ピエロの君(お題:僕の好きな馬鹿)
僕のクラスには、山田太郎っていう名の、思わず、本名?って思うぐらい平凡な名前の男子がいる。顔も良くも悪くもなく、本当に平凡。人畜無害そうな人間だ。彼は水泳部で、びっくりするぐらい泳ぐのが下手で、いつも部員に馬鹿にされている。放課後わざわざ彼を茶化しにプールまでやってくる生徒もいるくらいだ。
「おい、山田、何か面白いことやれよー」
そんなヤジが飛ぶこともしょっちゅう。それに対して彼は陽気に何か返答することもあれば、やけに真面目腐ってバタフライをやって見せたりする。それに対して「蝶っていうよりは蛾じゃねえか」なんて、またヤジを飛ばされている。
そんな彼と初めて話したのは、文化祭の後片付けで出たゴミをゴミ捨て場まで運んでいた時だった。
まだ金木犀の香りがしていた。彼もゴミを捨てに来ていて、その場でたむろしていた生徒たちに絡まれていた。
「合唱、お前だけ声裏返ってたぞ」「ああ、あれは傑作だったな。もう一回やれよ」などど次から次へと。
「お前もそう思っただろう?」そう、いきなり僕に話を振られて少しどきっとした。
「いや、自分は別に...」
そうぼそっというと、たむろしていた生徒たちはどこかきまり悪そうに、散らばっていった。
彼の表情からは何も読み取れなかった。馬鹿にされた怒りや羞恥のようなものも、何も。
僕はそれがいつも不思議だった。彼はクラスで一番馬鹿にされているけれど、もしかしたら、馬鹿なのは僕たちの方で、本当は彼が正しいのではないかと、なんだかそんな気分になることがあった。
彼は、ずっと前にどこかで世界の真実のような、僕たちが知りも知らないような大きなことを知ってしっまたのではないかと、そんな思いが起こることもあった。
「君はさ、どうしていつも馬鹿みたいにしてるの」そう聞いたのは、また不思議な気分に襲われたからだ。彼は僕の方をじっと見た。そんなことを聞かれたのが不思議だとでもいうように。
「僕は面白くありたいんだよ。人を笑わせたいんだ」
その彼の答えにまた疑問を感じた。彼は人を笑わせることに喜びを抱いているようには見えなかったからだ。
「どうして?本当に?」
その僕の言葉に彼は静かに笑って答えた。「本当だよ」
そうして僕らは黙ったまま、ゴミを捨てた。
「ピエロはさ、」
急に帰りがけに彼がふと口を開いた。
「ピエロはさ、目の下に雫が描いてあるじゃん。笑いは悲しみを包括しているんだよ。どうしても悲しいとき、人は笑うじゃん。きっと、ピエロは人には本当に笑っていてほしいんだよ。そうして自分も救われているんだ」
そう言ったのが彼だったのか僕の空耳だったのか、よくわからないくらい静かな声だった。
それが、僕が彼を見た最後だった。家の事情で彼は遠くに引っ越したらしいけど、まだどこかで誰かを笑わしているような気がする。