中学時代④ 壊れかけの小次郎
☆★☆ 6月12日(月)夜 ☆★☆
この日、守山小次郎は定時には家に帰してもらえなかった。
守山家の家族が谷山家に呼ばれ、夕食を共にした後で緊急会議が行われたからだ。
議題は『守山小次郎の危うさについて』
「ボクの目から見て、小次郎くんはどうやら相当弱っているように見えるんだ」
話の切り出しは舞奈ちゃんのお父さんだった。
さっきのクラスメイトとのやり取りは、お客さんに迷惑を掛けないように店の裏側へ移動して行ったのだが、逆に厨房には近くなった為、両親と詩歌ちゃんにとってあのやり取りは筒抜けだったらしい。
舞奈ちゃん両親が僕の両親に、さっきの会話の内容を要約して伝えた。
「小次郎くんがうちの舞奈を小学校の頃からずっと守ってくれていたのは分かっていた。でも、小次郎くん。キミの心がもう限界を迎えているようにボクには思えるんだがどうかな? 自覚はあるかい?」
心配そうに僕を見つめる舞奈ちゃんのお父さん。でも、僕の心が限界を迎えているって言うのは理解できない。
「僕なら何を言われたって平気ですよ? まだまだ全然限界なんかじゃないと思います。大丈夫ですよ」
強がりでもなく当たり前のように、本気でそう思っている。間違いはない。
「キミが言われた事なら確かに何を言われても平気なんだろうと思うよ、ボクも」
「はい」
「でも、舞奈の事が絡むと、キミは怒りの吐き出し方が異常になってきていると思うんだ」
「そうですね…… それは認めます」
「小次郎くんはずっと舞奈の為の盾の役割を務めてきてくれたよね? それは意識しての事かな? それとも無意識的の事だった?」
「僕は、意識して舞奈ちゃんの盾になろうと思ってました」
「そうか、いつもありがとう…… 舞奈の父親として、嬉しく思うよ」
「いえ、好きでやってる事ですから…… でも、良いんですかね? 僕がやってることは『付きまとい』とか『ストーカー』みたいな迷惑な事じゃないですか? 最近、ちょっと自信が無くなっているんです」
「どうしてだい? ボクも舞奈も小次郎くんにはとても感謝しているよ。全然付きまといなんかじゃ無いしストーカーでも無いよ」
「でも、僕はさっき『善意』こそが『毒』であり『害』になるって思いました。だったら僕がやっている善意も『毒』であり『害』である可能性があるんじゃないかと思ってきたんです」
「そうか…… それで自信が無くなった。か……」
「小次郎くん? 小次郎くんがしている事は全然『毒』でも『害』でもないよ! 私は嬉しいし、感謝もしてる! だから、お願いだからそんな風に思わないで」
舞奈ちゃんに直接ハッキリとそう言ってもらえると本当に自信がつく。心が軽くなるような気がする。
「うん、その顔だ。今の小次郎くんの表情はとてもいい。でも、さっき『自信がない』と言っていた時の表情はとても暗くて…… そうだな…… 言い方は悪いが、今にも自殺しそうな人間の表情に見えていたよ」
「え? そんなに?」
「うん。小次郎くんは多分、悪い感情は表に出やすいんじゃないかと思う。冷静でいられる状態だとそうでもないんだけれど、我を忘れた時って言うか、さっきのクラスメイトとのやり取りで感情を爆発させた時は何かに取り憑かれたかのような恐ろしい表情をしていたんだ」
「うん。確かにさっきの小次郎くんは少し怖かったよ?」
「詩歌だって、そう思ったからこそあの時飛び出して行ったんだろう?」
「う…… うん」
「上手く言えないから抽象的な表現になると思うが、小次郎くんの中には二つの人格が存在している。と、ボクは思うんだ。優しい盾としての人格と、恐ろしい剣としての人格が」
「そうですね…… 確かにそんな感じはします」
「そして盾の部分の人格が今はボロボロに弱まっていて脆く、剣の部分の人格は鋭利過ぎて自分をも傷つけてしまう。そんな危うさをさっきボクは感じた。だから、小次郎くんのご両親にも今日は来てもらったんだ」
「うちの小次郎の事をよく見て頂いて、ありがとうございます……」
「いえいえ、感謝するのはうちらの方です。むしろボクたちの方には、謝罪する必要があるかもしれません」
「え? どう言う事でしょうか?」
「ここからは舞奈の話になります」
「え? 私?」
「そうだ。舞奈、お前は小次郎くんの事を好きだとちゃんと、直接伝えたか?」
「え!? そ、それは……」
「伝えていないだろう? でもな、小次郎くんは、心も体も全て、それこそ全身全霊で舞奈の事を好きだと表現してくれている。これでも女の子を二人も持つ男親だ。なんとなくだがそのくらいはわかる」
「ちょっと待ってください! 僕だって舞奈ちゃんにはそんな事、一言だって言っていません!」
「それはいいんだ小次郎くん。キミの今までの行動が全てだ。ここまでしてもらっていてもわからないような娘だったなら、ボクたちはこんな近所に引っ越して来たりしないよ。今まで通りあの商店街で店を建て直して舞奈の入院中の時のように小次郎くんとは距離を置いて、避けて過ごすさ」
「それ…… 聞いてもいいですか? 入院中のあの時、何故僕を避けていたんですか? あの事が心の隅に、まだずっと引っ掛かっているんです……」
「舞奈からは、まだ聞いていないのかい?」
「はい……」
「あ、あの…… 小次郎くん……」
「舞奈ちゃん…… それ、言いにくい事?」
「……うん」
「だったら今すぐじゃなくて良いよ?」
「……ううん。今言う……」
☆★☆ ☆★☆
舞奈ちゃんが入院していた頃の話は、絶望と希望の話だった。
「あのね、入院してた時、私は火傷の治療中に、ガラスに映った自分の顔を見てしまったの。とても醜くて、化け物のようになってしまっていた……」
私の人生は終わった。もう生きていたくない。そう言いたかったけど、口を動かせないから、話すことが出来なかった。
左手も動かない。左足だってダメになっていて立てなかったし、火事の日から一週間以上はずっと寝たきりの状態で、ただ生かさているだけの地獄のような入院生活だった。
口を動かせないからご飯も食べられない。だから毎日毎日点滴ばかり。人生に絶望していた私は、もう死にたいと思って点滴の針を抜いた。一度や二度じゃなくて何度も何度も。だって右手だけはなんとか動かせたから。
あの頃の私は、私を助けてくれなかったお父さんもお母さんも大っ嫌いだった。
自分一人だけで逃げた詩歌の事も大っ嫌いだった。
それに、冬休みだからと油断して夜更かしした自分も大っ嫌いで。
毎日毎日私に痛い思いをさせるお医者さんも、点滴を抜くたびに怒る看護師さんもみんな大っ嫌いだった。
でも、そんな時、あの布をもらった。
初めて見たときは『夢』の中で見せてもらったんだと思い込んでいたんだけど、現物を手に取ってしっかりと見たの。
その布には、小次郎くんの名前と電話番号と住所の他には何も書かれていなかったけれど、かえってそれが良かったんだと思う。
だって、家族も、お医者さんも、リハビリのスタッフさん達も『頑張れ』『負けるな』って、そんな事しか言ってくれなかったから……
『頑張れ』も『負けるな』も、その頃の私には呪いだった。
私にとって頑張るって事は死ぬための努力だけだったし、負けないって事は、家族と病院が敵なんだから『治療をあきらめさせてやる』って事だったの。
でも小次郎くんは私に希望をくれた。
想像の余地があったとでも言うのかな?
『頑張れ』とも『負けるな』とも書かれていない。
もしかしたら続きには『好きだよ』って書くつもりだったのかもしれない。『愛してる』って書くつもりだったのかもしれない。
そんな妄想を続けているうちに……小次郎くんの妄想だけが私の生きる希望になって、だから頑張れてた…… でもいつからか逆に怖くもなったの。
もし、小次郎くんに私の顔を見られて醜いって言われたら……
もし、小次郎くんが私の事を別に好きじゃなかったら……
もし、小次郎くんには他に好きな人がいたら……
『その時は今度こそ確実に死のう』って、ついうっかり声に出してしまったの。
「だからお母さんは、私が別の生きる理由を見つけるまで、小次郎くんと私を合わせないようにしたの」
でも、私は、小次郎くんに会いたかった。
一目だけでも会ってから死にたかった。
だから先生とお見舞いに来てくれた日、お母さんが帰った事を確かめた後、看護師さんにわがままを言って小次郎くんを連れてきてもらったの。
死ぬ前の私の最後のお願い……
でも、あの日小次郎くんは『生きててくれて良かった』って……
『死なないでいてくれてありがとう』って言ってくれた。
泣くほどうれしかった。
死にたくないって本気で思った。
だからあの日から、わたしは死ぬ事を考えるのを止めたの。
好きになってくれなくてもいい。醜いと思われていてもいい。
たとえ報われなくても、私はずっと小次郎くんの事を好きでいられる。
小次郎くんの幸せを遠くから見守るだけでも私は生きていけるんだって
そう思ってた……
え~と…… あのね? 小次郎くん。あの時も言ったけど、私はもともと美人でも可愛くも無いのに、こんな顔に火傷までしちゃって、今でも鏡を見るのが怖いし、全然自分に自信が無いんだけど……
でも、私、もう我慢できないみたい。
ここにはお父さんもお母さんも、詩歌もいるし小次郎くんのご両親もいる……
だけど、だけどね、それでも今、ここで言います。
「私、谷山舞奈は、守山小次郎くんの事が大好きです。誰よりも、世界でただ一人あなただけが好きです」
僕は、この言葉を聞いて、今までの自分のすべての努力が報われたような気がした。
嬉しくて心が軽くなり、バラバラに壊れていた心が一つ一つ繋がっていく感じがした。
舞奈ちゃんを見ると、目からは涙が溢れ出していた。
それを一瞬だけ僕の目は捉えたんだけど、なぜかすぐに僕の目も滲んでしまい、何も見えなくなってしまった。
だからだろうか? 周りの目や気配が、僕は気にならなかったようだ。
僕はよろよろと舞奈ちゃんに近付き、手探りでなんとか捕まえることができた。
あの時よりは少しくらい強く抱きしめてもいいはず。
今はそんな事くらいしか頭が働かず、思い浮かばなかった。
だから
「……僕も、僕も谷山舞奈ちゃんの事が好きです。世界中の誰よりも……大好きです」
自然と、心のままに、僕は舞奈ちゃんの事が好きだと、ちゃんと言葉にすることが出来たのだった。