第六章:STILL HERE/02
「くそっ、どうなってやがる……!?」
廃病院のエントランス、かつては患者を迎えていた広いそのスペースで、リーダー格らしい男が焦りと戸惑いの独り言を漏らしていた。
ここに来て最初に叫んでいた、あの野太い声の男だ。その声に見合うだけの大柄な体格で、タンクトップ一枚のマッチョな身体の背丈は190センチ近い。右手に担いだ得物もその体格に相応しいだけの、大きなM60E4機関銃だった。
そんな男が、焦りと戸惑いの声を漏らしている。
それもそのはずだ――――待てど暮らせど、銃声が止まないのだ。
二〇人ものスイーパーを引き連れて、この廃病院を取り囲んだ。いくら相手が凄腕で知られる『黒の執行者』だとしても、追い詰められた今ここでなら袋のネズミ。まして手負いの奴ならこの数で押し切れて当然のはずだった。
だから、戦闘もすぐに終わると踏んでいたのだ。彼だけじゃない、この襲撃に参加した全員がそう思って疑わなかった。
しかし……実際はどうだ。あれから随分と経つというのに、一向に銃声が止む気配は無いではないか。
それだけじゃなく、次々と仲間たちとの連絡が途絶えている。
止まない銃声と、一人また一人と途絶えていく連絡。それが意味するところは……言わずもがな。
「簡単な仕事じゃなかったのかよ、くそったれが……!」
ギリリ、と男が奥歯を噛みしめる。
額と背中に、冷たい嫌な汗が伝うのが分かった。どうしようもない悪寒に、思わずぶるっと身体が震える。
まるで首筋に刃を当てられているような気分だ。すぐ後ろにまで迫った死神が、大鎌を首にあてがっているかのような錯覚すら覚えてしまう。
「――――――よう、あんたが大将かい?」
だが、その錯覚はすぐに現実と入れ替わった。
背後から聞こえてくる、馴染みのない青年の声。年若いその声は連れてきた二〇人の誰でもない、まるで聞き覚えのない声だった。
振り向かなくても、それが誰だかは分かる。
自分の首に、今まさに大鎌を沿わせた死神が誰なのか。その声の主が誰なのかは……振り向かなくたって、すぐに分かった。
銃声は、もうどこからも聞こえない。持っていた無線機から、もう誰の声も聞こえない。
「て、てめえ……っ」
足が震えて、今にも倒れそうだ。
それでも勇気を振り絞って、男はバッと振り返った。
すると、そこに立っていたのは――――黒いロングコートを羽織った、ボロボロの青年だった。
だらんとした右手にグロック19を携えた、ボサボサ気味な黒い髪の青年。その顔は直に見たことがないが、でもすぐに誰だかは分かった。だって彼は他でもない、男たちの標的……『黒の執行者』こと戦部戒斗だったのだから。
「おたくが連れてきた連中なら、今頃は皆なかよく三途の川を渡ってるとこだろうぜ。意外に骨のある奴ら揃いだったもんでな、片付けるのにちぃとばかり手間取っちまった」
「全滅……? 二〇人のスイーパーが、てめえ一人に全滅させられたってのか……!?」
「そういうことだ。残るはあんただけだぜ、大将よ」
顔を青くする男に向かって、ニヤリと不敵に笑んだ戒斗がピストルを向ける。
すると、ギリリと奥歯を噛みしめた男は怒りに顔を真っ赤に染めて。
「まだだ……まだ、終わっちゃいねぇっ! 俺がてめえを始末する、そうすりゃ万事解決だろうがよっ!!」
雄叫びを上げながら、腰だめに構えたM60機関銃を乱射し始めた。
ダダダダ、と絶え間ない銃声を響かせながら、マッチョな男の右手から大口径ライフル弾の雨がバラ撒かれる。
「うおっと!?」
M60が放つのは7.62ミリ弾、一発一発が高い威力の弾丸だ。そんなものを喰らえばひとたまりもない。戒斗は驚いた声を上げながら、思わずその場から飛び退いた。
そのまま走って逃げる戒斗の後を、M60の銃口から流れる曳光弾の描く光の軌跡が追いかける。
背中を追いかけるその機銃掃射の軌跡が、今にも彼の背中に到達せんとした時――――戒斗は間一髪でエントランスの受付カウンターの奥に飛び込み、難を逃れた。
長大な受付カウンターの壁面に、大きな弾痕がいくつも穿たれる。
「ったく、マシンガンまで持ち出して来やがるとはな……」
そのカウンターの後ろに隠れながら、戒斗は参ったように溜息をつく。
絶え間ない銃声と着弾音を背後に聞きつつ、しかし戒斗は臆した様子もなく冷静にグロックの残弾を確認する。
残っているのは七発と、十五発入りの予備マガジンがラスト一個のみ。手持ちとしては心もとないが、奴一人を始末するだけなら十分だろう。
「うおおおおっ!!」
そうしている間にも、リーダー格の男は雄叫びを上げながら機関銃を撃ちまくっている。
だが――撃てばいつしか弾は切れるもの。やがて銃声が止めば「くそっ、くそっ!」と焦った声が聞こえてきた。
「さあて、じゃあこっちの番だっ!」
確実にM60は弾切れだ。それを確信した戒斗は満を持してカウンターから飛び出せば、構えたピストルをリーダー格の男に向かって発砲した。
弾切れに焦って棒立ちの男に向かって、グロックに残った五発全てを叩き込む。
そうすれば、男は厚い胸板にいくつもの風穴を穿たれて――――。
「う、ぐ……は――――っ」
その風穴から真っ赤な血を滴らせれば、そのままがっくりと膝を折って倒れ伏した。
バタンと男の巨体が伏せって、横ではガシャンと大きな音を立ててM60機関銃が床に転がり落ちる。
これで――――ラスト。今ので最後の一人のはずだ。かなりの劣勢だったが、戒斗はどうにかこうにか襲い掛かってきたスイーパー全員を撃退することに成功したのだった。
「ふぅ……っ」
大きく息をつきながら、戒斗は疲れた顔でカウンターを飛び越える。
グロックのマガジンを交換しつつ、やれやれと肩を竦める戒斗。起き抜けの激戦に、さしもの彼も疲れ果てていた。
同時にぐぅ、と腹の虫も鳴る。思えば最後に食事を摂ったのは、瑠梨と映画を見ながら食べたコンビニ弁当だったはず。あれからかなりの時間が経過している。空腹を覚えて当然の頃合いだった。
「飯、どうすっかな……」
なんて呑気なことを呟きながら、戒斗が背にしたカウンターにもたれ掛かった――――その、矢先のことだった。
「――――おやおや、全滅ですか。あれだけの人数で押し掛けたというのに……いやはや、情けないですねぇ」
コツコツと足音を立てながら、誰かがエントランスに入ってきたのだ。
ハッとした戒斗は、咄嗟に声のした方へとピストルを構える。
すると、構えた銃口の向こうに見えたのは――――奇妙な、少年だった。
なんとも形容しがたい、ねっとりとした奇怪な雰囲気の少年だ。
恐らくは戒斗より歳は下だろう。ひょっとすると琴音と同年代か、もう少し下かもしれない。とにかく見てくれは少年のそれだった。
髪は白に近い銀色でセミショート、前髪は目に掛かるぐらいの長さだ。ぎょろっとした瞳は爬虫類を思わせるようで、その目元には幅広のサングラスを掛けている。ひょろっとした体格は……155センチと小柄だった。
そんな小柄な身体に羽織るのは、戒斗と同じような黒いロングコートだ。尤もこの少年の場合、黒い革で仕立てられたロングコートだったが。
加えて手には同じく黒革の手袋を着けていた。同じような格好の戒斗に言えたことじゃないが、しかし彼以上にこの少年の出で立ちは黒ずくめそのものだった。
「……誰だ、てめえ」
戒斗はその少年に銃口を向けたまま、低くした声で静かに凄む。
彼が招かれざる客であることは明らかだった。ここに来たことやその言動もそうだが、何よりも……あの奇怪な雰囲気が、戒斗の背中にピリピリとした感覚を抱かせる。
これは警鐘だ、本能が告げる警鐘に他ならない。目の前のこの少年が自らにとっての敵だと、理性よりも先に本能が強く訴えかけてきているのだ。
そうして銃口を向けていると、少年がくくくっと笑う。
「やだもう、連れないなぁ」
「……この連中を差し向けたのも、どうやらてめえみたいだな」
「ええ、その通りです。ここに貴方が逃げ込んだ可能性があること、そして貴方が満身創痍であることを彼らに伝えたのも、全てこの僕です」
まるで聴衆に向けてスピーチをするように、大袈裟な身振り手振りで言う少年。
すると少年はニヤリと――まるで獲物を前にした蛇のように、口が裂けたんじゃないかってぐらいの不気味な笑みを浮かべて。
「ああ、貴方にはこう言った方が手っ取り早いでしょう。僕はね――――ミディエイターの使者なんですよ」
「ッ――――!?」
驚きと焦りのあまり、思わず指がトリガーを引きかけた。
……ミディエイターの使者、と奴はそう言った。
つまり奴は、この不気味な少年は……暁斗や八雲と同じような、ミディエイターの尖兵なのだ……!
「簡単に言いましょう。僕は貴方を殺しにきてあげました」
「ああ、そうかい!」
一度は躊躇した戒斗も、二言目ではトリガーを引いていた。
彼の声に連動するように、構えたピストルの銃口からパッと火花が散る。
乾いた銃声が轟いて、飛んでいった9ミリの弾丸がそのまま少年を撃ち抜く――――その、はずだった。
「あらあらまあ、随分と短気なんですねぇ」
だが少年は一切動じないまま、スッと手のひらを前に掲げるだけ。
すると、戒斗の放った弾丸はその手のひらに吸い込まれるように命中し……そして、弾かれた。
パッと小さな火花が散って、弾丸が弾かれたのだ。まるで金属に激突したときのように、小さな火花を散らすだけで……少年の手のひらを貫通はしない。ただ革手袋に小さな穴が開いただけだ。
「な……っ!?」
その信じがたい光景に戒斗は驚きながら、同時に頭の中でフラッシュバックしていた。
同じことを、少し前に見たような気がする。
そうだ……あれはマティアス・ベンディクスと初めて戦ったときだ。あのときも撃った弾丸が、奴の手のひらに弾かれたのだ。金属義手だった、奴の右の手のひらに――――。
「……まさか!」
ハッとした瞬間、過去の記憶と今の景色が重なり合う。
ああそうだ、間違いない。弾丸を弾いたってことは……奴の腕もまた、マティアスと同じ金属義手なのだ……!!
「どうやら、お気づきになったみたいですねぇ」
戒斗が腕のカラクリに気付いたと見ると、少年はまたくくくっと笑う。
そうすると少年は「では、お見せしましょう」と言って、両手に着けていた革手袋を外した。
外した手袋の向こうには、しかしあるべき肌色はどこにもなく。見えるのは妖しく銀色に光る、金属の地金だけ。
しかし少年はそれに留まらず、ニヤリとすると羽織っていたロングコートも脱ぎ捨てた。
身体を覆っていたロングコートを脱ぎ捨てて、黒いタンクトップ一丁になった少年。
すると、戒斗の目に飛び込んできたのは想像を絶するものだった。
――――銀色の、両腕。
少年の両腕は、手のひらと同じように地金が剥き出しになっていたのだ。
肩から下が、全て金属でできている。一般的な義手のように人工皮膚を被せずに、地金が剥き出しの腕だったのだ。
「コイツは……!」
「くくくっ、驚いて頂けたようで何よりです。それにインプラントなのは腕だけじゃありませんよぉ?」
「なに……っ!?」
言われて、戒斗はハッとした。
少年がわざとらしく下にズラしたサングラス、その向こうに見えた両目もまた……普通の、生身のものじゃなかったのだ。
瞳の中心、虹彩を象っていたカバーがカシャッと開けば、その向こうに見えるのは小型のレンズのようなもの。小刻みにそのレンズが収縮している辺り、恐らくカメラの類だろう。
間違いない――彼の両目は義眼だ。両腕もそうだが、確実に戦闘用に特化したものに違いない。
「てめえ、まさかサイバーギアなのか……!?」
「うーん残念、ちょっと違うんですよねぇ。でも半分は正解ですから、及第点はあげちゃいます」
「ハッキリ答えやがれっ!」
「ではお教えしましょう。僕は『エクステンダー』という存在です。サイバーギアの技術を応用した戦闘用サイボーグ、いわば実戦用といったところですねぇ」
ニヤリと笑いながら、また大袈裟な身振り手振りで自慢げに語る少年。
――――エクステンダー、また聞き慣れない名前が飛び出してきた。
意味としては『拡張者』といったところか。確かに戦闘用サイボーグには相応しい名前だろう。
だが……そんなもの、前にサイファーが瑠梨から提供されたデータには記されていなかった。
いや、恐らく欠けていた内容のひとつがエクステンダーのことだったのだろう。何にしても脅威であることに代わりはない。そして……こんな状況では、絶対に戦いたくないほどの強敵であることは疑いようもない……!
「僕はね、事故に遭って死ぬはずだったんです。しかしミディエイターが、浅倉さんがそんな僕を助けてくれた。そして力を授けてくれたんです。だから僕はその恩に報いるべく、この力をミディエイターのために使う。そのために僕はここに来ました」
「……浅倉、だと!?」
またも、少年の口から驚くべき名前が飛び出してきた。
ハッと目を見開いて絶句する戒斗に、少年は「そういえば、貴方は浅倉さんと縁深い方でしたねぇ」とニヤリとして。
「ええ、貴方のご想像通りです。瀕死の僕を救ってくれた人、ミディエイターに導いてくれた人は……貴方もよくご存じの、浅倉悟志で間違いありません」
またくくくっと気色の悪い笑みを浮かべながら、大仰な手振りでそう戒斗に告げた。
――――浅倉悟志。
戒斗と雪乃が巻き込まれた飛行機事故を引き起こした張本人、かつて戒斗たちが葬り去った仇敵の名……。
まさか、ここでも奴の名前が出てくるとは。
「浅倉さんの代わりに、今日ここで貴方に借りを返します。貴方に引導を渡すことで、僕はあの人に報いるつもりでここに来ました」
「ッ……てめえは!」
戸惑う戒斗に、少年はニヤリと不気味に笑って……そして、遂に名乗りを上げた。
「では、改めて貴方にご挨拶を。僕は誇り高きミディエイターの第一世代型エクステンダー、名前は麻生隆二。
…………さて『黒の執行者』さん。貴方のお命、この僕が頂戴します」
(第六章『STILL HERE』了)




