2 聖女まどか姫と神官あきら 聖歌『時めきや気持ち――呼応』
私がホールから出ると、大扉の付近で警護に当たっていた王騎士の岡田が後ろにつく。
みざにん政務官が大慌てで走ったことにより噂はさらに拡大したのか、王である私が通っても使用人のうち数人は気づかずにバタバタと駆け回ったり、噂話をしている。中には、どうしてこんな忙しい時にお越しになるのだと非難がましく責める者もいた。
たしかに魔物に襲われて、この有様だ。絨毯さえ焼かれてボロボロ。とても大国の姫を迎えられる状況ではない。
だがそれは、このタイミングで急に来訪を決めた先方もわかっているはずだ――まさかバカンスに来るわけではあるまい。平時のお迎えができなかったとしても失礼には当たらないだろう。
残された僅かな時間に、私はみざにん政務官から前知識を詰め込む。前もって知っておくべき林村王国の歴史とか、文化とか。
「付け焼刃には限度がありますね」
みざにん政務官は冷や汗を拭きながら言うが、
「私は試験前こうして乗り切ってきた」
王城の前に金色に輝くかぼちゃの馬車が停まるまで、それは続いた。
私はみざにん政務官と騎士岡田を従え、馬車の元へ歩を進める。
従者が馬車の扉を開け、中から眼鏡をかけた神職の装いの男が出てきた。
出迎えた友浦王国王都民の注目を浴びながらも、彼は動じた様子もなく淡々と段を踏む。
そして彼の手を取って優雅に立つのは、お人形のように整った容姿の小柄な女性だった。噂には聞いていたが、会うのはこれが初めてだ。
触れるのを誰もが躊躇うような、あまりにも美しく静謐な雰囲気をその身に纏い、降り立つ彼女は透き通る声音で言った。
「友浦国王様、林村王国より参りました、林村王族聖女まどかでございます。この度は大変な災厄に遭われましたことを、心よりお見舞い申し上げます」
頭を下げるまどか姫に倣うように、脇に控えていた神官も頭を下げる。
私は丁寧に礼を返して一歩歩み出た。
「聖女まどか姫様、お心遣い痛み入ります。友浦王国国王、友浦です」
もう一度礼をする。そして、彼女を安心させるべくこう宣言した。
「岡田、よいか。林村王国の姫の身に何かあってはならぬ……我より優先して守るのだ」
大国の姫に傷一つつけるわけにはいかない、国交問題になる。彼女の身の安全は、私の命よりずっと大事であることは明白だった。
岡田は一瞬の間ののち「王のご命令とあらば」と言って従ってくれた。私の横を通り過ぎ、聖女まどか姫の後ろへと回ろうとする。
しかし聖女まどか姫はすぐに首を振り、それを制した。
「いいえ、勝手に押しかけて、ご迷惑をおかけするわけにはいきません。訳あって、危険は承知の上で参りました」
いてもたってもいられないという純粋なる優しさで駆けつけたかのごとき顔のまま、しかし彼女は迷惑になるつもりで来たわけではないときっぱりと告げた。
「私の力がお役に立てると思います」
「……ではなおのこと、お守りせねば。よいな岡田」
「仰せのままに、陛下」
どちらにしても、危険を顧みずわざわざご足労くださったその思いに応えたかった。
「さて、話は城の中でお伺いします」
「それではわたくしが説明いたします」神官が先に進み出た。「わたくしは、奉禄教会神官あきらでございます――」
「その前に、一曲よろしいでしょうか?」
「え?」
聖女まどか姫が遮って、
「事態は一刻を争います。今すぐに、神に捧げる聖歌の歌唱が必要なんです」
言うや否や、その場で突然歌い始めた。
まるで聞いたことのない言語で。
私が驚いたのは最初のうちだけだった。
歌の内容まではわからないが、美しく澄み切った歌声は聴いていてとても心地よい。
聖女はのびのびと遠くまで響かせる。
聴衆もうっとりとした表情で聴き入っていた。
この時間がずっと続けばいいとただただ思った。
「これが、神に捧げる歌……」
惚けたような状態でつぶやく私の横であきら神官が頷く。
「はい。曲名は『時めきや気持ち――呼応』」
ときめきやきもちこおう。彼はそう言った。
訳してある歌詞のカードを見せてもらった。
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『時めきや気持ち――呼応』
汝だけを信じます 私の全てを捧げます
どうか、どうか、此方を向いてください
朝陽は昇らん ああ、汝の御言葉を待ちわびています 誰よりも
汝は何処におはします
今日も明日も祈ります
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「うむ……深みがあって……とてもよい歌だ……心が洗われるようだ」
実のところ聖歌としての深い意味はよく分からなかったが、神妙に言っておく。
曲名からして、神と心を通わせるという内容なのだろうか。