、違いねえや」
もうじき立食パーティーも終わりに差しかかろうとしていたこの時、戒斗たちは左耳のインカム越しに琴音と話していた。
無論、視界の端には常に護衛対象を――香華を捉え続けている。
が、始まってから今まで特にこれといった事態は起こっていない。香華がゲストたちと談笑するのを見守りながら、ただただ料理を楽しむだけの時間が過ぎていた。
とはいえ、このまま何も起こらずに終わるのならそれが一番だ。
琴音に言った言葉は別に冗談や軽口の類じゃない、戒斗の嘘偽りのない本心だった。
――――しかし、そんな願いとは裏腹に。事態が急変したのは、その直後のことだった。
「ッ!?」
急にグラリと船体が一瞬揺れたかと思えば、パンッと視界が真っ暗闇に閉ざされる。
停電だ、と戒斗はすぐに理解した。
船の上で停電というのも少し変な言い方だが、とにかく照明が落ちたのだ。それだけじゃない、照明以外のあらゆる電気を使うものが消えてしまっている。
まさか、電気系統がやられたのか――――。
詳しいことは分からない。だが今この状況で、すべきことはひとつだけだ――――!
「遥っ、ナイトビジョンを着けろっ!」
「はい……!」
遥に叫びながら、戒斗は内ポケットから出したいつものスポーツサングラスを掛ける。
当然、ただ掛けただけじゃ暗い視界が更に黒くなるだけだ。
だから戒斗は、サングラスのフレームにある小さなボタンを押し込む。
すると――――真っ暗闇だった視界は、薄い青と白の二色に彩られたものに変化した。
ナイトビジョン、即ち暗視装置だ。
空間に漂うごく微弱な光を集めて増幅し、真っ暗闇の中でも視界を確保するためのパッシヴ式暗視装置。それがこのサングラスに仕込まれていたのだ。
戒斗愛用のこれがただのサングラスじゃない、マリアお手製のスマートグラス――戦闘サポート用の拡張デバイスであることは知っての通りだ。
それにマリアが仕込んだ多種多様なサポート機能のひとつが、この暗視機能なのだ。
隣を見ると、遥も同じようにマリア謹製のスマートグラスを――こっちは普通の細い眼鏡を掛けていた。レンズの裏の目元がうっすら光っている辺り、彼女もナイトビジョンを起動したと分かる。
そうして二人がナイトビジョンで視界を取り戻した頃、パーティーホールの扉がバンッと開く音がした。
それも一ヶ所じゃない、複数のドアが同時にだ。
開いたドアからホールに雪崩れ込んでくるのは、招かれざる客たち。黒い戦闘服を着込み、アサルトライフルやサブマシンガンといった銃火器で武装した……完全武装の、恐らくは傭兵と思しき一団だ。
どう考えても、敵であることは明白。
恐れていた事態が、遂に起こってしまった。それも停電の真っ暗闇の中での奇襲という最悪の状況でだ。
向こうもヘルメットに装備した四眼式の暗視ゴーグルで視界を確保している。対してこちらは戒斗と遥以外、ナイトビジョンなんて当然持っていない。
――――本当に、最悪のシチュエーションだ。
敵はこの暗闇の中でも全員がちゃんと見えているのに、相対するこちら側で視界を確保しているのは戒斗たち二人だけ。特命零課の刑事たちは……何も見えない真っ暗闇の中、あのフル装備の敵と対峙する羽目になる。
あまりにも、不利すぎる戦い。これではまるで七面鳥撃ちと同じだ。
「な、なんだ――がぁっ!?」
「銃声!? しまった、襲撃――うっ!?」
現に突入してきた敵の銃撃を喰らい、刑事たちは一人また一人と凶弾に倒れている。
視界ゼロの圧倒的不利な状況の中、彼らに抵抗する術は無いに等しかった。
本当に、気の毒なことだ――――しかし、今は!
「遥、香華と高野のじいさんをっ!」
「はい……!」
次々と倒れていく刑事たちを尻目に、戒斗たちは香華の元へと駆けていく。
本当なら彼らを援護してやりたいところだが、しかし今一番優先すべきことは香華をここから逃がしてやることだ。彼女がまんまと敵の手中に落ちるようなことがあれば、それこそ彼らは無駄死にになってしまう。
だから戒斗と遥は、反撃に打って出るよりも前にまず香華の確保を優先した。
「きゃっ!?」
「落ち着け、俺だ!」
幸いにして距離はそう離れていなかったから、ほんの数秒で彼女と合流できた。
突然のことに驚き、その場にうずくまっていた香華の肩をポンッと戒斗が叩くと、香華が小さな悲鳴を上げる。
が、声を掛ければすぐに戒斗と気付いたようで、ホッと胸を撫で下ろす。
チラリと横を見ると、彼女の傍に居た高野も遥が無事に確保してくれていた。
「大丈夫だ、どこか怪我はないか?」
「え、ええ。私は大丈夫よ……それより高野は!?」
「安心しろ、遥がちゃあんと傍に付いてる。それよりすぐここを脱出するぞ、付いてこられるな?」
「脱出、って……こんな真っ暗な中、出来るの?」
「転ばぬ先の杖って奴だ、俺たち二人はバッチリ見えてるから安心しろ」
だが、零課の連中はもう駄目だろうな――――。
言葉にはしなかったが、戒斗は内心でそう思っていた。
現に銃撃音は鳴り止んでいない。今も撃たれた刑事が一人バタッと崩れ落ちるのを、戒斗は視界の隅に捉えていた。
しかし彼らには可哀想なことだが、この暗闇はある意味で幸運でもあった。
少なくとも、こんな無惨な光景を彼女に……香華には見せずに済むのだから。
「俺の服でもなんでもどこでもいい、しっかり掴んで離すなよ」
「わ、分かったわ……」
戒斗のタキシードの裾を、香華が手探りでぎゅっと掴む。
そんな彼女に戒斗は「いい子だ」と小さく笑いかけると、懐から小型のピストルを取り出した。
ワルサーPPK。どうやら遂にコイツの出番らしい。
ガシャッとスライドを鋭く引いて初弾装填。小振りなピストルを右手に握り締めて、戒斗は香華と一緒に立ち上がる。
「……戒斗、この後は」
高野に寄り添いながら小声で問うてくる遥に「とにかく、ここを出ないことにはな」と戒斗は返しつつ、素早く周囲を見渡す。
敵の数は多い。更にこの暗闇の中では、特命零課の援護もアテにはならないだろう。
そして、船の予備電源が起動するまでの時間はおよそ三分半。
何にしても、今はとにかく香華の安全確保が最優先だ。その為に今取れる最善の行動は――パーティーホールからの、脱出のみ。
「とにかく、やってみるっきゃねえか……行くぜお嬢さん、ちゃあんと付いてきなよ!」
一瞬の内に視界は闇に閉ざされ、華やかだったはずのパーティーは……突然に、血濡れの鉄火場へと変わり果ててしまった。
そんな中を、戒斗は香華を連れて走り出す。彼女を連れて、この包囲網を突破するために。
こうして戦いの火蓋は、何の前触れもなく――――あまりに突然に、切って落とされたのだった。
(第四章『Princess of Azur』了)




