中学時代⑤ 『最強の盾』
「小次郎くん。私からもあなたに言っておかなければならないことがあるわ」
僕たちが抱きしめ合っていると、舞奈ちゃんのお母さんが、申し訳なさそうに僕に声を掛けた。
「6年生の時、何度席替えがあったかはわからないけれど、いつもあなたと舞奈が隣になっていた事、おかしいと思ったこと無い?」
「あ、はい。運が良かったとは思ってましたけれど…… まさか?」
「そう。入院中はあなたを拒絶するような態度をとっていたくせに、あなたの事を信用できると判断した私は、6年生になる直前に担任の先生に連絡を取って、舞奈が虐められたり揶揄われたりする可能性を話して舞奈の隣が必ず小次郎くんになるようにお願いしたの」
「お母さん、ホント?」
「ええ、本当よ。小次郎君が舞奈を守ってくれることを期待してね」
「そうだったんですね…… 良かったです」
「え?」
「僕は、6年時の1年間、ずっと舞奈ちゃんの隣の席で、舞奈ちゃんの事を守ることが出来ました。最終的には怪我をさせてしまったし、僕は暴力事件も起こしましたから完全じゃ無かったけど、ずっと隣の席でなかったならあそこまで守る事は出来ませんでした。だから、僕をそこまで信じてくれてありがとうございました」
「小次郎くん……」
「全く…… 小次郎くんって本当にお人好しなのね」
「え? だって、ずっと隣の席だったんですよ? 本当に嬉しかったですよ?」
「もう…… こっちは謝罪しようと思っていたのに」
「お母さん、私からもありがとう…… えへへ」
☆★☆ ☆★☆
「舞奈、さっきはあそこまで言わせてしまって済まなかったな…… ただボクは、父親としてではなく一人の男として、小次郎くんの気持ちを察してしまったんだ。そしてどうしても小次郎くんには報われて欲しかったんだ」
「ううん。お父さんありがとう。私、臆病だった。今でもまだまだ臆病なんだけど、今、ここでちゃんと勇気を出して話すことが出来たおかげで、小次郎くんに私の気持ちをちゃんと伝えることが出来た。」
娘に感謝されて照れるお父さんは、どうやら話題を変えるようだ。
「さ、さて、守山さん…… まだまだ小次郎くんには話したいことはたくさんあるんだけれど、あんまり話し過ぎてもうるさがられるだけだろうから、今日はここまでにしておきますよ。舞奈の事、どうかよろしくお願いします」
「いえ…… 小次郎の事をここまで考えて、こんなに良くしていただけている事に感謝します。今日は呼んでくれて本当にありがとうございました。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」
この日は、単に僕と舞奈ちゃんが想いを交わし合っただけではなく、二つの家族の繋がりがまた一つ強固なものになった。
大人たちはこのまま、お酒を持ち出してちょっとした宴会をするそうだ。
僕たちはもともと不登校だから気にはならなかったが、明日も学校に通う詩歌ちゃんの為にもあまり騒がないでもらいたいな…… と少しだけ心配した。
でも、どうやらしんみりとした雰囲気で静かに話しをするようだ。
☆★☆ ☆★☆
居間から追い出された、僕と舞奈ちゃんと詩歌ちゃんの子供たち3人は、舞奈ちゃんの部屋で、少し話をすることになった。
舞奈ちゃんの部屋に入るのは実は初めての事だ。いい匂いがする……
「お兄ちゃん…… さっきは『お兄ちゃん』って呼んじゃってごめんなさい」
ん? なんか詩歌ちゃんが可笑しくて可愛い。
いきなり僕に頭を下げてきたけれど、お兄ちゃん呼びは嬉しい。だから僕は
「いや、僕は詩歌ちゃんとも家族になれたみたいで嬉しかったよ? ありがとう」とお礼を言った。
「お姉ちゃんもあの時、わたし一人で逃げちゃってゴメンなさい。ずっと謝りたかった……」
「いいのいいの。あの頃は詩歌にも随分八つ当たりしたし、お姉ちゃんの方こそゴメンね?」
「お姉ちゃん…… 幸せになってね? お兄ちゃん、お姉ちゃんを幸せにしてね?」
「詩歌だって幸せにならなきゃいけないよ? だからあんまり気にしないで」
二人は入院中からぎくしゃくしていたと言う、姉妹の関係を馬鹿丁寧に謝罪し合う事で修復した。
それから詩歌ちゃんの中では僕たちはとっくに夫婦になっている、などとと言う楽しい想像のお話を聞かされて笑った。
そして、小学校で僕がどのようにして舞奈ちゃんを守って来たかなどの話をせびられて話し、約一年半、あまり会話が出来なかったと言う姉妹は、空白の時間をどんどんと取り戻していった。
この日から、僕たち3人も、本当の兄姉妹のように仲良くなれたような気がした。
☆★☆ 6月13日(火) ☆★☆
昨日、2家族間合同会議を行い、僕と舞奈ちゃんがお互いに想いを伝え合えたことはその後の僕たちを大いに救った。
今日も、午後5時過ぎ頃に昨日と同じクラスメイト4名が僕たちと話をしたいと尋ねて来た。
昨日と違い、僕はとても落ち着いて対応できたと思う。
斎藤は今日も会話の主導権を取る。
「みんなに勉強のコツを教えてみないか? そうすればキミたちが如何に価値あるクラスメイトであるかを示すことが出来る」
「近々、遠足や校外学習が予定されている。ぼくたちと一緒に行ってみないか?」
「合唱コンクールの課題曲が発表された。みんなと一緒に協力して成果を出して見ないか?」
「運動は得意か? たまには外で運動しないと体が鈍ってしまうぞ?」
などとやはり斎藤は独善的ではあるが、悪意無く爽やかな笑顔で善意を押し付けてくる。
僕は終始冷静でいられた。
斎藤の話を受け流し、あるいは受け止め、どんな独善的な善意にも取り乱すことは無かった。
やがて会話が途切れ、沈黙が訪れた。
「なあ、斎藤君。キミは頑張ったよ。でももういいんじゃねえか? 守山くんと谷山さんにとって、オレたちは迷惑な存在だと思うぜ? やりたくないことを急にやれって言われたってさ、オレだって嫌だしお前だって嫌だろ?」
昨日も理解を示してくれたもう一人の男子の渡辺くんが、斎藤に問いかけた。
「わたしもそう思うよ? 学年1位と2位に勉強のコツを教わるっていうのは確かに魅力的だけれど、でも、守山くんたちには何もメリットが無いじゃない」
同じくもう一人の女子の草野さんも僕らの事を気遣う発言をしてくれた。
「オレはもうこの役目から降りるぜ。クラスでも盛り上がってるのはもうお前と先生だけだ。今日のHRの雰囲気で分かっただろ? 昨日守山くんが言ってた通り『面倒くさいからそう言う事にしておこう』って雰囲気が露骨だったじゃねぇか?」
「でも、僕は…… 守山くんと谷山さんの二人と友達になりたいんだ……」
斎藤が? 僕たちと?
「だったら、友達になればいいじゃねえか。別に学校に来なくたって友達にくらいなれると思うぞ?」
ここで、昨日僕たちを『普通じゃない』と言い切った女子が口を出した。
「斎藤君は、こんな奴らと友達になりたいって? どうかしてるよ! こんな奴ら、不登校なんて人生のレールからはみ出してる、ただのイレギュラーじゃない。さっさと更生して学校に通って、大人しく真面目な生活を送っていればいいのよ!」
こんな攻撃的な言葉を受けても、今の僕の盾には罅一つ入れることはできなかった。
昨日、舞奈ちゃんが僕の事を好きだと言ってくれた。僕に守られて嬉しいと言ってくれた。
その言葉が、その気持ちが、僕の盾を大いに強化してくれていた。
「確かに…… 僕たちはまあ、人生と言うよりは中学生というレールからは、大いにはみ出しているという自覚はあるよ。でも、近い将来僕たちは必ず自分に合ったレールを見つけて見せるし、無ければ自分たちでレールを作る方法も考えることが出来る。だからさ、僕たちなんかに関わらないで、キミ達はキミ達のレールを好きに走って行ったらどう?」
僕の隣には舞奈ちゃんがいる。
僕たちの後ろには舞奈ちゃんの両親と詩歌ちゃんもいる。
そのさらに後ろには、僕の両親だっている。
「田中さん…… だよね。心配してくれてありがとう。でも、僕たちには僕たちなりの生き方がある。厳しい意見をぶつけてくれた事には感謝する。いつか必ず、僕らは更生して真面目な生活を送ってみせるから、今だけはちょっと見逃してもらえないかな?」
「私からもお願いします」
僕に続いて、舞奈ちゃんまで頭を下げる。
「き、昨日と違って、随分余裕じゃない……」
逆に田中さんには余裕がないように見える。
「うん。昨日は色々と話し合ってね……」
曖昧な言葉で濁す。こんな奴らに赤裸々に語るつもりはないから。
「も、もしかして……?」
斎藤が目を見開いた。
「キミたち…… もしかしてもう付き合ってる?」
こいつも感情を隠すのが下手なんだな…… 冷静になって初めて知った。きっと昨日の僕もこんな感じで感情を隠せていなかったんだろう。
「キミ達のおかげで、昨日からね」
だから、そう。僕たちが付き合うことになったのはこいつらのおかげなんだ。こいつらが僕の危うさを舞奈ちゃんのお父さんに見せ付けてくれたから、僕たちが今、想いをわかり合えるきっかけを作れた。
「そうか…… 残念だ」
ん? 残念って?
「谷山さん、実はキミの事を初めて見た小学1年生の入学式の日からぼくは好きだったんだ。でも、守山くんはいつもキミを守っていた。わかってたよ…… あの日、ぼくではあの5人を叩きのめすことはできなかった。ぼくではあの意地悪な女子達に文句を言う事も出来なかった……」
マジか……? 斎藤がまさか谷山さんの事が好きで、だから学校に誘っていた?
「5年生の時、キミへのお見舞いに、ぼくが立候補すればよかったと今でも後悔しているよ。守山くんじゃなくて、ぼくがあの日お見舞いに行けていたなら、逆の結果になっていたかもしれないと考えると悔やんでも悔やみきれない」
「斎藤君? 逆の結果って?」
「今、僕がキミと付き合えていたかもしれないって言う運。取り逃したきっかけ…… かな」
齋藤のその言葉に、舞奈ちゃんは目を見開く。
「それはない。絶対にありえない話だよ? だって、小次郎くんは、火事が起きた雪が降っている当日に私を心配して家まで来てくれたし、消防士さんに伝言まで頼んで、絶望していた私に生きる希望をくれたんだよ?」
「な!?」
「小次郎君がクラスの代表になったのは偶然だったかもしれないけれど、私は面会できない状態で、それでも小次郎くんだったから看護師さんにわがままを言って会った。それがもし斎藤君だったら、私は会いたいなんて絶対に言わなかった。だから、逆の結果なんてありえないんだよ」
田中さんが凄く…… 何かに取り憑かれたような表情で舞奈ちゃんを睨んでいる。
「斎藤君! そんなブスのどこが良いのよ! もともとの顔だって良くも無いし、火傷痕だって醜いし! 私の方が絶対に綺麗じゃないの! なんでそんな奴にそんなに拘るのよッ!」
あ~…… 昨日までの僕だったらブチ切れてたな。でも、この田中、僕からしたらコイツの方が遙かに醜い。たとえ顔が綺麗だったとしても、ほら、心の醜さが滲み出てるじゃないか。
齋藤が田中を睨み、ため息までつく。
「田中さん? ぼくは顔の綺麗さとかにはあんまり興味が無いんだ。彼女はね…… 谷山さんは、大人しいけれど優しくて思いやりがあって、真面目で控え目だけれど性格の良い素敵な女の子なんだ。今、田中さんが谷山さんを『ブス』って言ったことをぼくは一生忘れない。今日、この場に、キミを連れてきたことはぼくの一生の不覚。ぼくが初恋を散らしたのはただの運命だけれど、あなたをここに連れて来たことはぼくの選択だ。最悪の人選ミスだった。反省するよ」
「な、なによ! なによそれッ!」
走って去っていく田中さんを見て思った。
僕も昨日まではあんな風に余裕もなく感情を丸出しで、分かりやすい表情だったんだろうな、と。
「守山くん、谷山さん…… お騒がせしたね。もう帰るよ。そして、もうここには来ない」
淋しそうで、それでいて悲しそうな表情で斎藤が背中を向ける。
「最後に一言だけ…… 二人とも幸せになってね」
言うと同時に斎藤も去っていった。
本当に、悪い奴ではないんだろう。
でも、相性が悪かった。
相性の一言で済ますには言葉が足りないとは思うが、結局はそう言う事だ。
それと守るべき時に守ることが出来なかった斎藤と、守ることが出来た僕。
斎藤は『運』なんて言葉を使ったけれど、僕にもわかる。
確かに僕にも『運』はあった。
少し強引だった気がしないでもないけれど、僕はその『運』を逃さなかった。
斎藤は逃した。
それが僕と斎藤の差。そんなことを少し感傷にふけりながら考えた。
「なあ、あいつら……オレ達を置いてさっさと帰っちまうなんてよ、責任感のない奴らだよな」
「なに? 結局私たちって、斎藤君の失恋の場に立ち会わされただけって事?」
残された渡辺くんと草野さんの2人は、先に帰ってしまった2人にあきれ顔だ。
だからというわけでもないが僕は、この2人とは少し仲良くしたいという欲が出た。
「ねえ、二人とも、ちょっと来て」
店の中に誘う。
「晩御飯の足しに、これ、持って行ってよ。僕からのお礼」
お金は僕の毎日のお手伝いのお駄賃から天引きしてもらおう。2人にはここのお惣菜の美味しさを是非知ってもらいたい。
「僕一番のおすすめの『チキン南蛮』もし美味しかったら今度はお客さんとして来てよ。クラスメイトなんかじゃなくてさ」
「あ~! 美味しそう! 守山くんありがとう~」
「おお! マジで美味そうだな! このボリュームで500円? おふくろにも宣伝しといてやるぜ」
「田中と斎藤はもう勘弁だけど、キミ達なら話しやすいし、また来てよ。僕たちはここで、3時半から5時半までは働いてるからさ」
「おう! 次からは普通の話をしような」
「うん、学校なんか関係なくね」
「じゃあまた」
「またね」
「またな」
善意という『毒』に冒されて壊れかけた僕は、舞奈ちゃんと、舞奈ちゃんの家族によって見事に再生できた。
今まで疑問だった「舞奈ちゃんは僕のことを好きなんだろうか?」という不安はもう無い。
これからは舞奈ちゃんの為だけの『最強の盾』であり続けていけるという喜びに、僕の心は満たされていた。