Episode1 惑星調査
歓喜よ、美しき神々の煌めきよ、
エリジウムから来た娘よ、
我等は炎のような情熱に酔って
天空の彼方、貴方の聖地に踏み入る
〈ヴェートーベン・第九より引用〉
※序章は火星の日常と戦闘を描いただけのものなので強いて読む必要はありません。流し読み推奨です。
主人公の少女について知りたい方は第3話からどうぞ。
◇
くすんだ空、荒涼な大地、彼方に連なる赤い稜線……。 そんな単調な光景が延々と続いている。
太陽系第四惑星──火星はその暴力的とも言える情景を外から来た知的生命体に満遍なく見せつけていた。
──車列が居留地を出発してから4時間が経過していた。
彼らにとっての目的地は未だ見えて来ない。車列は赤い大地をひたすら北へと向かっている。
車列を構成する4台のうち、最後尾を進むそれは月面でもよく見る有人ローバーの一種だ。地球上を走り回っている8輪の装甲車とそう変わらない。
だが、その前を進む車輌は特異な雰囲気をまとっていた。
ローバーのふたまわりも大きいし、タイヤ、キャタピラといった一般的な走行装置が一切ない。4本の頑丈そうな駆動脚部が放射状に飛び出て、車体を支えているのだ。
四本の足に支えられた車体には、平べったい形をした砲塔が乗っかっている。
形状からして戦車なのだろうが、地球仕様とはひどくかけ離れた見た目と言えた。
「”フィンバック1”より全車。停車せよ」
先頭の多脚戦車に乗る小隊長が通信機で後続車に指示を出した。
起伏の激しい大地を進んでいた車体が前のめりになって停車し、続く多脚戦車、ローバーも止まる。
「”フィンバック4”。調査地点NE255に到着した。所定の行動に移ってくれ」
「こちらフォー。了解。作業に入る」
小隊長は命令を発し、それに応じる声が通信機から返ってくる。
「ハルキ、出番だ。警備職員の指揮を執れ」
小隊長は左前の砲手席に座る若いアジア人に言った。
アジア人は一瞬嫌そうな顔をしたが、車内に立てかけられているライフルを手に取り、立ち上がる。
「へいへい」
「嫌そうな顔をするなよ、日本人。隊長はお前を信頼して言ってるんだぜ?」
操縦手がアジア人を茶化した。
「戦車兵は戦車に乗ってこそだ。技術士たちの警護は警備職員に任せればいいんだよ」
ヤポンスキーと言われた若い男は肩をすくめて言った。
「そう言うな。階級が一つ上の職員がいる方が、警備分隊の統制も取れる」
小隊長のなだめるような声に、七尾春樹飛行士長は溜息をつきながら頷いた。
不本意ながらもバイザーヘルメットを展開させ、車内後部のエアロック室に足を運ぶ。
エアロックの重装な扉を閉め、タイヤから空気が漏れるような音と共に外気圧との調整を済ませる。
調整を終えると、自動的に外へと繋がるハッチが開いた。
目前に、後続車輌と火星の大地が広がった。
春樹は今一度溜息をつき、ライフルを肩にかけ、ハッチから地表に下るアルミ製のハシゴを降り始める。
残り3段を残すあたりで飛び降り、赤々とした地表を踏みしめた。
「あー、警備分隊。こちら一号車砲手。これから俺が指揮を執る」
春樹は後続車両を振り向き、多脚戦車から降車中の警備職員に声をかけた。
2、3号車からは、春樹と同様のライフルを抱えた職員10名がハシゴを降りており、それとほぼ同数の職員がすでに地表に降り、周囲を警戒している。
大半の警備職員が標準的なコイルライフルを装備しているが、分隊支援用のコイルミニガンを装備した火力支援員や火炎放射機を装備した火炎焼却員も2、3人が混じっている。
もしも奴らが出現した時、彼らの重火器は有効な手段となるはずだった。
「よぉく聞け。第一分隊は車列警戒。第二分隊は調査班の護衛だ」
春樹はコイル・ライフルの安全装置を外すと、各分隊に指示を出した。
警備職員の確認を得ると、春樹は最後尾のローバーへと足を進める。
今回の任務の主役は3両の多脚戦車ではなく、最後尾の有人ローバーに乗った技術士たちになる。
ローバーのガルウィングドアからは、戦闘員と区別するために白いラインが施されたバイザーヘルメットを被った技術士たちが続々と降車している。
ライフル等の武装を持たない彼らは、代わりに工具や計測機器、スキャナーが入ったリュックを背負っていた。
「ハルキ士長」
技術士のリーダーが春樹を呼ぶ。
春樹は右手を挙げて応じた。顔馴染みの技術士だった。
「どうした?カーライル」
技術士は背後の地平線を指差しながら言った。
「“マーズ・ロザリオ“がこの先40キロに砂嵐を発見したらしい。カテゴリー3だ。どうも嫌な予感がする。今の風向きからして、こっちに近づいてくると思う」
“マーズ・ロザリオ”とは、火星の衛星軌道上に静止している衛星戦艦「サウス・フランクリン」の通称である。
地表からだと上下左右に伸びるモジュールが巨大な十字架のように見えることから、居留地の住民にそう呼ばれていた。
「そいつはめんどくさくなりそうだな」
春樹はチラリと上を見上げ、「サウス・フランクリン」の姿を確認しながら呟いた。
半分だけ太陽に照らされ、完全な十字架には見えなかった。
「時間はあまりない。急ぐぞォ! 」
砂嵐の3キロ圏内に入ることは司令部から固く禁じられているため、場合によっては素早く撤収しなければならない。
カーライルが技術士らにハッパをかけた。
「第二分隊、調査班に続け」
春樹の声で警備分隊も続く。
コイルライフル等で武装した職員と、バックパックを背負った技術士。十数名の気密服を着た火星開拓局の職員らが、車列を離れ、砂丘を登り始める。
目的は砂丘の中腹に立つ高さ10メートルほどの人工物だった。今回の任務は、その整備とデータ収集であった。
春樹は人工物──塔を見上げた。
塔の中には細長い円柱が内臓されており、それが上に登っては一気に落ち、地面を叩く。この動作を繰り返していた。
円柱が落下するたびに、その衝撃で地表が揺れた。
「ボーリング調査、ねぇ?」
春樹は疑う様な口調で言った。
「この原始的な方法が火星ではもっとも有効な地質調査の術なんだな。簡単に設置できるから、膨大な調査地点にも対応できる」
春樹の言葉に、カーライルは答えた。
この塔は、サンプラーと刺突が先端に取り付けられた円柱を定期的に破口に叩きつけ、自動で掘削を行なっているのだ。
火星地表にはこのような塔が約500箇所に設置されている。主な目的は、地盤の硬さ、土の種類、優良鉱物の有無などの地質調査だった。
春樹らが到着した今でも、『NE255』は自動的に作業を続けている。塔に取り付けられたメモリは、地下2100メートルまでの掘削したことを示していた。
「取り掛かろう。諸君」
カーライルをはじめとする技術士たちは塔に取付き、手のひらに収まるサイズの小型デバイスのコンセントを装置に接続、ここ2週間の掘削データを解析する。
同時にリュックから工具キットを取り出し、塔内外の整備を開始した。
「いくらAIの一元統制が行われていても、こんな火星の風塵に晒され続ければいずれおじゃんになっちまう。定期的な点検と掘削結果の更新が、こいつらには必要不可欠なんだな。我々を護衛してくれる君たち軍人にはいつも感謝している」
「俺は軍人じゃないぜ、カーライル」
デバイスの画面から目を離さずに作業を続けるカーライル。その彼が言った言葉に、春樹は不自然なほどに過敏に反応した。
幸い、個人通信の周波数だったため、周りの職員には聞こえなかったようだ。
「自分のことを『戦車兵』呼ばわりしているお前が軍人じゃない?笑わせるな」
カーライルは作業を続けたまま言う。口調は、相変わらず苛つき気味のそれだ。
春樹は反論した
「カーライル。軍事運用部は戦車もガンシップも持ってはいるが、あくまで準戦闘員だ。生粋の軍人じゃない。あんな自分の保身のことしか考えてないような連中と一緒にするな。そのせいで、核戦争も」
「………」
若干の沈黙。
1分、2分と時間が過ぎる。沈黙が3分にさしかかろうとした時。
「悪かった。ここでその話題はタブーだったな。確かに、宇宙飛行士を志した俺も、いつのまにか戦場で命がけの作業をしている。まったく、どこで道を間違えたんだか」
カーライルは肩をすくめ、自傷的に笑った。
火星開拓局は主に、開拓を目的とした『開拓部』と、武力による居留地防衛を目的とした『軍事運用部』の2つの部門に分けられている。
中でも軍事運用部は3個旅団の兵力を保有しており、軍事色が相当に強い。
カーライルや技術士は開拓部所属であり、春樹ら警備職員は軍事運用部に所属しているのだ。
「いや、まぁ、俺も同じようなもんだな」
春樹は冷静になってうなだれた。自分の言葉の矛盾に悲痛な気持ちになる。
彼の役職、行動、心の持ち方はいずれも軍人だ。
子供の頃は宇宙飛行士になりたかったのに、今は不細工な多脚戦車を乗り回し、銃器を持って火星にいる。
カーライルは「どこで道を間違えたんだか」と言ったが、それこそ春樹自身に当てはまるような気がした。
「それは、ここにいる全員が思っていることさ」
会話に割り込んできたのは、部隊の隊長で、かつ多脚戦車1号車の車長を務めているオットー・ラングスドルフ三等星尉(少尉相当)だった。春樹に警備分隊の指揮を命じた小隊長である。
ラングスドルフは言葉を続ける。
「私だって、3年前なら、これから戦車に乗るだなんて考えもしなかった。けど、開拓の性質上、火星に軍隊を置くことはできない。開拓と軍事、2つの勢力が台頭するからね。それに核戦争中のこともある。軍部の連中は信用ならない」
「だから俺たちが武器を取って戦うんですか?俺たちは宇宙飛行士ですよ?戦いに馴染んでしまった俺が言うのもなんですが」
「開拓完遂後の火星を地球のようにするわけにはいかないんだよ、ハルキ。人間は戦いを好む生き物だ。火星と地球の距離なら、断ち切れる。それに、だよ。ヒトを殺すわけじゃないんだから、ある意味楽な仕事だと思う。僕たちの戦争も」
春樹の言葉に、ラングスドルフは笑いながら言った。
「それは、そう──」
──計器が異変を伝えたのは、その時だった。
けたたましい警報が鳴り響き、春樹の言葉を遮る。
唐突すぎる出来事に、調査班・第二分隊の全員が身をこわばらせた。
「NE255からの方位0-3-7に動体反応。大きい!」
ローバーに乗っている分析官の緊迫した声が、警報音と重なって通信マイクから飛び出した。
「総員戦闘態勢!」
春樹があらん限りの大声で叫んだ刹那、地面が大きく揺れ、少し離れた場所にあった小さい丘が大きく盛り上がり、砕けた。
酸化された赤い砂と、大小の岩石が逆円錐状に吹き上がり、周辺に降り注ぐ。
何かが爆発したような勢いだ。爆心地は、降り注ぐ砂がヴェールとなってよく見えない。
(このッ、このタイミングでかッ……!)
春樹は小さく舌打ちをした。
同時にブルパップ式のコイル・ブラスターライフルの銃口を、爆心地に向ける。
ほかの警備職員もライフルを構える中、砂のヴェールを突き破って『それ』は出てきた。
「火星危険生命体。それも大型翼竜型が3体、か。大盤振る舞いだな」
『それ』の数は3つ。
長い鋭利な爪を持った足を4本。
尻尾は恐ろしく長い。
背面には巨大な翼が一対。
海龍のように長い首。
首の先端にある凶々しい頭部。
目は黒一色だが、エメラルドグリーンの光が奥に見える。
噛み合わせが悪そうな口には、無数の犬歯。
体表は火傷をしているように爛れ、装甲のような黒い皮膚と血のような赤い肌が混合している。
太古の時代に滅んだ肉食翼竜か、伝説の彼方から堂々飛来してきたドラゴンのようだ。
3体は大気を震わせる唸り声を上げながら鎌首を持ち上げ、調査隊に眼を向ける。
こちらをはっきりと認識している。過去の戦例から考えて、確実に『攻撃してくる』。
三脚との距離はおよそ50メートル。頭部から尻尾先端までの長さが25メートルに達する火危生からすれば、決して遠い距離ではない。
「カーライルたちは多脚戦車へ走れ!」
「言われんでも走るッ!」
春樹はカーライルらが離脱したことを素早く確認すると、膝をつき、コイル・ライフルの照準器越しに火危生の頭部に狙いを定める。
ほかの職員もならい、各銃器を3体の火危生に向けている。
前触れなく、大型翼竜型は動き出した。
空は飛ばない。三脚目指して、いや、人間を目指して突進してくる。
砂埃を突き崩し、その全貌が職員の目を射た。
「分隊。撃て!」
春樹の号令一下、一斉にライフル、ミニガンが火を噴く。全員が消炎器をつけているため、派手さはない。
それでも、曳光弾を含んだ無数の合金エクスプローラー弾が、火危生に殺到した。