第二章:深窓の令嬢/03
――――そして、翌日。
午前九時を少し過ぎた頃、戒斗の住むマンションの目の前に一台の車が停まった。
静かに滑り込んできたのは、大きな黒いリムジン。世界最高の超高級車……ロールスロイス・ファントムのリムジンだ。
「おお……」
戒斗もスイーパーなんて仕事をして長いが、しかし流石にリムジンなんて乗るのは初めてだ。
だからか戒斗は、目の前にやってきた横長のシルエットに思わず感嘆の声を漏らす。
と、そうしている内に運転手が降りてきて。ペコリと戒斗に向かって恭しく頭を下げた後、後部座席のドアを開けてくれる。
「お兄ちゃん、やっはろー」
パカッと開いたドアの向こうから聞こえてくるのは、呑気に間延びした琴音の声だ。
見ると、車内には他にもマリアや遥の姿もある。
「なんだ、もう全員お揃いか」
「君が最後だよ、カイト。早く乗るといい」
マリアに言われながら、戒斗はそのリムジンの中に入っていく。
後部座席は高級感のあるシートがふたつずつ、合計四つが広いスペースで互いに向かい合う形に配置されている。前方にある仕切り板はせり上がった状態で、ここからだと運転席の様子は全く見えなかった。
そんな後部座席のスペースは、思ったよりは広くない。
まあリムジン自体がそこまで大きなものじゃない――それこそリムジン、と言われて想像しがちな、マイクロバスぐらいに長いものじゃないから当たり前の話だ。
見た目的には、普通より横長の高級セダンといった感じ。
とはいえ、その高級感あふれる車内には圧倒されるばかりだった。
「すげえな……」
戒斗はそんな広い後部座席の後ろ側、前向きにセットされたシートに腰掛ける。
位置的には、ちょうど遥が隣に座っているポジションだ。
「ふふっ、確かにリムジンなんて乗る機会、そう滅多にあるものじゃないからね」
目を丸くしながら車内を見渡す戒斗に、マリアが楽しげに笑いかける。
と、そうしている最中にもドアが外側からバタンと閉じられて、運転手が乗り込めばリムジンは走り出す。
「うへえー……私こんなの初めて乗ったよー。遥ちゃんは?」
「私も、流石にこういったものの経験は無くて……」
「だよねー」
なんて風に琴音と遥が話すのを聞きながら、戒斗はチラリと窓の外に視線を向ける。
黒色の濃いスモークガラスの向こうを、見慣れた街並みが流れていく。
普段から通る道で、よく知っている景色のはずなのに……こんなドデカいリムジンの車窓から見ていると、なんだか別世界に来たように思えてしまう。
「流石は天下にその名の轟く、西園寺財閥ってことか……」
窓枠に肘を掛けて景色を眺めながら、戒斗はポツリとひとりごちた。
――――と、そうして車に揺られること一時間弱。
四人を乗せたリムジンが辿り着いた先は、郊外にある大豪邸だった。
馬鹿みたいに高い塀に囲まれた、これまた冗談みたいに広い敷地。そこには綺麗な庭園がキッチリ整備されていて、更に敷地の中央には……これまたドデカい屋敷のある、そんな大財閥のお宅らしい大豪邸に、戒斗たちは連れて来られていた。
「おいおいおい……」
「うわー、漫画で見たお金持ちそのまんまだあ……」
「これが……西園寺財閥の力、ということでしょうか」
ギギッと重たい音を立てて開いた巨大な鉄の門を潜って、敷地の中を走るリムジン。
その車窓から大豪邸の敷地を眺めながら……戒斗に琴音と遥の三人は、ただただ圧倒されている。
「懐かしいな、ここに来るのは何年振りだったっけ」
と、そんな三人のベタすぎる反応の傍らで、マリアはこんな感じ。
まあ分かり切っていたことだが、彼女だけは何度もこの西園寺邸を訪れたことがあるのだろう。当主と旧知の間柄なのだから、わざわざ訊かなくても分かっていたことだ。
そんな大豪邸の景色に圧倒されながら、走ること少し。敷地のド真ん中にある大きな屋敷の玄関前でリムジンは停まった。
キキッ……と僅かにブレーキの軋む音を鳴らして、ロールスロイスの黒いリムジンが静かに停まる。
「お待たせ致しました、どうぞこちらへ……」
そうすれば、玄関前に待機していた使用人がパカッとドアを開き、四人に邸宅の中へ入るように促してくる。
玄関に横付けしたリムジンから降りて、マリアを先頭に四人は邸宅の中へ。
するとまず最初に目に飛び込んできたのは、大きなシャンデリアの飾られたエントランスホール。流石に靴はちゃんと脱ぐ日本式だったが……見た目は本当にヨーロッパにありそうな、貴族のお屋敷といった感じだ。
そのエントランスの突き当たり、二股に別れた中央階段を昇って二階へ。
そのまま使用人の案内に従い、ふわふわの赤絨毯が敷かれた廊下を奥へ奥へと歩いていくと……大きな観音開きのドアに突き当たった。
「こちらで、ご当主様がお待ちです」
言って、使用人はコンコンとドアをノックする。
声を掛ければ、向こう側から入ってくれという声が聞こえてきて。それに従い使用人がガチャっと開けたドアから、四人は部屋の中に入っていく。
ドアの向こう側は、有り体に言えば執務室だった。
大きな執務机と革張りの椅子、その前には応接用らしきソファと背の低いテーブルがある部屋。ここの床にも絨毯が敷かれていて、パッと目に付いた調度品類も……この屋敷に相応しい、高級感のある代物ばかりだ。
そんな執務室の窓際に、ある一人の男性が立っていた。
茶色の髪を、ぴっちりとオールバックに整えた男性。背丈は戒斗と同じぐらいで、身に着けたビジネススーツは明らかに仕立てが良く……最高級のオーダーメイド品だと一目で分かる。
「――――成宮マリア、よく来てくれたね」
その男性はくるりと振り向くと、渋い声と柔な笑顔で四人を出迎えた。
「やあ、久しぶりだね君隆くん」
そんな彼に、マリアも小さな笑みとともに返す。
「君と直接会うのは……何年振りだったかな?」
「最後に会った時は、まだ娘が5歳ぐらいだったはずだから……そうか、もう16年にもなるのか」
「へえ、じゃあ香華ちゃんはもう成人してるんだ。時間が経つのは早いね、あんなに小さくて可愛らしい女の子だったのに、そうかもう成人しちゃってるのか……」
感慨深そうに、遠い目をしてひとりごちるマリア。
そんな彼女の肩をトントン、と戒斗は後ろから軽く叩いて。
「おいマリア、この人が例のクライアントか?」
ボソッと小声で問いかけると、マリアはああと頷き返して肯定する。
「西園寺財閥の現当主・西園寺君隆くんだ。僕の親友で、君たちの依頼人でもある。……君隆くん、彼が前に話した僕の息子だよ」
「だから、息子言うな」
一言余計なマリアに戒斗が文句を言っていれば、窓際に立つ彼――今回の依頼人、西園寺君隆はニッコリと笑い。
「そうか、君が噂に聞く黒の執行者か……」
と、戒斗の顔をまじまじと見ながら呟く。
「……うん、昔のマリアによく似ているよ」
「そうかい?」
「特にこの鋭い目付きなんか、私が出会った時の君にそっくりだ。血縁じゃないのが驚きなぐらいだよ」
「ふふっ、だってさカイト」
「喜んでいいのか、こりゃあ……?」
嬉しそうに笑うマリアに戒斗が困った顔を浮かべていると、君隆はふっと小さく表情を綻ばせて。
「さあ、とりあえず掛けてくれ。積もる話もあるからね、ゆっくり腰を落ち着かせて話したいんだ」
と言って、四人を手招きするのだった。




