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子ども部屋で・北に向かう旅をしていた頃・砂漠の薔薇を・見るなり胸が高鳴りました。

 キャンプなんて来たくなかった。知らない人と放り込まれるキャンプなんてまっぴらだ。子供の頃はまだ分かるが、成人してから知らない人とキャンプだなんて、貞操も怖いし警察だってすぐには来てくれないだろう。山の中で放り込まれるのもいやだ。それでも、親友がどうしても数合わせにと誘って来て、ログハウスを予約することを条件にしたのに、ログハウスも雑魚寝だという。性差を考慮しない親友が憎らしく、恨めしい。だからふてくされるように誰とも口を聞かず、一晩中たき火に当たって起きていようと思っていたが、つい気を使ってしまいTPOに合わせた言葉を口にする自分が恨めしい。愛想のいい女子はこれだから雰囲気をよくする、と親友が自分の手柄のように語ったので少し報われたけど、その親友が夜も更けて酒が回ったとき、真逆のことを言い出した。

 あんたはいっつもにこにこ、にこにこして、男受け狙ってて羨ましい、そうやって男漁りして楽しそうだねえ!と酒で回っていても許されない言葉を吐いた。


 私は、手に持ってた熱々のコーヒーがアルミのマグに入ったのを一口も付けてなかった。それを親友にぶん投げてやろうかと思ったが、慣れないことが出来なくて、ただぼたりと足下に落として自分の足にかかったぐらいで終わった。そこもなんだか演出めいていて、嫌になる。親友をやっかみだけの男にしたくなかったのに。体は男性だが、こころは女性だと数ヶ月前に告白してくれた親友に、良い顔をしたかった訳ではないしこれだからオカマはなんて彼を悪く言われたくない。コーヒーを飲んでいれば投げつけられたかもしれないけど、潔癖性の私は味気のないアルミでコーヒーなんて飲みたくない。コーヒーは陶器で淡い乳白色のお気に入りのマグカップで飲むのに限る。それは私の家にあるのだから、ここにわざわざ持ってくるのははばかられて、飲まないという選択肢を取っていた。埃だって灰だって入るのに、なんで外でコーヒーを飲まなければならないのか。その態度も親友が気に入らなかったのは理解できる。でも潔癖性なんだと親友には言っていた、そこを聞いていなかった親友に怒りたい気分が急に鼻にツーンとして、泣いてしまった。場の空気が水を打ったように静まりかえる。親友が急に酒が醒めたのか、謝ってくる。その親友の差し出された手を、僅かな反抗心で取らずに首を振った。言いたいことが喉に詰まって、成人したのに何一つ引き出せずに情けない。ただ親友に、ごめんと絞り出した言葉を聞いたのか親友も泣いたのが分かった。


 もうキャンプはぐちゃぐちゃだった。同行者には申し訳ないことをしたと思っている。だが、親友と同じなのか見た目は男性ばかりで、いかにも女性らしいのは私だけだったから、心がずっと警戒のサイレンを鳴らしていた。正直、怖かった。だがこの場でこの言葉を言うのは誰も彼も傷付けるので、それだけは墓場に持って行こうと思って、私はただたき火の前に座り込んでいた。


 「隣いいよね?」

 同意を求めて自我を通そうとする問いは、正直気にくわない。だがもう隣に座っていた。鼻にピアスを開けて、耳にもたくさんの金属の輪っかがついている。襟足は刈り上げて、銀色の髪をモヒカンのように立てていて、そんなに好きじゃないタイプ。というより、街で鉢会ったら即座に目を逸らすタイプだ。彼はスラックスの下の長い足を見せつけるように伸ばしていた。どこかの動物の雄は、自分の長い器官をセックスアピールするという話を思い出す。


 「・・・・・・」

 私は答えないでいると、背後のテントではざわざわと盛り上がる声が聞こえてきた。どうやら口直しにゲームか何かをしているらしい。親友の甲高い笑い声が聞こえて、それが私のせいの反動なんだと思うと同時に、私が縮こまっているのに何だと腹立たしい思いが同時に来た。私が悪いのは分かっている。口が回るよりも先に涙に逃げてしまった自分が悪い。でも感情が高ぶると涙が出る体質だから、それは仕方ない。女の武器だと言われても、出るものは出る。そして自分が最低だと落ち込む。

 「あいつらもさ、悪い奴じゃないから」

 「・・・分かってます」

 「分かってるならいいんだ。それだけ」

 それきり隣にいるモヒカンは口を開かなかった。この場で話し出すのは私の役目だ。私が隣に興味を持って、ときめいたフリをして生い立ちなんかを聞き出せば、なんだか漫画のようなご都合展開になる。それが真っ平ごめんだと思って、私は貝のように口を閉じていた。間違ってもモヒカンに恋はしない。今は恋とかどうでもよくて、だから親友が性同一性傷害を打ち明けてくれたことをあんなに喜んだのに、私の運命のレールをどうしても恋とか愛に持って行こうとする神様にもうんざりとした。私は世界の全てを拒絶したのだ。だから私に優しい風は吹いてこない。風向きが変わって、自分に急に舞い上がった薪と燃えさしの落ち葉と灰が、私の顔に直撃する。これは最低だ。潔癖性の自分には辛い。今すぐクレンジングをして洗顔、お気に入りの美容液にパックをして汚い外界のものを洗い流したい。そんなくしゃくしゃの顔を見て、モヒカンは事もあろうに私を笑った。


 「愛想笑いじゃないの、初めて見た。そんな顔出来るんだね」

 「外は嫌いなの! 最悪!最低」

テントにまで聞こえるかと思って声音を抑えたのは遅かった。だがテントからワンテンポ遅れて笑い声が聞こえたので、良かったと胸をなで下ろす。

 「・・・私が最悪」

 「そう責めるもんじゃないよ。自分だけは自分の味方じゃないと」

 どっかで聞いた名言を、男はさも自分の手柄のように口にしている。そう瞬間的に疑う自分に吐き気がした。

 「これ、分かる?」

 モヒカンは、ポケットから無造作に何かを取り出して私の前に差し出してきた。どうせ下らないものだろうからと私は顔を背ける。男子学生のポケットはそもそも、母親という清潔の権化の治外法権の場だ、そこには切れた髪の毛や埃やよく分からないゴミで大変に汚れている。小学生の時に、同級生がポケットに入れていたカメムシの死体を突然差し出してきた事が、私には今もトラウマなのだ。成人したってそのトラウマは上塗りされていない。そんな分かりやすい拒絶でも、モヒカンは手を引っ込めなかった。

 「知らない? 砂漠の薔薇」

 「砂漠に、花なんて咲かないでしょ」

 「咲かないよ。つーか知らん。でも、鉱石が折り重なって薔薇に見えるんだよ。ほら」

そう言いながら、なおもモヒカンが目の前に手を差し出してくる。どうせ調子の良いことを知って虫か何か気持ちの悪い物を見せてくるのではないか。普段ならにっこり笑って見て驚いてやる余裕もあるけれど、今はそんな余裕は無い。だけども、自分が世界で一番の最低で神にも見捨てられた存在なので、それ以上罪を重ねられる訳もなく、私は渋々とだがその砂漠の薔薇とやらを見た。

 マメのある手の中に、一つの岩の固まりが、たき火の逆光となっている。よく見えなくて目を凝らす。その質感は確かに固いはずの岩そのもので、それがまるで本物の花弁かのように薄くなり、折り重なって、薔薇のようになっている。モヒカンの言うとおり、砂漠の薔薇は確かに存在していた。

 「・・・おもしろいね」

 「でしょ? これ安いんだよ。現地だと数千円とかで売られててさ」

 「現地ってどこ?」

 「南アメリカとかで出るんだ。良いところだよ」

 どうやらモヒカンはグローバルな旅慣れしているらしい、それを誉めるべきかとも考えたが、私の喉からすぐに言葉が出てこないでいた。


 「女一人だから、危ないって言われるけどね」

 「おんな・・・?」

 「言ってなかった?カズのやつ、そういう所はダリィんだよな。あたしは女だよ。性別もこころも女。あんたとおんなじ」

 急激に私は、最低を転がり落ちて人間の屑になった。勝手に男が口説いてきたのだと色眼鏡を振りかざしていたのは、この場では自分だけだった。彼女は私を同性だからと慰めに来てくれたのに、私はとんだ勘違いで無礼を超えることを。神様許してください、恋愛のレールに乗りたくないとあれほど思っていたのに、一番そのレールに乗っていたのは自分です。罰してください。青天の霹靂を今から私に落としてください。


 「カズの大学のダチって聞いてたけど、なんかごめん。あいつがビアンバーにべろべろに酔って乱入した時からの付き合いなんだけどさ。ゲイだけど心は女だから!とか叫んで。あたしが背ぇ高いから、追い出すの、友達に頼まれて」


 モヒカンの言うことに、私は混乱していた。だって私は、親友の夜の顔までは把握していない。学友と名の通り、大学でのつながりは日中が多いせいだ。だけども全てを知ったからと言って、親友に幻滅する訳でもない。ただその繋がりのキャンプなら、親友が数合わせに力を入れていたのが、今なら分かる気がした。

 「あたしがアウトドア好きだからってさ。男ばっか呼んじゃって。でも女も少ないとだめだって、あんたを呼んだんだろうね」

 「・・・それは、ごめんなさい」

 「いいよ。あたしが興味あっただけさ」

 モヒカンの女は、なんだか達観しており、たき火に当たる顔は私よりも大人のように見えた。

 「うち遊牧民でさ」

 「日本人じゃないの?」

 「いや日本人だけど、キャンパーで日本中を巡ってた一家でさ。動画収入で暮らしてた。まあ、成人する前に一家離散したけどね」

 「それで、旅が好きなんだ?」

 「そう。あんたいい子だね。普通の人って、一家離散に食いつくよ」

 「うちもそんなに仲が良い家族じゃないし・・・」

 「そっか」

 あえて聞かなかったのは私の癖でもある。私の一家は世間体が第一で、優しい人当たりの良い母に包容力のある頑固な父。そんな理想的な一家において、私はいい子を演じなければならなかった。本当の父は頑固でなくて浮気者、母はヒステリックでいつも父への憂さ晴らしにと私に八つ当たりをしていた。だから私が、場の空気を読んで人一倍の愛想を振りまかなければ、我が家の平穏は保たれなかったのである。日中は学校、日照と日没までは家の中で演じ、そんな日常で子ども部屋だけが唯一の私の避難所だった。私が声を押し殺して泣ける場所だった。今私は、子供部屋に籠もった昔を思い出している。

 ずっとそこに魂を置いてきてしまっている気がした。その魂が、このたき火の前に急に引き込まれて良い炎を纏い、自分の胸に飛び込んで来たかのように思えた。虚を失った私に、モヒカンはタバコをくわえて火を点けてから続ける。


 「まあ、いろいろあるよね。カズだって、家に帰ってないみたいだし」

 「私、謝ってくる」

 「いいの? また泣いちゃうとダメだよ」

 「ダメだけど、出てくるんだもん。涙が高ぶると出るの」

 「女優じゃん。すごい才能だよ」

 きっと何の悪意も無いだろうモヒカンの言葉に、私の中の魂がいっそう明るく燃えた気がした。今は私の家は平穏だ。昔ほど父母も血気盛んではなくなった。だからといって許せるものでもなく、終わりよければ昔は問わないといった母の態度に内心腹が立っていたけれど、その反動でうんと愛想良くしている。そんな私の仮面に、少しひびが入る。突然、耳に甲高い笛のような鳥の鳴き声が聞こえた。あれは親友との、日中での会話だ。

 「あれ」

 「あれ? ジョウビタキって言うのよ」

 「ジョウビタキ?」

 「もーそういう仕草も可愛いんだから。しょうがない、教えてやりますか。火を焚く音に、鳥の鳴き声が似てるから、ヒタキ」

 博識でしょうと言いたげな親友の顔を、私は嫌いではなかった。

 「じゃあジョウは?」

 「銀髪の意味。ジョウビタキの雄は銀色の頭で、めっちゃ綺麗なの。銀髪ってあこがれる」

 火は相変わらず燃えている。もう私のこころの中にまで移って燃えている。だから私は親友のいるテントに足を運ぶことにした。凍てつく大地のように空気が冷え込んでも、きっと私は伝えたいのだ。親友にちゃんと、言葉で伝える。炎はもう体の中にあるのだ。胸が高鳴って、私は深呼吸した。


原典:一行作家

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