Episode9 出撃勇躍
いよいよ始まります。
「出撃準備!」
フェアファックス駐屯地のブンガーに、技術士の声がこだまする。
鋼鉄で鎧われたブンガー内には、高さ10メートルを越す機械の巨人と、4本の脚部と長大な砲身を持つ多脚戦車が居ならび、ヘルメットに白いラインを加えられた技術士がそれらに群がっている。
機体の随所から火花が散り、機材を積んだ作業車がブンガー内を疾駆していた。
技術士の怒号や機械的な音が絶えず響き渡っており、ブンガー内は一種の喧騒に包まれていた。
「情報。本日午前8時50分、“コンディションL5”に伴う出撃指令を軍事運用部より受諾。命令。各機械化小隊は全隊出撃、第6ヘリボーン地点にて待機せよ。繰り返す───」
耳をつんざくアナウンスに耳を傾けながら、美沙希たちはブンガーに隣接している待機所で机を囲んでいた。
メンバーは707小隊の面々である。小隊長のラングスドルフ、サングラスをかけたハリス、共に火星にやってきたイネス、エヴァ、スンシル。多脚戦車二、三号車の兵士達。歩兵である警備職員。
2日前、飲食店で自身に心ない言葉を浴びせたハルキも、皆とともに机を見下ろしている。
机の上には、太陽系最高の標高2万7000メートルを誇る火山───オリンポス山周辺の拠点、地形、兵力、火危生出没地点が記された地図が広げられていた。
他小隊が最新のホログラム地図を使用しているのに比べるとややアナログだが、ラングスドルフ曰く「紙媒体は嘘をつかない」らしい。
「今回の作戦は、今までとは違う大規模なものになる」
小隊メンバーが全員集まったことを確認するや否や、ラングスドルフはそう言った。親睦会の時は想像もできないような鋭い声だった。
「出撃する部隊は、特別編成第1連隊および同第2連隊…。前者はフェアファックス旅団の空挺大隊が、後者はマーズサーベイヤー大隊が根幹となる。作戦目標は、第2、7掘削基地の防衛と居留地南東の火危生の殲滅。我々707小隊が所属する特編第2連隊は、掘削基地防衛の任に当たる」
特別編成連隊とは、時と場合によって臨時に編成される火星開拓局の統合任務部隊だ。作戦規模、任務によって部隊の性質を多彩に変化できる特徴を持ち、部隊は軍事運用部の直接指揮に置かれる。
今回はフェアファックス旅団に所属する多脚砲兵第11空挺大隊と、マーズ・ジャッカルを有するマーズサーベイヤー大隊がそれぞれ特編連隊を編成し、作戦に当たるようだった。
「我々が目標とする掘削基地の現状だが…。“コンディションL5”の発令時よりも状況は悪化しているようだ」
ラングスドルフは皆を見渡し、続けた。
「第2基地は先日発見された火危生一大集団に包囲されつつあり、基地守備隊の基地防衛第2連隊は壊滅状態だ。一大集団の総数はおよそ400体前後とみられ、奴らは第7掘削基地すらうかがっている。
南方には同規模の集団が2群いる、というオマケ付きだ」
「400体」と言った時、メンバーの間でどよめきが広がった。
今まで火星危険生命体が出現した際は、一度に20体程度が限度だったのだが、今回はその20倍の数である。
加えて、同規模の集団があと2群確認されているときた。
皆の戸惑いも当然であろう。
ラングスドルフはそんな部下達のことを気にもとめず、説明を挟みながら、赤ペンで地図上に敵集団の位置を書き込んでゆく。
「我々サーベイヤー大隊は居留地を出撃後、衛星戦艦の火力支援を受けつつ東進する。第2基地の北西30キロまではヘリコプターに輸送してもらうが、そこからは地上侵攻だ。大隊全体による鶴翼陣形で火危生の最も薄い北面包囲を突破…第2基地に接触し、孤立状態を打破する」
地図上にはマーズサーベイヤー大隊を示す『MB』の文字が描かれ、そこから伸びた赤い矢印が第2基地を大きく迂回し、北面を突いている。
「第2基地は、希少万能金属アーレスメタルの最大掘削基地だ。今は掘削が中止されているのみだが、火危生によって施設、技術士官を失えば、今後の開拓戦略に影響がでる。ここを失うわけにはいかない。まことに悪いけど『命を賭して戦え』だよ。以上」
(こんなことって……)
美沙希はラングスドルフの説明を聞きながら、半ばあきれていた。
美沙希たち22期生が火星に来てから、今日で5日しか経っていない。来て早々こんなことになるとは、思ってもみなかった。
それに、5日のみでは、着任したての"マーズ・ジャッカル”パイロットが部隊に馴染んだとは言えない。火星危険生命体との交戦は常に連携を必要するが、それができるレベルには達していない。
「ラングスドルフ隊長。多脚戦車とマーズジャッカルの連携訓練は一度も実施しておりません。未訓練で戦闘に出ても、友軍の足を引っ張って終わりではないでしょうか?」
美沙希と同じことを考えたのだろう。隣に立つイネスがラングスドルフに抗議する。
「そうだぜラングスドルフさん。自信ねえよ」
とエヴァ。スンシルは無言だが、何かを言いたげな顔だ。
ラングスドルフは表情一つ変えることなくイネスを見、次いで手元の封筒から写真を出して机に並べる。
こういうところもアナログだ。
並べられた写真は真っ黒だった。黒く、小さい何かが集合し、半紙に垂れた墨汁のように、真っ黒に染めている。
それが火危生の群れだと気づくのに、数秒を要する。
「今朝、観測衛星が撮影した第2基地北面の写真だ。原因は不明だが、ここ一帯では観測衛星のレーザーが屈折し、正確な弾着修正ができなくなっている。普通なら衛星戦艦の艦砲射撃で覆滅するんだけど、それができない。
北面突破の際は、我々が直接の観測手となり、『サウス・フランクリン』からの面制圧射撃を実施する。火危生の大群の只中で正確な観測ができるのは、“マーズ・ジャッカル”を持つ我が大隊のみなんだよ」
美沙希は息を呑んだ。
イネスやエヴァも言葉を失う。数年前から火星にいて場数を踏んでいる職員も、美沙希たちと同じ気持ちのようだ。
「危険すぎます。戦闘中の弾着観測など不可能です。それに、面制圧射撃と言いましたね?敵位置の大体の位置は掴んでいるはずです。第2基地周辺の予想ポイントに重質砲弾をばら撒けば火危生どもは木っ端微塵でハッピーエンドじゃないですか」
戦車操縦士のハリスが声を荒げる。
ラングスドルフはすかさず反論した。
「その場合は第2基地も巻き添えで壊滅するよ。開拓局司令部はあくまで無傷で基地を奪還することを望んでいる」
「火危生400体と掘削基地一つは、割りに合う取引だと思いますがねぇ?」
「…第2基地はアーレスメタルの一大供給源だ。ここを失えば、アーレスが採れる基地は第7基地しか残らない。それは避けるべきだよ」
美沙希は自分の手が震えていることに気がつく。
興奮や武者震いではない。純粋な恐怖からくるものだ。
親睦会でハルキに言われた言葉を思い出す。
──お前の第一印象は、『早死にしそう』だった。それが間違いではないことを、お前自身の話を聞いて確信したよ。そんな安っぽいことにすがりついて戦えば、お前は死ぬ。仲間さえも危険にさらす──。
美沙希は目を閉じて軽く呼吸する。心臓は乾いた音を立て、呼吸は苦しい。頭に響くハルキの声をかき消そうとするが、声は徐々に張りを持ち始め、頭をいんいんと響いてゆく。
「腰抜けは置いていけばいい」
そう言ったのは、今まで沈黙を守っていたハルキだった。彼は一瞬美沙希を見、言葉を続ける。
「足手まといは敵より敵になる。戦いに迷いがある奴は置いて行くべきだ」
この言葉は自分に向けられていると、美沙希は一瞬で理解した。
美沙希は両手を握りしめた。震えは止まっていた。
「そんな人はいません」
自分でも驚くような冷静な声が、美沙希の口を突く。
自分は22期生の首席卒業生だ。類まれな才能の持ち主と賞賛され、“マーズ・ジャッカル”の実技教練ではAA以下の成績をとったこともない。
目標とした人間に近づくため、血を吐くような努力を重ねてきた結果だ。
それを、少し火星滞在が長いだけの一職員に否定され、臆病者扱いされ、怒りを覚えないはずがない。
怒りは一瞬で闘志に変わり、今の美沙希を突き動かしていた。。
「うん。危険度の高い任務だけど、すでに決定事項なんだよね。定員で戦ったほうが成功率も上がるだろうし、それのほうがありがたい」
ラングスドルフは小隊メンバーに顔を等分に見渡す。
誰も離脱する者はいない。
「ありがとう、諸君。時間だ」
その言葉で707機械化砲兵小隊の面々は踵を返し、それぞれの愛機へ駆け出した。
簡易エレベーターで自らの機体の操縦室へ登った美沙希は、革のシートを貼られた操縦席に身を投げ出す。
マーズジャッカルの操縦室は胸──人間の鎖骨にあたる部分のやや下に位置している。
コックピットブロックは半分前に飛び出しており、厚いアーレス合金装甲で鎧われた蓋を開閉させて出入りする仕組みとなっていた。
その『蓋』には正面、右前、左前、右真横、左真横、背後の映像を投影できるホログラム装置が設置されており、必要とあらば真上、真下の映像に瞬時に切り替えることもできる。
モニターはどこにも設置されておらず、目につく操作装置は、座席の下ある緊急脱出用の取っ手と、席の肘置きから斜め上に突き出ているトリガーや各種ボタンが付いた操縦桿のみだ。
それらの他にボタンやレバーは付いておらず、操縦室は簡潔だ。だが。
「ミサ。行けるぞ!」
美沙希のマーズジャッカル整備を担当する整備員が簡易エレベーターの上から威勢の良い声を上げる。
隣には共に火星に降り立った整備員もおり、皆が親指を突き立ている。
「わかりました。ありがとう!」
美沙希は丹精込めて出撃準備を整えてくれた整備員に感謝の気持ちを伝え、ハッチの開閉ボタンを軽く押す。
頭上の視界外から、機械的な音を立ててながら覆いかぶさるようにして、ハッチが下りてくる。
瞼を閉じるかのようにハッチは下の接合部と重なり、鋭い音と共にロックがかかった。
外部の光が遮断され、操縦室は束の間の暗黒に包まれる。
美沙希は宇宙気密服のバイザーを展開させ、左右から突き出している操縦桿を握りしめた。
手のひらの肉にフィットするように加工された操縦桿が吸いつくようにして手中に収まる。指の一本いっぽんが指定されたボタン、トリガーに重なり、少しでも手の特定の部位に力を加えればマーズジャッカルを体の一部のように操ることができる態勢に、美沙希はなった。
「 “マーズジャッカル”MB707–01。起動!」
美沙希は一喝するように叫んだ。
すると、機体の奥底から何が唸りを上げ、操縦室内に緑色の光がきらめきはじめる。
室内からではわからないが、外からは“マーズジャッカル”の頭部バイザーに白い閃光が走り、背後の排気口からは熱風が吐き出される様が見て取れるだろう。
操縦室ではホログラム投影が開始され、正面、左方、右方視界を担当するモニターが空間に浮かび上がる。
弾薬残量、損傷具合、地形を示す小型モニターが左右に投影されはじめ、加えて計器類、各種操作盤がパイロットに面を向ける形で浮かび上がる。
いずれも一瞬の出来事だった。
「“セッター1”より“タイガー1”。出撃準備完了!」
美沙希は“タイガー1”こと、ラングスドルフが乗車する多脚戦車に報告を送る。
「“セッター1”。こちら“タイガー1”。了解」
ラングスドルフのかしこまった返信が届く。
美沙希は右のホログラムモニターを見た。イネスの乗り込んだ“マーズ・ジャッカル”MB707–02がおり、その先にエヴァ、スンシルの乗った同03号機、04号機がいる。
いずれもバイザーに光が入っており、起動後であることを示していた。
「ブンガー内部にいる全整備員、技術士に達する。間も無く出撃口の開門を開始する。急激な気圧変化に備え、直ちに待機所に避難せよ。繰り返す──」
ブンガー内にはアナウンスが響き渡り、今まで作業にあたっていた職員が退避を開始した。
天井に設置された黄色い回転灯が光を発し始め、マーズジャッカルの左右から、搭載する巨大銃器、シールドがエレベーターでせり上がってくる。
美沙希は操縦桿を難なく操作し、75ミリコイルプラスターキャノン、対打撃装甲帯、高速振動波アーレスメタルブレードといったマーズジャッカルの標準兵器を装備する。
やがて、今度は赤い回転灯が回り、正面の出撃口がゆっくりと開門し始めた。
門の向こうには緩やかな坂があり、その先には赤い地平とくすんだ空が見えている。
「前へ」のラングスドルフの声で、左にいた多脚戦車が坂を上り始め、右にいるイネス達の“マーズ・ジャッカル”も進む。
美沙希のMB707–01も、足を踏み出した。
───ハルキさんに、自分が間違えていたと言わせてやるんだから。
坂を上り、徐々に近づいてくる外の光景を見ながら、美沙希は決意を新たにするのだった。