Episode53 生き残った者たち
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「司令。アイリス総軍司令」
火星総軍指揮官のアイリス・ブルーフィールドは、自分を呼ぶ声で目を覚ました。
覚醒した瞬間、頭に痛みが走る。頭をさすろうとしたが、気密服のヘルメットをかぶっていたためそれは叶わない。火危生の攻撃を受けた衝撃で、頭部を強打し、それが原因で気を失ったことを思い出した。
あたりを見渡すと、そこは数時間前までアーレスライトが屹立していた決戦兵器工廠の地下ドックだった。気を失う前は工廠の地表入口を守る部隊の陣頭指揮を執っていたから、気を失ってからここまで運ばれたのだろう。
自分が横たわる担架の脇には、膝をついてアイリスに目を向ける総軍首席幕僚のオイゲン・メルスナー大佐と、マナハイム支隊司令のマナハイム・ショッツ星将、対敵性生命体対策本部長のフェリザリアム博士など──おそらく現在生き残っている火星総軍高級役職の全てが集っていた。
誰もがコイル銃器や防具を装備し、士官や文官でありながら戦う姿勢を見せている。
「お休みのところ申し訳ありません」
「大丈夫だ……イツツ。戦況は?」
アイリスは頭の痛みに顔をしかませながら聞いた。
同時に、あたりを見渡した。
ここ───決戦兵器工廠は地下300メートルに建設された堅牢な施設であるため、セントラル・ブロックが陥落した際の最終篭城地点に指定されていた場所の一つである。
現在、地上のすべての居留地は幾千もの火危生に蹂躙され、辛うじて生き残っていた人々は、地下にある決戦兵器工廠と、あともう一つ──地底湖周辺の施設に避難していた。
ゆえに、工廠内には避難民がひしめき合っている。携帯兵器を持っている総軍兵士や士官は、その中の数パーセントにしかならない。
それが、今ここにある火星総軍の全戦力でもあった。
「それがね、少し奇妙なんだよ。お嬢ちゃん。15分くらい前からパッタリと物音がしなくなったんだ」
答えたのはショッツだった。皺深くても生気を失っていない顔をアイリスに向ける。
火星での戦歴はアイリスとは隔絶しており、年も親子ほど離れているため、ショッツはいつもアイリスのことを「お嬢ちゃん」と呼んでいた。
「確かか。大佐」
アイリスはメルスナーに聞いた。
「ええ。確かです。ゲート守備の中隊も同様の報告をしています」
決戦兵器工廠には無数の出入口が存在するが、火危生が大挙して侵入できるような大きさを持つそれは、一つしかない。
そのゲートでは絶えず内部への侵入を試みる火危生のひっかく音が響いていたが、それがある時を境に完全に止んでしまったと言うのだ。
「となると……まさか」
アイリスは一つの結論に至ると、目をきらめかせ、フェリザリアム博士の方を見た。
博士も大きくうなずき、喜色を浮かべながら言った。
「私の仮説が正しかったようですな」
数分後、4人は兵士や避難民達と共に地表にいた。
向こう側に人間を捕食する生物が無数に存在しているかもしれないゲートを開くのには、多少の勇気を必要としたが、開かれた直後、それは杞憂でしかなかったことに気づかされる。
日は没し、暗闇が居留地の荒廃ぶりを隠している。空には満遍の星々が神秘的にすら思える美しさで散りばめられていた。
そんなゲートの先に広がった光景の大半は、信じがたいものだった。
地平線まで覆い尽くさんばかりの量の火星危険生命体が、まるで石のように硬化しているのである。
それはさながら、突如大量の銅像が出現したような有様だった。
その光景を見た人々は呆気にとられ、固まってしまった。誰も口を開かず、久々の静寂が周囲を支配した。
動いたのはフェリザリアム博士だった。
一体どこにそんな体力が残っていたのか、と見る者に思わせる軽快さで硬化した火危生の近くまで行くと、ポケットから何やら機器を取り出して額に押し当てる。
「生命反応なし。完全に生命活動を停止しています」
誰もが例外なく絶句していたが、その中の誰かが叫んだ。
「助かった。助かったんだ!!やった!!!」
その歓声は瞬時に広がり、爆発的な歓喜の渦に繋がった。
「うおおおおお!!!」
人々は喜びに打ち震え、涙を流しながら仲間と肩を叩き合う。また、互いの無事を運命に感謝し、笑みを浮かべながら抱擁し合う。
ある者は喜びのあまり銃器を上へ放り上げ、またある者はその場で踊り出す始末である。
これは紛れもなく現実のものだった。
像と化した火危生たちが動き出すことは遂になく、加えて銃床の一撃で崩れ去るほと脆い。彼らは死滅したのだ。
アイリスはその場で崩れ落ち、落涙した。
この未来にたどり着くために、一体何人の兵士たちが命を投げ打ったか。一体何人が、火危生に生きたまま捕食されたり、アスラの熱線攻撃で焼き尽くされたか。
だが、彼らの死は無駄ではなかった。火星における人類の灯火は吹き消されることなく、さらなる未来へと繋ぐことができた。
火星の安全が確保できれば、移民計画は大きく前進する。それは、死にゆく星──地球での生活を強いられている30億の生命を救うことになるのだ。
「皆んな、ありがとう。我々は……人類は……救われたよ」
アイリスは震える左手を義手の右手で押さえつけながら、死んでいった者たちに言葉を送った。
感極まりすぎ、身体の力が抜けて立つこともできない。この時、彼女は感情の揺らぎに打ち震えるただの一人の女性でしかなかった。
「でも、なんで……」
メルスナーが呟く。
答えたのはショッツだった。
「奴らはアスラにM波で操作されていた。我々がキングを取ったから、ポーンは動けなくなった、ということさ」
「なら、アスラは」
「死んだみたいだな。アーレスライトとミサキは任務を完遂したらしい。まったく、大したもんだよ」
アイリスはショッツのその言葉で我に返った。
「ミサキは……アーレスライトはどうなったの?」
「大丈夫。さっき、ラングスドルフの多脚戦車のシグナルをキャッチした。居留地に向かってきている。ミサキも無事だ」
アイリスはそれを聞いて胸を撫で下ろした。
そして涙を拭き、顔を上げる。それを見たショッツはニッコリと笑った。「少女」は指揮官らしい顔に戻っていた。彼は心中で呟いた。
(ケンゾー。お前の上官は大丈夫だ)
「メルスナー大佐」
「はッ」
「残存部隊を再編成。直ちに人命救助、および仮設インフラの整備に取り掛かれ。健全な民間人ならば徴用しても構わん。人命救助が最優先だ」
メルスナーは踵を打ち合わせて敬礼すると、すぐに行動に移った。
生き残っていた兵団長を通じて指示が下され、人々が新たな目的に向かって動き出す。動きが鈍い者はいない。誰もが、希望に満ちた表情をしていた。
火星総軍の人命を救う戦いが、今始まったのである。




