表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三十分後の彼女  作者: 代理投稿 「師匠」
9/14

08

はたして、二週間という期間は、何かが変化するために十分な時間といえるのだろうか。

 うだるような残暑が影をひそめ、めっきり秋めいたある日の夜。先輩はぼくの魂消るようなことを言い出した。

 

 「ところで山さん、私に彼氏ができた」

 そう聞こえたとき、ぼくは我ながら間が抜けた顔をしたとおもう。それはもう驚いた。それでも頭の隅で、驚いたときの表情ってどうしても口が半開きになるなあ、と意味のないことを考えるだけの余裕があった。余裕ではなくて単に現実逃避をしていたのかもしれない。

 「ど、ど、どういうことです!?先輩に彼氏なんて……!」

 「おい失礼だぞ、山さん」

 先輩は不服そうに鼻を鳴らす。ぼくの動揺ぶりにカチンと来たらしい。

 が、ぼくだってそれどころじゃない。

 「ちょ、そんな!だって、先輩に彼氏ですよ?あれだけ好きという感情など理解しようとは思わないな、とか言っておいて……彼氏ができたってなんですそれ!?ちょっと意味がわかりかねますよ!先輩は純血主義者じゃなかったんですか!?」

 「だれが純血主義者だ!私がそんなこと主張をしたことは一度もないだろうが……まったく、わ、私だってな、その、け、結婚願望だってある」

 なんなんだ、この状況。だれなんだ、この乙女な先輩は?

 いまぼくと話をしているのは本当に先輩なのか?いや、先輩の説では時間軸がどうとかパラレルで何とかとか言っていた。これはよもや第三の先輩?とすれば、これが最後の先輩とは限らない。いづれ、第四、第五の先輩が現れる……?

 「おいっ、いいかげんにしろっ!そんなに呆けられるとさすがに悲しくなるだろうが……。なんだよ山さん、それじゃアレか?私というか、そちらの彼女はそんなに魅力がないのか?彼氏ができるのがそこまで驚かれるほどひどいのか?私は容姿には自信があったんだが……そうか」

 「あ、いやいやいや!そんなことはありません、断じて!」

 「いやいい。無理強いする気はないさ……。そういえば山さんは彼女が嫌いと言っていたが、なるほどそういう意味もあったんだな。そうか、山さんはこういう顔は好みでないと、ははあすさまじい審美眼の持ち主だな。頭が下がるよ、本当に」

 「だからちがいますって!」

 変なスイッチを踏んでしまったらしく、えらく落ち込んでしまった先輩をどうにか宥めて落ち着かせて、なんとかようやく詳しく話を聞かせてもらえるまで先輩を持ち直させた。

 本当に、余計というか意外なところで手間をかけさせる。なんか最近、キャラが不安定なんだよなあ、先輩。

 「ええ!?それじゃあ、先輩から告ったんですか?相手は二つ返事でOKしたでしょう。いやあ、先輩みたいな美少女からの告白なんてうらやましいなあ」

 「はは。そうだろう、うらやましいだろう!なにせ私は美少女だしな!」

 「それでその果報者はどんなやつなんです?さぞかし先輩好みのイケメンなんでしょうね?」

 ため息混じりのぼくの声にも気付かずに先輩は上機嫌で続ける。

 「おいおい、私は男の顔に惚れるほど情のない女じゃないぞ?いいか?彼はだな、まず――――」

 はいはい、と先輩の惚気話に合いの手を打ちながらも、ぼくはその惚気の中に心中穏やかならざるものを感じていた。嫉妬とかそういった感情とは無縁なもの。

 「あ、そういえば。遅れましたが先輩。恋の成就、おめでとうございます」

 にこやかに祝辞を述べたぼくの心にわだかまっているもの、それは確信めいた疑念だった。

 

 その翌朝。2-C、つまりぼくのクラスに目染川先輩がやってきた。

 今一番、会いたくない人。あわせる顔のない人だ。

 「あっ、山口さん!」

 控え目に廊下から教室を窺っていた目染川先輩がぼくを見つけて弾んだ声を出した。

 その声にぼくは体を凍りつかせる。登校したのは予鈴ギリギリの時間だったはずだ。あと数分もしないうちにスピーカーからキンコンと鳴り始めるだろう。それまでの辛抱だ。

 「おーい、山口ぃ。おまえのセンパイがお越しになられてるぞ?さっさと起きろって」

 クラスメイトの一人が冗談まじりに眠ったふりをしているぼくの肩を叩く。ぼくはそれを無視して、ただ時間が一秒でも早く過ぎてくれるよう祈った。

 「ううーん。眠ってしまわれたのかしら?それとも、ここからでは声が届かないのでしょうか」

 目をつぶり肩を叩かれるがままになっていたぼくは、そんな目染川先輩のひとりごとめいた声をきく。

 そうです、ぼくは眠っています。ですから目染川先輩は自分のクラスへ戻ってください。

 ぼくはそう念じる。もっとも念じたりせずとも目染川先輩は諦めた、あるいは寂しげな表情、最近の、見慣れ過ぎて脳裏に焼きつくくらいみた顔を浮かべて去っていくだろう。そうなるはずだ。

 一瞬、クラスが静まり返った。

 ついで、ざわっと雑多な呟きや声が入り混じった音がぼくの耳朶を震わせる。

 コツコツコツ、普段通りの大人しめの足音がする。

 嘘だろう、思わず口から漏れ出そうな言葉を裏切るように足音はゆっくりと慣れ親しんだ気配をともなって窓側のぼくの席にやってきた。

 「おはようございます、山口さん」

 万事、物事にあたるにおいて一歩下がりがちというか、目立つことを嫌う目染川先輩が、今朝まるで別人のようだ。ざわめき立つクラスの連中に一顧だにせず、ぴたりと視線をぼくに固定してもう一度同じ言葉を繰り返す。

 「おはようございます、山口さん。お休みのところすみません。少しお時間頂けますか?」

 しかし、ぼくは机に突っ伏したまま動かない。

 もちろん目染川先輩の声は聞こえている。聞こえていないはずがない。

 「……山口さん?」

 あくまで知らんぷりを決め込むぼくを責めようともせず、目染川先輩は気遣わしげな声でただ問い重ねる。

 ぼくは今にも吐きだしたくなる気分を必死に飲み下し、荒い息をどうにか押し込めて、寝息を装う。目染川先輩をだまそうと演技を重ねる。

 見破られていると知っていて、分かっていて嘘をつく。

 「あの、ご気分がすぐれないのですか?もしそうでしたら、保健室までお付き合いします」

 クラスの連中の好機に満ちた視線をものともせず、目染川先輩はそっとぼくの背に手を置き、撫でさする。

 その手のひらの温かさ、いたわるような優しげな手つきに、良心が痛みに堪えかねてじくじくと悲鳴を上げる。

 二週間、二週間だ。気付かないわけがないだろう?

 すでに予鈴が鳴ったというのに、目染川先輩は動こうとしない。何も語ろうとせず、ただぼくの背に触れ続ける。

 「……先輩」

 ぼくは目染川先輩がどうあっても引く気がないのをいやというほど知った。ぼくが黙り続ける限り、いつまでも先輩はそうし続けるだろう。クラス中の好奇の的になっても、たとえ教師に注意を受けてもこの場を離れようとしないだろう。

 ぼくは失敗した。目染川先輩をこんな目にだけはあわすまいと思っていたはずなのに。

 「先輩、大丈夫です。楽になりました」

 目を合わさずにぼくは言う。

 「そうでしたか。大事ではなくよかったです」

 視界の端で目染川先輩は微笑む。

 「すこし、お話をしようと思っていたのですが」

 目染川先輩はだれとはなしにそう言って、ぐるりと教室を見回す。

 視線の先にいたクラスの連中がそろって居心地わるそうに視線を下にそらす。

 「ちょっと、ここじゃはずかしいですね。……一現目、サボっちゃいましょうか?」

 

 廊下を歩いているとき目染川先輩は何も言わなかったし、ぼくもどこに行くのかと問いかけるようなことはしなかった。ただ、こうして二人でつれそって歩くことを妙に懐かしく思えることが不思議だった。

 目染川先輩が屋上に続く、三階の上り階段に足をかけたときにはさすがに声を上げようとしたが、目染川先輩はそんなぼくに「だいじょうぶです。実は屋上の鍵、壊れたままなんですよ。それに、ここなら誰かに話を聞かれたりしませんから」といたずらっぽく笑った。

 立ち入り禁止の張り紙のついたドアを目染川先輩が押す。冷たい空気が流れてきた。

 朝、というには少し時間が経ったけれど、いまの屋上はまだちょっと肌寒い。

 「ん、いい天気ですね。晴れているとやっぱり気持ちいいです」

 目染川先輩は遅れて屋上に上がった僕をうしろ手に組んで振り返った。そのまま、ぴょん、と弾むようなステップでそのまま後ろにさがる。

 「山口さんはどうです?晴れた日と雨の日はどちらが好きですか?」

 「え?それは、晴れのほうが好きです。梅雨はうっとおしいし秋雨は冷たいですから」

 今の問いには何か意味があるのかと思いながら、ぼくがそう答えると、目染川先輩はもう一度ぴょんと、今度はその場で跳ねる。

 「あ、おんなじですね!わたしも雨の日より晴れの日のほうが好きです!雨の日も嫌いじゃないんですけどやっぱり気分が落ち込んじゃいますから」

 答えられずにいるぼくを置き去りにしたまま先輩は続ける。

 「この場所、気に入ってもらえました?私の秘密の場所なんです。一年生のころ先生から用事を言い渡されてここに来たとき、鍵が回らなくって困っちゃいました。そうこうしてるうちに鍵が壊れてしまったんでしょうね、急にドアが開いて――――こう、べたんと」

 両手を突き出して倒れ込むようなジェスチャー。

 「びっくりしました。制服も顔もほこりだらけになりましたし、先生に鍵を壊してしまったことをごまかすのにも一苦労しました。でも、その日からここは私だけのお気に入りの場所になったんです」

 ふふっと目染川先輩が長い髪を風にまかれながら小さく笑う。

 「よく落ち込んだりするとここにきて、景色を眺めるんです」

 あ、もちろん先生方や生徒の皆さんに気付かれないようにフェンスには近付かないようにですけど、そう言って目染川先輩は照れ隠しをするように乱れた髪に手をやる。

 「でも今日は、ちょっと勇気を出してフェンスから下を覗いてみたんです。そしたら山口さんが見えたので、教室まできちゃいました。ごめんなさい、驚かせちゃいましたね」

 でも。

 でも、と目染川先輩が続ける。

 「どうしても聞きたいことがあったんです。たくさん。避けられている理由とか、私のなにが悪かったのか、どうして私に嘘をついているのとか、いっぱい」

 「……先輩、それは」

 「ううん。いいの。なんか山口さんみてたら、いっぱい聞きたいことがあったのにどうでもよくなっちゃった。ダメだね、たくさん聞いて困らせてやろうと思ったのに。山口さんったら、さっきから困った顔ばかりしてる。だから聞かない。それに」

 それに?

 「山口さん、私のことが嫌いになったわけじゃなさそうだもの。……聞けないよ、嫌われたくないもの」

 まっすぐな視線で目染川先輩がぼくを見る。

 先輩と同じ顔で、同じ声で目染川先輩がぼくに言う。

 「もう気付いてると思うけど、私は山口さんが好きです」

 「…………」

 ぐっと口端をかみしめる。

 この二週間、逃げ続けていた言葉にとうとう追いつかれた。

 断れない。きっとぼくは断わらない。

 ぼくは目染川みやこが好きだ。きっかけなんてわからない。いつ好きになったかなんてしらない。

 好きになってしまったんだしょうがないじゃないか!

 でもそれは目染川先輩じゃない。祈っても手をのばしても世界中飛び回っても、触れることのできない場所の目染川みやこなんだ。

 どれだけ姿が似ていても、いや同一人物だったとしても同じじゃない。

 だから逃げた。この感情の正体をほかならぬ先輩に気付かされてからは、恥も外聞もかなぐり捨てて目染川先輩から逃げ回った!それがどれだけ痛いのか、傷つけられるのか、ぼくは知っているのに!目染川先輩に嘘をつき、踏みにじり、傷つけ、悲しませて、それを横目で見ておきながら、なお逃げた!どうして!?

 そんなもの決っている。

 それでも、、ぼくは目染川先輩を拒めなくなるからだ。

 はき違えた感情のはけ口を目染川先輩に求めてしまう。

 世界で一番、だれよりもぼくの好きな人に近い、ただそれだけの理由で目染川先輩と付き合う。それはなんて傲慢なことだろうか。許し難い行為なんだろうか。

 だから、ぼくは、それなのに――――。

 

 

 「先輩、ぼくは……」

 ぼくは口を開く。そして言うのだろう、ひどく虚しく空っぽの気持ちのまま。伝えるのだろう、恋人と呼ぶ人に嘘っぱちの気持ちを。

 ――――なんて欺瞞、傲慢にもほどがある。

 「言わないでっ!」

 突然の目染川先輩の強い語気にぼくの声がさえぎられる。

 のろのろと下に落としていた視線をあげれば、そこに肩を震わせる目染川先輩の姿が見えた。

 「い、言わないでください……いまは」

 とつとつと震える声で目染川先輩が言う。

 「私、しってます。山口さんが私にだれかのことを重ねて見てるって。はじめて会ったときからどこかおかしいって、思って。でも、山口さんは私を助けてくれて、やさしくしてくれて……」

 目染川先輩はうしろに組んでいた手がいつの間にか、スカート前で硬く握られていた。顔にかかる黒髪が横に伏せられた顔、その表情までは読み取らせない。窺い知ることができるのはその瞳を屋上のコンクリートに落としていることくらい。

 それでも、わかる。

 ぼくがどれほど愚かで思いあがった考えをしていたのかを。

 「でも違うって。山口さんは私じゃダメなんだってわかってました。だから避けられたとき、悲しいって思うより……ああ、やっぱりなって。そう、思いました。思ったんです。代わりでもいいんです、代わりでかまいません。それで受け入れてくれるのなら。……でも、だけど――――い、いまここでそう言わないでください。おねがい、です」

 

 二週間?それだけの間、目染川先輩から逃げたことが何だっていうんだ。先輩は言っていただろう。私はキミの前で猫を被っているのだろうなと、そんな弱い女ではないと。

 ぼくはどれだけ馬鹿なんだ。勝手に目染川先輩をみくびって、傷つくのならせめてその傷口を広げないようにと、小賢しく浅ましく善人ぶって立ち回ろうとも――――そんなものはじめから、すべて見抜かれてきたのだ。

 馬鹿すぎて、愚か過ぎて、ぼくはぼくを殺してやりたくなる。

 「最低な人間ってぼくのこというんでしょうね」

 謝罪はしない。ぼくは目染川先輩を傷つけすぎた。必要以上に十分に。良かれと思ってこれ以上なく最低に傷つけた。これ以上、この人を踏みにじるようなことはできない。

 「ですね」

 目染川先輩は硬く合わせていた手をほどき、こわばった頬笑みを浮かべてから、ほっそりとした指先でぼくの頬をちょん、と突ついてみせた。

 「私は、私が世界で一番最低な人を好きになるなんて、思いもしませんでした」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ