Episode8 始動前夜
ブックマークが一件増えた喜びで書き上げました。自分の小説を読んでくださる人がいる、ということは感謝してもしきれません。
では、第八話「前夜の時」お楽しみください。
‘’コンディションL5”の発令を、美沙希達はファックス居留地内の飲食店で聞いた。
店内は地球のバーを模した作りをしており、カウンターには気泡を発している飲み物が入ったグラスと、オレンジ色の飲み物が入ったグラスが並んでいる。バックヤードではグラスを拭いている初老の男がおり、その背後の棚には年代物の地球各地の酒、火星産のワイン等がずらりと並んでいた。
視界左上にはやや厚いテレビがぶら下がり、月面の娯楽バライティー番組が流れている。2人のコメディアンが月面スミス海都市群を辛辣な皮肉を交えつつ巡る番組であり、新たにオープンする娯楽施設を先立って紹介する内容のようだ。
「あ……」
その画面が唐突に切り替わり、画面に“CONDITION L5”の赤文字が右から左へ流れ始める。
それを見た美沙希はバライティー番組の中断を残念に思うとともに、『Level 5』について考える。
飛行士学校の教本には、「人類軍の攻勢の開始が決定され、火星在住の全人間にその旨を通告し、備えさせる」と習っていた。
「お前は知らんと思うが、居留地周辺で火危生の異常発生が続いてたからな。第2基地方面も、どうも胡散臭い」
カウンターの左側に座る春樹が、テレビを見上げ、コップに入っているビールを飲みながら言った。
「そう……なんですか。いやでも、出撃の準備とかしなくていいんですか!?」
美沙希は自分が来る前の火星の状態に思いを馳せつつ、こんな悠長に飲んでいていいのか?という疑問に辿り着く。
美沙希、春樹の背後のテーブル席では、新隊員の親睦会と称して、ラングスドルフを筆頭とした707小隊の要員たちがイネス、スンシル、エヴァとともにお酒や食事を楽しんでいる。
少し前からエヴァとハリスのお酒飲み比べ勝負が始まっており、場の盛り上がりは最高潮を迎えつつあるようだった。火星名物高アルコール度数のウォッカを飲んでいるらしく、2人ともすでに出来上がっており、周りの職員も声を上げ、自らが応援するほうを鼓舞している。
エヴァは初対面でハリスと殴り合い寸前にまでの険悪なムードになっていたが、それは直ったようだ。
美沙希はそのことに安堵しつつも、春樹に呆れた顔を向ける。
「みんな酔っちゃってますよ」
「“L5”が発令されたとしても、直接の命令が下りたわけじゃない。そう焦らなくてもいい。それよりも……話を戻そう」
春樹はそう言って運ばれて来たイタリアン風生春巻きを一つ口に放り込んだ。それをゆっくりと咀嚼し、飲み込み、再び口を開く。
「今はお互いを知ろうってんだ。それぞれの素性について言い合う。向こうで飲んでるレイフたちよか、よっぽど『親睦会』だな」
春樹は、素性の分からない人間とは戦わない主義だった。この過酷な火星の戦場で、背中を合わせるに足りうる人間か、たとえ上辺のみしか分からなくても、詳しく聞いておく。
それは自の部隊に新入りが来るのか、自分が新しい部隊に行くのかを問わず、新しい出会いがあるたびにやっていることだった。
春樹はその旨を美沙希に伝えており、美沙希も了承していた。
「そうですね。あまり、乗り気ではないのですが」美沙希はそう前置きしてから話し始めた。春樹はすでに素性の説明を済ませており、次は美沙希の番だった。
「私は東京で生まれました。家は比較的裕福で、私を含めた3人の姉妹を養うのにそこまでの苦は無かったらしいです。父が地球統合軍の将校でしたから、お金の面では問題なかったのでしょう。でも、日本の放射能汚染は危険でした。国内に落下した核弾頭は九州の一発のみでしたが、大陸から莫大な量の放射能が風に乗って飛来していて……っと、こんなことはもうご存知ですよね」
美沙希はやや顔を赤くしてうなじを撫でた。春樹は続けるよう促す。
「私が10代になる頃に父は亡くなりました。母もその後を追って。次女はその四年後です」
美沙希は少しうつむく。春樹はグラスを傾け、宙の一点を見つめる。
だが、やや間を開けて、美沙希は気を取り直すように笑みを浮かべた。
「地球ではこれが普通だったんですよ。白血病、伝染病、心の病、いろいろ流行していましたから。親友のイネスやエヴァ、スンシルも、みんな孤児です。これが普通なんです。むしろ私は幸運な方ですね。三女は今も元気に暮らしてますし、なによりもこの私が五体満足でここにいる。それだけで十分だと思ってますので」
「そうか。悪いな。続けてくれ」
「まぁ、はい。でも、今こそはこう吹っ切れてますが、当時の私に家族の喪失は重すぎましたね。両親が死んでからのなんねんかは妹たちを養うために働いていたのですが、次女の死で何もしたくなくなりました。三女は栄養失調で生死の合間を漂っていたのに、私は電池を抜かれた電波時計のように一切動きませんでしたね。このまま放射能がきつい東京の路地裏で死んで、先に死んだ家族に会いたい、とさえ考えていました。馬鹿ですよね。まったく。今考えたらありえませんよ。病気です」
「そこで、孤児院に拾われる」
春樹は最後の春巻きを摘んだまま呟いた。
美沙希に話を聞く前にイネス、エヴァ、スンシルからも話を聞いており、三人の話から美沙希の孤児院に入るタイミングを知っていたのだ。
「そうです。幸運なことに、孤児院の方々に拾っていただきました。それでも、私の心は癒えませんでしたけどね」
美沙希はグラスを両手で包み込むようにし、縁を見下ろす。グラスには未成年用のオレンジジュースが注がれ、淡い黄色の果肉が浮かんでいた。
「私が心の病ってやつに苛まれていた時期でしたけど、私が火星で働きたいと思うきっかけがあったのもこの時期なんです。これを言うと、少し恥ずかしいのですが……。アニメです」
「アニメ」
春樹は反芻した。
「アニメーションのアニメ?」
「そうです。ある日、私のいる孤児院に宇宙が舞台のアニメーション作品が送られてきました。当時の地球は、移民計画を先導する宇宙飛行士が圧倒的に不足していましたから……飛行士を募るためのプロパガンダ的なアニメです」
「……続けて」
春樹の表情に一抹の陰りが見える。
美沙希はそれに気づかず、武勇伝を語る帰還兵のように、目を輝かせながら続けた。
「あまり予算が振り分けられなかったのでしょうね。作画も悪い。ストーリーも20世紀のハリウッド映画のような単調さで、酷評だったと聞いています。『悪』と『正義』がぶつかるだけの物語でした。でも……当時の私は、このアニメに熱中したんです」
「………」
「主人公は同い年の少女でした。彼女は、体の弱い両親や妹弟?家族構成は忘れましたけれど、とにかく、家族のために宇宙の新天地を切り拓くのです。私はその少女に憧れて、宇宙飛行士になりたいと思ったんです」
美沙希はお酒が並んでいる棚を見上げている。心なしか目は輝いている。
「それを見たとき、私は自身と主人公を無意識に重ね合わせていたのでしょう。その少女は、最後に開拓を成功させて、悪い宇宙人を倒して、家族を救って、幸せになってストーリーは終わります。『私はまさにこれになりたかったんだ』と、私は幼いながらも心で理解しました。ですが私は、当然といえば当然ですけど、主人公とは違います。家族の大半をを失いました。火星開拓も道半ばです。現実は非情です。でも」
「………」
「私のような境遇の子供達を、少しでも減らしたいと思ったんです。汚染された地球でしか住めない人達に、新たな天地を与えたいんです」
そこで美沙希は、自身の口調が力説するようなそれに変化していることに気づいた。我に返り、苦笑する。
「すみません。この話になるとどうも熱くなって」
「いい話じゃないぃぃぃぃ!」
唐突に口を開いたのは、バックヤードで寡黙にグラスを拭いていた店主らしき男だった。
春樹にシメの生春巻きを提供した後は暇そうにしていたが、静かに美沙希の話に耳を傾けていたのだろう。
「うんうんうん。家族を失って落ち込んでた女の子が夢を与えられてぇ、自分のような子供を減らすために宇宙飛行士になるぅ!泣ける話じゃなぁーい!」
「ええ?え?」
ここで美沙希は男性の違和感に気がつく。
引き締まった体つき、やや強面の顔。白髪混じりのものの、ワックスでクールにセットされた髪型。いずれもこのお洒落な店内に合うダンディーな中年男性の要素だが、女性的な空気をまとっている。
「男?女?あ、いや、オカマ……なんですか?」
「せーかい。そんなことよりもぉぉぉ!あなたがそんな悲しい過去をもっているのに衝撃よぉ〜!それを乗り越えて夢のためにがんばってるなんてぇ、健気すぎぃ!」
美沙希は衝撃で固まっている。直前までは良い年の取り方をしたクール・ガイだと思っていたのが、蓋を開けてみるとオカマの変態のようだ。
美沙希は勢いに蹴落とされつつ、「火星で変人に会うのは二度目」などと胸中で呟く。
「俺はそうは思わない」
その時、春樹が火すらも凍らせるような冷たい声で、そう言い放った。
口を閉じる店主。春樹を見る美沙希。
春樹が、そこまでフレンドリーな性格の持ち主ではないことは傍目からでも分かるが、今までの会話で少なからずの笑みを浮かべていた。今は、それが無い。
美沙希は、自分が何か春樹の気分を害することをしてしまったのか、と思い、自分の発言を振り返るが、そのようなものは見つからない。
「お前は、ヒーローになりたくてここにやってきたのか?そんなくだらないことを心の支えにして、首席卒業生になるほど頑張ったのか?」
美沙希は言葉を失った。
まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったからだ。
「ダメ、なんですか?」やっとの事でその言葉を絞り出す。
「お前は、夢を追い求める自分に酔っている。学校で首席を勝ち取るほどにな。創作物のヒーローに憧れて、自己満足で火星に来るなら、飛行士なんてやめちまえ」
「そんな言い方!」
美沙希は声を上げる。控えめな彼女だが、自分を救ってくれた存在や自分が信じる存在を否定され、黙っていることはできなかった。
足が長い椅子が荒い音を立てて倒れ、卓上のオレンジジュースが波紋を作った。
「お前の第一印象は、『早死にしそう』だった。それが間違いではないことを、お前自身の話を聞いてたった今確信したよ。そんなやすっぽいことにすがりついて戦えば、お前は死ぬ。仲間さえも危険にさらす」
美沙希はグラスを握る手に力を込める。
「あなたに───」
「ここは子供の来るところではない」
春樹は美沙希の言葉を押しのけ、立ち上がった。美沙希は春樹を睨みつける。
「マスター。ご馳走さま」
「ええ」
彼は小さく店主に感謝の意を伝え、グラスに残った飲み物を口に流し込み、足早に店内を後にする。
自分の食べた食事分の金額をカウンターにばら撒き、自動ドアを潜り抜け、夜と化したフェアファックスの街中に消える。
美沙希は怒りよりも、あっけにとられることしかできなかった。
「お嬢ちゃん。気を落とさないでね」
店主が慰めの声を出す。
背後から聞こえてくるイネス達の楽しそうな声が聞こえてくる。
美沙希は、唐突に自分を否定され、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。
マーズサーベイヤー大隊に出撃司令が下ったのは、ちょうどその頃だった。
二章スタートです。前話にあったAL計画とはなんなのか…。火危生の大規模攻勢、マーズジャッカルの戦い、衛星戦艦の実力等を描いていきたいです。
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