04
公立、綾川高等学校において、目染川みやこという人物を知らない生徒はいないだろう。
学校生活では、容姿と勉学、あるいはなんらかのスポーツと、パッと見てわかりやすい点が優れていれば目立つものだ。その優れた素質ある人どうしが、それぞれの舞台で、それぞれにふるいをかけられていく。たとえば、県下№1左腕ピッチャーとドラフト一位指名、間違いなしの超高校級左腕というように、オンリーワンを謳ってみても結局のところ、ぼくらは実力制を貴ぶらしい。
さて、目染川みやこだが彼女の場合、何が優れているか。
答えは二つ。容姿と頭脳である。
目鼻のはっきりとした端正な顔立ちは腰まで伸ばした黒髪と楚々とした、たおやかな雰囲気と相まって、ぼくを含めた男子生徒どもに絶大な人気を誇る。最近ではその目染川人気は徐々に近隣の高校にも広がって、非公認、あるいは非合法なファンクラブまで立ち上がったとか、なんとか。まあ、とにかく誰が見ても美人だと思うだろう。
頭もいい。学年成績は三位より下に落ちたことはなく、全国模試でも上位を保持しているとか。もっとも、これはぼくの高校ではテストの結果を張り出すようなことはしないので、その真偽は知りようもないけれど。
超絶美少女だとか、たぐい稀な天才だとか。天才魔法少女様だとか。さすがにそういった存在には及ばないとしても、目染川先輩は衆目の目を引く存在だった。
「まあ、あれだけど」
大型書店の入り口で、缶コーヒー相手にぼくはひとりごちる。
「好きなアイドルとかタレントとかが、週刊誌に私生活をすっぱ抜かれたときって割とショックを感じるものだよな」
イメージ戦略は大事だよ。もちろん、内容にもよりけりだけど。
はあ、と気乗りしない溜息をついて、飲み干した空き缶をゴミ箱に押し込む。そのまま、自動ドアをくぐって店内に入る。
先輩の言った通りなら、そろそろだけど。
いやだなあ。いないといいなあ。見たらイメージ変わるよなあ。
そう心の中で呟いてから、ぼくはぐるっと、店内を見回す。と――――いた。
ジーンズと薄手のシャツ姿のラフな格好の先輩が、先輩の言ったとおりに――――ええと、どっちも目染川先輩なんだからどう呼べばいいか困るな。やっぱり、あちらの先輩はみやさんとでも呼んで区別しておけばよかったか。呼ばないが。――――ともあれ、目染川先輩が聞いていた通り、漫画コーナーに消えていった。
一応、気付かれないように気を付けながら、ぼくも目染川先輩の後を追う。ここで気付かれてしまっては先輩が体験した過去が変わってしまうおそれがあるからだ。
まったく、気乗りがしない。ひどく道化じみている気がする。
その過去が変わるかどうかを確かめるために今から茶番を演じるというのに。
目染川先輩はどうやらお目当ての本を発見することに成功したようだ。平積みされた新刊の中から先輩が迷いなく手に取った少女漫画のタイトルを見て、なるほど、と思う。そのタイトルには、その手のことにとんと疎いぼくでも覚えがあった。たしか、その漫画の人気ぶりに再度のドラマ化がされ、映画化する予定すらあるらしい。
そういえば、ぼくのクラスでも大人気だったなあ。
少女漫画を取り揃えてある一角を、通路を挟んだ壁側にある参考書コーナーで英和辞典と広辞苑の表紙の背を撫でながらぼくは目染川先輩の監視を続ける。
腕に巻いた時計の文字盤は二時四十分を指したところ。早く終わってほしい、とぼくは切実に思う。
正直、このストーカーじみた自分の行為に耐え切れそうにない。うかつだった。本人との合意のもとでの行為だから気楽にいけ、と言われはしたが、このプライベートな時間を覗き見している感覚はなんともやるせない。ストーキングしている相手がお気に入りの本を片手に目を細めている目染川先輩だというのもぼく的につらい。
よくよく思い返せば、先輩は過去の私と今の私はある意味で別人のようなものだ、とも言っていなかったか。だまされた。
届いても困ってしまうが、そんなぼくの思惑などどこ吹く風、といった感じで目染川先輩は新たな獲物を捜しに物色を開始する。
その後ろ姿を視線で追っていると視界の端にようやくぼくが待ち望んでいたものが、唐突に、予想を超えた勢いで持ってやってきた。
タイミング的には出遅れた。止めようと思えば止められるだろうが、間に合うか?
せめて、このガラガラという音に目染川先輩が気付いて通路の端に寄ってくれればいいのだが。
しかし、目染川先輩はあれこれと目移りしているのか、まるで蝶のようにふらふらと頼りない足取りで棚と棚の間を行ったり来たりしている。
しょうがない。
少し迷って、ぼくは強硬策に出ることにした。
ぼくは、今までなんとなく踏み入れ難い印象を持っていた少女漫画が立ち並ぶコーナーに足早に入る。そのままの勢いで目染川先輩の前に立ち、有無を言わさずその手をぐいっと引き寄せた。
ふわっと、目染川先輩の髪から心地よい香りが伝わってきて、不謹慎ながらちょっと幸せな気持ちになる。
「きゃっ?」
小さく目染川先輩が声を上げると同時に――――がしゃーん、とけたたましい音を上げてスチール製の台車が本棚にぶつかった。
激しい音に驚いたのか、目染川先輩がぎゅっと目をつぶる。腕の中でその小柄な体が一瞬、硬くこわばる。
たっぷりひと呼吸分置いて、目染川先輩の目がおそるおそるといった風に開いた。
ぼくの顔を見てぱちぱちと、まばたきを二回。次いで、視線をひっくり返った台車が、からからと足を宙に舞わしている姿に向けて。最後に少し離れたところにいる、ぽかんとした表情の子供に。
そして、首をひねる。
どうも状況がつかめていないらしい。
あの、とぼくが声をかけようと息を吸い込む、そのタイミングで――――どん。と激しく胸を突かれた。
「ごほっ」
結構なパゥワーじゃない。地味に体にしみる痛みだ。
「あ、あなた、わ、わわ!?」
まあそうなるだろうな、と尻もちをついたままぼくは思う。
緊急時だったとはいえ、目染川先輩を抱きとめる形になったのだ。目染川先輩にしてみれば、何事かと目を開けたとたん、冴えない見知らぬ男の腕の中にいたのだから。そのショックはいかばかりか。到底、ぼくごときには計り知れない。
謝ってすむ問題でもないだろうけれど、申し訳ないことをしたと思っている。このまま立ち去るなり、店員さんに別室に連れて行かれるなりしたほうが目染川先輩にとっては好ましいのだろうとも思う。
それでも、これだけは確認をしておきたかった。
「先輩、大丈夫でしたか?」
ぼくは尻もちをついたまま訊ねる。目染川先輩は――――あれは威嚇のつもりなのだろうか?両手を突き出して泣きそうな顔を浮かべて、え?と言った。




