Episode21 苦悩艦長
時間はほんの少しさかのぼります。
かなりエグい内容です。
ミステリアスな女性艦長──アイリスにスポットを当てています。
◇
肌に打ちつける水が激しい。
水は塊ではなく、ひとつひとつが水滴となって、身体を包み込むようにして降っている。
温度は、刺すように冷たい。
火星開拓の最高責任者であるアイリスは目を開けた。
頭を濡らした冷水は水の筋を作り、首、背中、尻、太腿と通過して排水溝に消えてゆく。
目を開けた理由は、シャワーから噴出する水の冷たさに不快感を表したからではない。
一切まとわぬ姿での、唯一の装着物──左手首に巻かれた小型デバイスに通知が届いたからだった。
発信元は軍事運用部。
内容はだいたい想像がつく。第2基地奪還作戦に参加していた部隊の被害状況や、基地の詳細が記された報告メールだろう。
アイリスはメールに目を通すことなく、再び目を閉じ、シャワーの只中に裸体を晒し続けた。
聞こえるのは水の音のみ。
こうしている時間が彼女は好きだった。
作戦の成否は気にはなるが、火星という故郷から途方もなくはなれた場所では楽しみが少なく、シャワーは彼女にとって軍務から離れられる数少ない時間の一つである。
その時間を削る必要性を、彼女は感じなかった。
その後、シャワーは20分間冷水を吐き出し続けた。
やがて。
『火星一の美女』の異名を持つ彼女は、なんの前触れもなく送水停止ボタンを押し、忠実に水を出し続けていたシャワーを止める。
供給を失った水が桃色の艶やかな髪を伝って下に落下し、水滴となって波紋を作った。
アイリスは衛星戦艦艦長室に隣接しているシャワー・ルームから出て、ホースにかけられている純白のバスタオルをひったくるようにして取ると、丁寧に白磁のような肌を拭き始めた。
この頃になると、やはり意識はメールに向いている。
彼女が着るべき洗浄済みの気密服はカゴの中に綺麗に畳まれていたが、アイリスはそれに手を伸ばさず、自らの裸体を拭いたものとは別のバスタオルを用意し、体に巻く。
平均以上のふくらみを持つ胸が窮屈だったが、アイリスはとくに気にする様子もなく洗面所を後にした。
艦長室は自分が許可を与えた者しか入れないため、完全なプライベート空間である。
黒光りする大理石によって床、壁、天井が覆われており、高級そうな執務卓と椅子が、人工的に作られた重力によって床に張り付いていた。
椅子の背後の壁は一面ガラス張りになっており、美しい火星の地表が目を惹く。
アイリスはそんな部屋の大理石の床を裸足でペタペタと歩き、執務卓の傍までゆくと、卓上のタブレット端末に細い指で触れる。アイリスの指紋を確認した端末はメール内容を彼女に開示した。
内容は彼女の予想した通りだった。
画面には第2基地の状態や、作戦に当たったサーベイヤー大隊の被害状況などが簡潔にまとめられている。
アイリスは素早く目を通すとタブレットを閉じ、うつむいた。
「あっ」
突然、奇妙なほど艶やかな声が口から漏れた。
──濡れている。
彼女は自らの下半身へ右手を伸ばす。
───濡れている。
細い体をしなやかによじらせながら、彼女は小さく震えた。
漏れる吐息は色めかしく、顔は火照ったかのように紅潮していた。
「ん…」
彼女は声を噛み殺す。
バスタオルが少しはだけ、どんな堅い理性を持った男性でも全貌を見たら最後、自分の獣欲に翻弄されてしまうであろう身体の一端が晒された。
「あっ…」
バスタオルの間から右手を引き抜き、前に持ってくる。皺のほとんどない手のひらにはやや粘り気のある透明な液体が付着していた。
それを見てハッとなる。急速に醒めてゆく。
「………狂ってる」
数秒後、彼女は整った顔を歪ませた。小さくよろけ、左手を大理石の卓上について細い身体を支えた。
卓上のタブレットには戦死リストが記されている。
それに視線を落とす。と、自らの身体が反応する。
さらなる自己嫌悪が湧き上がってきた。
──少女たちの死。
メールには最年少であったリ・スンシルに続き、エヴァ・ケルビャーが死亡した旨が書かれている。
その他にも自分より歳の低い者たちが死傷したと記されていた。大半は、マーズジャッカルのパイロットである新隊員であろう。
(いつからだろうか)
アイリスは自問する。
自分が、年下の隊員が戦死すると性的興奮に駆られるようになったのは。
──火星に着任してすぐの頃、私の役割は衛星戦艦の艦長などではなく、多脚戦車一個大隊の指揮官にすぎなかった。
それでも月面士官学校を卒業したての人間としては異例の重役であり、預かる命の数も3桁に達する。
前例のない好成績で士官学校を卒業したとはいえ、成人してから数年しか経っていなかった私にとって、そのプレッシャーは途方もないものだった。
今思えば、その頃からおかしくなりつつあったのかもしれない。
その時期から活動が活発化した火星危険生命体。
その激戦に、青二才の指揮官を持った大隊も否応なく巻き込まれていった。
激しい戦いの最中、上層部の自分への評価は良いものだったと聞いている。
『着任して2週間も経ってない新人大隊長が部隊をよくまとめ上げ、戦闘に参加しても部隊の損耗率は引く、撃破個体は群を抜いている。士官学校での成績に見合う手腕だ』と……。
私は私をそう思ったことは一度もない。
何度もやったことといえば、後悔、懺悔。そして部下への偽善。
私は戦いの最中、『人類のため』『家族のため』『未来のため』と耳障りのいい言葉を吐き、部下を空元気にさせ、死地に送り出した。
大隊の後退を支援するために一個小隊を囮にしたこともあるし、メリットよりもデメリットが大きいと合理的な判断した場合、部下を見捨てたこともある。
私は超がつく好成績で士官学校を卒業した。
実際の戦場のなんたるかも知らない愚かな小娘は、学校を好成績で卒業したが故、学校と同じように動けば問題ないと猛烈に思い込んだ。
士官学校で学んだ通りに部隊を動かすことに、誠心誠意の努力をそそいだのだ。
その結果、部下を駒としか考えず、仲間をすぐに見捨てる冷徹な合理主義者として部隊の指揮を執るようになってしまった。
自分でもそれが間違えていると分かっていた。だが、他にどうしたら良いか分からなかったのだ。
そんな中で何よりも辛かったのは、部下が自身の耳障りの良い言葉を信じ、または人命軽視の合理主義を理解してくれたことだった。
若い隊員は自分の安っぽい言葉を信じて死んでいった。
中堅ないしベテランの隊員は、合理主義以外の方法を取れないアイリスを「指揮官とは本来合理的であるべきだ」と自分を無理矢理納得させ、どんな冷酷な命令にも従った。
新人も中堅もベテランも皆笑顔で死んでいった。
私は、それに耐えられなかった。
成人したての自分よりもさらに若い少年少女が、実戦経験もない新米指揮官をよく補佐してくれたベテラン隊員が、自分の命令で死んでいくのに耐えられなかった。
だが不本意ながらも、私の指揮の執り方──偽善による部下からの厚い信頼の獲得と、超がつく合理的思考は最優秀の指揮官たりうる要素の一つである。
『最優秀指揮官』の私は実績を上げ続けた。
士官学校時代の成績や上層部の評価も手伝い、地位は瞬く間に上がっていった。
その結果、今は火星開拓局の長であり、開拓局最強の火力──衛星戦艦の艦長である。
なぜこんな高い位にいるのか、自分でも分からない。
火星に来てからずっと感じてきた、部下が死んだ時の苦しみは、いつのまにかなくなっていた。
部下が死んだ時に感じていた吐き気をもよおす苦しみは嘘のように消え、歪んだ快楽へと変わっていた。
そこらへんのシステムは自分自身にもわからない。
部下の死による断続的なショックに精神が耐えられなくなり、精神的な苦しみを快楽へと変換するように心が変わってしまったのだろう。
簡潔に言うならばイカれたのだ。
そして今、私は性懲りもなく少女の死を目の当たりにして興奮し、快楽を感じている。
周りからの評価は、高い。
火星一の美女だとかそういうくだらないことも手伝い、上層部のみならず一介の開拓局職員も私を高く買ってくれている。
だがそれは買いかぶりすぎだ。
私は優秀でもなんでもない。ただ、嘘や偽善を駆使した部下の掌握が上手く、加えて教科書通りの戦いしかできない一人の二流宇宙軍人だ。
心はとっくの昔に壊れ、部下の死で自涜に耽っている愚か者だ。
アイリスは汚れた自分の右手を見つめた。大きな溜息をつく。
せっかくシャワーに入ったのに…と思いながら、卓上のティッシュでそれをぬぐいとった。
別のタブレットからホログラムが浮かび上がったのは、ティッシュをゴミ箱に放り込んだ直後だった。
「艦長」
ホログラム通信の相手は、白髪が目立つ壮年の東洋人男性──自分の副官であった。
自分が多脚戦車大隊の指揮官を命じられた時の司令部付下士官が彼であり、彼とは、それ以来の付き合いとなっている。
いつも鉄仮面をつけているかのような無表情だが、この時は険しい顔をしていた。
武人といった雰囲気に拍車がかかり、画面ごしにもただならぬ事態が発生したと感じ取ることができる。
「ケンゾー。どうしたの?」
アイリスははだけたバスタオルを直しつつ言った。
謙蔵はアイリスの火照った表情を見て何かに気づく。だが、口には出さない。
アイリスのバスタオル一枚という格好に一切視線を乱さないまま、淡々と副局長兼副艦長の初老男性は言った。
「"アスラ"がオリンポス山火口付近に出現しました」
火危生を統制する存在。究極の火危生。M波発生源。火星の支配者…"アスラ"。
「"アスラ"…」
アイリスは事実を認識するようにその三文字を反芻した。
"アスラ"出現することは117号報告書を始め、M波の考察が進んだ時点であらかじめ予期されている。
その備えも怠っていない。
だが。
「早い」
アイリスは誰ともなしに言った。
早い。そう、早いのだ。
火星危険生命体研究機構は、M波増大の波長から考えて出現は三ヶ月後と予想していた。
だが、奴は出現した。
全く的外れではないが、火危生研の予測は外れたことになる。
「現在、アスラは時速60km/hで移動を開始しています。目的地は第7掘削基地か第2掘削基地だと判明。いかがしますか?」
アイリスは小さく罵声を発する。
第7基地と第2基地は、アーレスメタルの最重要供給拠点である。
ここを同時にやられるのは、非常にまずい。
第7はともかく、アーレスメタル供給の約八割を占める第2がやられれば、対アスラ決戦兵器建造計画である"AL"計画の最終段階が頓挫しかねないのだ。完成予定は一ヶ月後。それまではアーレスメタルの供給を停止させるわけにはいかない。
サーベイヤー大隊に危険を冒してまで第2基地を奪還させたのも、計画を滞りなく進めるためである。
「やることは決まってるわ」
アイリスは当然のごとく言った。そして続ける。
「"CONDITION LEVEL 7"を発動。非戦闘員全員をいずれかの居留地に緊急退避。各旅団に臨戦態勢の堅持と連隊の集結を指示して…。ああ、そうね、対特別認定個体作戦要綱コード17を準備」
「…コード17系作戦ですか」
今度はケンゾーが反芻した。
対特別認定個体とはアスラのことである。
軍事運用部はアスラ出現予測に備えて20を超えるパターンを想定した作戦草案を作り上げている。コード17はその内の1パターン群を示すものであり、《タルタロス》はその便宜上の総称である。
「そうよ」
「了解です」
首肯ののち、ケンゾーは表情を崩して小さく笑った。
「なんだか、楽しそうですね」
《タルタロス》作戦はいずれも旅団規模の部隊をフル活用させ、戦略兵器をも使用した大規模なものである。それをためらいなく選んだことで、ケンゾーはそのように感じたようだ。
二人は上官と部下の関係だが、感じたことをすぐに言えるような間柄でもある。
アイリスは首を上向け、少し思案した。
私が楽しんでる?そんなことあるの?と…。
首を元に戻し、画面のケンゾーと向き合った時、アイリスの表情は一変していた。
凛とした雰囲気をまとい、それでいて凄みを持つ笑みを浮かべている。
「もちろんそうよ!」
それだけ言うとアイリスは通信を切った。
まともでいる贅沢は後にしよう、と思っていた。
《タルタロス》作戦とは!?
"アスラ"とは!?
次回以降に明らかになっていきます。
ブクマ、評価よろしくお願いします。感想もよろしければ。




