第一章:真夏のイリュージョン/01
第一章:真夏のイリュージョン
「――――戒斗のお知り合い、ですか」
夏休みも日に日に近づいてきたある日の昼休み、私立神代学園の二年E組の教室で――長月遥がそう、興味深そうに呟いていた。
ちなみに、そんな彼女の片手にはメロンパンの包みが。いつもなら昼休みには校舎の屋上で集まるのだが、日増しに過酷な暑さになってきたこの季節、流石に屋上では生命に関わるということで、最近では冷房の効いた教室で昼休みを過ごすことが多かった。
「うん、そうらしいよー」
と、間延びした声で遥に返すのは折鶴琴音だ。
「なんか、お兄ちゃんがアメリカに居たころのお友達だって。名前はえっと確か……そうだ、エミリア・マクガイヤーって人だったかな」
「聞いたことのない名前ですね……」
ふむ、と聞き覚えのない名前に唸る遥。
「名前の響きからして、女には間違いなさそうね。相変わらずモテるみたいね、戒斗って?」
そんな彼女に、横から口を挟んでくるのは――金髪の少女、西園寺香華だった。
フフッと楽しげに笑いながら言う香華に「モテる、ですか……」と戸惑いがちに返す遥。
「だって、考えてもごらんなさい? 遥ちゃんに琴音と、私に……それと最近じゃ瑠梨って娘も引っ掛けたらしいじゃない? そこに来て今度はアメリカ時代の女友達ときた。どう考えたって戒斗はモテてるわよ、違う?」
「あー……うん、確かにお兄ちゃんって、昔から男の子よりも女の子にばっか囲まれてるイメージだったかも」
「そ、そうなんですか……?」
「私の記憶だから、多分間違いないと思うよー?」
にははー、と間延びした声で琴音は遥に笑いかける。
「ああ、確か琴音ってフォトグラフィック・メモリー持ちだったわね」
「そうそう、完全記憶能力って奴だよー。だから信用してくれていいのだっ、えっへん!」
今更ながらに思い出した香華に向かって、大げさなジェスチャーで胸を張る琴音。
その横で、遥はまだ何か思案しているようで。
「しかし……一体、どんなお知り合いなのでしょうか」
うーんとひとしきり唸った後、そんなことを呟いていた。
「確かに、気になるところよね。あの戒斗の知り合いで、わざわざアメリカから来るぐらいだから……普通の人間じゃない、ってのは間違いなさそうだけれど」
「まー、そうだよねー。だってお兄ちゃんだもんね」
「ひょっとして、戒斗の元カノだったりして?」
「いやー、いやいやそれはない、ないって香華ちゃん」
「意外とあり得るんじゃない? だって戒斗だもの、ねぇ?」
「あははー、私はお兄ちゃんに限ってそれは無いと思うけどなー」
それに香華と琴音も、興味深そうな反応を示す。
とはいえ、この場で考えたところで答えなんて出るはずもなく。肝心の戒斗はといえば、その知人とやらを空港まで迎えにいくからと、今日は学園を休んでいた。
「確か、もうそろそろ飛行機が着くころだって聞いてるけど……お兄ちゃん、ちゃんとエミリアさんに会えたのかな?」
「ふふっ、それはどうかしらね? あの戒斗のことだから、ひょっとして空港の中で迷ってるかも?」
「あははっ、言えてるかもー!」
「そ、それは流石に……無い、とは言い切れませんね……」
「でしょう? だって戒斗だもの」
「ねー、お兄ちゃんだもんねー」
「本当に、そんなことになっていなければいいのですが……」
この場に居ない彼のことを話のタネに、楽しそうに笑い合う女子三人。
とまあ、こんな風に今日の昼休みもまた、平和に楽しく過ぎていくのだった。
結論から言うと、香華の予想はピタリと的中していた。
「どこだよ……到着ロビーってどこだよ……」
「待ちなよカイト、ここに来るのもう三回目だよ? 絶対こっちじゃないって」
お昼の羽田空港、そのターミナルの中で――香華が思っていた通りに、戒斗は道に迷っていた。
一緒についてきた成宮マリアが呆れ返っているように、この場所を通るのはもう三回目。目指している国際線の到着ロビーに辿り着けないまま、二人であっちこっち歩き回っていたのだった。
「仕方ねえだろ、なんでこう空港ってのはバカ広い上にややっこしい造りなんだ……!?」
「広くてややこしい、ってのは僕も同意するけどね。でも普通に案内の通りに行けば良いだけなんじゃあないかな……?」
ブツブツ呟きながら迷い続ける戒斗と、やれやれと肩を竦めるマリア。
……まあ、実際のところ戒斗の言い分にも一理ある。
こういう空港、特に羽田みたいに大きな国際空港だと、ターミナルは恐ろしく広い上に造りがどうにもややこしい傾向にある。こうして道に迷ってしまうのも、仕方ないといえば仕方ないのだ。
……が、にしたって迷いすぎだ。
「君は昔から空港でだけは妙に方向音痴だったからね……仕方ない、時間もないし僕が連れていくよ」
「いや、きっとこっちに行けば……」
「いいから黙って一緒に来なよ。迷った挙句に滑走路にでも出たら一大事だ」
「俺でもそこまでは迷わねえって!?」
「君のことだ、可能性はゼロじゃない。ええと……そもそもこっちは乗り継ぎロビーみたいだから、ひとつ下の階だね」
まだ諦めようとしない戒斗に有無を言わさず、マリアは彼を引きずって目的地に向かっていく。
――――羽田空港、正式には東京国際空港というらしい。
ここは東京湾に面した場所にある国際空港で、その規模は日本最大級。成田空港と並んでまさに東京の玄関口と呼ぶにふさわしい空港だ。
ちなみに関東圏に住んでいないと混乱しやすいが、東京湾に面していて都心に近いほうが羽田、千葉にあって少し遠い方が成田と覚えると分かりやすい。
――――閑話休題。
そんな羽田のターミナル内を、しびれを切らしたマリアに連れられて戒斗が向かった先は――国際線の到着ロビー。予定ならもう飛行機は到着していて、そろそろ出口から出てくる頃なのだが……。
「到着、予定より遅れてるのか?」
「もう来てるには来てるみたいだよ……っと、噂をすればなんとやらだ」
出口近くで待っていると、誰かを見つけたマリアが視線で示す。
戒斗もそちらの方を見てみると――――ああ、確かに見覚えのある顔が出てきていた。
人混みの中でも一目で分かるほどの、目立つ長身の美女だ。
ミッドナイトブルーの長い髪を揺らし、キャリーケース片手に歩いてくる彼女。目元に掛けたフレームレスの眼鏡と、178センチの長身を包むビジネススーツがどこか知的な色気を纏わせる彼女こそが……間違いなく、戒斗たちの待ち人だった。
「――――待たせたわね、戒斗」
そんな彼女は――エミリア・マクガイヤーは出口から出てくると、少しきょろきょろと周囲を見渡して……見つけた戒斗たちの方に近づきながら、ニコッと笑顔で挨拶をした。
「急に呼びつけられるもんだから、驚いちまったぜ。……何年振りだったっけか、こうして会うのは」
「さあね、細かいことは忘れちゃったわ。でも変わらないのね、貴方もマリアも」
「俺はともかく、マリアは化け物レベルで老けねえからな。変わらないのも当然だろ?」
「カイト、僕を化け物扱いはちょっと酷くない? ……まあでも、久しぶりだねエミリア。最後に会ったのは確か……ロスに居た頃だったね」
「ええ、久しぶりに会えて嬉しいわ」
戒斗との挨拶もそこそこに、ニコリと笑顔でマリアと握手を交わすエミリア。
二人ともが彼女とは旧知の仲、アメリカに居た頃に知り合った間柄だ。もちろん二人の稼業――スイーパーとフィクサーのことは承知している。
「で、FBIの特別捜査官なお前がわざわざ日本に、しかもこんな急に来たんだ。何か事情があるんだろ?」
「そして、その事情に僕らを巻き込もうとしている。……違うかい、エミリア?」
握手が済んだ後、二人して単刀直入に訊けば、エミリアはふふっと思わせぶりに微笑んで。
「当たりよ。でも立ち話というのもなんだから、まずは貴方の車に案内してくれるかしら? 詳しい話は道すがら……ね?」
と、小さく戒斗にウィンクなんかしてみせるのだった。




