第二章:深窓の令嬢/01
第二章:深窓の令嬢
「ねえねえ二人ともっ、この後って暇かな?」
――――それは、ある日の放課後のことだった。
終業のチャイムが鳴り、さあ家路に着こうと教室の皆が立ち上がる中、振り向いた琴音がそう二人に話しかけてきた。
「俺は……ああ、今日は特に仕事はなかったはずだ」
「私も、特に予定はありませんので大丈夫です」
「よかったっ! じゃあさ、久々にどっか遊びにいかない?」
やっぱりな、と答えた二人は内心で思っていた。
放課後になって琴音がこの後の予定を訊いてくる時は、大体がこうした遊びのお誘いだ。今日まで彼女と過ごしてパターンは分かり切っているから、戒斗も遥も特に驚かなかった。
「そういや、最近はめっきりご無沙汰だったな」
――――が、こういうパターンも久しぶりだ。
思い出したように言いながら、戒斗は今更にそう思う。
「そーそー、ここしばらくはお兄ちゃんたちのお仕事とか色々あったり、忙しかったからさー。久しぶりに皆でどこか遊びに行きたいなって」
理由はまさに琴音が口にした通りだ。
あれ以来――彼女がミディエイターの襲撃を受けて以来、そういえば一度として三人で遊びに出掛けたことはなかったはず。
単にミディエイター関連の騒動でそれどころじゃなかったり、退けた後も戒斗たちの仕事……スイーパーの稼業で忙しかったりしていたから、何だかんだとこういう機会は無かったのだ。
まして今は、琴音もサポート役として仕事を手伝ってくれている。
だから余計に、最近は皆で遊びに行く機会にはとんと恵まれていなかったのだ。
琴音が急に誘ってきたのも、その辺りのことを思ってだろうか。
最近はスイーパーの仕事も落ち着いてきたし、確かに余暇を楽しむなら今が絶好のチャンスに違いない。
「いいぜ、俺は乗った」
「私も、構いませんよ」
だから戒斗も遥も、二つ返事でその提案に乗っかる。
「やったあ! じゃあ今日はどこに行こうかなっ」
「おいおい……そこ考えてなかったのかよ」
「あははっ、だって今思いついたんだもん!」
「……琴音さんらしいですね、ふふっ」
無計画にも程がある琴音に呆れる戒斗と、その横で小さく笑う遥。
そんな二人の手を琴音はぎゅっと握り締めると、
「とにかく、行こ行こっ! 善は急げだよっ!」
そのまま二人を引きずるように、笑顔で駆けだしていく。
「お、おいっ!?」
「ちょっ、琴音さんっ……!?」
「いいから、いいからっ!」
足をもつれさせて、転びそうになりながら連れていかれる二人。
そんな二人を引っ張って教室を出て、琴音は廊下を駆けていく。
階段を一段飛ばしぐらいのペースで降りて、昇降口で靴を履き替えて。そのまま急ぎ足で校門を潜り抜ける。
遥と一緒にそんな彼女に引っ張られながらも……でも戒斗は、不思議と悪い気はしていなかった。
それどころか、仕方ないなと呆れ混じりの笑顔もうっすらと浮かんでしまうほど。
なんだかんだと、好きなのかもしれない。猫みたいな気分屋の彼女に、こうして強引に引っ張り回されるこの時間が――――。
そう思いながら、戒斗は遥と一緒にぐいぐいと琴音に引っ張られて、そのまま学園の最寄り駅へ。
改札を潜ってすぐ、タイミングよくホームに滑り込んできた電車に飛び乗って、向かう先はとりあえず都心の繁華街だ。
誘ったはいいけど行き先も特に思いつかないから、とりあえずカラオケでいいやぐらいの感じらしい。
こういうところも、琴音らしいというか何というか。
そんな彼女に連れられて、電車を降りた戒斗たちは繁華街へと繰り出した。
と、そんな時だ。
「――――っと、放してよ!」
大通り沿いを歩きながら、そろそろ目的のカラオケボックスが近づいてきた頃。そんな少女の甲高い声がどこからか三人の耳に届いていた。
「放してよ、放しなさいってば!」
何かと思うより前に、更に続けて聞こえてくる。
一体何なんだ、と思い視線を向けてみると――当たり前といえば当たり前だが、声の聞こえた先には少女の姿があった。
金髪の、見目麗しい乙女だ。
かなり長身で、背丈は戒斗とほぼ変わらないぐらい。髪は腰辺りまで伸びるほど長く、金糸みたいに透き通った色をしている。
顔立ちも上品そのもので、身なりも整った感じだ。
そんな彼女は――――有り体に言えば、絡まれていた。
「いいじゃん、俺らと一緒に遊ぼうよ~」
「この辺にあるいい店知ってっからさ、行こうぜって」
「だーかーら! 放しなさいって言ってんのが分かんないのっ!?」
見るからにチャラついた格好の青年二人に、少女はしつこく絡まれていたのだ。
逃げられないように手首を掴まれて、でも少女はそれを力づくで振り払おうとしている。男二人に囲まれても物怖じせずに噛み付いている辺り、あの上品な見た目に似合わず気が強いタイプらしい。
でも力の差か、少女は掴まれた手を振り払えずに絡まれ続けていた。
「うわー、すっごいベタな光景……」
そんな少女たちを遠巻きに見ながら、琴音が微妙な顔で呟く。
実際、あまりにもベタすぎるシーンだ。
……が、放っておくわけにもいくまい。
街を行き交う人々は――青年たちの見るからにガラの悪そうな風貌を恐れてか、それとも面倒事を嫌ってか、横目には見るもののそのまま素通りしてしまっている。
基本、都会人というものは他人に冷たく無関心だ。
わざわざ自分から面倒事に首を突っ込みたがる人間はそう多くない。素通りしていく彼らの気持ちは十分すぎるぐらいに理解できる。戒斗の中にも、同じような気持ちは少なからずあった。
…………だが、それ以上に。
それ以上に――――彼の本質は、どうしようもないほどのお人好しで。
「すまん遥、ちょっと琴音を見ててくれ」
傍らの遥にそう言うと、戒斗は……真っ直ぐに絡まれている少女の方へと歩いていく。
「ねね、ほら行こって」
「放しなさいって……言ってんのが、分からないのっ!?」
「いいじゃんいいじゃん、楽しもうぜ~」
「――――――おい」
尚も少女がしつこく絡まれ続ける中、近づいていった戒斗は青年の手首を――少女を捕まえていたその手をガッと掴む。
「俺の連れなんでね、悪いがお引き取り願おうか」
言いながら、戒斗はそのまま手首を強く捻り上げる。
「痛てててっ!?」
「ちょいちょいお兄さん、あんた何して――――」
手首を捻り上げられた青年が苦悶の声を上げる中、もう一人が戒斗を睨み付けるが。
しかし――静かに睨み返した彼の、猛禽類のように鋭く尖った目を見た瞬間、思わず息を呑んでしまい。
「お引き取り、願えるよな?」
低くした声で静かに戒斗が凄めば、青年たちはごくりと生唾を呑む。
――――そこには、深い闇があった。
まるで深淵の奥底を覗き込んだような、底知れぬ闇の色。それは彼が本物のスイーパー……戦いのプロであるが故に自然と身に着けたもので。それを一目見た瞬間、青年たちは心底から身震いしていた。
「……い、行こうぜ」
「悪かったよ……もう消えっから、俺ら」
パッと戒斗が捻り上げていた手を放すと、少女に絡んでいた青年たちはそそくさと退散していく。
それを見送りながら、戒斗がやれやれと肩を竦めていると――遥たちが駆けてくる。
「戒斗、大丈夫でしたか……?」
「お兄ちゃんってば、急に行っちゃうからびっくりしたよー」
「はは、すまんすまん。つい……な?」
心配した様子の二人に小さく笑い返した後で、少女の方にチラリと振り向き。
「……で、おたくは怪我なかったか?」
と、戒斗は彼女に問いかける。
すると少女は「……ええ」と頷いて。
「ありがとう、おかげで助かったわ。しつっこくて困ってたのよ、アイツら……」
服の裾をパタパタと払いながら、少女はそう言って彼にお礼を言う。
それに戒斗は「礼には及ばない」と返し、
「ただ、ああいう手合いには変に食って掛かる方が逆効果だ。素直に警察でも呼んだ方がいい」
「どうやら、そうみたいね……ありがと、覚えておくわ」
言って、少女は改めて戒斗の方にくるりと向き直り。
「助けて頂いたんですもの、お礼をしたいわ。……貴方、お名前は?」
と、彼の顔を見つめながら改めて問うてくる。
だが戒斗はフッと小さく笑うと、
「なあに、名乗るほどのもんじゃない。当然のことをしたまでさ」
そんな風に――あまりにベタにも程がある台詞で返していた。
なんて頃に、遠くからバタバタと誰かが駆けてくる足音がして。
「お、お嬢様ーっ!!」
慌てた様子で少女の元まで駆けてきたのは、いかにも使用人といった格好をした初老の男性だった。
白髪交じりの髪とちょび髭に、ビシッとした皺ひとつない黒の燕尾服。どう見ても彼女の使用人――いいや、もっと言うと執事で間違いないだろう。
この少女、パッと見からして既に気品があるとは思っていたが……どうも、本物のお嬢様らしい。
でなければ、こんな風に執事が慌てて駆けてきたりしないだろう。
「や、やっと見つけましたぞ……お一人で勝手に出歩かれるのはおやめになってくださいと、あれほど申し上げたではありませんか……!」
ぜぇぜぇと息を切らしながら、安堵した風に言う執事の男性。
それに少女が「ふふ、ごめんなさい」と返せば、執事の彼はこほんと咳払いをして。
「……それで、こちらの方々は?」
と、戒斗たちの方をチラリと見て問う。
「えっとね、今ちょっと変なのに絡まれてたんだけど、この方が助けてくれたのよ」
「……! 絡まれていた、と……お嬢様、どこかお怪我は!?」
「見ての通りよ、この方のおかげで何事もなかったわ」
「そうでしたか……どこのどなたかは存じませんが、この度はお嬢様をお助け頂いたようで……是非とも、是非ともお礼をさせて頂きたいのですが、どうかお名前だけでも……」
「そこのレディにも言ったが、俺は名乗るほどのもんじゃない。――じゃあな、行こうぜ二人とも」
「あの……っ!」
食い下がろうとする執事の脇をするりとすり抜けて、戒斗は戸惑う二人を連れてさっさとどこかに歩き去っていく。
遠ざかっていく、彼の背中。
それに向かって執事はペコリ、と深く頭を下げた後、傍らに立つ主の方に――少女の方に向き直り。
「今時、珍しい方もいらっしゃったものですね」
と、どこか感慨深そうに言う。
すると――少女も遠ざかっていく彼らの背中をじっと見つめながら。
「……ええ、本当にね」
ほんの微かに表情を綻ばせて、小さく呟いていた。




