第十章:硝煙と吹雪を越えて/04
本当に、奴が再び現れた。
遠くからその姿を目の当たりにしていた戒斗もまた、目の前の信じられない光景に言葉を失っていた。
ただ、さっきまでとは様子が違う。
自由落下するエレベーターに押しつぶされたせいなのか、銀色の身体はあちこちが凹み、歪んでいて傷だらけになっている。左腕は肩から半ば千切れかけていて、細かい配線やチタン製の骨格が剥き出しになっていた。
そして、そんなボロボロの身体に滴るのは……オイルのような青い液体。恐らくは人工血液というものだろう。確か名前はブルーブラッド……サイファーが提供した資料に記されていた覚えがある。
そんなボロボロの身体を引きずるように、あのサイボーグは戒斗たちを追撃してきた。
あんな大ダメージを負っても、だ。その事実がこうして現実の光景として突き付けられた今……戒斗は身震いする思いだった。
間違いない、奴は正真正銘の化け物だ――――。
「急げ、遥ぁっ!!」
そう確信すればこそ、戒斗は声を張り上げて叫んでいた。
「ッ……! 瑠梨さん、早くこっちへ!」
彼の叫び声を聞いて、ハッとした遥は瑠梨の手を引いて走り出す。
その直後、サイバーギアを探知したアマテラスの自動迎撃モードが作動。目の前に現れたサイボーグ目掛けて、二挺のM240機関銃とグレネードマシンガン、武装ターレット上に搭載した全ての重火器を撃ち始めた。
「――――!」
だが、瑠梨の予想した通り……サイバーギアの方が、何枚も上手だった。
奴は背中に背負った高周波ブレードを右手で抜刀すると、アマテラスが撃つ全ての弾丸を空中で斬り払ってみせる。
機関銃の弾丸は弾き飛ばし、飛んでくるグレネード弾も一刀両断。それによって爆発こそするが、しかしこの程度の火力でサイバーギアは傷付かない。奴は周りで巻き起こる爆炎にも構わず、剣で銃弾を弾きながら……じりじりと、アマテラスとの距離を詰めていく。
「ああくそ……! 紅音、使える車はまだ見つからねえのかっ!」
「今探してるっての! ……よし、キーが差しっぱなし! これならイケそうかも!」
使えそうな車に目星をつけた紅音が、それに飛び乗る。
古い軍用ジープだ。恐らくここがミディエイターのエルロンダイクになる前、冷戦時代のバンカーだった頃からあるものだろう。他にハンヴィーみたいなもっと上等な四駆もあったが、すぐ動けそうなのはこれしかないみたいだ。
そのジープに戒斗も飛び乗り、続けて合流してきた遥と瑠梨も乗り込む。
「で、運転は誰がするの!?」
「先着順だ、紅音がやってくれ!」
「って……私なの!?」
「どのみちお前のライフルじゃ効かねえだろうが! いいからさっさと出してくれ!」
「はいはい……分かったよ、もうっ!」
紅音はキーを回し、エンジンを始動させようとする。
……が、動く気配はない。
キュルキュルとセルモーターが無駄に空回りするだけで、肝心のエンジンはうんともすんとも言わなかった。
「ちょっと、早く動いてよ! 動きなさいってこのポンコツ!」
悪態をつきながら紅音が何度もキーを回すが、しかしジープは眠ったまま目を覚まさない。
と、そうしている内にサイバーギアはいつの間にかアマテラスの至近距離までにじり寄っていて――――。
「――――!」
最接近したサイバーギアは満を持して高周波ブレードを振るい、その刃で以て……アマテラスを、一刀両断してしまった。
軽トラックの荷台ほどもある大きな胴体が、バッサリと斜めに斬り捨てられる。
直後、アマテラスは爆発。その爆炎の中にサイバーギアも巻き込まれ、消えていったが……しかしカツン、カツンと足音が聞こえたかと思えば、奴が燃え盛る炎の中から姿を現した。
「っ……マズい、こっちに来るわ!」
それを見た瑠梨が、焦燥に満ちた声で呼びかける。
「早く脱出しないと……まだですか、紅音さん!」
同時に遥もそう問うたが、しかし紅音は「今やってる!」と叫び返し。
「でも、ぜんっぜん動かないのよこのポンコツ……!」
尚もキーを回し続けるが、やはりエンジンは掛からない。
『自爆まで、残り三分――――』
響くアナウンス、タイムリミットはもう目の前。そして背後からはサイバーギアが忍び寄っている。
そんな絶体絶命の状況下で、紅音は必死にキーを回すが……それでもセルモーターは空回りをするだけで、ジープのエンジンは掛からなかった。
「ったく……! 何やってんだ、こういうのはな!」
そんな状況がもどかしくて、戒斗は身を乗り出すと。
「動けよポンコツが! いい加減にしねえかこの野郎ッ!」
あろうことか――――力任せに、ダッシュボードを蹴飛ばした。
すると、どういうことだろうか。戒斗に蹴っ飛ばされた瞬間、今までうんともすんとも言わなかったエンジンが急に目を覚ましたではないか。
バラバラバラ……と古めかしい音を立てて、ねぼすけなエンジンがやっと唸り始める。
「こういう時はな、この手に限るんだよ」
「えぇ……」
溜息交じりに言って着席する戒斗を、ドン引きした顔で見る紅音。
そんな彼女に「いいから早く出せ!」と戒斗が言えば、紅音は「分かってるよ!」と答えてハンドルを握る。
上手いことクラッチを繋ぎながらローギアに叩き込み、アクセルを踏み込んで急発進。するとジープはまるで蹴飛ばされたような勢いで走り始めた。
飛び出したジープは開けっ放しのハッチを潜り、エルロンダイクを飛び出して外界へ。
そこは、一面の銀世界だった。
緩やかな下り坂が続く、ここは山岳地帯のド真ん中。来たときと違う点があるとすれば、天候が比較にならないほど荒れていることか。
風は強く吹いていて、雪が横殴りに叩きつけてくる吹雪の中に、戒斗たちはジープで飛び出していったのだ。
とはいえ、これで逃げ切れる――――。
そう戒斗たちが安堵したのも束の間、サイドミラーに映るのは想像を絶する光景だった。
「ちょっとちょっと……まだ追いかけてくるの、アイツ!?」
紅音の驚いた声を聞いて、後ろを振り向く戒斗たち。
すると、見えたのは――全力疾走で追いかけてくる、サイバーギアの姿だった。
「おいおいおいおい、マジかよ……!?」
「サイバーギアのスペックなら、短時間であれば時速60キロぐらいは出せるわ……! 私としたことが、こんなことを失念するなんて……!!」
「今更言ってもしょうがねえだろ、瑠梨! いいから伏せてろっ!!」
青ざめた顔の瑠梨を伏せさせて、後ろに振り向いた戒斗はSR‐25を構える。
走行中の車から、しかもこんな吹雪の中で当てるのは至難の業だ。しかし……やるしかない!
「出たとこ勝負もいいところだぜ……! こんなんばっかだな、俺たちは……!!」
「いいから早く撃ちなさいよ、戒斗っ!」
「そう焦りなさんな、紅音! いいから見てなって……!」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、狙い定めて――戒斗はトリガーを引き絞った。
SR‐25の銃口から、音もなく弾丸が撃ち放たれる。
それは激しい吹雪の中で、真っ直ぐ正確に狙い通りに飛翔して……そのまま、サイバーギアの眉間目掛けて突っ込んでいく。
(よし、取った――――!)
確実な、手ごたえを感じた。
だが……しかし、サイバーギアは高周波ブレードを振るって防御。飛んできた戒斗の弾丸を、やはりその刃で斬り払ってしまった。
「チッ、なんなんだよあの化け物……!」
確実に仕留めたと思ったが、奴の反応速度の方が上回っていた。
それでも戒斗は諦めずにSR‐25を連射し、奴に絶え間なく弾丸を浴びせる。
しかしサイバーギアはその全てを高周波ブレードで走りながら防御。その間にも、奴とジープとの距離がだんだんと狭まってくる。
「ああくそ、マジでどうなってやがる……!?」
戒斗は底を突いた二〇連のマガジンを捨てて、新しいマガジンをSR‐25に装填。再びスナイパーライフルを構えると、また奴に向かって撃ちまくる。
当然ながら、そのほとんどは同じように高周波ブレードで弾かれたが……しかしまぐれですり抜けた一発が、偶然にもサイバーギアの左肩に着弾した。
「よし、当たった!」
奴の左肩で小さな火花が弾けたのを見て、思わず戒斗が叫ぶ。
見ると、ちょうど露出していたチタンの骨に命中したようで……それが損傷した影響か、奴の左腕はさっきよりも大きく千切れかかっていた。
少なくとも、あれじゃあ使い物にはならないだろう。
さっきまで多少は動いていた左腕が、今は完全にぶらんと垂れ下がっているだけになっている。少なくとも奴の戦闘力が低下したのは間違いない。
だが……それでも、サイバーギアは更に距離を詰めてきていた。
「紅音っ!」
「もうすぐ、もうすぐ回収ポイントに着くはず……!」
事前にマリアと取り決めていたいくつかの回収地点、その東ウィング側の場所はもうすぐだ。
だが、肝心のマリアが居る気配がない。少なくとも今ここからヘリコプターの飛翔音は聞こえてこなかった。
果たして、彼女は本当に間に合ってくれるのか。それ以前に、この無敵とも思えるサイボーグから本当に逃げ切れるのか――――?
そんな疑念と焦燥感を、戒斗たちが抱いてすぐのことだった。
――――ジープの後方から、とてつもない爆発音が響いてきたのは。
見てみると、遠くに大きな爆炎が見える。どうやらエルロンダイクは本当に自爆したようだ。雪の上をジープで突っ走っている最中でも、多少の地響きを感じるほどに大きな爆発が、遠くの方で巻き起こっていた。
少なくとも、これであの秘密研究施設はおしまいだ。どうして自爆させたのかは知らないが、これで多少なりともミディエイターに打撃を与えられたはず……。
だが、今はそれよりもすぐ背後に迫るサイバーギアの方だ。
「ッ――おいマリア、まだかよ!?」
だから戒斗は遠くの爆発には一瞬だけ視線を向けるに留めて、とにかくサイバーギアを撃ちまくりながらインカムに向かって怒鳴りつける。
すると、数秒後に返ってくるのはノイズ交じりの返答。
『――――もう間もなく到着するけど、状況はどうなってるんだい!? 爆発はこっちからも見えた……まさか巻き込まれてないよね!?』
「だったらあんたは幽霊と話してることになるな! 全員どうにか無事だが、サイボーグ野郎にしつこく追いかけ回されてる!」
『了解だ、とにかく急いでくれ! 今の爆発で雪崩が起きそうだ……長居はしていられない!』
「だろうな……! 紅音、まだ着かねえのか!?」
「安心して、もう着いたも同然だから!」
走るジープの前に迫るのは、断崖絶壁。ちょうどあの切り立った崖の手前辺りが、マリアが指定した回収ポイントだ。
あの崖から落ちれば、どう考えても無事では済むまい。だが後ろからサイバーギアが迫っている今、紅音はアクセルを緩めるわけにはいかなかった。
だんだんと、一秒ごとに崖が近づいてくる。でもマリアがやってくる気配はない。ヘリコプターの飛翔音は聞こえず、その機影も……どこにも、見当たらない。
間に合わなかったのか、ここで終わりなのか――――。
そう、このジープに乗る誰もが一瞬考えた……その瞬間だった。
――――目の前の断崖絶壁、その下から突如として黒いヘリコプターの機影が飛び出してきたのは。
『待たせたね、騎兵隊の到着だ!』
崖の下から急に飛び出してきたそれは、マリアの操縦する軍用ヘリ。MH‐60DAPブラックホーク。追加武装を搭載した火力支援型のヘリコプターだ。
飛び出してきたマリアのブラックホークは、戒斗たちの乗るジープと……それを追撃するサイバーギアを見つければ、すぐに奴に対しての攻撃を開始した。
『喰らえぇぇぇっ!!』
機体の左右に張り出したESSS――追加武装用のスタブウィングに吊るした武装からの一斉射撃が放たれる。
30ミリ口径のチェーンガンに、強力なハイドラロケットを満載したロケット弾ポッド。それらが同時に火を噴けば、30ミリの機関砲弾とロケット弾、その全てがサイバーギア目掛けて殺到する。
例えサイバーギアがいくら頑丈であろうと、これほどの火力には耐えられまい――――!
機関砲弾が直撃し、至近距離でロケット弾が炸裂する。
そうすれば、サイバーギアの身体はズタズタに破壊されて……深い雪の中に巻き起こった激しい爆炎の中に、その姿を消していく。
「紅音、早くブレーキを踏めっ!」
「言われなくても! ――――停まれぇぇぇぇっ!!」
そうしてマリアが一斉射撃でサイバーギアを吹き飛ばす中、戒斗たちを乗せたジープは横滑りしながら急停止。崖下まであと数メートルというギリギリのところで、どうにか停まることが出来ていた。
『皆、早く乗ってくれ! 雪崩がもうすぐそこまで迫ってる!』
と、そんなジープの傍にマリアのブラックホークが着陸。戒斗たちは頷き合うと、すぐさまジープから飛び降りてヘリに乗り込んでいく。
そうして乗り込んでいる間にも、遠くからドドドド……とものすごい地響きが聞こえてきた。
雪崩だ。エルロンダイクが自爆した衝撃で、山に積もっていた雪が崩れ始めたのだ。
アレに巻き込まれたら、間違いなく生命はない。戒斗たちは急いでブラックホークに飛び乗る。
「大丈夫だマリア、全員乗った!」
「よし、博士も一緒だね!?」
「見ての通りだ!」
「オーライ、飛ぶよ! しっかり掴まっててくれ――――!」
全員乗ったのを見て、すぐにマリアは左手でコレクティブ・スティックをグッと引いた。
するとブラックホークは急上昇。迫りくる雪崩から一刻も早く逃れようと、かなりのスピードで飛び上がっていく。
「……! 戒斗、あれを見てください……!」
と、そうした時に何かを見つけた遥がそう、眼下を指し示しながら呼びかけてくる。
そんな彼女の指差す先に、戒斗たちが視線を向けてみると……。
「マジかよ、まだ動けるのか……?」
すると、そこにあったのは……雪の上で未だもがき続ける、サイバーギアの姿だった。
マリアの一斉射撃を受けて、もうほとんど原型を留めていないほどにボロボロになった奴が、しかし尚も戦おうと真っ白い雪の上でもがいている。
その光景が、なんだか恐ろしくて……戒斗は思わず、そう呟いていた。
「ちょっとちょっと、チェーンガンとロケット弾を喰らっても、まだ生きてるの……!?」
同じように見下ろしていた紅音も、絶句の表情でそう呟く。
が、瑠梨は「……いいえ」と首を横に振った。
「偶然か、それとも優先的に守ったのか……頭部がまだ無事だから、ああして動いているに過ぎないわ。ここまでのダメージを負った以上、やがて生命維持装置も止まる。放っておけば……死ぬわよ、すぐにね」
眼下の雪景色を、そこでうごめくサイバーギアの……どこか哀れな姿を見つめながら、呟いた瑠梨。
その横顔は、ずっと同じ冷静そうな表情だったが……でもどこか悲しげで。だから戒斗はただ一言「……そうか」とだけ呟き頷くと、それ以上は何も言おうとしなかった。
やがて、大きな雪崩が崖の辺りまで到達する。
それはまるで、巨大な雪の壁が迫ってくるようで。そんな真っ白い雪の濁流にさっき乗っていたジープが、そしてもがき苦しむサイバーギアが呑み込まれると……それきり、もう二度と姿を見せることはなかった。
「とにかく、終わったな……」
バタバタバタ、とやかましい飛翔音を轟かせるヘリの中、よっこいしょと座席に腰掛けた戒斗が疲れた顔でひとりごちる。
そんな彼のすぐ隣に、遥がちょこんと腰掛けた。
彼女の横顔も、やっぱりどこか疲れた様子だ。無理もない、今日は過酷すぎる戦いの連続だった。特に彼女はここぞという場面でよく戦ってくれた……疲れていて、当然のはずだ。
「お疲れだったな、お互いに」
だから戒斗は、そんな彼女に労う意味を込めてそう語り掛ける。
すると遥は「……ええ」と、いつも通りの無表情でコクリと頷き。
「色々と、大変な一日でしたね」
やっぱり抑揚の少ない、どこか感情希薄っぽい声でそう呟くと……そっと、戒斗の手を握り締めた。
「ああ、本当にな……」
ぎゅっと握ってくる彼女の小さな手のひらの感触を感じながら、戒斗はシートの背もたれに深く身体を預けて……そっと、瞼を閉じる。
今はもう、何も考えたくなかった。とんでもなく過酷な戦いばかりで、疲労はもう限界だ。今はただゆっくりと休みたい。陸地に帰り着くまでの間だけでも……頭を、身体を休めていたかった。
だから、戒斗は瞼を閉じた。けたたましいヘリの飛翔音と、握ってくる遥の手のひらだけを感じながら……今はただ、瞼を閉じていた。疲れのあまり、ガクッと思わず遥の肩に寄りかかってしまったのにも気付かぬまま……戒斗の意識は、浅い眠りの中へと落ちていく。
そんな風に寄りかかってくる彼の手を、遥は少しだけ強く握り直して。
「…………本当に、お疲れさまでした。今日は頑張りましたね……お互いに」
遥はそっと、寄りかかってくる彼に囁きかけていた。
――――マリアの操縦するブラックホークは、やがて分厚い雲を越えて吹雪の向こう側へ。低い高度に敷き詰められた雪雲の上にさえ出てしまえば、後に広がるのは晴れ模様の空だけだ。
眼下には分厚い吹雪の雲、頭上には真っ青に晴れ渡った極北の空。
そんな二色に彩られた空を、漆黒のブラックホークが飛んでいく。帰り着くまでは、着陸する時までは……まだ、もう少しだけ時間がありそうだった。
(第十章『硝煙と吹雪を越えて』了)




