少女A
電話がいつかかってくるか分からぬ以上、「少女A」に潜入して電話を待つ必要がある。MAKIKOからの通報を受けてからでは初動が遅れる恐れがあるからだ。
HANAKOもMIYUも潜入捜査はやや億劫であった。居住区が美醜で厳密に分けられているためそのままの容姿では潜入不可能なのだ。高醜度地区への潜入には目視出来ぬほど薄く透明度の高いストッキングの様な素材で出来たマスクを着用し顔面を局所的に圧迫する事によって自己の醜度を極端に高める必要がある。単純に暑くて苦しく、不快極まりない。
二人は潜入用の服装、つまり安物の作業着に着替え、高醜度化迷彩装備と呼ばれるそのマスクを着用し、お互いの顔を見て情けなく笑ってから、小型拳銃と管理センター職員証を上着裏に忍ばせ、安物の自動車でB地区に向かった。
居住区間の移動は全く自由である。行政施設が全体の中心に位置するZ地区に全て存在している為、主要な道路はZ地区を中心に各居住区に向かって放射線状に広がっており、高醜度地区間を繋ぐ不規則な道路がそれを横切っていた。丁度蜘蛛の巣状に道路が配置されている格好だ。各主要道路を車で3〜4時間も直進すれば隔壁もしくは海に到達する。海岸は岩場であり船の接岸は不可能であった。そもそも住民は船の存在を知らない。隔壁は高さ30メートルほどの壁である。その向こうには何も無いのだという。よじ登って壁の向こうを確認することは別に禁じられてはいない。年に2、30人程度は壁を登るおっちょこちょいが現れ、その内の数人が落下して死亡する。
(死体は管理センターと消防センターで処理する。耳の後ろへの埋め込みタグによる身元確認の後、即座に火葬され共同墓地に埋葬される。死亡したことはその後速やかに公報で通知され、親しかった者で葬儀を行う。因みに、病気や事故、老衰による死亡の際も同様の方法で死体が処理される。)
壁の向こうを見る事に成功した者は、確かに何もなかったと言う。地面ぐらいは有ったのだろうと聞くと、地面はもちろん林や森もあるが、それ以外は何も無いということであった。おそらく単に居住区を自然と分けているに過ぎないのだろう。いつ誰がそのような措置を施したかは正確には誰も知らなかった。
「少女A」には1時間30分ほどで到着した。
「少女A」はAB地区の肉体労働者向けの酒場である。本来、高醜度地区での歓楽施設の営業は違法である。先述の通りエリートの天下り先が管理している都合上お目溢しされているというのは事実だが、実際のところ、貧しい者ほどこうした施設を必要としておりガス抜きが必要であるとの判断のもと、単に法律を書き直すのがめんどくさいから放置しているというのが実情だった。
二人はしばらく「少女A」の従業員として交代で働くこととなる。最初は慣れるまで2人で出勤し、仕事を覚えたら交代で店に出る、という体だ。
二人は仕事の説明を受けた。店主のMAKIKOによれば、みんな同じ酒しか飲まないし、給仕は楽だよ、との事だった。むしろ吐瀉物の掃除や暴力沙汰の仲裁の方が主な仕事なのだそうだ。あとは賭け事の胴元である。私的なギャンブルについては特に取締の対象ではなかった。HANAKOとMIYUもギャンブルは好きな方だ。億劫な高醜度化迷彩装備の下で、密かに二人は楽しみにしていた。貧しい者から金をむしるのは少々気が引けるが、店側が有利とはいえ個人としての自分は負けるかもしれないのだから、と自分に言い聞かせた。手本引きや丁半、チンチロリン、花札、麻雀、バカラなどのローカルルール、寺銭などについての説明を受けている時、二人は内心浮き足立っており、テロ共謀については実の所、半信半疑で、さほど重く捉えていなかったのだ。
二人は、100キログラムは優にありそうな巨体を持つYURIKAと挨拶をした。YURIKAは店の用心棒を務めている。本業が別にあり、なんと大相撲の力士なのだそうだ。幕下とはいえプロの力士だ。恐ろしく強いに違いない。年はかなり食っているので引退は近いのだろうが、暴力沙汰の時は大層心強いだろう。
店主のMAKIKOは忙しい週末しか店に出ない。平日は他に店員が二人おり、それが交代で出ている。今日は土曜日であるから、店主MAKIKOとYURIKA、そしてHANAKOとMIYUの4人で店番をすることになる。
「あんたらちゃんと働いてもらうからね。今はあたしの部下だよ。」
潜入捜査なのだ。二人はもとよりそのつもりである。
「少女Aという店名の由来はなんですか?」
MIYUが聞いた。
「ここはB地区だけど、客はA地区の者が多いからね。それで少女Aさ。B地区の客はA地区の客を陰でそう呼んでんのよ。A地区の者は気にしちゃいないけどね。B地区の奴らはA地区の奴らを見るとちょっとだけ、スッとすんのよ。」