第七話:もう一人の
「……恐い話をしていたり、必要以上に霊的な存在を意識し過ぎていると、それだけで悪いモノが集まってくる、なんてお話を聞いたことはありませんか? その従弟さんが体験された出来事も、ひょっとしたら儀式そのものがどうこうと言うより、従弟さん自身の感情や意識が、何者かを呼び寄せてしまった可能性もあるのではないでしょうか」
車は信号に足止めされることもないまま、順調に走り続けている。
人気の途絶えた山中を目指しているものの、まだ窓の外には人の生活圏が普通に広がり、歩道には夜のジョギングをしている男の姿を確認できる。
「従弟本人が、赤い自分を呼び寄せたということですか? 従弟の恐怖心に反応して、霊がそういった容姿を形作ってしまったってことかな。あり得ないとは言い切れませんね。似たような話に、ドッペルゲンガーなんてものがあるくらいですし。ああ、確かにそう考えるとちょっと面白いかもしれないです。従弟が見たのは、別世界、異界に住むもう一人の自分だった……なんてね。これじゃちょっと、怪談と言うよりファンタジーになっちゃうかな」
はははと笑い、俺は自分の口にした言葉に少し恥ずかしくなった。
子供相手にならともかく、良い年をしてファンタジーなんて言葉を大人同士で使う場面なんてなかなかないだろう。
しかし、そんな俺の言葉に呆れたりする様子は特にみせず、見越は「そうですねぇ」と穏やかな口調とは裏腹な、神妙な頷きを返してきた。
「もう一人の自分……ですか。お客さんは普段、テレビやネットでニュースを観ることはありますか?」
「ニュースですか? ええ、まぁ。ネットでトップニュースくらいは流し読みしたりはしますけど。テレビではあんまり観なくなりましたかね」
いきなり話題が逸れたことに少し面食らいながらも、俺はまた何か怪談に繋がる前振りかという予測を込めて返事をする。
「そうですか。いえね、ニュースって毎日色んな事件を報道しているじゃありませんか。まぁ、ちょっとした強盗や詐欺事件、芸能人の浮気とか。そんな中で、殺人事件の内容を扱ったニュース……これ、中には不可思議な出来事が紛れ込んでいることが、たまにあるのかもしれないんですよ」
「殺人事件に不可思議なこと? まさか、幽霊が人を殺した事件があるって言いたいんですか?」
何を言いだしたのか、すぐにピンときた俺は出鼻を挫いてやるような気分で見越の言葉に反応を返す。
「まぁ、メジャーかどうかは別として、怪談のパターンとしてはありますよね。霊にとり憑かれた人が、恋人を殺害したり、突然人格が変貌して無差別に人を殺す凶悪犯になってしまったり。でも、警察は霊媒師じゃないからそういうことは専門外。本当の真実なんてわからないまま、ただ淡々と事件を起こした犯人を、生きた人間を捕まえるだけ。みたいな」
霊にとり憑かれての犯行だから無罪。そんな話はリアルの世界で――少なくとも俺は――聞いたことがない。
となれば、過去に起きた数えきれないくらいの殺人事件の中に、そういった見えない真実を隠した事件が紛れていても何らおかしいとは思えない。
それを肯定するように、見越もまた「そうです」と頷きを返してきた。同時に、
「ですが、今私が考えているのはそういったものとはちょっと内容が異なります」
そう静かに付け加え、スンと小さく鼻を鳴らした。
「今現在はどう扱われているのかわかりませんし、内容が内容なのでこれまで以上にぼかしてお話を致しますけれど……実はこの話、十年以上前でしたかね、元警察官だという方からここだけの話と言われて聞かせてもらったものなのです。特に個人情報を漏らすわけでもありませんし、昔のお話なのである程度はお聞かせしても時効でしょう」
そう言って、見越は一瞬これまで以上に硬い表情と声を作ると、一拍の間を挟んで話を続けてきた。
「十数年前、六十代くらいの男性が車に乗ってきたのですが、その方が自分は少し前まで警察をやっていて、実は過去にすごく意味のわからない事件を担当したことがあると、そう言ってきたんです。基本的にそういった情報を無関係な一般人に漏らすのはタブーのようでしたが、その方は自分だけで抱えているのが正直嫌だったと、だからここだけの話として、独り言のようなものだと思って聞いてくれと、そう言ってきたんです」
◇◆◇◆◇◆◇
当時、どこの地域で起きた事件だったのかは記憶が曖昧なのですが、殺人事件が発生したということでその方が捜査に参加されたと。
地元のニュースでは一時的に取り上げられたらしいのですが、毎日起こっている事件の全てが話題になるわけでもありませんからね、それほど目立つことがないまま終わった事件のようで、世間の関心はかなり低かったみたいです。
それで、その事件ではマンションに一人で暮らしていた女性が刺殺されたというもので、マンション内にある防犯カメラを全て分析した結果、数週間前まで殺された女性と交際をしていた男がいくつものカメラに映っていて、しかも凶器となったナイフを所持しているのも確認ができたのだと。
警察としても、これはもう明らかに怪しいし重要参考人として身柄を確保しなくてはいけない。
警察はすぐに動き、その男性の居場所を特定したのですが、どういうわけか事件当時に男がいたのは現場から遠く離れた他県。
しかも事件当日どころかその数日前から新しくできた恋人と――その恋人が原因で被害者とは別れていたそうで、元々は男の浮気がばれたことからいざこざが起こり、かなり揉めていたらしいです。まぁ、その元浮気相手と旅行をしていたということで、アリバイが完璧。
男と愛人、二人の証言を裏付けるように、警察が調べれば調べるほどこの男には犯行が不可能だということがはっきりしていったのだそうです。
そうなると、ではあの防犯カメラに映っていた元彼と瓜二つの男は誰なのかという謎に突き当たる。
しかし、男はこの映像で姿を確認できただけで、その後の足取りや凶器の行方も何一つわからず、捜査は完全に手詰まり、暗礁に乗り上げてしまったのだそうです。
警察が一番に不思議がっていたのが、男の姿はマンション内の防犯カメラに複数映っていたにも関わらず、そのマンションの周辺に設置された他のカメラには一切姿が確認されなかったことなのだそうで。
それはなかなかあり得ないことだと、話をされた警察の方は唸っておりました。
町中には、いくつもの防犯カメラがあります。
駅や高速道路を利用すれば、変装をしていたとしても調べていけばわかることなのに、そういった場所にも一切映り込んでいない。
目撃証言もたった一件すら得られない。
どんなに必死に捜査をしても、男のアリバイは崩せず、他に浮かぶ容疑者も出てこない。
ひたすら手を尽くし捜査を続けて、あそこまで真相に近づく手応えを得られなかった事件はこれまでに一度もなかったそうで、結局その後事件が無事に解決したのかどうか、私にはわかりませんが。
ただ、捜査をしてはっきりわかったこともいくつかはあったそうで、容疑者となった男はひとりっ子で瓜二つの顔を持つ兄弟がいたとか、そういったことはまずないと。
そして、その男は浮気相手と別れるよう亡くなった女性からかなり強く迫られていたことで、かなり鬱陶しがってもいたそうです。
それこそ、警察が訪ねてきた際にも、驚いたり悲しんだりする様子は微塵もなく、あからさまに嬉しそうな顔で質問に答えていたらしいですから。
それで、素人考えながらに私思ったんですけれど……この事件、やっぱり犯人はこの元彼の男性だったんじゃないかなと。
浮気相手の女性や他の知人に協力を頼んで巧妙なアリバイを作った、とかではないですよ?
そんなのは、警察がしっかり調べたはずですし。
私が考えるに、女性を殺したのはもう一人の、この世に存在しないはずの元彼。
要は、生霊と言いますか、ドッペルゲンガーみたいな存在が元彼本人すら気がつかぬうちに邪魔で仕方がなかった女性の元を訪れ、犯行に及んでしまったのではないか。
非現実的なことながら、そんな憶測が浮かんだんですね。
もっとも、こんな突拍子もない推理、警察をされていた方に話したりはできませんでしたけど。
でも、怪異を信じておられるお客さんなら、ちょっとは私の気持ち、わかっていただけるのではないでしょうか?