06
「私はそれは恋だと睨んでいるんだが、山さんはどう思う?」
その日の夜。零時半きっかりにベルが鳴った。
やはりというか、相手は先輩だった。どういう理屈か分かったものじゃないが、先輩の予想どおり、一度ねじれてしまった現象は修正されるまで放っておかれるようだ。
「恋?なんですかその超理論。トーストくわえた美少女と曲がり角でぶつかるような不思議展開はまだ起きていませんよ」
「またまた、山さんったらご謙遜を。美少女を衆目のもとで抱きしめたんだろう?しかも、颯爽と危機を救いに来たナイト様だよ。そりゃあ、そっちの私もコロリといくさ。いやあ、これは本能的に長寿タイプ。相変わらず女の扱いが上手いね。さすが山さん、私が見込んだ男のことだけはある」
「だから、ちがいますってば。リアルでその展開はありえないですから。というかさっきから、その高めのテンションはなんですか?なんでそんなに食い付きがいいんですか?正直、ドン引きしてるんですがなんとかなりません?」
「それは山さん、愚問というもんだよ。私も年頃の女の子だし、恋愛事には興味津々。しかも私自身の恋愛事情だ。多少、羽目をはずしてしまうのは確定的に明らか」
実験の報告を兼ねて今日のあらましを語ってから、先輩の様子はもうずっとこの調子だ。
電話、切っちゃおうかな?
うんざりした気分でそう思う。もちろん、そう思うだけで切ったりはできない。なにしろまだ、大事なことを聞いていないのだから。
「しかし山さん、恋だよ恋!ああ素晴らしきかな恋愛!私にはもっとも興味がない、縁遠い話だと思っていたのだがな。どうにも世の中とはなかなかに面白い!」
一時まであとわずか。もうすでに残り数分しかない。これ以上、無駄話をする余裕はない。なんとか話の矛先をもとにもどさねば。
「先輩、まだ落ち着きませんか?そろそろ時間も押してきているんで巻きで行きたいと思うのですが。もっともいくつか聞かなくても、分かったことがありますが」
「ほうほうほう」
と、先輩が妙な相槌を打つ。
きっと、にやにやしてるんだろうな、そう思うといらっとくる。我慢しろよ、ぼく。今度、話を脱線させると多分今日はこのままお開きだ。
「分かったこととはなんだろうね、山さん?いったいどんな、興味深い考察を聞かせてくれるのかな?」
「まず、ぼくが目染川先輩に干渉しても、先輩に直接、影響を与えたりしないこと。これは今の先輩の様子を見ればわかります」
無駄話に付き合っている間に言うべきことは、まとめてある。全部話しても時間内に間に合うだろう。もっとも先輩が真面目に聞いてくれればの話だけれど。
「あとは……そうですね、先輩に確認を取りたいことがいくつか出てきました。先輩に影響が出ないというのも、ちょっと関係がある話です」
「ふぅん。ま、言ってみるといい」
向こう側で携帯をもちかえる気配がした。どうやら、ようやくまともに聞いてもらえるらしい。
「まず、ぼくが未来の時間に影響がないと思った理由ですが。仮にさっき先輩が言った通りぼくがなんらかのフラグを立てたとすると、先輩の態度がおかしいです。恋する乙女の言動には見えません」
「……その言い方は地味に傷つくな。たしかに、私は山さんに恋愛感情は抱いていないが、気に入ってもいるというのに」
無視して続ける。
どうせペット感覚とか面白いおもちゃをみつけたとかと同じ感覚だ。
「それに、目染川先輩はぼくを山口さんと呼びました。先輩は今も山口さんとは呼びませんよね。そもそも、電話がかかってきたときに先輩は、こう言いましたよね?実験の出来はどうだった?と。先輩は今日の出来事を知らなかった、つまり先輩のいる時間は更新されなかったということです」
ふんふん、と先輩が頷く。
「そこまではいいんですが、そこからがよくわからないんです。先輩は今日の出来事をぼくから伝えられるまでは知らない。ぼくを呼ぶ時も山さんという。でも、ぼくがいなければ、先輩から言われたとおりに本屋で目染川先輩は事故に遭うところだった。……先輩の性格の不一致を含めて分からないことだらけですよ」
「おい、べつに私は多重人格じゃないぞ」
小声で先輩が抗議する。
「イメージがまるで違いますよ。キャラの方向性がかみ合ってません。いっそ、別人だと言われたほうが納得できるってものです。残念なことに別人にしては声が似過ぎているのがアレですが」
「同一人物だと言っているだろうに……。山さんに信じて貰うにはもっとプライベートな情報が必要か?ふむ?つまり山さんの要求はこうか。年頃の女性、それも本人に自身しか知り得ない恥ずかしい個人情報を寄こせば信じてやると、そういうことか。そう面と向かって要求されてしまうと、弱者の私は腹をくくるしかあるまいが。くっ、強がって見せても所詮は私もか弱い、可憐で清楚な、いち美少女。白磁のようなこの指先が震えてしまう。……だがわかった、その要求を呑もう。こうなっては負け惜しみにしか聞こえないだろうが、言って置くぞ。若いうちから脅迫とはな。山さん、私はキミを見そこなった。そして覚えておくといい。私以外にこういうことをするなら覚悟がいると。とかく、公的機関というのは良くも悪くも犯罪のにおいに敏感なものだ」
「ちがいますよ!?何を言っているんですか!?」
先輩じゃなくて、ぼくのキャラ付けがおかしなことに!?
なんてひどいストーリーだ。客観的に見てぼくがある種の犯罪行為を先輩に強要しようとしているようにしか見えない。なんてひどい奴なんだ、ぼく!
もっとも、さりげなく自分のことは持ちあげてるあたり、先輩の稚気というべきか。いや、この先輩なら、わりとその辺のことは本気で思っていそうだ。
唐突に始まった寸劇は、先輩の機転を利かせた華麗な逆転劇で幕を下ろした。
確かめ合う仲間との絆。振り返ってみればこの事件も、可憐な美少女に恋焦がれてしまった一人の男の、いわば日本社会のひずみが起こした悲劇。しかし先輩の、もとい少女の歩みは止まらない。この悲しい事件を糧にさえして少女は明日に進む。
そんな筋書きだった。言葉もでない。
ただ、崖の上に追いつめられたぼくが飛びおりもせず、素直にお縄についたり、何の理由付けもなく、精神を病んで留置場の中で、ひたすらにパトカーについている赤色灯を手むさびしているシーンなどは、その扱いに目頭が熱くなった。
「どうだ山さん、迫真の演技だったろう。これでも入学した当時は演劇部に入ろうかと思っていたんだ。残念ながら、我が校に演劇部はなかったので諦めたが」
「……確かにそれはプライベートな情報ですね」
たったそれだけの為こと言うにしては、長い前振りだったな。
「まあ、確かに言い過ぎてしまった感はありますけど」と、ぼくは強引に会話を軌道修正させる。
「実際、先輩方の性格が同じように思えないのも事実なんです。昨日の時点では先輩を疑っていたというのがありましたから言いませんでしたけど」
なにしろことがことだ。未来からの電話と普段は清楚な少女の意外な一面。天秤にかければ、疑ってしまうのが道理というもの。
ぼくはわるくない。
「性格なんてどうにでもなるさ。確かに、私の世界で起きたことが山さんの世界でも起きたということは一考の価値ありだがね。私たちの性格は深く考えるまでもない」
先輩にしては珍しく投げやりな口調でそういう。しかしそれでも、ぼくにとっては大事なことです、とぼくが食い下がると、しぶしぶながら先輩は話し始める。
「はじめに言っておくが、栓もない話だよ。単に山さんが納得できるかどうかで、何の問題解決にもならないが、それでいいな?そうだな、ひとことでいえば山さんが私の時間軸の過去にいようと、無数の数の並行世界のひとつにいようと、私という個人が存在している以上、ベースになっている部分は変わってないからだ」
「どういうことです?無数の、それこそ無限に広がっているとかいうパラレルな世界ならまるで性格の違う先輩がいてもおかしくないんじゃないですか」
「確かにそうだ」
先輩は肯定する。
「私はね、山さん。人格形成など選択肢を選び続けた結果だと思っている。これもひとつのパラレル状態かな?たとえば、今日はどうにも眠いから、学校をサボってしまおうか。そう思ったとき私はどっちを選ぶと思う?」
「……さあ?ただ、ぼくの知っている先輩は去年は皆勤賞だったらしいので、そんな朝も我慢して学校に行ったでしょうね」
「この場合、私も学校に行っただろうね。でもそれは、今までの選択肢の積み重ねにすぎないんだ。わかるか、山さん?自堕落な生活を好む私がいたとするならば、その私は自堕落な選択肢を選んできたというわけだ。何かの拍子に、きまぐれを起こすこともあるだろうし、起こさない場合もある」
また、よくわからなくなってきた。ええと、自堕落な先輩は学校をサボるだろうけど、そうじゃない先輩はサボらない?それは今まで選んできた選択肢の方向性がそうであるからで、たまにきまぐれを起こしても、選択肢を選ぶ基準自体はたいして変化がない?そういうことでいいのかな。
「簡単に言うとだ、山さん。私の周りには無数の矢印があると思えばいい。小さな矢印はあちこち好きなほうを向いている。それより大きい矢印になっていくにつれて、その向きがだんだんと同じ方向を指すようになる。どうだ、俯瞰すれば私の周りの矢印は一方を指しているように見えるだろう?」
「はあ、なんとなくですがわかった気がします。その大きな矢印が先輩と目染川先輩は同じってことですね?だから、小さな選択肢では違いがあっても問題はない?」
「解釈としてはそれでいいんじゃないか?ま、そうであっても、実際はもっとややこしいだろうし。あるいは私が今言ったことは間違いになるかもしれない」
「間違いになる?」
ふう、と先輩がこれ見よがしにため息をついて見せる。
「俯瞰すれば、と私は言っただろう?同じ矢印だと思っていても更に高い位置から見れば矢印の位置がずれているかもしれない。そういうこと。ズレがひどくなればなにがしの問題は出るだろうが、しかしそれだけの間、私と山さんがこうして話をしているとは思えない。それは私に限ったことではなくキミもだ。私の所にも山さんは居る、だがそれはいまここで私と話をしている山さんと同じ人物だろうか?」
なるほど。だから、深く考える意味はないと、そういったのか。
「ようやく納得できました。確かに益体もない話でしたね」
「本当にな。だいたい、いまの私が私であるかどうかなど証明しようがない。別次元だろうと何だろうと、山さんには信じてもらう以外どうしようもない」
確かにその通りだ。こんな風に話をしているから忘れがちだけど、どうあがいてもぼくと先輩が実際に会うのは無理だろうし、もともと、あれこれ実験なんかをしようとしたのも強いて理由をあげれば興味本位。暇潰しにしか過ぎない。
そのことをちゃんと弁えていないから、こんなことになる。
「なあ山さん?私たちは途方もない偶然か幸運かなにかの果てに、ちょっとした友人を得た。それだけでいいんじゃないか?」
だから、きっと先輩の言うことは正しい。




