過去編「小学生時代」⑤ 通信教育
6年生の二学期は、若干孤立気味の僕らをよそに、案外平和に過ぎた。
冬休みはクリスマスとお正月を『守山・谷山』両家合同で楽しく過ごすことが出来た。
そして迎えた最終学年の三学期。
その事件は起こった。
☆★☆ 2月14日 ☆★☆
「今日はバレンタインデーだけどアンタには関係ないよね~」
舞奈ちゃんに対するそういった悪口は、すでにもう日常だから特に気にも留めなかったが、僕がイライラする原因であるのは確かだ。
「ひょっとして守山くんにだけはあげたんじゃないの~?」
こんな揶揄いだってムカつくけれど慣れたものだ。
それよりもお前ら、他にすることが無いのか? 暇なのか? うちのクラスの女子どもは。
☆★☆ ☆★☆
事件は昼休みの給食前、僕がトイレに行っている隙に起こった。
いつも盾になっている僕が離れた隙に、5人の男子が
「そのマスクの中の顔を見たい~」
「もうすぐ卒業なんだし記念に見せろよ」
『守山が戻ってくる前に』と、急いで舞奈ちゃんを取り囲み、無理やりマスクを剥ぎ取ったのだ。
「うわ、マジでお化け~」
ちょうどそこに僕が戻ってきて舞奈ちゃんの方へ駆け寄ると、舞奈ちゃんの左の火傷痕がぱっくりと裂けて、かなりの量の血が流れ始めたのを見た。
頭が真っ白になった。
いくら傷を持った女子とは言え、おとなしい女子とは言え、虐められやすい女子だとは言え、これは! やり過ぎじゃないのかよ!?
怒りが僕の血を沸騰させた。
気がついたら5人の男子は全員鼻血を吹き出し、教室の床に倒れていた。
僕の両手もどこかで切ったものか出血しており、右手の薬指がプラプラして動かせなくなっていた。
「そういえば舞奈ちゃん! 血が出てる。すぐ保健室に行くよ!」
強引にマスクを取り戻した僕は、左手で舞奈ちゃんの右手を掴み、早足で保健室へと向かった。
舞奈ちゃんは恐怖で震えていて、僕は興奮状態から冷めきれなくて、お互い無言で保健室に向かった。
保健室で先生に状況を伝える前に
「火傷の痕を傷つけると、感染症や化膿のリスクが高いんです! 早く消毒してください!」
僕は真っ先に要求を伝えた。
「それよりもまず何があったか説明しなさい」
うるせえ!このババア! 僕はこの言葉を言わずに飲み込む。多少の我慢が必要だった。
「消毒してくれたら全部話します。だから早く!」
先生が消毒を始めてくれたから、僕は正直に見たままの事と、僕が行った暴力行為について、包み隠さずに全てを話した。
「それで守山くんも怪我をしたのね…… あ~あ、この薬指、完全に折れちゃってるよ」
「僕は平気です。それよりも舞奈ちゃんです。大丈夫でしょうか?」
「う~ん。一応皮膚科の先生にみてもらったほうがいいわねえ。ワタシは皮膚の専門家じゃないからね」
「わかりました。行ってきます」
「おい、どこに行くんだい?」
「僕の通学路に『浅間皮膚科』があります。そこに」
「了~解。わかったよ、行ってきな。連絡は入れといてやるから」
「ありがとうございます!」
昼休み。給食をまだ食べていない事も忘れて、僕らは保健室を出て『浅間皮膚科』を目指す。
移動を始めて数分後、舞奈ちゃんも少しは落ち着いたのだろうか、ようやく会話ができるようになった。
「さっきは怖かった……」
「ごめん。あいつらも怖かっただろうけど、僕の事も怖かったよね……」
「ううん。小次郎くんは怖くなかったよ? だって私を守ってくれる人だから」
お、おお……嬉しい事を言ってくれる。
「でも、僕は暴力を振るってしまった……」
「ごめんなさい…… 私のせいで……」
「いや、舞奈ちゃんのせいじゃないよ。今日はなんだかいつもより心が荒れていたんだ」
「毎日毎日、嫌な事ばっかり言われ続けてるからだよ…… 私も最近ずっと、怖くて落ち着かなくて……」
「虐めって、暴力だけじゃないんだね。言葉の暴力っていうの? あれ、結構心にくるね」
「私は暴力も怖いけど……」
浅間皮膚科に到着した。
受付で名前を告げるとすぐに
「学校から連絡が来ています。すぐにこっちへ」
そう言って看護師さんが舞奈ちゃんを診察室へと連れて行った。
僕は公衆電話を探し、家に連絡する。今日は母さんの仕事は休みだから家にいるはずだ。
電話に出た母に、保健室の先生に伝えた事と同じことを話し、舞奈ちゃんの家族にも連絡を頼んだ。
僕は舞奈ちゃんの電話番号を暗記していなかったからだ。
待つこと約30分。診察室から舞奈ちゃんが出てきた。
「小次郎くん、大丈夫だったよ。傷は案外浅くて、処置も早かったから心配ないって」
「はぁ~ ……良かったよ~」
「じゃあ次は整形外科に行くよ。すぐそこだから」
「え? どうして?」
「もう! 小次郎くんも右手、骨折してるんだからね!」
あ、そうか。
整形外科にも学校から連絡が来ていたらしく、すぐに治療が開始された。
治療は、めちゃめちゃ痛かった。
☆★☆ ☆★☆
その日の晩、谷山夫妻と舞奈ちゃんが守山家を訪れ、2家合同会議が開かれた。
最初の議題は僕が行った暴力について。
結論としては暴力はいけないと言う建前を引き出したが、5人の男子クラスメイトが行った行為については許されることではない。舞奈に替わって戦ってくれたことには感謝すると言った感じだ。
次の議題は僕と舞奈ちゃんが怪我をしたことについて。
迷うことなく保健室に行き、その後もなりふり構わず皮膚科に行ったことを褒められた。だが、自分の怪我を甘く見過ぎていたことにはお叱りを受けた。
最後に今後の学校について。
僕はもう、卒業式も含めて行く気はない事を話すと、舞奈ちゃんも同じだと言った。それに両家の母親たちが同意してくれた。
ただ、出来れば卒業式だけでも出て欲しがった両家の男親たちを僕たちでなんとか説得し、学校にはもう行かない事に同意してもらえた。
これで最後の筈だったのだが、実は僕はもう一つお願いしたい事があった。
「実はさっきまで、父さんのパソコンで調べていたんだけど……」
僕は、もう、学校と言う施設には行きたくないと言う事をなんとか、たどたどしくも説明を試みた。
「通信教育で学習活動を行うと、中学校の出席扱いになるインターネット教材っていうのがあるって知ったんだ」
印刷とかはできなかったから、父さんのパソコンを取りに行って、さっき調べていたページを開く。
「これなんだけけど……学校の許可は要るけど、怪我とか病気とか以外でも、人間関係とか対人恐怖症とかそう言った理由でも出席扱いの申請が認められているらしいんだ」
「どれどれ?」
「これだと、舞奈ちゃんはマスクを付けなくても家で安心して勉強できるし、僕も誰にも暴力を振るわずに落ち着いて勉強できるかな、と思って…… どうかな?」
熱心に画面を見ていたのは舞奈ちゃんのお父さんだ。
「小次郎くん。これはキミが自分自身で考えた事なのかい?」
舞奈ちゃんのお父さんが、驚いた表情で僕に聞いた。
「はい。今さっきの話なんですが、学校なんてバカバカしい所に通わなくても、卒業したと同じ扱いになる方法はないかな、と思って探してみました」
「じつはボクも、小次郎くんと似た事を考えていてね。舞奈には大人になるまではなるべく人前に出したくないなと思って、ずっと前から調べてはいたんだ。まさかキミがボクと同じ事を調べていたとはね……」
「ホントですか?」
僕は驚くと同時に嬉しくもなった。
「本当だとも。そのために中古住宅とはいえ、大きめの家を探していて、通信教育の為の勉強部屋という教室を作ろうと言う計画を立てていたんだよ」
「アンタ!? そんなこと初めて聞いたよ!?」
「そりゃそうさ、なんてったってまだその計画は形になってなかったんだ。それに、舞奈が普通に中学校に行くって言ったら、その部屋は僕の読書用の書斎にしようと思っていたんだからね」
「そうだったのね……」
「それで、どうだい? 舞奈。学校に通わなくても中学校を卒業できるって言うのは、ボクは素敵な事だと思うんだが……」
「いいの? 学校に行かなくても勉強できて、卒業まで出来るなんて…… 逃げてるって言うか、ズルいって言うか……」
「ズルくない! それに、逃げたっていいじゃないか! 立ち向かって死ぬよりは、逃げて生き延びるほうがよっぽど賢いし、意味があると思う」
僕はちょっと訳わかんない事を口走ってしまったかもしれないけれど、これは僕の本心だ。
「僕は、『みんなと同じ』なんて言う常識に従って、無駄に人生を棒に振るするつもりはない。逃げて逃げて、それでも生き延びて、最終的には自分らしい生き方を貫きたい」
舞奈ちゃんが、目を見開いて僕を見た。
「舞奈ちゃん。僕と一緒に逃げてくれない? 僕一人だと、ちょっとだけ淋しいんだ」
「ちょっとだけ?」
「あ、いや…… かなり淋しい…… かも?」
僕は照れながら言い直しした。
「あんたたちねえ~ 親の前で良く恥ずかしげもなくそんなセリフ言えるわね~。 ま、それが小学生ってものか」
母さん? あ、これって、そんなに恥ずかしい事なの? 僕まだ子供だから良く分かりませーん。
「じゃあ、中学校にはこれの資料を持って行って、相談と言う形で宣戦布告すればいいのね」
あれ? うちの母さんがなんか好戦的な表情をしているんですが?
「舞奈ちゃんのお父さん! さっき、話に出ていた通信教育の為の勉強部屋、うちの子も使ってもいいわよね?」
「あ、はい! いいです! 喜んで!」
「よし、小次郎。アンタの中学校は谷山家の通信教室だよ! ワタシは絶対にこの話は通して見せる! 期待しておきな!」
……なんか、母さんの人格が変わった? いや、もしかしてこれが本来の姿なの?
結局、両家の両親全員がこの提案に賛同し、僕たちは中学校には通わずに卒業する計画を実行に移すのであった。