第三章:SHADOW DISTANCE/04
琴音に連れられた戒斗が、彼女と一緒に遊びに出掛けた頃。
神代学園の校門で二人と別れた遥は、迎えにきたマリアの運転する車に揺られていた。
「しかし、君がカイトの代理とはね」
バラララ、と乾いた音を立てて街中を疾走する黒いアメ車、シボレー・シェベルSS。
そのハンドルを握るマリアが、助手席の遥に意外そうな声で話しかけていた。
「興味があるんです、桐原智里という方に」
「ふぅん……? ま、別にいいけどね。智里も君のことに興味を持っていたし」
「そうなんですか?」
きょとんとする遥に、そうだよとマリアは頷き返して肯定する。
「八雲くんやミディエイターのことについて、彼女にも色々と当たって貰っているからね。その過程で君のことを話したら、智里ってば珍しく興味持ってたんだ」
「なるほど……」
「あ、智里は信用できる相手だから心配要らないよ? 僕だって話す相手はちゃんと考えてるから、遥ちゃんも安心していいからね」
「大丈夫です、マリアさんには全幅の信頼を寄せていますから」
「おいおい……そう直球に言われると、なんか照れくさい気がしちゃうな……」
なんて話をしている間に、マリアの運転するシェベルは目的地に到着していた。
郊外の街の片隅にある、小さな喫茶店だ。
そこの駐車場にシェベルを停めたマリアに連れられて、車を降りた遥は一緒に喫茶店の中へ。
カランコロン、と来客を告げるベルが鳴る中、店内を見渡したマリアは……見つけた目的の人物が座る席に歩いていく。
店の隅の方にある、四人掛けのボックス席だ。
ちょうどいい具合に席の周りに客の姿はない。というか中途半端な時間帯だからか、そもそも店に居る客の数自体がまばらだった。
「久しぶりだね、智里」
そんな席に座る、茶髪の美女の対面に腰掛けたマリアは――まるで旧知の友に話しかけるみたく、気さくな態度でそう声を掛ける。
すると、席でコーヒーを啜っていた美女はふふっと笑い。
「貴女からの突然の呼び出し、用件はなんとなく分かっているわ。でも今はひとまず、再会を喜びましょうか――――久しぶりね、成宮マリア?」
と言って、マリアに微笑みかけた。
「それでマリア、こちらの可愛らしいお嬢さんはどちら様なの?」
すると美女はそう言って、マリアの隣に座った遥の方を見つめてくる。
マリアはそれに「ああ、遥ちゃんだよ」と気さくな態度で答えて。
「長月遥ちゃん、ほら前に話しただろう? 今日はカイトの代わりにこの娘が来たんだ」
「ああ、例の忍者の女の子ね」
「……長月遥と申します。以後、お見知りおきを」
「ふふっ、可愛らしいのね。私は桐原智里、警視庁公安部・特命零課の室長をやらせて貰っているわ。よろしくね――遥ちゃん?」
そう言って、茶髪の美女――桐原智里は遥に微笑みかけてきた。
――――桐原智里。
公安の刑事だという彼女は、息を呑むほどの美しさと喩えるのが相応しいほどの……艶やかな魅力を身に纏った美女だった。
170センチの高身長で、体格はびっくりするほど起伏に富んだモデル体型。栗色の髪はセミロング丈に切り揃えていて、ぱっちりとした瞳は琥珀色。ぴっちりとしたスカートスタイルのビジネススーツを見事に着こなした彼女は、色々な意味で遥とは正反対の印象を抱かせる感じだ。
そんな彼女が、テーブル越しに差し出した手で握手を求めてきている。
遥はそれに応じつつ「よろしく、お願いします」と挨拶を返した。
「……私について、色々とご存知なのですよね?」
続く彼女の確認に、智里はええ、と頷き肯定の意を示す。
「マリアから色々と聞いているわ。宗賀衆のこと、ミディエイターのこと、貴女のお兄さんのこと……色々と大変だったのね。私に出来ることがあれば力になるから、なんでも言って頂戴」
「……お心遣い、痛み入ります」
ぺこり、と会釈をする遥。
それに智里は「ふふっ、礼儀正しくていい娘なのね」と微笑みつつ。
「でも、戒斗くんが居ないのは残念だわ。彼とも久しぶりに話したかったのに」
と、本心から残念そうに呟いた。
「あはは、まあカイトと会うのはまた次の楽しみに取っておいてよ。今日の彼はお姫様のお相手で忙しいからね」
「確か……折鶴琴音ちゃん、だったわよね。あの娘の護衛、まだ続けてるのね」
「当面の間は続ける必要があるね。ミディエイターの脅威は去ったわけじゃないから」
「ミディエイター……あの組織のことなら、私たち公安の方でも噂だけは掴んでたわ。といっても……確実な情報なんて何も無くて、ただの与太話レベル。貴女から話を聞くまで、正直言って私も眉唾物の話だと思ってたぐらいよ」
マリアとの談笑の中で、智里はシリアスな表情でポツリと呟く。
そんな智里の対面で、マリアは運ばれてきた新しいコーヒーカップを手に取りつつ。
「……ま、今回はミディエイターとは別件の用事だから、まずそっちの話をしようか」
カップに口をつけながら、そう言って本題に切り込んだ。
「西園寺香華の護衛について、だったわよね?」
確認めいた口調の智里に「うん」とマリアは頷き。
「なんでまた公安が、それも君の特命零課が出張ってきたのか……そこのところを君に直接訊いておきたくてね」
と、彼女に言った。
「戒斗くんが西園寺君隆に雇われて、彼女の護衛に着くことはこちらも把握しているわ」
それに智里は答えながら、まずコーヒーを一口。それからカップをコトン、とテーブルの上のソーサーに置いた後で、続く言葉を紡いでいく。
「でも、それはそれ。私たちで彼女の身辺警護に当たることは、以前から計画されていたの。だから戒斗くんはあくまで西園寺君隆が個人的に雇い入れただけの、まあ保険みたいなものってウチは捉えてるわ」
「ふむ……なるほどね」
「そもそも介入の理由だって単純よ。あのお嬢さん……香華さんに何かあれば、天下の西園寺財閥が揺るぐことになる。まして反西園寺の派閥にグループが乗っ取られることなんて、誰も望んでいないの」
「だからお上は彼女の身辺警護を、君ら公安に要請したわけか」
「そう。それで、その大役を押し付けられたのが――――」
「智里の特命零課ってわけだね」
ふふっと小さく笑って言うマリアに、そうなのよと智里は溜息交じりに返す。
とした時に、話を聞いていた遥の頭に浮かんだ疑問がひとつ。
「あの……そもそも特命零課というのは、一体……?」
そんな、今更にも程がある疑問だった。
すると智里は「あら、マリアってば話してなかったの?」と意外そうな顔をする。
マリアがそれに「本人から直接聞くのがベストと思ってね」と返してやれば、智里はまあいいわ、と小さく肩を揺らしつつ。首を傾げた遥の方に視線を向けると――件の特命零課について、簡潔に説明し始めた。
「特命零課、簡単に言ってしまえば公安の秘密部署よ。厄介かつ危険度の高い、それでいて外部に漏らせないような案件を処理するための……ま、体のいい便利屋ってところね」
「そうでしたか……」
智里の説明を聞いた遥が、うんうんと納得したように頷く。
――――特命零課。
警視庁公安部の中に設置された秘密部署。ただでさえ秘匿性の高い公安でも特にシークレットな部署で、その役割は今まさに智里が言ったように……他の連中には任せられないほどに厄介で危険な、かつ外部に漏らしてはいけない案件を極秘の内に処理するといったことだ。
その秘密部署の室長を任せられているのが、今まさに遥たちの目の前に居る彼女――桐原智里なのだった。
「で、話を戻すけど……当日の段取りってどうなってるんだい?」
そんな特命零課について遥が理解したところで、マリアがそう言って逸れていた話を元に戻す。
「船には零課の実働メンバーが乗り込むことになっているわ。数は二〇人、全員で分散する形で香華さんの周辺、そしてパーティー会場になるホール全体を監視する手筈よ」
「二〇人って……そんなに動員するのかい?」
驚いた様子のマリアに、智里はええと頷き返す。
「過去最大の規模、零課始まって以来の大仕事よ。といっても……零課が発足して、まだ数年しか経っていないのだけれど」
「お上もそれだけ重要視しているってわけだね、今回の件は」
「当然よ。だって西園寺財閥に関わることですもの……もしも彼女の身に何かあれば、それだけで世界経済への打撃は必至よ。更にグループが反西園寺派に乗っ取られることがあれば……それは最悪のケース。絶対に回避しないとならない事態よ」
「なるほどね……コトは僕が想像していた以上にヤバい事態みたいだね。ま……でなきゃ特命零課にお呼びなんて掛からないか」
「そのための零課、よ。私としては頭が痛くてたまらないけれどね」
「……ちなみに、他のサポートは?」
「抜かりないわよ。何かあった時には海保のSSTが一時間以内に展開できるよう、手筈は何もかも整えてあるわ」
「へえ、SATじゃないんだ?」
「本当は身内のSATで片付けられたらベストなんでしょうけれどね。でも海の上なら彼らの方が専門家よ」
「餅は餅屋、ってヤツか……じゃあ万が一の時には、SSTが制圧したことにするのかい?」
「表向きには、そういう発表になるでしょうね。その辺りのカバーストーリーも検討中だわ」
言って、智里はまたコーヒーカップに口をつける。
話に出てきたSSTというのは海上保安庁の、SATというのは警察の特殊部隊のことだ。
彼女が言った通り、公安にしてみれば同じ警察内のSATは身内のようなもの。何かあったときに事態を出来るだけ秘密裏に処理するのなら、本当は身内の彼らを投入するのがベストなのは間違いない。
が、現場は豪華客船……つまり船の上だ。
ならば、海上事案に特化したSSTの方が適している。それに彼らだって機密性の高い組織だ、協力をお願いしても問題は無いだろう……と、少なくとも智里はそう判断していた。
「とにかく、当日の手筈はそんな感じよ。戒斗くんのことはウチの連中にも知らせてあるわ。だから大手を振って彼女の護衛をしてあげて頂戴」
コトン、とカップを置きながら智里は言うと、小さな溜息をつき。
「……正直に言わせてもらうと、戒斗くんが居てくれるのは私としても心強いわ。あの成宮マリアの懐刀、貴女が最も信頼するあの子が一緒なら……どうにかなるんじゃないか、って思えてくるの」
と、細やかな声でそっと本音を口にした。
「おいおい、おだてすぎだよ智里?」
ふふっと笑うマリアに「だって、事実ですもの」と智里は返す。
「それだけの……事態なのよ」
続いて智里が呟けば、マリアはふぅん、と興味深げに鼻を鳴らし。
「で、君の見解を訊きたいんだけれど……戦闘になる確率は、どのくらいかな?」
そう、目の前の彼女に問う。
すると智里はまた小さな溜息をついた後で、
「――――七割ってところね」
と、神妙な面持ちで答えた。
「わぁお、思ったより高確率だね」
「相手の狙いは間違いなく香華さんよ。孤立無援の海の上、仕掛けるならこれ以上ない絶好のチャンスだわ。私が相手の立場なら、きっと仕掛ける」
「僕も同意見だよ。だから君隆くんはカイトに話を持ち掛けたんだろうね。最強の剣に、香華ちゃんを一番近くから守らせるために」
「流石は西園寺君隆ってところかしら、判断としてはこれ以上なくベストなものよ。私たち零課も最善を尽くす、けれど……ウチの連中でもどうにもならない時は、お願いね」
シリアスな声と表情でポツリと呟く智里に、マリアは任せてくれと笑顔で言うと。
「それに、カイトだけじゃなく遥ちゃんも一緒だからね。香華ちゃんは絶対に大丈夫さ」
と言って、隣に座っていた遥の肩をポンっと叩いた。
「あら、貴女も一緒なの?」
きょとんと意外そうな顔をする智里に「……ええ」と遥は静かに肯定し。
「ですから、きっと大丈夫です。香華さんのことは……私と戒斗で、必ず守り抜いてみせますから」
そう、真っ赤なルビーの瞳で真っ直ぐに見据えながら、答えてみせた。
すると智里は「……ふふっ」と、少し安堵した顔で笑い。
「なら、安心ね。お互い頑張りましょう? 貴女も、そして私もね」
半分まで飲み干したコーヒーカップを片手に、笑顔を浮かべてそう遥に言うのだった。




