醜悪かつ可愛く、不快かつ滑稽
「俺は松山康平。男だ。お前たちは男は死に絶えたと教えられてきたと思うが、ご覧の通り、男はまだ居るんだぜ。」
MATSUYAMAKOUHEI。随分長く、奇妙な名前だ。男というのは長く奇妙な名前を持つのか。男女とは社会的な雌雄の事をさしていう時の呼称であると聞く。社会的に、長い名前を持つ事が男にとって何らかの価値を生むのだろう。
「とりあえずお前たちには男がまだ存在しているという事を知って欲しかった。今はただそれだけなんだ。口外したって構わないぜ。むしろそうして欲しいくらいだ。今日はご足労だったな。」
そういうと男は25人全員に安物の茶封筒を渡した。中にはA地区の労働者の約2ヶ月分に相当する金額の紙幣が入っていた。高醜度者たちにすれば飛び上がって喜ぶべき場面だが、男の存在に気圧されてそう出来ずにいた。
「さ、質問があれば受け付ける。答えられる範囲で答えよう。」
一同は押し黙っている。男の出現があまりに意表を突く出来事だったのだ。ただただ男を観察するのみである。
HANAKOには聞きたい事が山ほど有るはずだし、そもそも捜査なのだから出来るだけ沢山の情報を仕入れておきたいのだ。何から聞くべきか必死に考えていると、男と目があった。男は半笑いでHANAKOに目くばせをした。どういう意味だろう。意を決してHANAKOは口を開く。
「どこに住んでいるのですか。」
男は少し驚いた表情を浮かべた。
「だいたい何の質問も無く終わるんだけどな。あっても、性器を見せろ、とか下らないことばかりだ。無理もないことだけどな。お前は度胸があるんだね。頭も良さそうだし、いい事だ。他のみんなも本当は馬鹿じゃないんだぜ。教育が足りてないだけなんだ。悪いことしてる奴も多いだろ。身分が低いから仕方ないと思ってるんだろうな。俺がこうしてここにいるって事は、そうじゃないってこった。まあおいおいわかってくるはずさ。性器だったら希望者には後で見せてやるから、その質問は今日はなしだ。解散後残ってくれ。さて、俺がどこに住んでいるか、だが。」
雌雄の決定的な生物学的な差は性器の差異である事は知っている。確かにその部位がどんなものか確認はしておきたい。解散後、残ろう、とHANAKOは考えた。
「具体的には教えられないし、教えてもお前たちには行きようもない場所だ。ここからはかなり離れているよ。そこには男も女もいる。女の方がだいぶ多いがね。お前たちとは違う秩序、つまり、違う決まり事にしたがって生きているよ。まあ、今日はこのくらいにしておいた方がいいだろうな。」
「ここ以外にも人がいるって事だね。」
他の者が尋ねた。口火を切る者がいれば後は矢継ぎ早に質問が飛ぶものだ。質問に対し、男は首を縦に振った。
「誰もアンタ達の事を知らないのはどういうわけだい。」
「お前らは教えられてないからな。」
「なんで教えてくれないのさ。」
「こっちの連中は誰も知りゃしないよ。」
「随分変な名前じゃないか。やけに長いよ。」
「苗字ってのがあるんだよ。お前達には家庭という概念が殆ど無いから知らないだろうが、向こうじゃ人間は家庭という単位で暮らしてる。個人の名前とは別に家庭に名前をつけるんだよ。正確にはイエに名前をつけるんだ。その方が役所仕事が便利なのと、血の繋がりやイエに社会的な意味を持たせる事にメリットがあるんだな。血の繋がりなんて言ってもお前らにはピンと来ないだろうがね。お前らの中にも一緒に住んでいる仲間がいる奴が居るだろうが、そういうのは家庭とかイエとはあんまり言わないんだな。苗字ってのはそういったものとイエを区別するための儀式みたいな物だと思えばいいよ。国という概念もお前達は持たないね。それにしちゃあよくやってると思うよ。国ってのはもっと大きな群れの呼び名だと思ってればいい。外に別の世界がある事を知った今、お前達の頭の中に、中と外の区別が何となく芽生えて来ただろう。その、中、の事を今は国だと思っててくれればいい。実際はもっと大きなものだし大きくなればいいんだけど。ちょっと喋りすぎだな。俺の名前は、松山がイエの名前で、康平が個人の名前だよ。お前らと同じ様に呼ぶなら俺は康平だ。康平と呼んでくれればいいよ。」
「交尾はどうやるんだい。」
「犬や猫のを見たことはあるだろう。だいたい似たようなもんだよ。」
「じゃ、あんた達は交尾で人間を増やしてるんだね。」
「そうだよ。」
「あんなもの気持ち悪く無いのかい。猫なんか嫌そうな声を出してるし、終わった後メスがぶん殴ってるじゃないか。」
「むしろ気持ち良いんだよ。だいたいみんな交尾は好きだよ。」
マスターベーションは奨励されている。人間がまだ交尾をしていた頃の名残であると教えられていた。人前ですることではないが、特段、隠すべきことでもなかった。確かに気持ちの良い事だから交尾も気持ちの良いものである事は納得できる。しかし人間を今でも交尾で増やしている者が居るというのは意外な事であった。ではなぜ私たちの子供は里親センターから配られるのだろう。HANAKOはその事を聞きたかったが、この男はそれに答えてくれない様な気がして、聞くのをやめた。知らないかもしれないし。それに捜査に役立つ情報とは思えない、と自分を納得させた。HANAKOは別のことを聞いた。
「私たちに男の存在を知らせた目的は何。」
男は頭をかいた。
「知っておいて欲しかったから。」
気に入らない答えだ。何で知っておいて欲しかったのかを聞いているのだ。これ以上聞いてもこの男は答えまい。それにあまり知的な質問をしすぎると、身分がバレてしまう。
その後、別の者たちが排泄の方法などについていくつか質問し、ひと段落したところで男が解散を宣言したが、全員その場を動かない。男は、仕方ないな、という表情をし、ズボンを下ろした。
それは醜悪かつ可愛く、不快かつ滑稽な代物だった。女たちの内の何人かは声をあげて笑っていた。