5 白の剣・ベリルの襲来
――なぜ私が付き合わなければならないのだろうか。
周りは楽しげに語らっているというのに、私達三人は壁の花となっていた。
いつもは否が応でも目立つ三人なのだが、今日はまるで自分達の前に立ちはだかる壁がある如く、誰も近づいてこないし視線も向けて来ない。
おそらく、私ととレインの間に挟まれているアトリアのためだろう。
彼女は左右を二人に守られお姫様のように、椅子に座り俯いている。
顔色は相変わらずのままで。
「……ねぇ、なんで私まで?」
「いいじゃないか。たまには幼馴染三人で仲良くっていうのも。ねぇ、アトリア」
レインに肩を叩かれそのまま右顔をのぞき込まれたアトリアは、さっと反対側に反らし、今度は顔色を無くした。
そしてとうとうハンカチを口元に当て、俯いたまま小刻みに震え始めてしまっている。
その左手は私のドレスへと伸び、まるで子供が母親とはぐれないように掴み、しっかりとしがみついたまま。
そんな二人のやり取りを眺めつつ、自然と嘆息が零れ落ちてくる。
「本当に可愛いね。アトリアもそうだけど、セラフィも怯えている顔や困惑している顔が僕は一番好きだよ」
このサディストめ! と叫んでやりたかったが、人目があるので 冷ややかな視線を送るだけで済ませた。
だが、それでも飄々とした態度は消えない。
本当に調子が狂う。レインはいつもそうだ。
いつか皆に広く知れ渡ればいいのに。この人の性格の悪さを。
「ところでセラフィ。君の家は大丈夫なのかい?」
「何よ、突然。もしかして両親の事? それなら相変わらず喧嘩ばかりよ」
そう言って私は手にしていたグラスを一気に煽った。
口に含んだジュースがやたら甘い。それを我慢して胃に流し込むと、胸がもやもやとする。
――あの人達の事なんてどうでもいい……
両親が常に喧嘩しているのは日常の光景として珍しい事ではない。元から口論が絶えない人達だった。
だが、ここ数年は酷い。以前は両親が溺愛する弟の前ではしなかったのに、最近は場所も人目も気にせず言い争いをしている。
忌むべき者。それが両親に対する私の心情だ。そのため彼らの話題は避けたい。
「わざわざアトリアにかこつけて私を呼んだのはあの人達の件? だったら関係ないわ。レインだって知っているでしょ? あの人達がどんな人達なのか。おばあ様に何をしたのかを」
私は自身の左手人差し指にはめられている指輪にそっと触れた。
中央に丸く大粒のブラックオニキスを配置し、周りには星々のように輝くダイヤモンドを散らしているそれ。
これは祖母マリーの形見の指輪。祖父が祖母へと贈った大切な結婚指輪。
私がこれをおばあ様が亡くなる直前に譲られ、それ以来常に肌身離さずはめている大切なお守り。
「『フォーマルハウト家』」
「はぁ?」
唐突に告げられた思いがけない家名が耳に届き、ついこの場にあるまじき言葉使いをしてしまい、すぐさま口元を片手で覆う。
そして周囲を見回して目撃者を捜すが、幸いな事に時間は自分達を無視しているかのように流れている。それに、ほっと胸を撫で下ろす。
――危ない。こんな所で、夜光蝶のイメージが崩れる所だったわ。
「突然どうしたの?」
「ちょっとね。ねぇ、それよりも知っている? フォーマルハウト」
「当然よ。庶民貴族問わず、その名を知らない者はいないわ。あの商いに関しては凄腕一族の事でしょ? あぁ、そう言えばフォーマルハウト家と言えば、麗しき四兄弟・次男のベリル様が最近大人しいわね。いつも私と共にゴシップ記事一面掲載率高かったのに……」
フォーマルハウト家を知らない者はいない。それぐらい平民貴族関係なく名が広く知れ渡っている。
元々はジルラ=フォーマルハウトが興した小さな貿易会社が始まり。
商売の腕が良く時を読むのに長けていたのだろう。
従業員五人で始めたのに発展を遂げ、今ではその息子と孫達によりますます拡大。貿易だけでなく、銀行等多岐に渡る経営により莫大な利益を得て、その資産を年々増加させている。
そのため商売の神様はフォーマルハウトに憑いていると人々に言わしめるぐらいに。
それに目をつけた貴族の計らいで夜会にも呼ばれているが、あくまで平民。
貴族ではない。そんな彼らを影で蔑む者もいる。
だが、完全に切り離すには惜しいぐらいの相手であるし、下手に敵に回すと己の首を絞める。それぐらいに最近貴族社会にも浸透し始めていた。
一族全員が商いの世界にいるのに、唯一異端なのがジルラの孫である、ベリル=フォーマルハウトだ。
何故か全く関係のない道へ進み、白竜騎士団の一員として国に属している。
騎士団長を支える三部隊の一つである、第一番隊長として、『白の剣』の異名を持つ若き騎士。彼もまたレインと同じようにその妻の座をご令嬢達に狙われている。
「それがどうしたの?」
「君の両親が最近接触を図っているらしい。知っている?」
その問いにセラフィは首を左右に振った。
だがなんとなくその理由は予想出来る。でもまさか、相手がフォーマルハウト家だとは……――
栄華を誇ったブラッダル侯爵家も今では没落寸前。
元々両親の金遣いは狂っていたが、ここ数年多額の賭け金による賭博の借金によって負債が増加。
その穴埋めに別荘や土地を全て処分し、屋敷もすでに抵当が入り、窮地に立たされている。
それなのに夜会へ出るドレスは新調するし、それぞれの愛人達への娯楽費も忘れない。すばらしく頭に花が咲いている連中だ。
その上最近侯爵はその損失を補おうと投資に手を出すという、明らかに駄目なパーターンに。
それが更なる失敗を招き、大損害を生み出し自らの首を絞める羽目になった。
もっと早く知っていれば止められたかもしれない。
だが、私が知ったのは数か月前。急に使用人が数十人解雇になると聞き、妙に思い調べれば発覚。気づいた時にはもう遅かった。
「今まで温情で雇ってやったんだ!」と、父が彼らを足蹴りにし、追い出そうとして発覚。使用人達の中には、家族を養っている者だっている。今まで長年働いてくれていたのに、どうしてそのような仕打ちが出来るのだろうか。
その様子に見るに堪えれず。すぐさま祖母から相続した隠し遺産を切り崩し、退職金代わりにと彼らに渡した。きっと祖母ならこうすると思って。
だがその資産もそれをきっかけに、全て両親に奪われてしまう羽目になった。
折角、祖母がレインの祖父・前ウェズン公爵経由で両親に見つからないようにと相続させてくれていたのに。
「言う間でもないけど、フォーマルハウト家は貴族社会へと伝手を増やし進出するためだろうね。そして侯爵家は金のため」
「冗談じゃないわ。絶対に婚姻契約書にサインも印鑑も押さない。没落するならすればいい。私は町に降りて働くわ」
「君なら可能だろうね。昔からこそこそ町で遊んでいたし」
「……知っていたの?」
「勿論。君が時々働いていた事も知っているよ。でも、セラフィと違い君の弟は?」
「無理。あれは両親と同じでプライドが高いから」
私の頭に二つ下のスーリの顔が浮かんだ。
顔を合わせても自分の事を空気のように扱う弟。両親の写しであり、彼らにとって最も愛すべき跡継ぎ。
「君の両親は彼を溺愛している。そのためどんな手を使うかわからない。侯爵家存続のために、君を犠牲にするぐらいた……」
「――それで気をつけろと忠告するつもりで? ですが、もう手遅れですよ」
レインの声を遮るように割り込んできた声。
低く全ての者を蔑むような冷たいそれに私は弾かれたように前方へ顔を向けると、そこには一人の青年が佇んでいた。
驚きで固まる私やアトリアと違い、その人は明らかに初対面でも見抜ける作り笑いを浮かべている。
「……ベリル=フォーマルハウト」
唸るようなレインの声に、私の体が大きくびくつく。
「これは、これは。まさかあのレイン様に名前を憶えて頂いているとは思いもしておりませんでした」
猛禽類のような瞳と衣服の上からでもわかる鍛え抜かれた体はまるで獣。
公式の騎士服に身を包んだ、精悍な顔立ちの青年。
年はゴシップ新聞によれば、たしか三つ上のはず。
だが、それよりも上に見えるのは威圧的な態度のせいだろうか。
彼も実年齢よりも上の様にうかがえる。
ヒールで底上げしている私すらも軽々しく見下ろされ、狙われた獲物のように不安げな空気に捕まった。
「――お話中の所を失礼。婚約者を迎えに来ましたので引き取らせて頂いても?」
その言葉この建物と同じように、私の頭は真っ白に染め上げられてしまった。