09
「そうか、つまり山さんキミは私に嘘をついていたんだな。二週間ものあいだ」
その日の夜、ぼくは溜まりに溜まったツケを支払うことになった。目染川先輩との一件を包み隠さず話したからだ。
「好きにすればいいと確かに私は言ったが、ふん。まさかこんなことになっていようとはな」
先輩は呆れかえった声で、失望をため息ににじませていう。
「山さんなら何かしでかすだろうとは思っていたが、これはさすが予想の範疇を超えていたな。ふん。恋は盲目、男は狼といったところか。くだらない」
「あの、べつにぼくは狼的なことはなにも……」
盲目的なことはしてしまったかもしれないが。
「そ、それに先輩、先輩は他に何かないんですか?ぼくが目染川先輩の気持ちを踏みにじったこととか、その……――――」
「キミが私のことを好いているということか?」
先輩はなんの気なしにずけりと言った。
「べつに彼女にしたことをどうこう言うつもりはない。私に嘘をついてまでコソコソと姑息なことをしたことだって、どうでもいいことだ」
電話越しの先輩はいまどんな表情をしているのだろう。
淡々とよどみなく言葉を続ける先輩は今何を思っているのだろう。
「キミの告白に対する返事が必要か?必要だというなら言ってやろう。お断りする。私にキミを愛せと?時間どころか次元ですら違うかもしれない相手を?無理な話だ。山さん、キミはキミの手の届く場所にいる私を愛せばいい」
そうだろうな、と思っていた。
好きな人が自分のことを好きでいてくれるだなんて、そんな思いあがり持っていなかった。だけど、それでも未練たらしくぼくは先輩にすがってしまう。
「で、でも先輩。ぼくが好きな先輩はあなたなんです。目染川先輩はあなただろうけど、同じ顔同じ声でも、ぼくが好きな先輩とは違うんですよ!」
先輩は少し息を溜めてから、不快感を隠さずに吐き捨てるように言う。
「……いいか、はっきりいうぞ。不快だ。今のキミは気持ち悪い。そちらの私は山さんにご執心のようだが私は違う。友人としての好意以上は持ち合わせていない。これ以上の話は無しだ」
「どうしてもですか」
やはり、ぼくは傲慢だ。ぼくの勝手を先輩に押しつけようとしている。
先輩からこれ以上なくばっさりと切り捨てられて。せっかく先輩が、未練なく切り捨ててくれたのに。ぼくになにも背負わせず終わらせてしまおうとしててくれているのに。
――――なにを言おうとしているのか。
「くどいぞ、山さん。……私から友人としての好意すら奪わせるつもりか?」
「なら諦めます。今後一切、先輩に言いよったりしません。まだぼくを友人として見てくれるなら、その範疇から逸脱した行為を取ることもしません。そのかわり、ひとつだけ本当のことを教えてくれませんか」
ああ、またぼくは言わなくてもいいことを言う。先輩はぼくを傷つけまいとしてくれているのに、ぼくは傷つけることを選んでしまう。
「先輩は、どうして、ぼくを好きになってくれたんですか――――?」
「私はキミを好いてはいない」
短い沈黙の後、先輩は言った。
「勘違いもはなはだしい。山さん、キミは妄想家か?私は今キミを、ありていにいえば振った。袖にした。拒絶したんだ。わかるか?それが、それをどうすればそんな話になる」
「妄想だというならそれで構いません。実際、ぼくも自分がなにを言ってるのか分かりません。でも、先輩、ちがうんですか?ほんとうに好きでもなんでもないんですか?」
こつこつと音がする。いらだち紛れに携帯を指でたたく音だろう。
「……好きではないと言っているだろう。なぜわからない。しつこいぞ山さん」
「しつこくさせているのは先輩ですよ。ぼくは先輩の本当の気持ちが聞ければいいだけなんです、それ以上は望んだりしません」
「――――山さんっ!いいかげんにしろ、キミは」
先輩が語気を荒げる。
限界か。そうだろうな、ぼくだって限界だ。これ以上、こんなやり取り一分一秒たりともしたくない。
「ぼくが嫌いだというなら!なぜ、そちらの世界のぼくと付き合ってるんですか!?わざわざ自分から告白までして!……ふざけるなよ!?ぼくはあんたが、先輩が好きなんだ!そんな嘘まみれの理由で振られてたまるかよ!」
あ、とも、な、ともつかない声が先輩から漏れる。
言おうとした言葉はありえないだろうか、それともなんてでたらめを?そんなことはどうでもいい。先輩が認めないというなら認めるまで言い続けてやる。
「先輩、彼氏ができたって話をしたときのこと覚えていますか?ぼくはあのときおかしいなって思っていました。人となりはまるで違うのにどこかぼくと似ていると。その違和感の正体を教えてくれたのは目染川先輩です」
「……彼女がどうしたって?」
今の先輩の声からはその表情は読み取れない。
もしかしたらちがうのかも、すべてぼくの勘違いなのかもしれない、と今から言う言葉が少し怖くなる。それでも止めようとは思わない。ここで止めてしまうほうがもっと怖い。
「あのあと、目染川先輩と少し話をしました。なんでもない話です。目染川先輩がぼくを好きになったきっかけとか、何をされてうれしかったとか、そんな話です」
「山さん、それは」
何か言いかけた先輩におっかぶせるように、ぼくは言う。
「随分、似てますよね?先輩の彼氏の話と。思い出すんですよ、いつか先輩が言っていた、矢印の方向性の話を。考えてしまうんですよ、私たちの根っこは同じだという先輩の言葉を」
そうだ。ずっと気になっていた。先輩に彼氏ができたタイミングも、動機もなんとなくおかしい感じはしていた。ぼくが先輩を好きにならなければ、目染川先輩がぼくを好きになってくれなければ、きっとそういうこともあると思っていた。
「だから、山さん!それは」
「わかってるんですよ!ぼくが先輩を好きになったから、どうしたってぼくはそっちに行けない!だから先輩がそうやってぼくに諦めさせようとしたんだって……!わかってるんですよ!ぼくを傷つけないように、そうやって先輩が!でも!」
先輩は今どんな顔をしているのだろう。そして、ぼくは。
「でも、ぼくは……!失恋くらいちゃんとしたいんです!ちゃんとあなたの言葉で振ってほしいんです!それ以上は望みません、だから……教えてください」
「私は――――」
先輩が語り出す。ぼくはもう言うべきことはすべて言った。あとは先輩の返事を待つだけ。
「私はキミを好いてはいない。だから、今まで山さんが言ったことはただの勘違いだ」
そうか、それならばそれでいい。先輩がそういうのなら、ぼくはそれを受け入れるだけだ。
「しかし、仮定の話として、私がもしくは山さんが同じ時間の中にいたのなら――――私はきっとキミを愛していた」
「……先輩」
「仮定の話だよ、仮定の。こうなればいい、こうであったらどんなにいいか、そういった、どんなに足掻いても恨めしく思っても覆らない話だ」
それでも、と。それでもそうあればいいと望んでしまうのは愚かなことなのだろうな、先輩は苦笑交じりにそうつぶやいた。
「なあ山さん?こういうのも失恋になるのだろうか?」
ぽつり、と独白めいた口調で先輩はそういう。
ぼくは先輩の失恋という言葉にどきりとしながらも、先輩がそう言った言い方で本心を伝えてくれたことがうれしかった。
「さあ、どうなんでしょう?ぼくは先輩のことが、その、好きですし」
「ああ、私もキミが好きだ。しかし、想いは通じても指先ひとつ触れあえない。時間は残酷に隔たっているクセにまってはくれない。月日を重ねて、年が過ぎてしまえば、いつかこうして話をすることさえできなくなる日が来る」
どうしてそんな相手を好きになったのか、先輩はそういって笑ってみせる。
ぼくは笑えそうにない。
「なあ山さん、嫌っていないなら、キミは彼女を愛してやってくれ。私は私の手の届くキミを愛そうと思う。傲慢だな、お互いに代用品の恋だ」
傲慢で許し難い。
それでもぼくたちはそうするのだろう。叶うはずだった恋のボタンをかけ違えたまま。いつか掛け間違えたことを忘れてしまうくらい、他の人を愛してもなお。
「なんというか納得できない結末ですね」
ぼくはどうにも不安定な心のままでそうつぶやく。
先輩はむしろぼくを励ますように、
「知らないのかい、山さん?いつだって恋は理不尽で不条理なのさ」
そう、恋は不条理で理不尽なもの。ぼくたちが特別なんじゃない。
だれだって、いつだって、恋はひとを悩ませるもの。