表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

久野市さんは忍びたい

久野市さんはチョコを渡したい

作者: 白い彗星



「ふんふんふぅーん♪」


 今私は、キッチンに立ち、鼻唄を歌いながらボウルを手に、中に入った茶色い液体をかき混ぜている。


 茶色い液体の正体は、チョコだ。決して毒ではないので、安心してほしい。


「くんくん……うーん、ちょい甘みが足りない?」


 さて、なぜ私……久野市 忍がこんなことをしているかというと、それはつまりチョコづくりのため。今日は二月十四日、世にバレンタインデーと呼ばれている日だからです。


 どうやら、好きな人にチョコを渡し、想いを伝える……という風習らしい。それを本命チョコというらしいけれど、最近では義理チョコ、友チョコ、世話チョコなどと、様々な種類のチョコがあるらしいのです。


 チョコの種類が増え、本来の意味を無くしつつある風習……そこにはチョコレートメーカーの企てがあるように思うけれど……ま、私にとってはどうでもいいこと。


 なんともバカバカしい風習だと思うけれど、好きな人に想いを伝える……というのは素晴らしいと思う。なので、私は今こうして、とある大切な人に想いを伝えるべく、チョコレートを作っているというわけです。


「けど、なかなかの作業ね……これ、トレーニングにいいかも」


 チョコレートをかき混ぜていく肯定、それはなかなかに腕の力を必要とする。もしかしてバレンタインデーとは、女の子が訓練するためのものではないだろうか。


 調べて見たところ、お店で買ったものでもいいみたいだけれど……せっかくだ、喜んでもらいたい。


 男性は、手作りが好きだって雑誌に書いてあったし。


「くんくん……うん、このくらいかな」


 事前に、私がチョコレートを渡す相手の、好みは把握している。チョコレートは苦手ではないが、甘すぎるのはダメ。なので、こうしてちょっとずつ、かかお、びたー、っていうのを加えていく。


 混ぜ終えたら、後は型に入れて、冷やす。うんうん、順調。ちゃんとできているじゃない私。


 以前、彼に作った私の手料理は、なんの味もしないと言われてしまった。お腹を満たせれば味は二の次だから、気にならなかったけど……確かに、一緒に暮らしているのだから、彼の味の好みを覚えないというのは、だめだろう。


 そう思って、ここ最近は味にもこだわった。学校ってところでできた友達に、試食をお願いしたり……私だけの舌じゃ、わからない面も多いしね。


「ふぅ……と。よし!」


 冷やしてから、後は……大丈夫大丈夫、これまでにもいっぱい練習したし。おかげで、チョコレートはしばらく食べたくない。


 チョコレート、なんて甘いものをこれまでに食べてくる生活なんてしたことがなかったけど、だからといって食べ過ぎは良くない。


 ちなみに、チョコレートを食べたことがない、と友達に話したら、ひどく驚かれたものだ。どうやら、普通の女子は、普通にチョコレートを食べるらしい。


「私も、普通だと思うんだけどなぁ」


 一人、呟く。うん、わかってる……私は、普通の女の子とは違うってこと。でも、普通であることを責務として日々過ごしている。


 みんなには、秘密にしていることがある。そう、絶対に秘密なのだ……


 私、久野市 忍が、くノ一……つまり、忍者であることは。絶対に秘密なのだ。


「あ、ゴキブリだ」


 ふと、視界の端にカサカサ動くものを発見。このアパートは結構年数が経っているからか、ちょくちょく虫が出る。


 あの黒いのは、その代表例。見ていて気分のいい虫ではないけど、山の中で見たことのあるあんな虫やこんな害虫なんかよりよっぽどマシだ。


 私は、懐からクナイを取り出し、ゴキブリに向けて放つ。クナイは、ゴキブリにまるで吸い込まれるように命中し、その体を串刺しにする


「はぁあ……」


 山の中で育った私にとっては、こんなのたいした障害ではない。多少は素早いようだけど、しょせんは虫だ。


 私の実家、久野市家は代々忍の家系だ。忍の里で、ひっそりと暮らしていた。そこで、私は自然の中で一人で生きてきたものだ。


 転機が訪れたのは、私が十五歳になってからしばらく経った頃。じっちゃまから、とある人物に仕えるようにと、仰せつかったのだ。


 その人物こそ、この家の主……いや、アパートの一室を借りてるだけだから、主ではないんだっけ。まあいいや、私の今の主ではあるんだし。


 どうやら、じっちゃまと主様のお祖父様はお友達らしい。しかし、お祖父様が亡くなったことで、莫大な遺産が残された。お祖父様の息子夫婦はすでに他界しており、相続権は主様ただ一人。


「へくちっ」


 私は、悪意持った人間が主様から遺産を奪うのを防ぐために、主様の下へとやって来た。


 主様の所に来たのは指令のようなもの……だけれど、一緒に過ごしていくうちに……なんだか、胸のあたりがポカポカしてきたのだ。


 そのポカポカの正体は、残念ながらわからなかった。けれど、想いを伝えるというこの日なら……その気持ちの正体も、わかるかもしれない。


 だからこうして、チョコレートを作っているんだ。


「……別にずっと、冷蔵庫の前で待ってる必要はないのか」


 今主様は、外に出ている。お友達と遊ぶ約束があるとのことで、私には都合が良かった。


 本人のいない間に、サプライズとしてチョコレートを用意、そしてプレゼント。ふふふ、これは完璧ね。


 さて、主様が帰ってくる時間までまだあるし、お部屋の掃除でもしようかな。今でこそそれなりに整っているけど、男の一人暮らしだからか主様、私が来たばかりの頃部屋はすごく汚かったし、掃除しないとすぐに……


「ただいまー」


「わひゃあ!?」


 掃除道具を用意しようとしていたところへ、玄関の扉が開く。へ、変な声出ちゃった。


 バカな……私が、なんの気配も感じ取れなかっただなんて。


「あ、あ、主様!?」


「忍……どしたの、そんな慌てて」


 これは、まさかの事態。まだ時間があると油断した、まさかもう帰ってくるだなんて!


 冷蔵庫には、冷やし始めたチョコレートがある。なんとしても、冷蔵庫を開けさせるわけにはいかない。


 どうする、どうする私! どうする久野市 忍! こんな窮地、今までに何度も脱してきただろう! 五歳の頃、山の中で熊と戦わされたことに比べれば、こんなこと……


「……あれ、主様……その、袋は?」


 ふと、主様の手には、袋が握られていることに気づいた。赤色の、結構高価そうな袋だ。


 あんなもの、家から出るときは、持っていなかったはず。


「あ、あぁこれ? 実は、チョコ貰っちゃってさ、あはは」


「ぁ……そう、ですか」


 袋を掲げ、照れくさそうに笑う主様の顔を見て、私は悟った。休日である今日学校はないが、遊ぶために会いに行っていたお友達の中に、女の子がいたのだ……二人きりだったのか、それとも男女のグループかはわからないが。


 その中で、主様はチョコレートを貰った。そういえば、誰とどこで遊ぶのかも聞いていなかった……もしかして、相手の女の子はチョコレートを渡すために主様を呼び出したのかも。


 そりゃ、主様は素敵な方だ。なので、女の子から好意を寄せられるのも、当然のこと……なのに、どうしてこんなにも胸が……


「せっかくのチョコだし、ちょっと冷やしとかないとね」


「そうですね……ん?」


 そこで、私はようやく気づく。私としたことが、少しボーッとしてしまっていた……


 その間に、主様は冷蔵庫の扉を開けて……


「あれ、なんか入ってる?」


「わぁー!!?」


 気づいたときには、もう遅かった。主様は冷蔵庫の中身を覗き込み、それを発見した。あぁ、私としたことがこんな凡ミスをしてしまうなんて……


 それを見られてしまった以上、ごまかすことは不可能だろう。


「忍、これは……?」


「あ、あのぉ、そのぉ……ちょ、ち、ちょ……」


「?」


 あぁ、なんでだろう。ただチョコレートと言えばいいだけなのに、こうも言いにくいのは。なんでだろう、この気持ちはなんだろう。


 熊と戦ったときの恐怖感とも似ているような……いや、でもあんな危なっかしい感じじゃなくて、これは……


「ちち、チョコレート……ですぅ……」


 どのくらいそうしていただろう、それでも主様は、なにも言わずに待っていてくれた。優しい。


 なんだか、顔が熱い。まだ夏でもないというのに、どうしてだろう。


「チョコ……まさかこれ、作ったの?」


「は、はい……」


 主様の、驚いたような声。それはそうだろう、今まで私が作ってきた料理で、評判のいいものなどなかったのだから。


 きっとこれも、失敗作だと思われてる。私が作ったのを内緒にして、買ってきたものだとごまかして食べさせてから、ネタバラシしようと思ったのに。


 最初からバレては、もう……


「その、それは……」


「へぇ、美味しそう! 食べていいの?」


「へ? あ、はい……」


 思わぬ発言に、ついつい間の抜けた声が出てしまう。だって、私が作ったと知って、まさか受け入れてもらえるとは思わなかった。


 主様は、貰ってきたチョコを冷蔵庫に入れて……完成していた、私のチョコを口に運んだ。


「あむ……んん、おいしい!」


「ほ、ホントですか!?」


 おいしいと、その言葉を聞いた瞬間、胸の中が温かくなるのを感じた。


 私は、ちゃんと務めを果たせているかわからないけど……主様の喜んでくれる顔が見れるなら、それは一番嬉しいことだ。それが本来の役目とは外れていても。


 きっと、今ならこの気持ちを……


「あの、主様……私……」


「うん?」


「…………ここに来て、よかったです。私、毎日が楽しいです!」


 それは紛れもない、本心だ。胸の中の気持ちを、全部言えたわけではないけれど。


 里では、味わうことのできなかった日々。主様と一緒にいることで、私の中の世界が変わっていっている。


 今は、これだけで充分だ。こうして、一緒にいられるだけで……もし、本当に気持ちが我慢できなくなったら、そのときは……


 こんな日も、悪くない。想いを伝える、特別な日も……うん、悪くない。そう、思った。

もしかしたら今後書くかもしれない、思いついたキャラクターで書いた物語です!

くノ一さんと久野市さん、そういうお名前の女の子です。


面白いと思ってもらえたら、評価やブックマークお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] こんばんはー。 バレインタインデーでの感想に間に合いませんでしたがっ( ゜Д゜) 可愛い……。ほのぼのしてて、主様の為に頑張る久野市ちゃんが健気。虫の対処の仕方、クナイでいいのかっ。 …
[良い点] 終わり方が暖かく、読後感が心地良く感じられました。 全てを伝えられない不器用さも良いですね!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ