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今は冬。テレビでは一足早く、クリスマスの特集なんか組んだりしているそんな頃だ。
あの失恋と呼んでいいか分からない恋の顛末の後、ぼくは目染川先輩とお付き合いをはじめた。先輩も失恋を乗り越えて、いまは新しい恋に邁進している最中だ。
先輩曰く、あちらのぼくは「正直、キミより素敵」らしいので上手く付き合っていけるのだろう。お付き合いを始めてからのぼくだって、目染川先輩のちょっとした仕草や意外な一面にどきどきしっぱなしなのだから、おあいこといったところか。
ほんの数か月前にはあれだけ大見えを切ってみせて、あれこれ騒いで選んだ選択にしては、今の生活は穏やかで幸せすぎる。穏やか過ぎて時折、後ろめたい幸福感がこつこつと胸を叩いてくる。
先輩は、いずれ本気で愛するようになるから気にするなというけれど、そのことをぼくが納得できる日は来るのだろうか。
もっとも、その後ろめたさの半分は、ぼくの中でだんだんと目染川先輩の占める割合が増えているあたり、その日が来るのは遠そうだけど。
ぼくがつらつらとそんなことを考えていた、十二月のある日。
一年が終わりをみせようとした冬の日を境に、ぼくと先輩の物語はすでにゆっくりと収束に向かっていたのだった。
「知らないってどういうことですか?」
先輩の惚気話に淡い嫉妬を抱いていたのが、まるで嘘のようだ。
今日は先輩の初デートの日。そのあらましをいつものように茶化しながら聞く。いつもと同じ夜になる、そのはずだったのに。
「あの、先輩?知らないってどういうことです?」
「そのままの意味だよ、山さん」
我知らず重ねて問いかけるぼくを落ち着かせるように、先輩が答える。
「私は、家の付近でそんな人物は見ていないし知らない。その人物が存在するなら、見落としていたとしても何かしらの情報くらいはあるはずなのに、だ」
今まで、ほとんどといっていい割合で先輩の過去と目染川先輩を取り巻く未来は、同じ出来事を重ねてきた。ぼくが若気の至りで暴走していたあのときでさえ、目染川先輩は先輩がした行動をトレースしていたというのに。
なぜだ?おかしなことが起こるというなら、なぜこのタイミングで起こる?
これではまるで、
「もしかしたら、山さんと話をするのもこれが最後かもしれないな」
そう。そんな予兆めいた事を感じてしまう。
それから先輩は時間まで、ひとつ仮定の話をしてくれた。
「考えられるのは二点。ひとつは単純に私と山さんのつながりが断たれようとしていること。これは防ぎようがない。もとより私たちはどうして互いに携帯を通して知り合えたのか、これがわからないからだ」
それからと、先輩はすこしためらいがちに口を開いた。
「もうひとつは山さんの存在に世界が耐えられなくなったから。……その、私が言いだしたことなんだが、山さんは彼女に本来起こるべき事象を改変したりしただろう?そ、それに、その、わ、私もキミにある意味で影響を受けたわけだし……もしかしたら山さんの存在自体消えるかも。ごめんね?好きになっちゃったりして」
あ、先輩が照れてる。おいおい超可愛いじゃないか、しかも「ごめんね?」だって!くうーっ!この可愛さ、もはや反則だろこれって……――――?
え?なになに?ちょっと、なに?おいおいおい、どういうこと?存在が消える?だれっていうか……ぼくの!?「ごめんね?」ってお別れ的な意味で?そんな馬鹿な!?
「そんな!?ぼくのせいでこんなことになったっていうんですか!?ぼくは先輩の言う通りに動いただけなのに!ぼくが実行犯なら先輩は主犯じゃないですか!?計画性を考慮したら先輩のほうが重罪ですよ!っていうか、よく考えたらどっちも手に負えないじゃないですか!?」
混乱する。パニックになる。今すぐどこかに逃げだしたくなる。
先輩は本気だ。嘘自体はよく、それこそ息をするようにつく先輩も未来関係の話で嘘をつくようなことはしない。おまけにこの先輩のリアクション。これは考えるまでもなく危険が危ない。
「どうどう。まあ落ちつけよ、山さん」
「いやいや!?落ち着けないですよ、これ!存在自体消えるって、なんか死ぬより怖くないですか?いや、死ぬのもごめんですけど!」
そういえば、と走馬灯的なひらめきで、ぼくは大事なことをやり残していることに気付いた。
明日は目染川先輩との初デートなんだよな。今頃、どうしているんだろう?先輩みたいに眠れないでいてくれるのかな。遊園地はテンプレ的でがっかりしたって先輩に言われたし、次は目染川先輩の喜んでくれるところを捜さなくっちゃ。一年前はこんな風にデートスポットで悩むぼくなんて想像もしなかったよなあ。もてる要素もなかったし、クリスマスとか地味に嫌いだったもんな、ぼく。あ、でもデート自体は楽しんで貰えたのか?でもでも、それに甘んじて明日の目染川先輩とのデートに気を抜くわけにはいかないか。たしか観覧車がお気に入りの――――。
「――――おいっ!このっ、馬鹿さん!」
「はっ!?」
先輩の叱咤の声にぼくは、はっと目を覚ます。
夢から覚めたときのように、何を考えていたかまるで覚えていない。ただ、気分は持ち直した。夢ならきっといい夢を見ていたに違いない。
「あ、すみません。大丈夫です。落ち着きました」
目覚める瞬間、先輩から馬鹿さん、などというある種、名状しがたき合体技的な呼びかけをされた気もするが、それはぼくの勘違いだ。
先輩は、馬鹿さん、などと言わない。絶対に。
「大丈夫?落ち着いた?……山さん、それは本当にか?私にはそうは思えないな。だいたい、今日のキミはどうしたっていうんだ。落ち込んだと思ったら急になんでもなかったかのように振る舞ったり……キャラがブレてない?それともメッキがはがれてきたか?」
そりゃあ、少しおどかし過ぎたとは思うけど、と聞き取れないように小声でつぶやく先輩の声。
うん。その声を聞いて元気が出てきた。
「先輩」
こほん、とわざとらしく咳払いをしてぼくは言う。
「なんだよ、山さん?」
先輩の少しむくれた声が妙にくすぐったい。
「怖かったんですよ。それこそキャラがブレるくらい」
「悪かったな。たしかに脅しが効きすぎた、謝れというなら謝るさ。だがな山さん、これは」
まあまあ、と意地を張る先輩を逆になだめてから一言。
先輩だって冗談や酔狂でこんなことを言い出したんじゃない。全部、本当にあり得る話なんだ。明日、ぼくが消えるかもしれないし消えないかもしれない。そのいつかが来るのかどうかも分からない。わかってる。
「ぼくが怖かったのは、色々やり残したことがあるって気付いたからですよ。目染川先輩とデートだってしていませんし、遊園地はインパクトに欠けたみたいですからリベンジしてぼくのことを見直してほしいです。先輩は大学に推薦が決まっていますから冬休みはスキーに出かけようかと思って計画を練ってたりするんです。行けずじまいになるなんてとんでもない。ようやく、本当に誰でもない目染川先輩を好きになり始めたんです。手が届く範囲にいるのにお別れなんてするくらいなら、キャラぐらい、いくらでも変えて見せますよ」
消えるのが怖いのも本当ですけどね、とこれは情けない気がするから心の中でつぶやく。
でもやっぱり本当のところはこれだけなんだろう。
「それに、消えてしまえば忘れられてしまうんでしょう?ぼくは他の誰に覚えて貰えなくても先輩にだけは忘れて欲しくないんです。怖いというならそれが一番怖い。振られたけど、今でも好きな人に忘れられるのは怖い。それに比べれば消えてしまうのなんか、怖くもなんともない」
そう言い切ってから、ぼくは慌てることなく自然に、先輩の無反応ぶりに恥ずかしくなったそぶりをまるで見せずに
「ラノベかなにかの受け売りですけど」
と、付け加えた。
先輩はふん、と鼻を鳴らして
「よし、なら許そう」
そう言って、笑った。