第二話:順番
「――いわくつきの部屋だからといって、住む人がそれをいつでも把握させてもらえるとは限りませんからね。きっと、あのお客さんは運悪く外れを引いてしまったのでしょう」
対向車線を大型のトラックが通り過ぎていき、大きなエンジン音が車内へと飛び込みすぐに消えていく。
「……確かに、ありますよね。そういう話。訳あり物件に住んだら、そこで自殺した霊の姿を見たとか、何度も本で読んだことがありますよ」
一度くらい自分もそういう特殊な経験をしてみたいものだ。そう常に思ってはいるものの、残念なことに未だ本格的な怪異には巡り合えたことが一度もない。
過去、一緒に働いていた男がそういったいわくつき物件に関わるおかしな体験をしたと話してくれたことがあったが、その話を聞いて俺が思ったのは、恐いというよりも羨ましいということだけだった。
「今運転手さんの話を聞いてて、俺も昔霊のいる家に引っ越したせいで、不幸な出来事に遭遇した人のことを思い出しましたよ。一時的に一緒の職場で働いてた男の人で、すぐ会社辞めちゃったから今は何してるのかわかりませんけど」
怪談話に気を良くした俺は、今度は自分が話をしようかというニュアンスを含ませて見越へ告げると、向こうもこちらの胸中を察したか、悪友同士が交わす時に見せるような笑みを一瞬だけ浮かべ、
「それは、興味がありますねぇ。差し支えなければ、お聞かせいただけますか?」
と、語りの主導権を譲ってきた。
「そうですね。せっかくだから話させてもらいましょうか。これは、一応仮名にしておきますけど、国府田という名の男が自らが体験したことだと言って教えてくれた話です」
持っていた荷物から飲みかけのペットボトルを取り出し、中身を一口だけ口に含ませてから、俺はその当時聞かされた話の記憶を脳内に展開した。
◇◆◇◆◇◆◇
「あの、熊谷さん。熊谷さんって、恐い話とかに興味があるって言ってましたよね?」
仕事の昼休み。職場にある休憩所で一人コンビニ弁当を突ついていると、突然横からそんな言葉をかけられた。
いきなり誰かと見上げれば、同じ持ち場で仕事をしている男が、愛想笑いを浮かべながら俺の顔を見つめて立っているのが視界に入り込んだ。
「ええ、好きですけど。何か、面白いネタでもあるんですか?」
性格的に、特に人見知りをしたりする方ではない自分としては、これは新たな恐いネタを聞かされる前振りであるパターンであることが、今までの経験上ですぐに予測がついた。
「はい。私の両親に関する話なんですけど……こんな話、他人に聞かせてもどうせ作り話か何かだろうって馬鹿にされると思って、誰にも言えずにいたんです。それで、数日前にたまたま熊谷さんがそういう話を好きだと知って、ひょっとしたら信用してもらえるかなと」
媚びるような、ぎこちない笑みを不器用に貼り付け、国府田はジッと俺の目を見つめてくる。
「もちろん、信用はしますよ。俺自身、世の中には物理的には説明がつかない現象がいくらでもあることは理解してますし、そういうものに巻き込まれた人の話もたくさん見聞きしてきましたからね」
歓迎の意味を込めて笑みを返し、俺は隣へ座るようジェスチャーで促すと、国府田はそれに頷くような小さい会釈をして従い、音を立てることなく椅子を引いて静かに腰を下ろした。
「実はですね。僕の両親なんですけれど、僕が小学三年の時に二人とも亡くなってるんです」
そうして、こちらから何かを告げるより先に、国府田は視線を目の前のテーブルへ落としながらポツポツと自らが体験したらしい怪異を語りだした。
「一年の間に二人ともがですよ? 最初に亡くなったのが、母でした。十月の終わり頃に、脳梗塞を発症して急逝してしまい、その僅か二ヶ月後……父が交通事故で後を追うように。通勤途中、アイスバーンになっていた道路で車がスリップしてしまい、対向車のトラックと正面衝突。即死だったと聞いてます」
そこまで話し、国府田は一度俺の様子を窺うようにこちらを一瞥して、また視線を下へ落とした。
「それで、この話の何がおかしいかと言うとですね、母が脳梗塞で亡くなった際、葬儀場で葬儀を行ったんですけど、その時……確かお通夜の晩と言っていたはずです。父が一人で母の遺体を置いている葬儀場に泊まったんですよ。誰か一人は残るように言われたんだったか、そんな理由で。それで、父は一人母の遺体に語りかけたりしながら、別れを惜しみながら酒を飲んでいたそうなんですが、その時に、父は母の頭をそっと撫でたと言うんです」
そうしたら――。
国府田は、また俺の瞳を見つめてくると、今度は目を逸らすことをせずに話を続けてきた。
「突然、閉じていた母の目がパッと開いて父の方を見つめてくると、母とは全く異なる低い男みたいな声で、“次はお前だからな”って……そう言ってまた目を閉じたって言うんです。父は驚いて母の額に当てていた手を引っ込めると、万が一にも息を吹き返した可能性もあるのではと思い、恐る恐る話しかけてみたそうなんですが、それ以降何も反応はなく、脈も体温も亡くなった状態のままだったということです。この夜は、さすがの父も恐くなったそうで、母の遺体がある部屋にはいられず、部屋の外でずっと朝になるのを待っていたんだと、親戚の人に話していたのをすぐ側で聞いていました」
一気にそこまで語り、国府田は一度だけ固唾を飲み込むようにコクリと喉を動かした。
「それから僅か二ヶ月後、父は事故で亡くなったんです。……熊谷さん、これどう思います? 両親は、この世の者じゃない何かにとり憑かれてあの世へ引っ張られたりしたんでしょうか? 父が母の葬儀をしているタイミングで嘘や冗談を言ったとも思えませんし……今でも謎なんですよね」
◇◆◇◆◇◆◇
「――とまぁ、そんな話だったんですけどね。仮に国府田さんの両親が悪霊なんかにとり憑かれていたとして、どういった経緯でそうなってしまったのか。細かいことはわからないままなんだそうです。ひょっとしたら息子の国府田さん本人が知らないところで誰かから恨みを買っていて、その人が自殺していたとか、知らず知らず曰くつきの土地へ足を運んでいて、そこで悪いモノを連れてきてしまっていたとか、可能性だけならいくらでも浮かぶんですけど」
そこで話を締めくくり、俺は見越の反応を窺った。
「……ふむ、なるほど。確かになかなか不可思議なお話ですね。お客さんが仰ったように、作り話でないのであればその方のご両親は間違いなく悪しきモノに命を奪われたと考えることができるかと思います。ですがそのきっかけと言いますか、やはり原因がわからないというのは後味が悪いものがありますねぇ。ただ、話をされた息子さんだけでも無事に生きていらっしゃるのなら、せめてもの救いではありますが」
一拍の間を置いて、見越はそんな無難な感想を口に出し、それからゆっくりと前方を見ていた瞳を俺が映るバックミラーへとスライドさせてきた。
「中には、悪しきモノにとり憑かれ、全員が戻れなくなってしまうケースもあるんですから。その国府田さんという方はまだ運がありますよ」
「え?」
いきなりどういうことかと問うように俺が短い呟きをこぼすと、見越は
「いえね、今のお話を聞いていて、思いだしたんですよ。もうだいぶ前になりますが、好奇心でやってしまったあることが原因で、それに関わった友人が皆亡くなってしまったという体験をされたお客様のことを。……せっかく貴重なお話を聞かせていただいたわけですし、今度はまた私の方から一つ、語らせてもらいましょうか」
白い手袋を嵌めた見越の手が、ハンドルを右へときる。
それに合わせて車も右折し、広く交通量の多い道路へとタクシーは移動していく。
「確かこれは、九年くらい前に乗せた女性の方から聞いた話でしたかねぇ……」
渋滞は起きていないものの、前方を走るトラックが低速で――と言っても法定速度に合わせているだけだろうが――走るせいで、タクシーもそれに倣って減速する。
「お名前は、神代さんとしておきましょうか。三十代くらいの、綺麗な女性でした。その方が、こんなショッキングな体験を語ってくれたんです」
対向車のライトがいちいち車内に入り込み、すぐに後ろへ流れていく。
そのライトに何度も照らされながら、見越は静かに新たな語りを紡ぎだした――。