3 同伴帰国
城に案内し、せめてもの食事をふるまおうとしたが、聖女まどか姫に「お気遣いなく」と断られた。しかも今日中に帰国するという。長旅で疲れているだろうに、あくまで迷惑をかけないつもりらしい。私はみざにん政務官に耳打ちし、帰りの道で食べられるように何か包むよう指示を出した。
「聖女まどか姫、我が国のために聖歌を歌ってくださり、国を代表してお礼申し上げます」
まどか姫を応接室のソファに案内すると、私は改めて礼を述べた。
だが、実のところ、どんな意味があったのかはいまだ不明だ。
急を要するという事で、あきら神官が説明する前に聖女まどか姫が歌唱した。
まどか姫もこちらの理解度は承知しているのだろう、脇に立つあきら神官にちらと視線を送る。あきら神官は頷くと、口を開いた。
「今回の災厄は、神のご加護が弱まったためだと考えられます」
「神のご加護が……?」
「はい。我々奉禄教会が、そのことを確認しております。そして、神の力を復活させるには聖女による歌唱が最も効果的なのです」
奉禄教会とは、奉禄神――ほうろくしん、まつろがみ――を奉る宗教団体だ。奉禄教は世界的にも最もポピュラーで、我が国の国教も奉禄教。だが、信仰が遅れている自覚はある。対して、林村王国といえば奉禄神と共にあると言っても過言ではない。
そして林村王国において聖女とは、神に選ばれた聖なる巫女のことをいい、聖歌を歌うことで神に望みを伝えられるらしい。
そんな神に選ばれし乙女こそが、正面に座る聖女まどか姫。
隣に立つ神官よりひと回りもふた回りも小さいながらに、凛と大人びた目をした彼女からは、たしかに神聖なオーラが出ている気がする。
「友浦王国には、聖女はいらっしゃらないのですね」
「いませんな」
友浦王国は奉禄神によって護られているという自覚自体これまであんまりなかった。
まどか姫が身を乗り出して、強い口調できっぱりと言う。
「それ、よくありません! 早急に立てるべきです!」
鋭い視線に、私はちょっとうろたえる。国民に微笑みを振りまく聖女まどか姫も素敵だが、国を想い真剣な眼差しの彼女にはまた別の魅力がある。
「選別をするべきですか。しかし、どうやって……」
しかし耳が痛い。神からのご加護というものを、もしかしたら受けているのかもなあと思いつつ、まあでもわからないしなあなどと放っておいた。そういういいかげんさは何とかした方がいいとずっと思っていたし、各方面からも色々言われていた。
さすがに今回の魔物の襲来で、私だって今の国の在り方に自信をなくしている。やはり信仰は大事なのだろう。
「聖域、凍鏡に氷華草原があります」
まどか姫は真剣な面持ちのまま告げる。
「そこには聖なる氷華が植わっていて、聖歌を聴かせている間だけ蕾が花開くのです。それを選別に使うとよいでしょう。我が国ではそうしています」
「氷華……そんなものが」
「しかし、聖域から離すと二、三日で融けてしまいます。花が融けぬうちに、聖女を見つけるのです」
あきら神官がさっと地図を広げ、具体的な場所を教えてくれた。ここから東の方へ行ったところ、林村王国の手前にあるようだ。
「よし。花の扱いに長けた庭師のなりを遣わせよう」
「いいえ、凍鏡は特殊な場所で、氷魔法の心得無き者でないと危険です」
「なんだと、そうなのか。危険……うむぅ」
そんな危険を冒してまで行くべきだろうか、とも思ったが、そういうことを後回しにしてきたツケが今回来たのかもしれない。
「氷の魔法か……」
圧倒的な力で城を守ってくれた魔術師あんぽんたんのことを思い返す。同じことを考えていたのだろう、私の隣に立つ王騎士岡田はこちらを見て、
「魔術師あんぽんたん様に協力を要請しますか?」
阿吽の呼吸で提案してくれた。
「彼は一度友浦王国を助けてくれた。しかし、私は何も礼をできておらぬ……」
「一度話をしてみるのはいかがです?」
「あやつと話はできるのだろうか?」
「通信魔法で、呼び出すくらいはできますよ」
いや、文字通りの意味である。彼が話すのを聞いたことがない。
だが、魔術師あんぽんたんの協力が得られれば、百人力だろう。
まどか姫と私がしばし交流を深めている間に、魔術師あんぽんたんが応接室に通された。黒のローブを羽織り、ゆらりゆらりと歩く長身の姿はさぞ注目を集めたに違いない。だが彼が国の一大事を助けてくれたことは折に触れて国民には伝えてある。不愉快な思いをさせることはなかったはずだ。
「呼び立ててすまない。城の者らを守ってくれた礼もまだだが、頼みがあるのだ」
魔術師あんぽんたんは案山子のように黙ってじっとこちらを見ている。
「氷華をとってきてほしいのだ。氷の魔法の使い手にしかできぬことだ。どうもそこは危険な場所らしくて……」
私の言葉に、あんぽんたんは微動だにしない。
「我が国にいる氷魔法の使い手達を集めてからでもよい。早いにこしたことはないが、任せる。そなたが望むのなら、王都に住まいを用意し、生活を保証する。それとは別に報酬も出すからな」
最大限礼をすると王直々に申し出てみたが、彼はまだ特に何も言わない。
「他になにか希望があれば、叶えるつもりだ。私の力を貸そう」
威圧するでもなく、値踏みするでもなく、ただただ凝視されること数秒。
「や……やってくれないだろうか?」
私が答えを求めると、彼は何も迷うことなくこっくりと頷いた。
「あ、ありがとう!! すまないな」
しかし、本当にいいのだろうか。
齟齬などが生じていないか不安になる。そこがどうやら危険な場所だということを、わかっているだろうか。
「何か頼みがあれば遠慮なく申すのだ。私にできることなら、なんだって構わぬ! ううん、もっとあんぽんたんのことを教えてくれぬか? あんぽんたんは、何が好きなのだ?」
つい感情込めて迫ってしまった。
彼は話せないのかもしれないし、話すのが好きではないのかもしれない。問い詰めては、困らせてしまうかもしれない。
そう思っていたら、彼はパカッと口を開いた。
「同伴」
「同伴?」
私はぱちくりとまばたきをする。
要求?
いや、違う?
なんだ? 氷華を取りに行くための打ち合わせか?
「同伴……といえば、いっしょに連れ立って行くこと……か? 私が共に行けばいいのか?」
「あぶないからこなくていい」
「そ、そうか……」
聖域・氷華草原はやはり危険なのだ。それは彼もわかっているらしい。
同伴?
……ああもうどういうことなのだ。
こちらのやりとりをじれったそうに眺めていたまどか姫が間に入ってきて、話を進めるべく言った。
「氷華草原へゆかれるならこの護符をお持ちになるといいでしょう」
何やらご利益のありそうな札を渡される。
「これは?」
無口なあんぽんたんに代わり私が尋ねると、まどか姫が答えた。
「聖域への入場券のようなものです」
あんぽんたんは私から手渡された護符に視線を移す。
沈黙。
そして彼は雪のようにすーっと消えてしまった。
「……行った、のか?」
まるで意味がわからない。
だが、私は魔術師の力がホンモノであることは知っている。
そちらは任せて良いだろうが、本当に謎の男だ。
それから私とまどか姫は、一国を預かる者同士いろいろと話し込んだ。魔物や信仰の情報交換にとどまらず、王族としての悩みや夢など、尽きることはなかった。
「友浦国王、そろそろお暇します。落ち着いたら、ぜひ私の国にもお越しください」
「そうさせてもらいます。もうすぐ“時のパレード”がありますしね」
「ええ。招待しますわ」
「ありがとう」
王城に停めていた馬車を正門に回し、皆に見守られる中、気品高く乗り込むまどか姫。
――の顔がサッと曇った。
「!」
「どうかされました?」
間近で見ていた私は心配になって声をかけた。
「凍鏡で何か起きたようです。あきら神官、行きましょう」
凍鏡で?
魔術師あんぽんたんの身に何かあったのだろうか。
「あきら神官が氷魔法で先陣を切ってくれますか」
「承知しました」
まどか姫はきびきびと指示を出している。ここから氷華草原に向かう気らしい。
「……っ、私も連れて行ってくれないか!?」
「陛下、何をおっしゃるんです。危険です」
私の脇で警護に当たっていた王騎士岡田がとんでもないというように一歩前に進み出る。
その意見はごもっともだ。
「だが、国の命運を握る氷華のために命を張ってくれたあんぽんたんをただ待つなどできぬ! 私はまだ、彼に何も礼をできておらぬのに。それに、まどか姫と一緒だ」
私には、このまま彼女についていって何かを学びたいという気持ちもあった。
「お任せください! 友浦国王陛下は、わたくしたちがお守りします」
あきら神官が叫ぶ。他にも氷の魔法に長けた者は多数いるようだ。さすがは林村王国の騎士団である。
「元はと言えば、凍鏡に行くよう助言したのは私ですからね」
馬車に乗り込んだまどか姫は、私に手を伸ばしてくれた。私は迷うことなくその手を取る。
岡田は扉まで駆け寄って言う。
「私も参ります。私が得意とするのは戦闘魔法なので、どこまで役に立つかわかりませんが」
いや、岡田の戦闘魔法には、間違いなく国を守るだけの力がある。
「だめだ。お前が来ては、何かあった時に国を守るものがいなくなる。その力は国民のためにふるってくれ」
「しかし、陛下!」
「とにかく行ってくる!」
私の声を合図に、黄金の馬車は走り出した。
一時間ほど走っただろうか。東に行くにつれて、急な寒さに凍えるほど冷やされる。さっきまでの穏やかな気候は一変し、ものすごい吹雪に見舞われ始めていた。
「この悪天候は不運です。氷の神獣の力が増してしまいます」とまどか姫は顔をしかめた。
「でも護符が守ってくれるはず――」
その時、馬車が急停車した。私はつんのめって、正面のまどか姫に覆いかぶさってしまう。
「す、すまない、まどか姫」
「大丈夫。でも、何があったのです!?」
姫の問いかけに、御者が叫ぶようにして返す。
「だ、誰かが、倒れています!!」
あの黒のローブには見覚えがあった。
「魔術師あんぽんたんではないか!! ボロボロだ……!」
私は飛び降りて駆け寄った。倒れ伏し、半分雪に埋もれている。しかも、体中傷だらけでローブに穴も開いている。
「お、おい……大丈夫か?」
あんぽんたんはむくりと顔を上げる。生きていた。ホッとする。
「猛吹雪で、護符がどっかなくなった」
「そうだったのか。と、とにかく、国へ戻るのだ」
すっと彼の左手が上がった。
「一輪だけ取ってこれた」
その手には、傘が閉じたような形の蕾の花が握られていた。花は水晶のように透明で尖っており、茎もダイヤモンドのように輝いている。
「なんて綺麗な……」
思わず感想が漏れてしまう。
「ありがとう。あんぽんたん」
這う這うの体でこれを取ってきてくれたことには、感謝の念を抱かずにいられない。
「さ、馬車に乗るのだ」
私はまどか姫の馬車に案内しようとした。だが、彼はひょいっと立ち上がると言う。
「転移魔法で一緒に帰ばいい」
「大丈夫なのか?」
あんぽんたんは頷く。「寝てたから」
そうか、ここで寝てたのか。
「聖女まどか姫! 私は彼に送ってもらおうと思う!」
私を送るにはまた一時間かけて戻らねばならないが、魔術師あんぽんたんの転移魔法で帰れるなら、まどか姫御一行はそのまま東へと向かえばいい。
私は何度も礼を伝え、姫を見送った。
馬車が遠く消え、静寂が訪れる。冷たい風がびゅうびゅうと吹き付ける。
魔術師あんぽんたんと二人きりになるのはこれが初めてではない。
助けてくれた時もそうだ。
私は、「転移するから」と言いながら差し出された彼の手を取った。ひんやり冷たい。
「同伴帰国だ」
とても嬉しそうに笑っている。
……だから、同伴とは、何だろう。