6 お互いの印象は最悪
華やかな室内と扉一枚挟んだバルコニー。
ここはまるで隔離された世界のよう。
衝撃の出会いをした後、私は引きずるようにここへ連れて来られた。
黒く染め上げられた天にダイヤモンドを散りばめたような星々。
その空の下。
雪のように穢れのない大理石で出来ている柵にて身を乗り出し、ただぼうっと空を眺めているのは、私をここへと連れ出した男・ベリル=フォーマルハウト。
そんな彼に対し、私はその斜め後ろにて、腕を組んで怒りに打ち震えていた。
ゴシップ記事一面率が高い私達が二人揃っているけれども、傍の窓枠から覗く会場内は誰も気にもとめず楽しい時間を過ごしているようだ。
もし、この瞬間をカメラ片手に記者にでも見つかれば、格好の餌食となるだろう。世間を騒がせている噂の二人がまさかのツーショット。これは部数アップ間違いなしだ。もしそうなった場合、少しこっちに分け前をくれ。
「ねぇ。どういう事? 婚約者って。私が未来を描く相手は、貴方ではなくロロ様よ」
そう口を開くが、ただ風の音と室内のざわめきだけが耳に届く。
あのわけのわからない台詞で連れ出したくせに、どうやら何も語る気はないらしい。
そんな彼に我慢できなくなったので、再度督促するように言葉を発する。
「ねぇ」
すると、彼はやっと音を奏でた。
「奇遇だな。俺もお前みたいな典型的な貴族を嫁になんて貰いたくない」
やっと聞けたと思ったそれは、屈辱的な言葉。
それには唇が軽く痙攣する。
「今なんておっしゃったのかしら? よく聞こえなかったわ」
「だからお前のような女なんて嫁に貰いたくないと言ったんだ。ちゃんと聴いて置け」
二人の間をすり抜けていく風が、絶対零度の如く。
仮面が剥がれるのを堪えるために感情を押し殺す私と、何を考えているか読めない彼の間を。
揺れる漆黒の髪を靡かせ振り返った彼に、私は大半の女性が頬を染めるであろう、その整っている容姿をぶん殴りたい衝動にかられた。
初対面だ。初対面。夜会で幾度か顔を拝見した事はあるぐらいの親しさだ。
それなのに、何故こうもぼろくそ言われなければならないのだ。
自分の中ではお互いゴシップ新聞に記事をねつ造され、密かに親近感が湧いていたというのに――
同じ同性にならば嫌われるのは慣れっこ。やれあの人を寝取っただのと陰口を叩かれ、ちまちまとした嫌がらせを何度も経験した事がある。
だが、異性にこんな扱いを受けたのは始めてだ。そのため、プライドを酷く傷つけられた。
「失礼だけれども、お話したのは初めてよね」
冷たさの中に含む女王のような、強さを含んだ笑み。夜光蝶の異名を持つ私の狂いなく計算されつくしたそれは、声も笑顔もいつものように異性をひれ伏せさせるだけの賜物である。
これになんの反応も示さないのは、今まで知る中でたった二人だけだ。
レインとそれから王太子殿下。
「初めてだが、お前の事は以前から知っていた。その下品な男に媚びた格好。露出狂か?」
「……はぁ!?」
いきなりこだわりを突かれ、たまらず顔も声も崩れた。
夜会のドレスは全て蝶のようなイメージのものしか身に纏わない。
ここ最近は金銭的な問題により、祖母の友人である針子に教えて貰いながらリメイクしていたが、唯一それだけは未だに守ってきている。
本日の衣装も、「ヘレナモルフォのようだね」とロロ様に褒められた鮮やかなコバルトブルーのカクテルドレス。
フロントはきっちりと首元まで覆い隠し、背面は腰まで開いている。スリットも太ももまで入っているタイプのため、多少は露出している自覚はあった。
だが、狂っているほどではないはず……
「それに」
ベリル様は一端言葉を区切ると、視線を私の左手の指先へ。
「そのゴテゴテとした邪魔な指輪」
「指輪ですって? まさか、このオニキスリングの事かしら?」
私は手の甲をベリルに見えるように自分の顔の前へとかざした。
「それ以外お前が身に着けているものあるか? しかしさすがそれを選んだだけの事はあるな。お前のように品がない。なんだ? 納得いかなそうな顔だな。もっと根拠を言って欲しいのか?」
「……いいえ」
俯きつつ、首を横に振った。
「これぐらいで泣くのか。面倒な女。あぁそれとも泣き落としか? 言っておくが、お前のような女の涙なんて泥水と――ぐっ」
その言葉が不自然に途中で遮られた。
そしてその後、最後まで紡がれる事は無かった。
なぜならその数秒前に、私により彼の脇腹めがけて回し蹴りをお見舞いしたためだ。
――スリット入りで良かったわ! 誅罰よっ!
腰をくの字に折り膝を着き、脇腹に手を添え咳き込んでいるベリル様を、私はしゃがみ込むんで今度は彼の胸ぐらを掴んで自らの方へと寄せた。
お互いの顔は数センチと近く、傍から見ればキスしていると誤解されるかもしれない場面だ。
「お前っ!」
怒りで歪むベリル様に、口角を上げて応戦。
それこそ、その美しさで魂を抜く事が出来るような艶やかさを含んで。
「指輪? 指輪ってこれの事?」
私はベリル様の空へと立ち上る煙のような瞳に、あの指輪を押し付けるように翳した。
闇色のブラックオニキスの指輪が、背後の会場から零れ漏れるシャンデリアの光により、二人の間に輝きを放つ。
「ゴデゴデとした品のない指輪ですって? あんた見る目ないわね」
「お前、口調っ……」
「知るか、んなもん。いい? この指輪を馬鹿にする奴は誰であろうと絶対に許さない。下品ですって? そう判断した貴方の方が……――」
――カシャッ
「そう。カシャって、え?」
突如雷鳴のような光と共に包み込まれ、驚きの声が漏れた。
「ちょっと、何!?」
目も眩むようなフラッシュの強さに、咄嗟に目を覆ったけれども遅かった。
瞼の裏で暗闇にチカチカと点滅して眩しい。
だがそれも収まらない内に私は状況確認のため瞼を持ち上げ、視線を彷徨わせその発生源である場所を探す。
すると、とある場所に違和感を覚えた。
それは建物周辺を囲っている煉瓦の塀沿いにある大木の群れ。
道路から人々の目を隠すような役目のあるそれを、注意深く見つめていると何やらその一部が動いているようだった。
栗鼠か何かの小動物だろうか? いや、それにしては葉の動きが大きすぎる。
首を捻りながらも、もう少し近くで確認しようと足を一歩踏み出した時だった。
「チッ」という私の耳に届いたベリル様の舌打ち。
それだけで全てを理解出来たのが悲しい。
――嘘でしょ!? まさかこんな所に。