二話 狂喜
「すげぇな、素人目じゃ贋作かどうか分かったもんじゃねぇ」
「アンタ一人で?画家になった方がいいんじゃないか?」
巨漢の男と既にいた貧相な男がそう言う。
だお世辞なんていい、私は今回の商談の話をしたいんだ。
私は話を進めるべく、贋作の入った管楽器の蓋を閉じる。
「そんなことより、今回の商談の話だが」
私がそう言うと、貧相な男が口を開けた。
「あぁ、そうだったな 話は簡単だ、俺達は贋作師のヨハネスの旦那と旦那を雇った富豪との仲介役だ。俺はケイネスだ」
ケイネスと呼ばれる男は、はにかみながら手を差し伸べてくる。
その皺くちゃでヨボヨボの手を握り返し、私も笑う。
「俺も仲介役のマルコーニだ。ケイネスとは古い友人で、コイツが金をかっさらっていかねぇか見張る役だ」
「んなことするかっての」
巨漢の男、マルコーニは私の手の二個分ある岩のような手を出す。
私は握り返し、再びカウンター席に着く。
「私の方の取り分は契約時と同じでいいんだな?」
甘ったるいワインを啜りながら、ケイネスに話し掛ける。
「あぁ、それで何ら問題ない。何しろそちらが贋作を作っているんだから、それ相応の取り分は当たり前だろう」
「そうか。なら安心だ」
あれからどれだけ時間が経過したのか。
黒い世界の中、頭がくらくらする。
未だ重たすぎる目蓋をこじ開け、なんとか前を見る。
辛うじて見える景色は、先程まで居た酒場ではなく何処かの路上。
湿っぽく、空気を感じる。
なんだ、酔って店から出てしまったか。
だんだん意識が冷めてくる。
時間は分からないが、恐らく深夜で人の気配は無い。
街に帯びる蒸煙は視界を遮り、ほぼ前は見えない。
家の方向すら分からん。
奥で足音、それに続いて何かが蠢く。
足音は遠のいていき、私は音の発生源へ足を進める。
血。
血液。鮮血。血潮。死体。首。目。血。
つい数分前まで心臓の鼓動を鳴らしていた人間が死んでいる。
首を一回、背中を一回、そして原型を留めていない下腹部。
覗く腸はてらてらと街灯の明かりを受けて光る。
だが、その人間。その女性は、とても美しかった。美しく見えてしまった。
血の一滴さえも、裂かれた首さえも、赤く染まった毛髪一本でさえも。
とても美しい。
直感、閃きに近い直感でようやく理解した。
人という生き物は、死に際でもっとも輝き美しくなる。
なぜ絵は素晴らしく、なぜ見る者を翻弄し蹂躙し惚れさせるのか。
死を描写し、死を美とする絵はどれも賞賛を得てきた。
死、殺戮、戦争。
これらを表現する全ての画家はこんな得がたい快楽を堪能していたのだろうか。
足が震える。革靴に血液が染み込む。
既に亡くなっている死という概念。私は手帳を取り出し、万年筆を踊らせた。
不思議と筆が走る。死に魅せられた手は美を求めるべく乱雑に、だが的確に描いていく。
描き上がったラフは、これまで描いた幾多もの作品より群を抜いて美しく見えた。
私は、これを描き上げたい。
学生時代、見る絵画全てに心踊らされたあの時と同じ気分だ。
死体に近付き、髪を撫でる。
酷すぎる程綺麗で、一切痛みのない生きていた毛髪。
血に濡れ紅く染まる先端もとても淫乱に見える。
手を血液で濡らし、彼女の顔を撫で摩る。
ラフを描き上げた時にはもう既に霧は晴れていた。
空は既に青白い。
死体を路地裏へ連れ込み、私は家へ帰るべくその場を後にした。
美に恋をしたのだ。