囚人もしくはエイリアン
廊下を、生温い風が吹き抜ける。
水はパレットについた絵具と筆を洗っていた。先程まで美術の授業で、水彩絵の具を使って男子生徒、女子生徒ペアになり、互いを描いていたのだ。水は混雑が終わるのを待って、休み時間の終わりギリギリに手洗い場まで来た。
何の因果か、貴弘を描く羽目になったことが、水を憂鬱な気分にさせていた。蝉、煩い、と心の中で八つ当たりをする。しかも、水が貴弘を描くということは、貴弘もまた水を描くということで、のみならず、貴弘は美術教師に水の特徴を捉えてよく描けていると褒められていた。
貴弘は、また得意そうな顔で水を見るし、水が描いた貴弘の絵は、美術教師に首を傾げられ、水にとって面白いことは一つもなかった。
あのバカ。ぼんくら。アホ、間抜け。
特段、貴弘が何をしたという訳でもないが、水の腹立ちは当然のように貴弘に向かった。
あいつ、蝉みたい。いるだけで煩くて、迷惑で。
イライラしながら筆についた絵具を洗い落とす。自分が、全然、何も出来ない人間のような気分になることが水にはある。今などがまさにそうで、とりわけ貴弘は、水のそうした感情を呼び起こす存在だった。どこか別の学校に転校してしまえば良いのにと思う。
次の国語の授業には何とか間に合った。国語は好きで、水の得意科目だ。教師の覚えもめでたい。美術の時間に溜まった鬱屈を解消するにはうってつけだ。
いくぶん、心の安定を取り戻した水は、席に着き、国語の教科書や便覧を揃え始めた。
ふと視線を感じる。貴弘が水を見ていた。
苛立ちが蘇る。条件反射のように睨むと、貴弘はふい、と正面を向き、水から目を逸らした。何だ、あいつと思う。
蝉って言うか、ちょっとエイリアンみたい。正体不明で絡んでくる。
けれど貴弘は宇宙船で水を連れ去りはしない。手術をして妙なチップを埋め込むこともない。少しばかり勉強の出来て要領の良い、一般の男子生徒だ。同じ地球という星の地面に縛り付けられている。
ああ、と水は思い当たった。
そうか。囚人仲間だ。
水道と書いて「すいどう」さんと呼ぶお名前は実在します。もちろん本作品は関わりないフィクションですが。水道と書いて「みずみち」さんと呼ぶ苗字もありますが、そちらのほうが珍しいそうです。