第三章:SHADOW DISTANCE/05
智里と別れた遥は喫茶店を出て、またマリアの運転する車に揺られていた。
バラララ、と乾いた古めかしいV8サウンドを響かせながら、黒いシェベルが日没前の街を走り抜ける。
そんな旧式のドデカいアメ車の助手席にちょこんと座って、遥は無言のまま揺られ続けていた。
「遥ちゃん、なんだか浮かない顔だね?」
喫茶店から出て、十五分ぐらい経った頃だろうか。
シェベルを運転するマリアにそう、遥は不意に話しかけられた。
「……そう見えますか?」
運転席の彼女にチラリと横目の視線を投げかけながら、遥はいつもと変わらぬ抑揚の少ない声で呟く。
すると、ハンドルを握るマリアはふふっと小さく笑い。
「もしかして、カイトのことが心配かい?」
どこか悪戯っぽい横顔で、そんなことを口にした。
その口調は、どこかからかっているようにも聞こえる感じ。
「……ええ、少しは」
でも、否定する理由もない。
だから遥は素直にそう答えたのだが、しかしマリアは何故だかふふっとおかしそうに笑うと。
「今の遥ちゃん、なんだか雪乃ちゃんを見ているみたいだ」
と、半分独り言みたいに呟いた。
――――雪乃ちゃん。
今マリアが口にしたその名前には、遥も聞き覚えがある。
「雪乃さんというと……戒斗のお姉さん、でしたよね?」
「うん。カイトのことは……確か本人からある程度は聞いてたよね?」
「全てではないでしょうが、雪乃さんというお姉さんが居たことは。その方が今は行方知れずになっている、ということも存じています」
遥が答えると、マリアは「そっか」と頷き。
「その雪乃ちゃんにさ、今の遥ちゃんがちょっと似てたんだ」
「似ている……戒斗のお姉さんと、私と?」
「んー、なんていうかさ。雪乃ちゃんって子供の頃からカイトに付きっきりで、いっつもカイトの面倒を見てたんだ。世話焼きっていうか、面倒見が良いっていうのかな? そういう娘なんだ、雪乃ちゃんって」
「……そうだったんですか」
「まあ雪乃ちゃんの場合、どっちかっていうと過保護な感じで……うん、今にして思えば完全にブラコンだったね。それもとんでもなく強烈なブラコンだ。きっとカイトのことを心底愛しているんだろうね……僕が拾う前から、ずっとああいう風だったらしいし」
「そ、そんなにですか……?」
戸惑った様子の遥にうん、とマリアは頷いて。
「雪乃ちゃんの溺愛っぷりったら、それはもう凄かったんだよ。朝起きてから寝るまでずうっと一緒だし、絶対に片時も離れようとしなかったね。僕が軽く引いたぐらいだから間違いないよ」
目を細めながら、昔を懐かしむようにそう言った。
「す、凄いですね……」
「まあでも、彼女は本物の天才だったな。昔から頭が良かったらしくてね、子供の頃から文武両道の天才だったらしいよ? それに……琴音ちゃんと同じ能力、ほら何でも記憶しちゃうっていう……」
「完全記憶能力、のことでしょうか」
遥が言うと、マリアは「そうそう、それだよ」と大きく頷き。
「雪乃ちゃんも、その完全記憶能力の持ち主だったからね。だから周りからは尊敬を超えて、恐怖すら抱かれていたって前に聞いたな」
「ふむ……」
「そんな雪乃ちゃんだからさ、戦いの方も天才だったんだ。カイトと一緒に僕が引き取って、スイーパーに必要なあらゆる技能を叩き込んだんだけれど……いやあ、雪乃ちゃんは凄いよ。いずれは僕を超える逸材かも知れない。今でも本気でそう感じているよ」
「……マリアさんがそこまで仰るほどの方、ですか」
成宮マリアは、かつて最強の名を欲しいままにした伝説のスイーパーだ。一線を退きフィクサーとなった今でも、同じ業界で彼女の名を知らぬ者は居ない。
そんな彼女に、いつか自分を超えるかも知れないとまで言わしめた。戦部雪乃というのは、それほどまでの才能の持ち主なのか――――。
そのことに、遥は心底から驚いていた。
彼女とてマリアの強さはよく心得ている。だからこそ、こうも驚いていたのだ。
「でも面白いのはさ、雪乃ちゃん自身はあくまでカイトを守るためだけに戦ってるって言ってるんだ」
そんな遥の驚いた顔をチラリと横目に見つつ、マリアは話を続けていく。
「カイトに降り注ぐ、あらゆる脅威を自分の手で殲滅するため。そのために彼と一緒に戦う道を選んだって……前に、そんなことを言ってたな」
「何というか……聞けば聞くほど、私のどこが似ているのか分からなくなってきました」
「んー、似てるのは間違いないよ?」
今までマリアが語った雪乃の話に、軽く引いている遥は言ったが、しかしマリアはこんな具合な反応で。それに遥がきょとんと不思議そうに首を傾げると、マリアはふふっと笑いながら言葉を続けた。
「同じ銀髪だし、真っ赤な瞳の色で小柄だからね。そういう外見が似ているのはともかくとして……意外に世話焼きなところとか、面倒見がいいところとか。それに何よりも心配性なところが、雪乃ちゃんとそっくりだ」
「私が世話焼きで面倒見が良くて、心配性……ですか?」
「なんだ、納得してないのかい?」
訊き返すマリアに「……ええ」と遥は肯定して。
「私自身は、そうは思っていないのですが……」
と、戸惑いがちな調子で言った。
するとマリアはまたふふっとおかしそうに笑うと、
「自覚が無いのさ、君自身にもね。でもいずれ分かる時は来るんじゃないのかな? 少なくとも僕の目から見た君たちは……うん、凄くよく似ているよ。カイトへの接し方が、なんだかデジャヴを感じてしまうね」
にひひっと笑いながら、そう彼女に言っていた。
それに遥が「そう、でしょうか……」と首を傾げる傍ら、シェベルを運転するマリアは小さく息をついて。それからまたチラリと彼女の方に視線を流すと、遥に向かってこんなことを口にする。
「……ねえ、遥ちゃん?」
「はい」
「カイトのこと、よろしく頼むね。ああ見えて彼は繊細な子だから、君みたいな娘が傍についていてくれたら、僕も安心だからさ」
それは、珍しくマリアが本心から紡ぎ出した言葉だった。
戒斗の親代わりとして、彼女になら彼を預けられると……心の底から感じたからこその、彼女らしからぬ直球な台詞。
「……承知しました」
だが遥はコクリ、と静かに頷いて答えると。
「戒斗は私がちゃんとサポートしてみせます。ですから……安心してください。マリアさんは琴音さんのこと、よろしくお願いします」
そう、マリアが言葉の裏に隠した真意を汲み取れないまま――――あくまで戦う上での彼の仲間としての言葉を、口にするのだった。
「ふふっ、任せてよ」
マリアはそれに微笑みながら頷き答えつつも、
(そういうことじゃ、ないんだけどな……)
胸の内では、少しだけ残念そうに呟いていた。
(まあいいか、今はこれで)
でも、今の段階ならこれでも十分か。
そう思いながら、内心でとりあえずの区切りをつけて……マリアは車を走らせていく。
間もなく夜闇に染まる空を見上げながら、ヘッドライトの光で薄闇を切り裂いて。マリアの運転するシボレー・シェベルSSは、眠りを知らない不夜の街を駆け抜ける。
(でも、いつかは本当の意味で……君に預けたい、それは僕の本心だ)
胸中にそんなささやかな願いを秘めながら、マリアは黒いシェベルを走らせるのだった。
(第三章『SHADOW DISTANCE』了)




