世界が敵に回ったとしても、それでも君は美しい。
冬の風が吹くロンドンで、金の髪を靡かせる少女がアフタヌーンティーを嗜んでいた。
花の様に舞う白い雪がカップへと落ちると、その綺麗な六角形は形を失いゆっくりと消えてなくなる。琥珀の水色をしたダージリンからは、霧の街には似合わない爽やかな華の香りが漂っている。
「やっと見つけた……」
少女がいる席の向かい側へ、少年は呆れた顔で買い物袋を抱えたまま着席、そのまま少女が頼んでいたクッキーを1つ頬張った。雪の中を走ってきたため、黒髪は微かに雫を垂らし肩で息をしている。
疲労した少年の姿など他所に、少女は手元の小説へ視線を落としながら優雅に茶を堪能している。小説のタイトルは『完全脱獄』、ある意味彼女らしいセレクトだ。
切れた息が徐々に整えた少年は、今も尚紅茶を飲み法悦のときを過ごす碧眼の少女へ文句を垂れずに入られなかった。
「本当、連絡も無しにすぐ居なくなる……。ルパンか何かか? ロンドンだけに」
「私がルパンなら、さしずめ君は銭形といったところか」
「ロンドン関係ないぞそれ」
だが、彼女にとって彼の文句は暖簾に腕押し、糠に釘、どこ吹く風である。彼女は僅かに微笑みながらクッキーを摘み、「それに加えて」と口を開いた。
「やっと見つけたとは心外だな。私は紅茶を飲んでおくと置手紙に書いておいただろう?」
「TPOのうち、TとPが無かったら誰も分からないでしょうが。携帯電話も電源切ってますし」
お陰で今日だけでカフェを5店舗ほど梯子する羽目になったのだ。少年はこれから手紙にTPOをそれぞれ書く欄を用意しておこうと決意した。
「携帯電話だと、ヤツらに場所がバレるだろう?」
「追跡装置がついてるのを知ってるんだったら、そろそろ買い換えたらいいんじゃないか?」
「無論断る。めんどくさい」
「そのツケが俺に回ってきたんじゃあ元も子もない気がするだが……」
連絡手段が無い所為で少年が今までヤツらに追い回されたのかを、この少女は一体どの程度知っているのだろうか。少年は呆れ果てながらも周りを見渡し、安全を確認した後彼女へ耳打ちした。
「スコットランドヤードが動い始めたそうだ」
「……じゃあこの街もお別れか。もう少し長居したかったものだ」
「住み心地は良かったんだけどな」
少女の哀愁を帯びた顔を見て、少年は苦笑するしかなかった。
この国は確かに住みやすかった。流石紳士の国と言われているだけはある。食料を値引いてくれたり、隣人は夕食をお裾分けしに来てくれたり等、街の人々は余所者だった彼らに対しても親密に接してくれた。料理は美味しくないといわれていたが、国際化が進んだ現代ではそんな事は無い。まさに理想的な生活を送ることが出来た。
二週間ほどでは在ったが、それを鑑みたとしてもこの街の優しさには万謝を捧げても足らないほどだ。
ご馳走様と店主にお金を渡して会計を済ませ、彼らは霧の街へと繰り出した。尚会計は少年持ちであった。しっかり領収書を貰ったので後で叩き返してやろうと財布に詰め込んだ。
「飛行機は取ってるから夜までに荷物まとめないとな」
「出発する前にフィッシュ・アンド・チップス食べに行かないかい? モルドビネガーの味、かなり気に入ってるんだよね」
「専門用語っぽいこと言ってるけど要するに酢だよな?」
「酢は酢なんだが…………残念ながらお預けのようだ」
少女が少年を制止すると、少女は手元のアタッシュケースに、少年は腰のホルスターにそれぞれ手をかけ臨戦態勢を取る。
間もなく霧の向こうから警察服を身に纏った大柄の男性数名が近づいてきた。
その中の1人が、少年に向かってドスの効いた命令口調で話しかけた。
「そこの少年。腰のものから手を離して投降しなさい」
英語ではあるが、確かにそう言っている。「Hey Boy.」って言ってるから間違いない。
少年は警戒を切らさないまま溜め息を吐いた。勿論ホルスターからは手を離さず。
「俺だけかよ……」
「君が結婚式場で花嫁を奪って逃走したからじゃないか?」
「お前がもっと早く根回ししてればあんな面倒くさい事にはならなかったんだが……」
「生返事ばっかりしていたら気づいたときには結婚することになっていた」
「自業自得じゃねえか。その罪を何で俺が被ってんだよ」
「仲良くお話でもいいが、続きは署でやってくれないか? 特に少年、貴様には連続殺人容疑がかかっている」
大柄の警察官が痺れを切らしてそう声を発した。彼の手元にある拳銃は苛立ちからか、力が込められて握られ僅かに震えている。
少年は片方の手のひらを上に向けて警察官に向けて提案をかける。
「えっとー……冤罪なので見逃してくれ、って英語でどう言うんだ?」
「Please miss it because it is a false charge.」
「そう、それそれ」
「詳しく場所で聞く。付いてきてもらおうか」
どうやら今回は警察に話が通じないらしい。
少年と少女は顔を見合わせると、お互いにニヤッと笑い、
「無論断る」
煙玉を投げてその場を逃走した。催涙ガスと麻痺ガスが混ざった少女特製品なので、効果が無いことはないだろう。
少女はクスクスと堪えきれずに笑いを零しながら、常人よりも遥かに速く霧の街を走り抜けていった。その瞳には、警察官に追われているにも拘らず歓楽とした感情が浮かんでいる。
やっとの思いで少女に着いて行く少年は、この状況を楽しんでいる少女に改めて呆れると共に、少し楽しんでいる自分にほんの少し、本当に少しだけ笑いを零した。
「これじゃ大家さんにお礼を言えないな」
「私が出て行くときに先に謝礼金とか色々渡したから大丈夫だよ。ついでに荷物も運んでもらった」
「それはありがたいな……相棒の俺には一切言わないで話を進めるの、止めて欲しいんだけど?」
「それは君が日頃ニュースで何て言われてるか知ってての発言かい?」
本当は知っている。このやり取りも何百回とやっているが、少年は今回も首を横に振る。それを見た少女はいつもと同じように面白おかしく笑った。
「『史上最悪の連続殺人犯』『Dead or Alive』だよ? それで大家さんにはお金を積んで何とか泊めてもらってるのさ」
「あーあ、最悪だ」
少年は感情を無にしていつものように口から言葉を発した。
どこかの誰かが彼に罪を擦り付けているのだろう。現実では生き物1匹殺したことすら無いのにこの仕打ちだ。……蚊は殺したことがあるがノーカウント。
少年は未だ笑い続ける美少女に対して、皮肉めいて言葉を吐いた。
「そういう君は裏のヤツらから何て言われているのか知ってるのか?」
「当たり前さ」
飄々と走り続ける少女にこう返されるのも何回目か。そろそろ息切れしてきた少年は続く少女の言葉を待った。
金の髪を後ろに置き去りにしながら、少女は端正な顔立ちを僅かに綻ばして有り体に言う。
「表社会から狙われる君。裏社会から狙われる私。全世界を敵に回したろくでもないタッグだな」
「全くだ」
少女の自嘲じみた言葉は二人の境遇を端的に表している。
少年と少女は互いの顔を見るとお互いに笑いを噴き出した。
その笑いは何に対しての笑いか。少なくとも彼らの思考が一致した一笑であることは間違いない。
少女は自然にこの世界を罵倒した。
「駄目だね、この世界は」
「ああ、駄目だな」
それが彼女の口癖であり、いつの間にか少年の口癖になった言葉でもある。
「こんな美少女を狙う組織がいるなんて、一体どこのセクハラ組織なんだろうな」
「自分で美少女言うなよ。価値が落ちるぞ」
まぁ美少女には変わりないがな、との言葉は少年の心の中で留められた。少年が霧に隠れたロンドンから空を見上げると、僅かに誰かの瞳と同じ碧が広がっていた。
これは少女と少年が世界を相手に闘う話。
たとえ世界が敵になったとしても、それでも君は美しい。
海ぶどうと申す者です。
好評ならば続編を書こうと思っている次第ですので、気になった点、悪かった点等も含めて感想で書いていただけるとありがたいです。
普段は旅行をメインとした小説を投稿しております。興味があればそちらも御一読ください。
「もしもし私メリーさん。今、貴方と旅をしてるの!」
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