第一章:少女たちは何を思う/01
第一章:少女たちは何を思う
キーンコーンカーンコーン、とチャイムの音色が鳴り響く。
放課後の訪れを告げる鐘の音だ。それが鳴った瞬間、ガタッと誰かが席を立つ気配がしたと思えば――――。
「お兄ちゃん、遊びにいこっ!」
折鶴琴音がそう、元気いっぱいな声で呼びかけてきた。
「…………放課後はマリアのとこに行くって、さっき言わなかったか?」
そんな彼女を見上げながら、彼――戦部戒斗は呆れた声でそう返してやる。
「あれ、そうだっけ?」
「昨日の件で話があるっつってたろ?」
「あはは、そうだったねー。ごめんごめん」
きょとんと首を傾げたかと思えば、呑気な顔で苦笑いをする琴音。
コロコロと表情が変わる琴音を見上げながら、戒斗はしょうがないなと肩を揺らしつつ、チラッともう一人の彼女に視線を流してみる。
「……では、行きましょうか」
すると、視線を合わせた彼女はコクリと頷いて――スクールバッグを肩に掛けながら、カタンと席を立った。
――――長月遥。
制服の首に巻いた白いマフラーを揺らしながら、小柄な身体で大きなスクールバッグを担いだ彼女が言うと、琴音も「そだねー」と自分の席からバッグを持ってくる。
戒斗も手早く帰り支度を済ませて、同じようにスクールバッグを持って立ち上がった。
教室を出て、階段を降りて昇降口へ。そこで学園指定のローファー靴に履き替えて、校舎の外へ。
「……戒斗?」
そうして外に出たとき、戒斗は何気なく背にした校舎を見上げていた。
ぼうっと見上げて立ち止まる彼が気になって、呼びかけてくる遥。
戒斗はそれに「なんでもない」とぶっきらぼうに返しつつ、先を行く二人の後を追って歩き出す。
――――あれから、少しの時間が流れた。
琴音にまつわるミディエイターとの激戦をどうにか潜り抜けた後、特に何事もなく戒斗たちは日々を過ごしている。
あの時、八雲が――遥の兄・長月八雲が言った通り、あれからミディエイターは琴音に対して目立ったアクションを起こしていない。
戒斗や遥が味方についたこともあって、奴らも彼女に手出ししづらくなったのだろう。
……だが、あくまで一時的な話だ。
八雲が宣言したように、奴らはいずれ必ず琴音を狙って再びその魔の手を伸ばしてくるに違いない。
油断は、決して出来ないのが現状だ。
だが――それはそれ、これはこれという言葉もある。
決して油断はしないまでも……戒斗と遥は、琴音の護衛を続ける傍らでこの学園に、私立神代学園に今でも学生として通い続けていた。
「お兄ちゃん、早くいこっ!」
「分かったから、そう焦んなって」
校門を潜り抜けて、少し歩いた先の最寄り駅へ。
帰宅ラッシュの学生たちに混ざって電車に乗り込み、目指す先は都心の電気街――秋葉原の街だ。
何度か電車を乗り継いで、秋葉原駅で降りる。そこからは中央通りを北に向かって歩いていく。
適当なところで横丁に入って、目的の店へ。蔵前橋通りから一本奥に入った辺りにある雑居ビルの二階にあるのが、目的地のメイド喫茶――『カフェ・にゃるみや』だ。
L字型の外階段を昇った先のドアを潜って、店の中へ。
カランコロン、と来客ベルの鳴るドアを開けて店に一歩踏み入れば――――。
「お帰りなさいませっ、ご主人様っ、お嬢様ーっ♪」
三人を出迎えるのはお決まりの台詞、店のメイドさんたちの歓迎の声だ。
「あっ、戒斗さんだーっ♪ 今日は琴音ちゃんと遥ちゃんもご一緒なんですねっ」
「まあな。例によってマリアに用事がある、奥に居るんだろ?」
「はーい♪ いつも通りのお部屋に居ますから、どうぞどうぞー♪」
ニッコリ笑顔で出迎えてくれたメイドさんたちと軽く挨拶を交わしつつ、戒斗は二人を連れて店のバックヤードへ。
勝手知ったる顔で入っていったメイド喫茶の奥、従業員専用エリアの一番奥にあるドアが目的地だ。
コンコン、と一応ノックしてから部屋に入ると。
「――――やあ、待ってたよ」
ドアを潜った先、どこか病院の診察室を思わせるような狭い部屋で待っていた彼女――成宮マリアがそう言って戒斗たちを出迎えた。
くるりとゲーミングチェアを回して振り向いたマリアは、今日も今日とてトレードマークなよれよれの白衣を羽織っている。
どう見ても十代の少女にしか思えない、あまりに歳不相応に若く見える顔でフッと小さく笑うと、三人にとりあえず座るようマリアは視線で促した。
それに従い、戒斗たちはひとまず手近な丸椅子に腰掛ける。
「さて、本題に入る前に――お茶でも淹れてあげようか。何がいい?」
「それじゃあお言葉に甘えて、ミルクティーでお願いしますっ!」
「……でしたら、私は緑茶を頂ければ」
「俺はいつも通りで頼むぜ、マリア」
「はいはい、アールグレイをストレートだったね」
座っていたゲーミングチェアから立ち上がると、マリアは話に入る前にそれぞれお茶を淹れてくれる。
琴音には冷たいアイスティーのグラスを、遥には温かい緑茶を注いだ大きな湯呑みを。戒斗には例によってアールグレイの紅茶をストレートで出して……ついでにマリアも自分のブラックコーヒーを用意する。
「さてと、じゃあ話に入ろうか」
それぞれに口慰みの飲み物が行き渡ったところで、椅子に座り直したマリアは改めてそう話を切り出した。
「まずは昨日の件、ご苦労様だったね。特に琴音ちゃんなんて大活躍だったじゃないか。流石は僕が見込んだだけのことはあるよ」
「いやあー、そんなことないですよっ。遠くからドローンで見てただけですし、やっぱり一番はお兄ちゃんと遥ちゃんですって」
「それはもちろんだよ。二人が捕まえてくれた連中は無事に警察に引き渡したし、奴らがすぐに口を割ったおかげで黒幕もちゃあんと逮捕できたってさ。これで何もかも丸く収まった。三人とも見事な活躍だったよ」
「誘拐された社長令嬢の救出なんて、初めに聞いた時は何事かと思ったが……終わっちまえば、随分と楽な仕事だったぜ」
「……ええ、本当に」
「そう言えるのは君らが超一流だからだよ。普通のスイーパーならこうはいかなかったはずだ」
「だとしたら、俺らに目を付けた嬢ちゃんのパパさんが正しい判断をしたってことだな」
「ふふっ、まあカイトの言う通りかもね」
わざとらしく肩を揺らして言う戒斗に、マリアもおかしそうに口角を緩ませる。
――――誘拐された、社長令嬢の救出。
それが、昨日の仕事だった。
依頼主はとある新興企業の社長で、女の子の父親。何者かに誘拐された自分の娘を探し出し、助け出して欲しい……というのが依頼内容だった。
相手はあくまで身代金目当てを装っていたが、しかし裏に別の意図が――父親の会社を貶める目的があったのは明白。そういう事情もあって、警視庁を通じてマリアの元に――フィクサー、つまりスイーパーたちの元締め役である彼女の元に仕事が舞い込んできたのだ。
マリアが居場所を突き止め、下準備をバッチリ整えて、後は戒斗が実際に行動する。
いつも通りの役割分担だ。しかし違うところがあるとすれば――琴音が協力してくれたことだ。
切っ掛けは少し前、琴音のある一言からだった。
『守られてるだけなのは嫌だよ。私も……お兄ちゃんの力になりたいの!』
もちろん、これには戒斗も遥も反対した。
したのだが……結局、琴音の勢いに押し負ける形で受け入れてしまったのだ。
――――彼女の気持ちを、尊重したい。
琴音を必要以上に巻き込みたくないと思うのと同時に、二人は……特に戒斗はそう思ってしまった。
だから結局、琴音にも仕事を手伝ってもらうことになったのだ。
やることは後方からのサポートだ。主に電子機器に対するクラッキングといった電子戦方面で、実際に戦う戒斗たちを安全圏からサポートする……というのが、琴音の役割だった。
――――折鶴琴音は、天才と称されるほどに優れた頭脳の持ち主だ。
それほどの才能を持つ琴音ならば、今まではマリアが一人でこなしていた仕事を手伝えるのも当然だろう。現に彼女が加わってくれたことで、自分の負担もグッと減った……と、マリア自身が嬉しそうに話していたのを覚えている。
ちなみに、今回の仕事ではドローンを使った敵情偵察が役割だった。
マリアお手製のサーマルカメラ付きドローンを使って、事前に敵の数とその配置を確認。それを実際に戦う戒斗たちに通信で伝えてくれたのが、琴音だったのだ。
――――閑話休題。
「さて、報酬は……カイトと遥ちゃんの分は口座に振り込んだからいいとして、琴音ちゃんの分は……まだ学生だし、親御さんの手前もあるから現金手渡しの方が良かったんだったね」
「あ、はい。口座は一応あるんですけれど……その、バレたら色々と面倒なんで」
「分かってる分かってる。それじゃあ――はい、これが琴音ちゃんの報酬だよ」
と言って、マリアは机の引き出しから取り出した茶封筒をスッと差し出す。
ありがとうございますっ、と受け取った琴音は、その妙に分厚い封筒の中身を見て――――。
「……ええっ!? こ、こんな貰っちゃっていいんですかっ!?」
と、椅子から飛び上がりそうな勢いで驚いた。
それにマリアはフッと小さく笑って、
「取り分はフェアに分けるのが僕の主義だからね。琴音ちゃんの働きに対する、これは正当な報酬なのさ」
コーヒーカップを片手に、戸惑う琴音にそう言った。
すると琴音は「うーん……」と茶封筒を――予想外に多い金額が入っていたそれを見つめながら、なんとも戸惑った表情を浮かべる。
「でも私、今回はそんなに言うほど何かやったわけでもないですし……流石に悪いですって」
「いいから、受け取っておくれよ琴音ちゃん」
「う、うーん……お兄ちゃん、ホントにいいのかなあ……?」
「別に構いやしねえよ。マリアも言った通り、ソイツはお前の正当な取り分さ。素直に受け取っとけって」
「そ、そう?」
「いくら貰っても困るもんじゃねえ、そうだろ?」
予想外の金額に目を白黒させる琴音の肩をポンッと叩いて、戒斗が諭すように言う。
すると琴音も少しだけまた思い悩んだ後、
「……じゃあ、ありがたく頂戴しますっ」
と言って、茶封筒を懐に収めてくれた。
それを見たマリアはふふっと満足げに笑い、
「とにかく、昨日はご苦労だったね。娘ちゃんも無事に戻ったし、悪党どもは一掃された。完璧な仕事ぶりだったって、クライアントも大満足だったよ」
「毎度こういう気持ちのいい仕事だと、俺も気が楽なんだがな」
「あははっ、確かにね。でもそうもいかないのがスイーパーと……僕らフィクサーの辛いところさ」
言って、マリアはまたカップに口をつける。
それからチラリと壁掛けの時計を見て、
「……よく見たらいい時間だね。折角だ、晩御飯食べていきなよ」
と、戒斗たちに提案するのだった。




