回転木馬に乗れるのならば
水は藤紫のクッションに顔を押しつけて、自室の畳に転がっていた。部屋の中は冷房が効いて涼しい。目を閉じれば蝉の声。それに、烏。微かに車の走行音も聴こえる。頭の中は柳原の恋愛事情と、今月の部誌に乗せる作品の内容に占められていた。こうやって、潜水するように自分の思考に沈み込む時間が水は好きだ。学校は嫌いではないが、好きでもない。水にとっては無味乾燥な食べ物を咀嚼することと通学は似ている。
その中に怜や友達との触れ合いがあり、学校生活に多少の味付けがされる。学校を一日さぼれるのなら、誰もいないがらんとした遊園地に行って、回転木馬に乗りたい。無心になって作り物の馬に乗り、延々と回り続ける。誰もそんな水を見ない。鳩や雀が時折、通り過ぎるだけ。
可愛いって何。綺麗って何。
不意に、切り込むように思い出す。
水は、今日の帰り道、怜と一緒のところ、男の子たちに声を掛けられた。怜だけが目当てだろうと水が彼女を庇う風に構えると、水まで声を掛けられていたことが判った。君、よく見たら可愛い、てか綺麗じゃん。熱心に、食い入るように水に迫る子の制服は、近くの私立男子高校の物だった。
攻勢に出たのは、怜だった。彼女は、自分相手の男の子にはのらりくらりとお茶を濁していたが、水までが熱波に当てられたと見て取るや否や、態度をきっぱりさせ、急ぎますので、と声高らかに宣言して水の腕をぐいぐい引っ張ってその場を去った。
全くもう、目ざといんだから、とこぼす怜は、珍しく苛立っているようで、いつものおっとりした余裕がなかった。水にも、ぼんやりとだが、自分が怜に守られているという自覚が湧いた。ごめんね、怜、と言うと、怜が足をふと止めて、水を振り返る。困ったような顔をして、水が悪いんじゃないのよ、と言ってくれた。水が可愛くて綺麗な女の子だってこと、解る人には解っちゃうのよね、と。
そこまで回想して、水は目を開ける。視界には障子、襖、珪藻土の壁などがある。障子を透かして斜めに落日の光が射し込む。
水は光の海に泳ぐ魚になった気分だ。
他の同世代の女の子と比べて、水の自意識が低いのは事実だ。化粧もしないし、美容にもほとんど頓着しない。綺麗な着物や和装小物などは好きだが、それも今時の女の子にしては古風な好みだろう。
自分が自分に関して、ある種、怠惰であることを水は知っていた。
それは例えば恋愛においても。漠然と、いつかこなすべき「課題」程度にしか認識していない。だからこそ、恋をしているという貴弘や柳原のことが眩しくも思えるし、多分、代や怜すらもそちら側の人間であり、言うなれば水はまだ、「課題」をこなしていない半端者なのだ。
そのことに関して、水に少なからず焦りがあればまだ良いのだが、彼女自身に焦りは全くなく、それどころか「課題」なんてずっと来なければ良いのにと思う始末だった。物語を綴るのは好きだ。恋愛だってこれまでにたくさん書いた。けれど水は、まだその果実を直に咀嚼していない。負い目がないと言えば嘘になるが、この件に関しては、どこまでも鷹揚に構えているのが水だった。
例え輪の中に入れなくても、回転木馬に乗れればそれで良い。
水はそう思っていた。
金色の、四角い、華奢なアンティークの置時計を、つん、と指先でつつく。四角い金色は他愛なく、ころんと転がった。
その四角の縁に日が当たり、鈍く光る。