第二章:深窓の令嬢/06
「これがプリンセス・オブ・アズール号。パーティーの会場になる客船よ」
席を立った香華はリモコンを操作し、部屋にある大きな壁掛けテレビを使って皆に依頼内容の説明を始めていた。
「プリンセス・オブ・アズール……『紺碧の姫君』ってところだね」
「あっ、この船ならテレビで見たことあるよー」
マリアがふふっと小さく笑んでひとりごちる傍ら、テレビ画面に映る大きな豪華客船を見た琴音がいつもの間延びした声で言う。
それに香華は「あら、そうなの?」と反応すると、琴音はうんと頷いて。
「すっごい大きな豪華客船だって、ちょっと前にテレビで流れてたよー。えっと……確か改装したばっかりの船で、そこにカメラが初潜入! みたいな番組だったかな」
「ああ、そういえば前に取材が入ったこともあったわね。多分それのことかしら」
続く琴音の言葉を聞いて、香華はどこか腑に落ちた顔を浮かべる。
「で、貴女はええと……琴音さん、だったわよね?」
「私のことなら、気楽に呼び捨てでいいよー?」
「あら、そう? ――――で、この船だけど。琴音の言った通り、かなり長い間ドック入りして大改装してたの。その改装がようやく終わって、初めての航海が……今回のパーティーってわけ」
「確か、おたくが持ってる船だったよな?」
横から質問する戒斗に、香華はコクリと頷いて肯定の意を返す。
「正解。富裕層をターゲットにしたクルーズ船事業のために、随分前にウチが建造した船よ。古い船だから結構あちこちにガタがきてたらしいから、その補修も兼ねてのドック入りだったの」
「なるほど……」
続く香華の説明に、遥が興味深そうに相槌を打つ。
――――豪華客船『プリンセス・オブ・アズール』。
今まさに香華が説明したように、西園寺財閥が建造した大きな豪華客船『プリンセス・オブ・アズール』……それが今回の依頼の舞台になる船だった。
その大きさも豪華さも何もかも、全てが世界屈指の規模を誇る超大型の豪華客船。まさにプリンセス・オブ・アズールの名に……紺碧の姫君の名に相応しい、優雅で気品のある船だ。
琴音と同じように、戒斗も遥もその名はテレビで何度も耳にしたことがある。つい最近になって改装工事が終わり、もうじき再び航海に出る……といった内容のニュースも、以前に見た覚えがあった。
どうやら今回の船上パーティーは、その改装後の初お披露目も兼ねた航海らしい。
「お父様から聞いているでしょうけれど、パーティー自体は私の経営するグループ企業の、創業60周年の記念パーティーなの。会社の皆はもちろんとして、少しだけど国内外からVIPもお招きする予定だわ」
そんなプリンセス・オブ・アズール号で開催するパーティーについての説明を、香華は続けていく。
「船は午後五時ちょうどに出航、そのまま東京湾から太平洋に出て、戻ってくるのは次の日の早朝になる予定だわ。ただ来賓の中にはその後のスケジュールが詰まっている方も居るから、そういう方は船に呼んだヘリで先に帰るみたいよ」
香華の言う通り、確かに船の甲板にはヘリポートがある。のんびりできる客はゆっくりと朝まで一泊二日の船旅を楽しみ、忙しい客はヘリコプターでさっさと帰るといった感じのようだ。
「……答えは分かり切ってるが、一応訊いておくぜ。パーティーを欠席するって選択肢は?」
「無いわね」
戒斗の問いかけに、香華は即答し断言する。
あまりにも予想出来ていた答えだ。君隆から事前に聞いていることもあって、戒斗は別に驚きはしなかった。
「お父様から色々と聞いているでしょうけれど、何より私の会社の記念パーティーなの。来賓もいらっしゃるし、私だけが欠席するってわけにはいかないの。周りに示しがつかないし、会社の皆にも申し訳ないわ。
それに、何よりも……あんな脅しに屈するようじゃ、それこそ西園寺の名折れだわ」
どうやら彼女、思いのほか気が強くて頑固らしい。
今の台詞を紡いだ語気と喋り方、その奥には芯の硬さと、何よりも強固な意志が見え隠れしている。一見すると清楚で上品なお嬢様なようだが、これでいて意外に気が強いタイプなようだ、彼女は。
そんな風に即答した香華に、戒斗はフッと小さく笑って。
「気に入ったぜ、あんた」
と、彼女の顔を見上げながら言う。
「頑固なタイプは嫌いじゃないんでね。特にそれが美人なら尚更のことだ。いいぜお嬢さん、俺たちがキッチリ守ってやる」
「香華でいいわよ、ミスタ・戦部」
「だったら俺も、戒斗でいい」
「……じゃあ、戒斗。当日は頼んだわよ」
「俺だけじゃない、遥も一緒にあんたを守る手筈だ。琴音は後方サポート、マリアは……コーヒーでも飲んでサボってるんじゃないか?」
「ちょっとカイト、いくら僕でもそこまではしないよ……」
ジトーっとした目で見てくるマリアに「冗談だ」と戒斗は皮肉っぽく笑って返してやる。
「とにかく、依頼を請けたからには全力でおたくを……香華を守ってやる。何があっても必ず、な。俺たちはプロだ、その辺りは安心していてくれ」
「頼もしいわね、流石はマリアさん自慢の息子さんってところかしら?」
「……だから、違うってのに…………」
どうやら例のマリアの与太話は、彼女にも伝わってしまっているらしい。
ふふっと悪戯っぽく笑う香華に、戒斗はがっくりと呆れたように肩を竦めてみせる。
そうした後で、戒斗は再び彼女を見上げながら。
「……そういや、公安の連中も同行するって聞いてるが?」
と、つい先刻に君隆から聞いたことを思い出して、彼女に問うてみた。
すると香華は「ああ、そうだったわね」と今思い出したように相槌を打ち。
「公安の刑事さんたちも、一緒の船で張り込むって聞いてるわ。そっちはお父様に任せっきりだから、私は詳しいことまで把握してないんだけれど」
「――――そういうことなら、ここからは私が話そうか」
香華が言った後、ソファから立ち上がった君隆が横から口を挟んでくる。
「さっき話したことと重複するが、公安の特命零課の刑事が船に同乗するそうだ。任務は君らと同じく娘の護衛。とはいえ彼らは……実際に襲われた際に襲撃犯を捕まえて、その背後を洗うことが目的だろうがね」
「俺たちのこと、先方はちゃんと把握してるのか?」
戒斗の問いに、君隆は「もちろんだ」と肯定する。
「室長の桐原智里はマリアの昔馴染みだからね。話はスムーズに進んだよ」
「ま、肝心の僕の方にはなーんにも連絡は来てないんだけども。その辺の確認も兼ねて、智里には近々会っておこうか」
「……ふむ。戒斗はその桐原という方をご存知なのですか?」
横から遥に訊かれて、戒斗は「まあな」と答える。
「マリアの馴染みだし、公安は俺にとってもお得意様だ。顔見知り程度の仲ではあるな」
「彼女とは長い付き合いなんだ。僕が知り合った頃の智里はまだまだ新米の刑事だったけれど、今じゃ秘密部署のお偉いさんだ。色々と便宜を図ってくれるから、僕としても助かってるんだよ」
「なるほど……そうでしたか」
「……ま、その辺のことはまた本人に会って確認するとしようか」
そう言うと、マリアはまたティーカップを手に取って紅茶を飲む。
そんな風に彼女がカップを傾ける中、テレビの電源を切った香華はくるりと戒斗たちの方に向き直り。四人の顔をじっくり見渡した後で……改まった調子で、こう言って話を締めくくるのだった。
「とにかく、そういうことよ。私は脅しなんかに屈するわけにはいかない、相手が同じ西園寺の内側に居るっていうのなら尚更よ。だから――――戒斗も、皆も。どうか……私に力を貸して頂戴」
「任せろ、俺たちはそのためにここに居るんだからな」
「……ええ、そうですね」
「んーと、お兄ちゃんや遥ちゃんと違って、私にできることって少ないけど……とにかく、精いっぱい頑張るよっ!」
「香華ちゃんも君隆くんも、大船に乗ったつもりで安心してくれたまえよ。なにせカイトは、この僕の懐刀――その中でもとびきりの切れ味を持った逸材だからね」
それに戒斗や遥、琴音にマリアがそれぞれ返す。
そんな彼らの反応を見ながら、香華はソファに座る君隆と視線を交わし合い。彼がうんと安心した顔で頷くのを見ると、また戒斗たちの方を見て――――。
「私のこと、貴方たちに預けるわ。だから……よろしく頼むわね」
(第二章『深窓の令嬢』了)




